小さな子供がわらわらと教会から溢れ出ていた。子供たちはそれぞれ、友人と話したり、少女に手を振ったりしている。 「せんせー、さようなら!」 少女はにこやかな笑みを浮かべながら、手を振り返した。 「はい、また明日」 子供たちはそれぞれ、好き勝手な方向に散っていく。その姿を、少女はしばらく眺めていた。 「相変わらず、先生姿も似合っている」 どこか笑いを含んだ声に少女が振り向くと、見知った顔が笑っていた。 「ダイナスさん、それにアリシアさんまで。どうしたんですか? おふたり揃って教会までいらっしゃるなんて、珍しい」 「ちょっと式場の下見にね」 ダイナスが言った途端、その後頭部が神速の勢いではたかれた。 「たまたま退城時刻が重なりまして。こんな日は滅多にないし、エレナ殿もお誘いして食事でも、と思いまして」 「それはいいですね」 にこりと微笑む少女の首には、珍しい首飾りが下げられている。 何の金属とも知れない、不思議な何かで作り出されたもの。少女はそれを、ケイタイデンワと呼んでいた。少女はそれをお守りだと言っていたが、それが本当は何なのか、知っている者は誰もいない。 「では、少し準備をしてきますね」 少女は教会の建物に入った。するとすぐに、教会の修道士が声をかけてきた。 「あ、エレナ様。お客様ですが」 「はい?」 若い修道士は手の本を持ち直し、繰り返した。 「いえ、ですからお客様です。今は応接室でお待ち頂いておりますが」 「あ、そうですか。わかりました。では、その事を外にいらっしゃるダイナスさんとアリシアさんにも伝えて下さい。それと、お食事はまた今度、と」 「はい、わかりました」 頷き、若い修道士は教会を出て行った。 エレナはひとり、軽くため息をつきながら応接室に向かった。応接室と言っても、机にソファが二組という簡素な部屋だ。 応接室に到着すると、軽く深呼吸をしてから、木の扉を叩いて中に入る。 「お待たせしまし、た……?」 中に入った途端、エレナの目に来客の顔が写った。 「久しぶり、だな」 ソファに座っていた青年は、微妙な笑みを浮かべた。 「メイ、さん? どうしてここに?」 「あんたに用事があったからだよ。エレナ・テスタロッソさん」 からかうように言い、メイは立ち上がった。 「あ、どうぞ」 言いつつ、エレナもソファに座る。メイは改めてソファに座り、口を開いた。 「教会の方もだいぶ変わったようだな。オレが踏ん張ってた頃だったら、オレみたいな素性の知れない人間があんたみたいな人に会えるわけがなかった」 「……ええ。色々と、頑張りましたから」 少し警戒しつつも、エレナはそう言った。メイはそんなエレナの様子を全く気にせず言葉を続ける。 「なんでも、最近は教会が率先して魔法を教えているそうじゃないか。どうせ、あんたの差し金だろう?」 「差し金なんて、そんな……。私は私の思いつく限り、教会を変えようとしただけです」 「それだけで、あれだけ頭の固い教会が和らぐもんか」 言葉を切り、メイは床を見つめた。 「あれから三年、か……」 たった三年。その三年で、世界は大きく変わった。 エルフと人間の間では正式な交流が始まった。最初に動いたのは商人たちだ。人間の商人はエルフの作り出す木製品を、エルフの商人は人間の作り出すマジックアイテムを欲しがり、双方に盛んな行き来が始まった。 そうなってしまえば、もう世界は止まらなかった。種族間の違和感は瞬く間になくなっていく。元々、人間とエルフに境などなかったのだ。ただ、戦争という壁だけが立ちはだかっていたに過ぎない。それがなくなれば、互いを阻むものは何もなかった。 エレナもまた、ヒカルとの約束を守った。教会を変えるため、必死に努力した。 全教皇を中心とする旧体制派と、エレナを中心とする新体制派の派閥争いが起きたが、後者の『一般市民も魔法を使えるようにすべき』という考え方が広まり、各国民たちはこぞってエレナを支持した。 一種のカリスマ性のようなものを発揮したエレナに旧体制派は惨敗し、結果、教会は自ら市民に魔法を教える羽目となった。 世界は加速度的に、変わっているのだ。 「メイさんは、今まで何を?」 「ん? オレか? オレは、だな」 メイはぽつりぽつりと語った。 彼の話によると、本当に世界中を旅していたらしい。特に教会すらも手の届かない辺境の地に赴き、魔法を教え、力仕事を手伝う。そんな旅を続けたそうだ。 「それで、その途中で面白いもんを見つけて、な。それをあんたに見せようと思ったわけだ」 そう言うと、メイは皮の鞄から一冊の本を取り出した。 古代のエルフ語で書かれた本だった。ぼろぼろで、触れただけで崩れてしまいそうな危うさがある。 「これ、は?」 「竜神の書いた本だ」 「竜神様の?」 メイは頷く。なんでも、ドラゴンズ・ピークに立ち寄った際、見つけたものだそうだ。 エレナは本を開いてみた。どうやら何かの魔法について書かれているようだが、彼女には断片的にしか読めなかった。 「あの、これは何が書かれているのですか?」 「魔法だ。それも、召喚魔法についての本だ」 「召喚、魔法?」 メイは頷き、続ける。 「どうやらオレを呼ぶための魔法を、理論計算した本らしい。オレ自身、召喚魔法は知らなかったからな。解読と研究で随分と時間がかかっちまった」 「それで、これが一体……?」 わからないか、という風にメイは首を傾げた。 「オレはこれを読んで、召喚魔法についてマスターした。あとは魔力さえ十分なら、人間だって呼べるのさ」 「人間を、呼ぶ?」 言葉にして、ようやくエレナは気付いた。 「ま、さか?」 メイは頷いた。 「だが、竜神のいない今、この魔法を発動させるには並ではない人数が要る。概算でおよそエルフ三千人分だ」 「私に、それだけの協力を仰げという事ですね」 「別に、やらなくてもいいんだぜ。オレが会いたいわけじゃない」 エレナは立ち上がると、決然と言った。 「もちろん、やります」 ディラータの城下町は、静寂に包まれていた。 普段なら人通りの絶えない道に今は人影などなく、怒号の飛び交う商店は店を閉じていた。 城門もまた、閉じられている。その前の広場に、四人分の人影があった。 広場の中心にメイ。その前にはエレナの姿。それを離れたところから見守るように、アリシアとダイナスが立っていた。 「始めて下さい」 「わかった」 メイは頷くと、呪文を唱え始めた。 歌のような美しい旋律が流れる。その言葉のひとつひとつに呼応するように、道路が光り始めた。 「これはすごい……!」 思わず、アリシアは呟く。 メイを中心に生まれた光は国の六本の主要道路を駆け抜け、その光はディラータという、決して小さくはない土地を包み込んでいく。国が、ひとつの魔法陣になっているのだ。 まるで、世界が光に包まれているかのような錯覚さえ覚える光景だった。 メイの詠唱は続く。その前で、エレナはそっと目を閉じ、祈るように頭を垂れていた。 「――呼び声に応えよ、勇なりし者。神々の愛、光の旋律。六つなる輝きひとつとなりて、汝の姿を写し見る。六つなる輝きその手を重ね、汝の声を耳にする」 メイはそこまで歌い、口を閉ざした。そして、最後の言葉を口にする。 「ラツァンゾン・ディデウス」 国中を覆っていた光が、弾けた。 弾けた光は四方に飛び散り、やがてそれは一点に収束していく。 城門の前、メイの背後へと。 集まった光は人の形になった。それすらも弾けた後、そこに残ったのは、たったひとりの少年だった。 彼らのイメージと変わらない。学生服に、黒い髪。眠いのか、目は半目だった。 「……あん?」 寝ぼけ眼で周囲を見渡し、少年は目の前に立つ青年の姿を認めた。 「もしかして、メイ、か? なんでお前が――」 ヒカルはそれ以上、言葉を紡げなかった。彼を押し倒すように飛び込んだ少女のせいで。 「な!? お、ちょ、エレナ!?」 「ヒカルさん。私、飛びました。高く、高く。私にできる事、やるべきだと思った事は何でもやりました。ヒカルさん、ヒカルさんは、私を褒めてくれますか?」 状況のわからないヒカルは、目を白黒させている。そこに、そっと近づく男性がひとり。 「久しぶりだな、ヒカル」 「ダイナス、さん? これは一体……」 「君を呼んだんだ。この国中の人々が、ね。あれから三年が経過しているが、どうやら君はあまり変わらないようだな」 「三年? じゃあ、え?」 ヒカルはダイナスを見つめ、アリシアを見つめ、そしてメイへ視線を移した。 「お前が呼んだのか?」 「その通り。なに、魔力は十分に集まっていたからな。難しくはなかった」 「で、今度は何をすりゃあ帰れるんだ?」 「いつでも」 ヒカルが怪訝な顔で見つめる。メイは薄く笑いを浮かべた。 「君の家の庭と、この城門前広場を魔法道で繋いだ。予定より多く集まる事は想定していたが、まさか竜神五体分を凌駕するとは思わなかったよ。おかげで余った分を道の作成に回せた。竜神の魔力でゲートは開くぞ」 ヒカルはしばらく言葉の意味を考えるように呆けていた。 そして、ゆっくりと口を開く。 「つまり、オレはこれから、自由にディラータに来られるって事か?」 「その通り。よかったな」 まだどこか呆けた様子のヒカルは、ようやく自分の胸の中で涙を流す少女に視線を戻した。 「エレナ」 「はい」 「よく、頑張ってくれたな」 そっと銀の髪になでるように触れ、ヒカルは笑みを漏らした。 「また、世話になるわ」 「――はい」 エレナは頷き、ヒカルを離した。 立ち上がったヒカルは周囲を見渡し、深く息を吸った。 「ダイナスさんもアリシアさんも、また世話になります」 「ああ」 「どちらが世話になるのやら、わからないがな」 そしてヒカルは、メイに拳を突き出した。 「ありがとな」 「返しきれないくらいの借りがあるからな」 メイも、拳を突き出した。 そして、ヒカルはエレナに手を差し伸べた。エレナはその手を取り、立ち上がる。 「今度は色々と見てみたいな。綺麗なもんとか、オレの見た事のない光景とか」 「私が、案内します」 「駄目っつっても聞かないんだろ?」 苦笑し、ヒカルはその頭にぽんと手を置いた。 「改めて、よろしくな。エレナ・テスタロッソさん」 エレナは嬉しそうに微笑み、返した。 「はい。よろしくお願いします、ハシモト・ヒカルさん」 |