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チリン―― 小さな、それでいてはっきりと聞こえる鈴の音色に、あたしは目が覚めた。 体を起こす。そこは、見知らぬ町の、見知らぬ教会の、見知らぬ尖塔の、見知らぬ鐘の下だった。 「どこよ、ここ」 それなりに高いから、見渡せば町全体が見える。 まず、見た目からして日本じゃない。それに、現代でもない。少し遠くに見える自動車らしき姿も、やけに古くさい形をしている。ただ、人の姿だけはどこにもなかった。 「あ、そうだ。エル、エルー。どこにいんのよ」 「きゅう」 「あ、頭に乗ってたの」 エルはあたしの頭から飛び降りると、くんくんと匂いをかぎ出した。 「ねえ、エル。ここがアンジェラの中、なんだよね? 町とかあるけど」 「きゅー……?」 エルにも事情が飲み込めないらしく、小首を傾げている。 どうしたものか、などと考えていると、またあの音がした。 チリン―― この、音色。これは、アンジェラの鈴の音だ。 きょろきょろと見回していると、見張り塔の隅っこに、鈴がひとつ転がっていた。 「これが鳴ってたわけ?」 チリン―― それをひょいと持ち上げると、なんだか抗議するみたいに、チリンと鳴った。 「あたしが会いたいのは鈴じゃなくてアンジェラ本人なんだけどね」 「いきなり入ってきといて、失礼だね、君は」 「うひゃ!?」 思わず鈴を取り落とし、あたしはギリギリまで後ろに下がってしまった。 チリン―― 鈴が、ふわりと浮き上がる。 「あのね、ボクでも落ちると痛いんだ。扱いは丁寧にしてくれないか。ただでさえアンジェラに無理させられてんだから」 「アンジェラにって、あんた、誰?」 「ボク? ボクはルカ。幻想の鈴の意識体――言うなれば、精霊みたいなものだよ」 「せ、せーれー?」 「……この姿じゃ実感が沸かないか。ちょっと待ってて」 チリン―― 再び鈴が鳴った直後、どこからともなく人影が現われた。 アンティークドール。そう表現するのが最も似合う。基本はパンツスーツだけど、袖口やらシャツやらが必要以上にフリフリで、裾には十字架なんてものが刺繍されている。黒い帽子も可愛らしくて、アンジェラやあたしよりもおしゃれだ。 顔つきは成熟していて、あたしと同年齢くらいじゃないかと思う。でも、大きさがあたしの腰にも届いていないせいで、幼い印象があった。 「これでいいだろ?」 「あ、あんたが、ルカ?」 「そう。といっても、名前はついこの前、アンジェラに貰ったばかりなんだけどさ」 そんな話、初耳なんだけど。 「アンジェラは説明した事がなかったから、知らなくても無理はないけどね。一応、君と一緒にいた時間も長いんだ。そんな変なものを見るような目つきはやめてくれないかな?」 「あ、ご、ごめん」 「ん、まあいいよ。君も死導者としての歴史は浅いんだからね、慣れていなくても無理はないし」 ルカは尖塔の端まで行くと、遠くの景色に目を細めた。 「ね、ねえ、ルカ。ここ、どこなのよ?」 「自分でもわかっているんでしょ? ここはアンジェラのインナースペース。簡単に言っちゃえば、アンジェラの中だよ」 「アンジェラの中ったって、何よ、この町。人もいないのに、こんなに広い町が広がって……、どういう事?」 「ここは、アンジェラの記憶の中なんだよ。昔のフランスの片田舎さ」 「フランスぅ? アンジェラ、そんなところにもいたんだ」 あたしの聞いた限りだと、日本に来る前にはイギリスにいたって話だった。となると、かなり前の事なんだろうか。歴史にはうといから、そういうのはよくわからないけど。 「ここに、アンジェラのトラウマがあるってわけ?」 「そう。そして、それを殺さない限り、アンジェラは苦しみ続ける」 わかりやすい敵がいるなら簡単だ。あたしに殺せないものはない。 「ルカ。そいつがどこにいるか、わかる?」 「ボクはこの世界そのものには詳しいけど、探査能力なんて持ってないよ。だから、いつもエルの力を借りているんじゃないか」 「そっか。じゃあ、エル。探して」 「きゅう!」 「ああ、そかそか。探せっていきなり言っても無理よね。 ――あれ?」 今、あたし、エルが何を言ったか理解できた? 「ちょちょちょ、エル、もっかい言ってくれる?」 「きゅう? きゅー」 何を言ってるの。わけのわからない。 「ヤバい、本当に理解できちゃってる……」 何!? どうして突然、オコジョの言葉なんかが!? 「ああ、そりゃエルの言葉だって理解できるだろうねぇ。ボクが常に訳しているんだから」 「……は?」 ルカは平然と、 「アンジェラも人間の言葉ならだいたい知ってるけど、動物の意思を言語化する事はできなくてね。ボクが心理を読み取って、アンジェラの中に流しているんだ。だから、この中なら君でもエルが何を言いたいのかはわかるだろうね」 「あー、つまり、あんたが翻訳してくれるってわけね」 「そういう事」 なるほど、そういう事か。 これは便利だと思う。普段、あたしはアンジェラ経由でなきゃエルと会話はできない。けど、ここにはアンジェラはいないし、かといってエルと会話にならないというのも困る。 「じゃ、改めて。エル、お願い」 任せといて。 エルは鼻をひくひくとさせ、周囲を探る。しばらくそんな事を続けたエルは、とある方向で首を止めた。 「そっち?」 「きゅ」 あたしはエルを肩に乗せ、尖塔の縁に足をかけた。 「ルカ、行くわよ」 「……女の子がする姿勢じゃないだろ、それ」 「やかましいっ! ほら、トロトロしないの!」 「あ、ちょっと!」 ルカの手を取り、あたしは飛び出した。 フランスの空。アンジェラを縛る過去に。 「ケイ」 「ん、見えてる」 あたしたちから見て前方の斜め下。そこに、今と変わらない夜空色のワンピースを着たアンジェラがいた。手に宝剣を握っているから、誰かと戦っているんだろうか。 思った次の瞬間、アンジェラは横っ飛びに跳ねた。その直後を、長細い剣が行き過ぎる。 アンジェラは、遠目にも疲弊しているのがわかった。肩で息をしているし、動きもにぶい。 「アンジェラ、誰と戦っているの?」 ルカは、黙ってさらに遠くを指した。そこに、燃えるような女の子がいた。 炎のようにさえ見える独特な衣装。猛る火災をイメージさせる赤毛の三つ編み。そして、こんなに離れているのにハッキリと見えているような、深紅の瞳。 「どうしたのアンジェラァ! あんたの力はそんなものなわけェ!?」 朗々と響き渡る声には、確かな憎悪が入り交じっていた。永きに渡る憎しみをようやく晴らせるチャンスが来て、すごく喜んでいるような――。 「そらァ! 遠慮はしないよォ! あんたとは違ってねェ!」 憎しみに燃える女の子は、手にした剣でアンジェラに襲いかかった。長い剣だ。それに、なんだか形が変……? 「フランベルジュ。彼女が最も好んだ、炎を模した波状剣さ」 見れば、ルカは表情を失った目でふたりを見つめていた。 「ルカ、あんたはあいつを知ってるの?」 ルカはちらりとあたしを横目に見た。そして、早口に告げる。 「君と同じさ」 「――え?」 「八番目の眷属。君の先代。名を、レティシア」 「あたしの、先代?」 あれが? あの、憎しみだけで剣を振っているような子が? 「レティシア・ラスペード。元は変わり種の変魂だよ。それをアンジェラが拾い、眷属とした」 「で、でも、それならなんでアンジェラと戦っているわけ?」 「……アンジェラは、未だに悔いているんだ。彼女を救えなかったから」 ルカの表情を見ていて、気がついた。 そうだ。いかに昔のアンジェラが戦いに明け暮れていたとしても、仲間となった相手を見捨てたりするわけがない。けど、レティシアなんてのに、あたしは会った事がない。それは、つまり――。 「彼女は、もう死んでるのね?」 ルカは、こくりと頷いた。 「あれは自然の生がアンジェラの記憶を元に作り上げた一個の新たな存在。彼女はレティシアであってレティシアじゃない。アンジェラ自身の後悔、悲しみ、絶望を凝縮し、押し固めた存在なんだ」 「なら、あいつを殺せばいいってわけね」 「そんな事はできないよ。あれもアンジェラの一部なんだ。アンジェラにあいつは殺せない。もちろん、ボクらにも」 「それはどーかしらね」 あたしは構わず剣を作り出す。レティシアのフランベルジュと違って、あたしの剣はただの光の塊に過ぎない。 けど、今のアンジェラが必要としているのは、武骨な武器じゃない、救い出してくれる光のはず。 あたしは、アンジェラの手によって闇から引っ張りあげてもらった。決して明るい場所じゃないけど、何も見えない闇夜よりはずっとずっと明るい場所に。 今度は、あたしの番だ。あたしの手で、アンジェラを引っ張りあげる。アンジェラを、救ってみせる! 「無茶をするな、ケイ。言っただろう? 彼女は自然の生であると同時に、アンジェラの記憶なんだ。君はアンジェラと戦って勝つ自信でもあるって言うの?」 「んなもん、できるわきゃないでしょ」 「じゃあ、どうやって……」 「何を小難しい事なんか考えているわけ。いい? あそこに敵がいて、それがアンジェラを苦しめている。それさえわかってれば十分よ」 本当に、よかった。 具体的な敵がいてくれて。 「……ッ!?」 ルカが思わず息を飲んだのがわかった。あたしの殺気に驚いたのかもしれない。 「あたしの前に敵はなく、あたしの後ろに敵はない。出会う全てを破壊し尽くし、神も悪魔も殺してみせる。 それが、あたし。アンジェラの眷属! 八番目の死徒! 志野ケイなのよッ!」 空を蹴り、剣を手に飛び出す。 目指す敵は、目の前にいる。 |