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わたしたちに親はいない。 わたしたちに友はいない。 わたしたちにいるものは、敵だけだ。 キンコーン―― 気の抜けるようなチャイムの後、とんとん、と控え目に戸が叩かれた。わたしは部屋に誰もいない事を確認し、扉を開く。死導者の彼がいると、ややこしい話になりかねない。 扉を開くと、見知らぬ女性が立っていた。碧眼の白人。整った顔立ちは幼く、わたしとあまり変わらない年齢にも見えるし、わたしより若くも見える。 女性は照れた笑いを浮かべ、 「てへへ……、来ちゃった」 流暢な日本語で言った。 「来ちゃったって、どちら様ですか?」 「あ、知らないよね。あたし、ローラ。よろしく」 「いえ、ですから、どちら様ですか?」 「あなたの同僚、って言えばわかるかしら」 同僚。言われて、そういえば、と気づく。彼女の服の端々に見られる十字の刺繍は、着ている人間の霊的な痕跡を隠すためのものだ。 女性はどこか誇らしげに、 「あたしも、許されざる者ってわけ」 「それを証明できますか」 わたしが言うと、ローラは口を尖らせた。 「むー、信じないの?」 「他宗派の人間が能力について知るために潜入する事は決して珍しくありませんから」 「お堅いのねぇ……。えーと、これでいい?」 ローラはごそごそと服の下を探ると、ネックレスを取り出した。 『NOT』の文字が刻まれた、特殊な十字架がついたネックレス。それは、許されざる者の証。 他宗派の人間はこれを持ちえない。 これは一種の霊具だ。持ち主に霊的な加護を授けるのと同時に、イギリスの教会に所属する人間から認められていない人間が手にすると、触れた部分が高熱を発する。 許されざる者が味方を見極めるための道具として使われる他、簡単な除霊にも使用できる優れ物だ。 「どう? まだ疑う?」 ローラは底意地の悪そうな笑みを浮かべている。私は目は合わさずに、 「……いえ。失礼しました」 「わかればよろしい」 「それで、許されざる者が何の用ですか? 日本の担当者にローラという名はないはずですが」 許されざる者の担当は教区ごとに異なる。大半の人員はイギリスやヨーロッパ各国、アメリカなどに滞在しており、日本を担当しているのは私を含めても三人しかいない。 「いやー、お仕事は関係ないのよ。プライベート」 「なら、私は関係ありません」 「そんなぁ、冷たい事を言わないでよ、愛ちゃぁん?」 「私はあなたとそれほど親しくしているつもりはありませんが?」 「いいじゃなーい。日本に知り合いとかいないから、困ってるのよ。同僚のよしみで助けてくれない?」 思わず、嫌だ、と言いたくなってしまった。なぜだか、この人は信頼しない方がいい気がする。 「ほらほら、神様も『隣人を愛しなさい』って言ってるじゃない。愛ちゃんなんだから愛もたっぷりよね?」 今度は殺意が沸いてきた。 とはいえ、仲間と戦いたくはない。私は見せつけるように盛大なため息をつくと、力のこもらない目でローラを見た。 「わかりました。とりあえず、あがって下さい」 「わーい!」 子供のような仕草で喜びを表すローラは、不思議な生き物に見えた。 お茶をすすり、一息をついたところで、さっそく私は本題を切り出す事にした。いつまでもこんな訳のわからない話に関わるつもりもない。 「ローラ、この国に用との事ですが、それは何ですか」 「んー? まあそれは置いといて」 「……ローラ?」 「あう、愛ちゃん怖いよ?」 ぷるぷるとわたしを見上げるローラからは弱々しい雰囲気しか感じ取る事はできない。思わず、ため息が出た。 「わたしも暇というわけではありません。担当する区域も広いのです。用件があるのであれば、早めに済ませておきたいのですが」 「ん、大丈夫よ」 無言で続きを促す。ローラはこほんと咳払いし、 「あたし、人探しに来たの。といっても、実働は専門業者にお任せするから、あたしとしてはこっちで滞在する場所が欲しいのよ」 「つまり、この家に泊めてくれという事ですか?」 「簡単に言うとそう。それ以外は別にいいのよ、あたしも自分でなんとかするから」 断りたくなる提案ではあるが、だからといって外で寝ろと言うわけにもいかない。突然に来て無礼とは思うが、それも断る理由にはできない。 結局、受けるしかない。 「わかりました。では、そうしてください」 「ありがとー!」 ローラは全身で喜びを示すように抱きついてきた。わたしはそれを引きはがし、 「別に親切心というわけではありませんから、礼も必要ありません」 「またまたー。可愛いなぁ、もう」 なんでこの人はこんなに馴れ馴れしいんだろう。 心では思ったけど、なんとなく口にはできなかった。 ローラが調査事務所に行っている間に、わたしは夕食の準備を済ませてしまう事にした。普段は作る分量も少ないけど、今日はふたりだから少し多めだ。 「おーい」 リズミカルに包丁を振るっていると、今度は聞き慣れた声がした。 「ベルゼブですか。いらっしゃい、と言いたいところなんですが……」 「んあ?」 ベルゼブは、今日は少年の姿をしていた。本来の姿は巨大な蝿だが、わたしの隣にいる時はこうして人間の姿をしていてくれる。さすがにわたしも蝿を見ているのは心臓に悪いので、この方が嬉しい。 「何かあったのかー?」 「ええ、実は、同僚が急に泊まりに来ていまして」 「ああ、なるほど」 それだけで伝わったのか、ベルゼブはぽんと手を打つ。 「オラも悪魔祓いとケンカはしたくないからなぁ、しばらくここには近づかないようにする」 「すみません」 「別に愛は悪くないだろー?」 間延びした調子で笑ったベルゼブは、ひらひらと手を振って玄関に向かった。わたしも調理の手を止め、ベルゼブを送り出そうと玄関に向かう。 「じゃあ、また今度な」 言って、ベルゼブが扉を開いた途端、 「あ、痛」 聞きたくない声が聞こえた気がした。 「なーにー? 愛ちゃん? じゃなかった」 顔から血の気が引いていくような感覚を覚える。 「ろ、ローラ……」 まずい。これは、非常に、まずい。 いかに普段はおどけた態度を取っているとはいっても、許されざる者。死者狩りに特化した、自ら神の国に行く事を拒んだ宗教家だ。死導者と相対すれば、戦闘は避けられない。 「あれ? 君って、もしかして――」 「ローラ、これはですね、」 「君ってもしかして、愛ちゃんのお友達?」 「事情がありまして……、は?」 おともだち? 混乱するわたしやベルゼブをよそに、ローラは上機嫌に続ける。 「そっかー、愛ちゃんもお友達がいるんだっ! いいねー、そういうの!」 「お、おう?」 「いやー、あたしらって友達が少ないからさ、そういうのがいるって本当に大切だと思うのよね」 言って、ローラは意味ありげな視線をわたしに向ける。 確かに、許されざる者のメンバーは友人というものが少ない。一般人に溶け込めないからここに居場所を見つけていると言っても過言ではないメンバーも多い。そんなわたしたちには、自然、友人という存在はできにくい。 「えっと、君はもう帰っちゃうの?」 「あ、ああ。ちょっと用事があるんだ」 「そう。じゃ、またねー。それと、愛ちゃんは大切にしてあげてねっ!」 ローラの勢いに気圧されながら、ベルゼブはわたしの部屋を出て行った。 「なかなかカッコいいじゃないの、彼。どこで知り合ったの?」 「え? し、仕事の時にたまたま」 「ふぇ? じゃあ彼、同業さんなの?」 ……まさか、まだ気づいてない? それならそれで好都合。知らないままでいてくれた方がありがたい。 「同業というわけではありませんが、それなりに霊力はあるそうです」 「へー、そうなんだ。ますます貴重ね。おばけの存在を信じてくれる人なんて、フツーはいないし」 ローラはまるで我が事のように喜んでいる。わたしに友人がいるという事がそんなに嬉しく思えるものなんだろうか? なんだか、ますますわからない、と思った。 それから数日の間、ローラはやけに忙しい日々をすごしていた。 わたし自身、任務も入ったために常に見ていたわけではないが、家にいるのは眠る時間くらいじゃないかと思う。 あの、とぼけた調子しか見せないローラが、そこまで躍起になって探す人物とは誰なんだろう。 気になったわたしは、少し早めに帰ってきたローラと夕食を共にしながら、思い切って聞いてみる事にした。 「ローラ。その、あなたがそこまで探す人というのは、それほどまでに大切な人なのですか?」 「んー?」 ローラはやけに使い方のうまい箸を止め、首を傾げた。 「あなたの普段の言動や行動を見ると、どうもそこまでこだわる相手というのがわからないのですが」 「あー、そういう。ま、そう見えるよねぇ、やっぱり」 軽くお茶を飲み、ローラは続ける。 「あたしはさ、だいたいがこんな調子だから、信用ってあんまりもらえないのよね。仕事の時はその方がいいし、そのためにこんな性格になったとも言える。けど、そのせいで弊害も多くってね」 仕事のために。 「それは、自分を偽っているという事ですか?」 「ノンノン。そんなんじゃないよ。これがあたし、それは間違いない。仮面もさ、被り続けてると素顔になるのよ。そんな感じ? 今じゃ演じているのか本音なのかもわからないくらいね」 それは、とても、寂しい事だ。 演じなければいけなかった。演じなければ生きてこれなかった。 わたしはアークビショップに守っていただいた。そのおかげで、こうして今も望む形を手に入れている。完全ではないにしろ。 ところが、ローラはそれさえできなかった。それは、とても辛い事だ。 「でね、あたしのこの調子のせいで、ちょっと誤解しちゃった子がいるらしくって。その子が日本に来たって話だから、ちょっと探して、誤解を解いてみようかなーって。無理なら、遠くから見守るだけでもいいの。とにかく、どうしてるのか知りたい。それだけなのよ」 常日頃の、道化じみた態度も芝居なんだろうか。 ふと、そんな事を思った。 「ねーねー、せっかくだからさ、愛ちゃんの事も話してよ!」 わたしの思考を打ち破るような明るい声でローラは言った。 「わ、わたしの事ですか?」 「そうそう! 日本に住んでるイギリス派なんてそんなにいないでしょー? せっかくだから、色々とお話を聞いてみたいな! あたし、この国にはあんまり来た事ないし!」 「そ、そうですね。なら、わたしの知っている事を少しお話しましょうか」 その日。わたしとローラは、和やかに時を過ごした。 たまには、こういうものも、悪くない。 |