人のためになるって思った。
 この力は、誰かを助けられるって思った。
 その力に苦しめられている人がいるなんて、思いたくなかった。


 事務所の扉を押し開けると、正面に応接セット、その奥に机が置いてある。
「あ、いらっしゃーい。ま、座って座って」
 部屋に入ってきた僕を天野さんは笑顔で迎え入れてくれた。
 アマノサイキックエージェンシー。不可思議な現象を科学的に調査する調査事務所だ。天野さんはその所長。僕はアルバイトだ。
 そんな、小さいとは言え立派な事務所の所長は、セーターにジーンズというあからさまに浮いた格好。前にスーツとかは着ないのか、と聞いたら、どうせ怪しい商売なんだから格好は気にしないとか言われた。
「所長、依頼だそうですけど」
「まーね。説明するよ」
 コートを脱ぎ、ソファに腰を乗せると、天野さんも僕の向かいに座った。手にはクリアファイル。
「依頼人は北海さんっていう、四十過ぎの女の人。依頼内容は、自分の息子の死に方が不審なので調べて欲しいっていうもの」
「ただ死んだだけなら警察の仕事ですよね。僕らに来るって事は……」
「そう。今回はほぼ間違いなく霊絡み」
 不可思議現象について調査するとは言っても、実際に幽霊が事件を起こす事はあんまりない。そもそも、人に害を成せるほどの霊が少ないというのもある。
 だから、実際は何かしらの自然現象である場合が多いらしい。そういう時には、僕も雑用くらいの役にしか立てない。
 けど、霊が絡むとなれば話は別。幽霊相手なら、天野さんより僕の方がずっと向いている。なにせ、僕は幽霊を見る事も触る事も、相手が悪霊なら倒す事さえできてしまうんだから。
 天野さんは書類に視線を落としながら、
「息子さんは、簡単に言っちゃえば暴走族だったらしいね。その日も暴走行為をしていたらしいんだけど、その途中、いきなり何かに腹部を喰いちぎられて転倒。そのまま出血多量で死亡したようね」
「喰いちぎられて、というのは」
「言葉通りよ」
 言って、天野さんは自分のお腹のあたりをつかむ。スレンダーな体のせいか、それとも鍛えているのか、贅肉らしいものはなかった。
「お腹の肉や内臓を、まるで犬か狼にでもやられたみたいにバクッと食べられたの。内臓はそのあたりに散らばっていたらしいね。傷跡は、牙か何かで削ったようにギザギザ。警察にも問い合わせたけど、原因は今でもわかんないそうよ」
「けれど、それが霊ならば可能、と」
 それは僕でも理解できる。
 たとえば、牙は人間に触れられるけど、それ以外は触れない狼みたいな幽霊だったら。そいつが噛みつけば、こういう現象が起きるだろう。
 バイクで走っていたとかは関係ない。そもそも、幽霊に物理法則は当てはまらない。
「依頼があったのはこの件に関して。けど、発生した事件そのものはこれだけじゃないみたいね」
 ぱらぱらとファイルをめくり、
「事件が起きたのは都内の交差点なんだけど、そこ、他にも事故が起きてる。走行中の車がタイヤを何かしらの手段によって砕かれ自損事故。停車中のバイクがハンドルを破壊されて転倒。そんな事故なら、何件か起きてるみたい。
 ただ、どれも重傷者さえ出ていないから、捜査はそこまで重要視されてなかった。それが死者なんて出たもんだから、本格的に調査したらしいけど……」
「原因はまだ見つかっていない」
 僕の言葉に、天野さんは頷いた。
 それも当然だ。幽霊が事件を起こしているのなら、警察がどれだけ真面目に捜査しようとも答えを見つけられるはずがない。
「んで、アタシたちの仕事は、その霊を探し、見つけ次第、可能なら除霊する。走行中のバイクに仕掛けるような奴だから、放っておいたらどれだけの事件に発展するかわかったもんじゃない。その前に片をつけるの」
「はい、わかりました」
 立ち上がりかけた僕を制するように、天野さんは手のひらを見せた。
「ちょい待ち。遠藤君がひとりで行くには危ないかも」
「ひとりで、って事は、誰か助っ人でも呼んだんですか?」
「まあね。まみちゃんってわかるでしょ? 巫女の」
「ああ、彼女に頼んだんですか」
 マイペースな女の子の顔が浮かぶ。鯉田さんは探査能力に優れているし、いざって時はあずさ弓で戦う事もできる。今回の調査にはうってつけだろう。
「これから彼女を迎えに行ってから現場まで案内するから。じゃ、準備を手伝って」
 言って、所長は立ち上がった。

 現場は、なんでもない普通の交差点だった。
 ただ、道路の一部が少しおかしな色になっている。ぬぐいきれない血の痕跡。それが広範囲にわたっている事からして、相当の出血があったんだろうと思う。あれでは、病院まで持つ事もなかっただろうと思うほどに。
「……ひどいの」
「うん」
 その跡を見る鯉田さんの顔は、どこか青かった。
 今日は目立つ巫女装束でもなく、普通の私服。こうして町中にいても視線は集めない格好だ。
「どう、遠藤君、まみちゃん。近くに霊の姿は?」
 天野さんに問われ、僕は周囲を見回した。
 立ち並ぶビルやマンション、走る車、歩く人々。その中に、幽霊の姿はない。
 横を見れば、鯉田さんは上を見上げていた。
「幽霊ではない、けれど。似たようなものならいるの」
 僕もそちらに目を向け、ああ、と声を漏らした。
 チリン――
「何やってんのよ、こんなところで。また悪だくみ?」
「きゅう」
 上空から降り立ったのは、桜色の着物と白いミニスカートを組み合わせた高校生くらいの女の子、志野ケイ。そして、夜空色のワンピースに身を包み黒いオコジョを頭に載せた女の子、アンジェラ。
 どちらも幽霊の上位みたいな存在だ。正確にはまったくの別物らしいけど。
「またって、僕ら、別に悪だくみなんてしてないんだけど」
「似たようなもんでしょ、いつも。そんで、あんたらはここに何しに来たわけ」
「そうそう、ケイなら知らないかな。少し前にここで変魂が殺人をしたらしくて」
「殺人、ね」
 呟き、ケイはアンジェラを見た。アンジェラは深紅の瞳を僕に向け、
「私は見ていないわ。変魂も、その被害者も」
「被害者も?」
 それは、なんとなくおかしい。どんな死に方をしたって、死者は死者として存在するはず。それとも、まさか変魂が……?
「ありえない話じゃないわね。より強くなるために死人を食う悪霊もいるって聞いた事もあるし」
 専門家であるケイが言うんだからその通りなんだろう。
 思っていると、コートを引っ張られた。
「ちょっと、遠藤君。誰と話してるの?」
「あ、そうだった」
 天野さんは一般人。鯉田さんと違って霊的な能力もない。だから、僕や鯉田さんのようにアンジェラたちの姿が見えているわけじゃないんだ。
「アンジェラ、姿、見えるようになれる?」
 アンジェラはきょろきょろと見回し、道を行く誰もこちらに注目していない事を確認してから、
「大丈夫そうね」
 チリン――
 くるりと回った。鈴が鳴り、ふたりの存在感が増す。
「うわお。こんな近くにいたのね」
 天野さんは少しばかり眼を丸くしてから、ボールペンを取り出す。
「ねえ、ふたりとも。話の感じからして、霊は見てないのよね? なら、探す事はできる?」
「あたしやアンジェラは探査能力ってないけど、エルならできるんじゃない?」
 自然、全員の視線がアンジェラの頭上で尻尾を振る動物に集まる。
「エル。変魂の匂い、残っている?」
 エルはひくひくと鼻を動かし、しばらく何かを探すように視線をさまよわせる。やがて、きゅう、と申し訳なさそうに鳴いた。
「そう。みお、どうやら見つからないらしいわ。その事件が起きたのはいつ頃なの?」
「六月の九日。確かに半年近く経過しているから、探すのは無理かも」
 ここを根城にしているならともかく、たまたま通りがかった霊なら形跡なんてものはほとんど残らないだろう。それが半年も前となれば、無理もない。
 ……たまたま?
 自分の言葉に違和感を持つ。本当に偶然なんだろうか? 事件は、たしか――。
「一度じゃない」
「はいな?」
 見ると、天野さんが僕を覗き込んでいた。
「どしたの、遠藤君。難しい顔しちゃって」
「所長。事件が起きたのは一度じゃありませんよね?」
「うにゃ? ま、そうだね。死傷事件は一度だけど、それ以外の小さな事件は起きて、る……」
 天野さんの表情がだんだんと変わってくる。その裏にある意味に、気づいている。
「何よ。事件が一度じゃなきゃなんだってわけ?」
 まだ事情がわかってないらしいケイが口を尖らせる。僕は頭の中を整理しながら、
「この交差点の付近での事件は一度じゃないんだ。何度も起きている」
「それは今、聞いたわよ。で、それがなんだってわけ?」
「複数回の事件があってそれが同じ犯人なら、つまり犯人はここに何度も足を運んでいる事になるんだ。それは浮遊霊なんかじゃありえない。ここを根城にするかここに何らかの因縁があるか、ともかく痕跡のない通りすがりであるはずはないんだ」
「でも、形跡はないんでしょ?」
 ケイの視線が僕からエルに変わる。エルは困ったように頷いた。
「じゃあ、どういう事なのよ。変魂が常駐してればエルの鼻が感知しないわけないじゃない」
「可能性としては、ふたつくらい考えられると思う。ひとつは、相手が相当に隠れる能力に長けている事」
 エルの鼻さえごまかす能力を持つ悪霊がいても変じゃないだろう。そのために能力の大半を費やす事になるかもしれないけど、悪霊がそういう能力を望まないとも限らない。
 ただ、もうひとつの可能性は――僕としては、考えたくはない可能性だった。
「で、もうひとつは?」
 無邪気な瞳で問うケイを見返す。思わず、ため息が漏れた。
「もうひとつの可能性は、犯人は変魂じゃないって事。すなわち、人間の仕業」
 自然現象で人間の腹が喰いちぎられるなんて事はまずありえない。カマイタチ現象だって、せいぜい手足が少し切れる程度と聞く。出血多量で死ぬほどに大きな傷跡を残すとは思えない。
 犯人はいる。意識を持ち、殺す意思を持った何者かが。
「だとすると、犯人は退魔の能力を持つ人ね。一般人に走行中のバイクの運転手を誰にも悟られずに傷つける技術があるとは思えないもの」
 銃を使えば銃痕が。何かしらの武器を使えばその姿が。
 人が起こす現象には痕跡が付き物だ。何の痕跡も証拠も手がかりも残さずに人を殺せるなんて、そういう特殊な人間しかありえない。
「所長。心当たりというか、そういう事をしそうな人っているんですか?」
「いるわ」
 答えたのは、天野さんじゃなかった。僕はその足元に視線を送り、
「どういう事? アンジェラ」
「人を傷つけるためだけに能力を使う退魔能力者もいると言っているのよ」
 実際、アンジェラはそういう人を目の当たりにしたのだろうか。その目は何かを思い出すように遠くを見つめていて、同時に、とても寂しそうだった。
「全ての人間が善ではないように、全ての退魔能力者が善であるとも限らない。人を守るための力を使って、人を傷つける人間もいる。それも、無理からぬ事よ。
 彼らは決して社会の表舞台に立つ事はない。命がけで戦って、時に信仰する神様さえ裏切って、それでも彼らは人間のためになると思う事のために人生を捨てているというのに。それは、マイナスの感情を生み出す温床よ」
 それは、僕にも覚えがある。
 普通の人はおばけなんて見えない。だから、その存在を信じる人も半々だ。
 そんな中、おばけと戦って皆さんの命を守っています、なんて言ってもただの頭のおかしな人。感謝される事はない。時には、守った人にインチキ呼ばわりされる事さえあるだろう。
 それは、とても苦しく、辛い事だ。何かの拍子に狂ってしまうほどに。
「これが同業者の仕事って事になると話が違うからね。少し調査の時間が必要、かな」
 ぱらぱらと資料をめくりながら天野さんは言う。まあ、能力者ならこういう事件は簡単に起こせる人も多いだろうし、少ないとは言っても総数で言えばそれなりの数になるだろうから、簡単に結論を出す事はできないだろう。
「私も兄さんたちを経由して話を集めてみるの。これだけ何度も起こしているなら、兄さんたちなら何か知っているかもしれないし」
「えっと、それなら僕は……」
「遠藤君はアタシを手伝って。それと、アンジェラとケイ? あなたたちも手伝ってくれるの?」
 ふたりは顔を見合わせ、
「まあ、人を傷つけるような馬鹿がいるってのなら、見逃すわけにはいかないわね」
 代表するようにケイが答える。
 天野さんは頷き返し、
「できれば、ふたりにはこのへんを見張っていて欲しいのよ。事件が起きるのは決まって夜。被害者は運転手の乗っている車とかバイクだけだから、道路だけ見張っていれば何かわかると思う」
「ま、任せなさい」
 とん、と自分の胸をたたくケイ。微妙に声が揺れたのは、予想外に面倒だったから、とか?
「じゃ、協力してさっさとこんな事件は終わらせちゃいましょう。少なくても、次の被害者だけは絶対に出させない。いいね!?」
『はい!』
 僕らの返事は、綺麗に重なった。

 僕たちが数日を情報収集に費やす間、犯人は現場には現われなかった。ケイたちが常に見張っていたんだから間違いはない。
 もちろん、僕らもその間、遊んでいたわけじゃない。情報を集め、整理し、およそ容疑者を絞る事ができた。
 それを各自に伝えるため、ケイや鯉田さんも事務所に集め、作戦会議という運びになった。
「犯人が見つかったって?」
 壁を抜けて部屋に入るなり、ケイは聞いてきた。心臓に悪い。
 僕は軽くため息をつき、
「犯人じゃなくて、容疑者。それよりも、現場には誰か?」
「エルが残ってるわよ。んで、そのよーぎしゃってのは誰?」
「これから説明するね」
 所長机の上に小さなホワイトボードを置き、天野さんは言った。
 すでにソファには僕と鯉田さんが座っている。向かいの席にアンジェラやケイも座った。
「容疑者はこの人。井守啓二、39歳。神道系の術者で、主に犬頭の扱いを得意としている完全な武闘派よ」
「イヌカシラ?」
「神社を守る犬の神様の事なの」
 巫女でもある鯉田さんの説明が入る。狛犬の霊版みたいなものだろうか。
「……犬頭を使って人を殺したの?」
 問うアンジェラの表情は暗く悲しげ。霊であるアンジェラにとって、霊を使っての殺人というのは、普通の殺人以上に心に響くものがあるんだろう。
「その疑いが濃厚ってとこね。まず、何件か起きた事件、その全てにアリバイはなし。また、事件の状況を再現する能力を持っていて、動機もある」
「動機というのは?」
「娘さんと奥さんが死んでる。暴走族のせいでね」
 部屋の空気が一層、冷え込んだ気がした。
 天野さんは気づいていないのか気にしていないのか、そのまま話を続ける。
「2年前、当時7歳の娘さんと奥さんは除霊帰りの井守啓二を迎えに駅まで行く予定だった。ところが、途中で暴走族のあおり運転によってハンドル操作を誤り壁に激突、運悪くガソリンに火がついて炎上。娘さんは即死、奥さんは病院まで運ばれたけど、間もなく亡くなったの。
 犯人は捕まったみたいだけど、井守は恨んでいるでしょうね。裏切られたって思っているかもしれない」
「……その気持ちは、わかるの。人を守るために色々なものを捨てたのに、その人に大切な人を奪われたら、苦しいの。狂ってしまうほどに」
 あるいは。鯉田さんも、そんな経験をした事があるんだろうか。
 ふと、そんな事を思った。
「つっても、どんな理由があろうとも許される事じゃないでしょ、人殺しなんて」
「もちろん。かといって、この犯人は警察じゃ逮捕できない」
「だから、僕たちがどうにかする、と? でも、どうやってですか? 証拠も何もないですよね?」
 それが問題だ、とばかりに天野さんは頷いた。
 根拠はあっても証拠はない。証拠もなくあんたが怪しいから、と仕掛けるなら、それこそ今回の犯人とたいして変わらない。
「理想は現行犯で捕まえる事なんだけど、それも難しいんだよね。とりあえず張り込みくらいはできるけど、犬頭が気づくだろうからねぇ。そうなると動かない可能性が高くなるよ」
 肩をすくめる天野さんも、うまい手立ては思いついていないようだった。どうしたものか、と考えていると、アンジェラが立ち上がった。
「どうしたの、アンジェラ?」
「みお。啓二の場所はわかっているのでしょう?」
「ん? まあわかっちゃいるけど、今はまだ証拠がないから行っても無駄じゃない?」
「証拠というのなら、そこに行けばあるわ。
 ――行きましょう。どうにかなるから」
 天野さんはうかがうように僕を見た。だから、僕は頷き返す。
「アンジェラがそう言うんだから、どうにかできると思います。最悪、僕やアンジェラは顔を知られても問題ありませんから」
「私も行く。相手が神道系の術者なら、私がいた方が何かと便利なの」
 見ると、鯉田さんはまっすぐ見返してきた。強い意志を持つ瞳。言葉やらでごまかす事は難しそうだった。
「じゃ、後はあなたたち四人に任せる。相手のところまではアタシが送っていくから。それと、遠藤君」
 天野さんの目に鋭さが増す。
「相手は人殺しまでしている退魔師。遠慮は絶対にしちゃダメ。本気でやりなさい」
「――はい」
 命のかかる問題は何度かこなしてきたけど。
 人が相手だと思うと、やっぱり緊張した。



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