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神は人の上位に存在する。 そして、その領分は決して侵されてはならない。 私はそう考えている。 竹林の中。冬の弱々しい日差しでは、とても空気を暖める事などできていない。 そんな冷たい空気の中で獣とたわむれる時間は、嫌いじゃなかった。 小さな鳥。野生で生きる犬。彼らは私という特殊な存在を、その存在として受け入れる。種族が違う程度にしか考えない。 獣は人と違って、ひどく純粋だ。打算も理屈もなく、彼らには本能しかない。口先だけの愛やらでごまかし、同種を殺すなどという愚行も犯さない。 あくまで、生きるために生きる。その点、人間とは大きく異なる。 チチチ――。 小鳥が微かな鳴き声を私に伝えてきた。見るまでもなく、私も感じている。これほど大きな気配を隠さずに堂々とさらけ出していれば、気付かないはずもない。 清廉な空気を汚すような淀み。この気配は、ただの人間のものではない。 「どなたでしょうか」 「なんだか招かれざる客と言いたげだね、レビヤタン」 「……リヴァイアです。いい加減に覚えなさい、人間」 「アルバートだ。いい加減に覚えろ死導者」 姿を見せたのは、日本という国では珍しい白人。 アルバート・ヘンリー・トールキン。 人でありながら人にあらざる者。退魔師だ。 「こんなところに何の用でしょう。人間が普通に立ち入るような場所ではないと思いますが」 「そうでもない。ここの近くは一般的な散歩コースだ。少しばかり外れた用件のためにここに分け入る人間は少なくないはずだよ」 「このような昼間から、ですか?」 一般的な人間は仕事をしている時間のはずだ。 人は来ない。そう踏んだ時にしか、私はここを訪れない。 「ぼくは普通の人間とは少しばかり違うからねぇ」 「無職のごくつぶしですか」 「どうして君はそういう余計な単語ばかりを知っているんだ」 はぁ、とため息をつき、 「修行に来た。修練と言い換えてもいいが」 「修練……?」 「簡単に言えば、レベルシックスになるための訓練だよ」 『神の領域』。 人の身を捨て、私たち死導者と同じ存在になるという事。 「そこまでして人間を捨てたいのですか? 一般的に考えて、我々と同列になれば、得るものよりは失うものの方が多いと思いますが」 「そんな事はわかっている。それでもなお目指す価値があると思うからこそ、挑戦するんだ」 「――理解しかねます」 もうこの人間を相手にするのはよそう。 そう思い、視線を足元に向けると、一匹の野良犬が目にとまった。 「おや……」 その犬を抱き上げる。犬としてはまだ若い部類に入るだろう。なのに、魂の寿命はやけにすり減っていた。 「その犬、野良か?」 私はアルバートをにらみつけ、 「私が犬を飼うはずもないでしょう」 「そりゃそうだ。となると、捨て犬か」 「おそらくはそうでしょうが、どうしてそう判断できるのです?」 「簡単だよ。そいつは野良の顔つきじゃない」 「……どういう事ですか?」 アルバートは犬を指し、 「ぼくは犬について特別に詳しいわけじゃないけど、そいつの顔を見ればなんとなくわかるよ。そいつはおそらくハーフ犬ってやつだ」 「ハーフ犬?」 「そう。言うなれば、純血同士の雑種だね。コリー、レトリバー、チワワ、ともかく犬には大型から小型までたくさんの種類がある。そういった多くの種類の中から愛玩に適した二種類を選び、交配させるんだ。 簡単に言えば、人間に作られたおもちゃ。ペットショップにでも行かなきゃお目にかかれない代物だろうと思うがね」 「まさか……」 異なる種類の犬を交配させる? 本当にそんな事をしているのか。人間は。だとすれば、それは、絶対に許される行いじゃない。 それは、神の領分だ。 「あなたたちは、命をなんだと思っているんですか」 「ぼくに言われても困る。そういう存在を生み出したのも是としているのもぼくじゃない。見過ごしてはいるがね、そんな事で非難されちゃたまったものじゃない」 「理解できません。どうして人間はそうも簡単に神の領分に踏み入ろうとするのです。あなたたちは所詮、人間でしかない。生き物の一種に過ぎないはずです。そんなあなたたちに、命をどうこうする権利があるとは思えない」 「ははっ、死導者に命について語られるとは思わなかったよ」 アルバートの表情が変わった。 やわらかな、余裕に満ちたものから、怒りと殺意をにじませたそれに。 「ぼくは君たちの行いを忘れたわけじゃない。死導者が生きる人の命を奪った、それは厳然たる事実だ。その君が、命についてどうこう言う権利があるのか? 人間の中に命を軽んじる者がいる事は事実だ。だが、君たちもまた、命を軽んじて人を殺し続けたという事を忘れてもらっちゃ困るね」 「あなたこそ、何か勘違いをしていませんか」 私は野良犬を足元に放し、アルバートをにらんだ。 「私は、生まれながらにあなたたちとは違う。最初から神の領域にいる者です。言うなれば、私も神族のようなものです」 「神様、ねえ」 アルバートは首を振り、 「マリアくらいならともかく、君まで神様というのはいささか抵抗があるね。信心なくして神は成り立たない。君はいかほどの信心を集めていると言うんだ?」 「日本の八百万、ギリシャの神々、北欧の神族やエインフェリア。それぞれ、個々に信心を集めているわけではありません。全体としての祈りであり信仰です。死導者とて同じ事」 「屁理屈だ」 「なんとでも言いなさい」 私は空中に浮かびあがると、そのままアルバートに背中を向けた。 「ともかく、私はあなたたち人間の愚行は我慢なりません。神の領分は人間が侵すものではない」 言い捨て、私はアルバートの前から姿を消した。 人間というものはよくわからない。 夜空の中から町を見下ろしながら、思う。 アルバートといい犬を作っている人間たちといい。 自分のものにしろ他者のものにしろ、それは命である事に何の違いもない。命は究極的には神のものだ。それを人間風情がどうこうしようという時点でおこがましいとは思わないのだろうか。 「神をも恐れぬ人間、か」 「呼んだ?」 「――!?」 背後に、いつの間にやら見知った顔があった。 「志野ケイ。気配を消して近づくのはやめていただけませんか」 「いいじゃない、別に。ちょっとしたお遊びよ」 志野ケイ。一応は死導者のはしくれだが、私たちのような生粋の死導者とはワンランク下がった存在。下位の者とはいえ、私は彼女が苦手だった。いや、その上司が、と言うべきだろうか。 周囲に視線を走らせる。どこかにワンピース姿の少女がないかと探して、 「……? アンジェラはどうしたのですか」 「ああ、アンジェラなら向こうにいるわよ。あたしじゃてんで相手にならないから、今はエルが相手してんの。あいつ小動物のくせに強くてさー、ムカつくわ」 「何の話ですか?」 「行きゃわかるわよ」 ケイは私の手を取り、導こうとする。わざわざアンジェラに会いに行くのは気が進まないが、この、死導者さえも殺す力を持つ少女が敵わないという何かは見てみたかった。 「……わかりました」 どうせ、時間は無限にある。 私はケイと共に夜空を歩きだした。程なく、夜空の中にあってなお暗い漆黒の影が目に入る。 アンジェラとエルミネアは、向かい合って何かをしていた。空中に浮かぶ盤。その上の駒のようなものを、交互に動かしている。 「何ですか、これは」 「将棋。知らない? ま、言ってみればゲームよ、ゲーム」 ゲーム。お遊び? 人間の考え出したものだろうか。ルールがわからないからどちらが優勢なのかさえわからない。 しばらく眺めていると、エルミネアはきゅい、と鳴いた。 チリン―― 「ふう」 アンジェラとエルミネア、双方が顔を上げた。どうやら終わったらしい。 「こんばんは、リヴァイア。良い夜ね」 「まあまあ、ですね。あなたがたは何をしているのです」 「人間の考え出したボードゲームよ。単純なルールであるがゆえに奥深い。あなたも学ぶ?」 「結構です」 人間の考えたゲームなどに興味はない。ゲームと言えば、私にとっては殺し合いだ。 チリン―― アンジェラは盤の前から立ち上がると、じっと私の顔を見上げた。 「何ですか」 「どうしたの、リヴァイア。何を思い悩んでいるの?」 ……この子は鋭い。 同じ死導者同士。心を読むのはたやすくないはずなのに、この子はいとも簡単に読み解いてしまう。 あるいは、私の表情にさえそのような空気が出ていたのかもしれない。 それは、この子がずっと人間たちと関わる事によって得られた能力の一つ、なのだろうか。 人間と。 「……アンジェラ。人間はどうしてああも愚かしいのだと思いますか」 「愚かしいって何よ。失礼ね」 ケイは口を尖らせた。彼女は元人間。人間を悪く言うのは気に障るのだろう。 「今日、ハーフ犬というものを見ました」 「純血同士を交配させて作り出された別種の事ね?」 「さすが人間通ですね。ご存知でしたか」 説明の手間が省けて助かる。そう説明したいものではない。 「私には理解できません。どうして人間たちは何の抵抗もなく神々の領域に足を踏み入れようとするのでしょう。自分たちの分というものは考えないのでしょうか?」 最大の謎だ。 命を扱う権限は、ごく限られた者だけが持つ。そして、その中に人間は含まれない。 「命を軽視する人間がいる事、それは確かね。人間は目に見えないもの、明確に感じ取れるものしか意識しないもの。生きるためにはその方が効率的かもしれないわね」 「愛だのなんだのとのたまう割には、命を重視する事さえできない。まったく理解できません」 「リヴァイア」 アンジェラの語気に、ほんのわずか、鋭さが増した。 「貴女はその矛盾に気がついているはずよ。私たちの生まれ、逝き様、そういったものを考えるのなら」 「――矛盾」 ある。私の考えの矛盾。 知ってはいたが、けれど意識はしなかった。それは、私にとっては、認めがたい事実だったから。 「人間にも色々な者がいるわ。私たちと同じようにね。貴女の言うように命をないがしろにし、人を人とも思わない人間がいる一方で、私たちよりも敬虔な信徒もいる。人間、などという大きなくくりでは説明がつかないわ」 「では、言い方を変えるのなら、どうして神の領域に踏み入れる事をためらわない人間がいるのでしょうか」 「貴女と同じではないかしら?」 「私と?」 「そう」 アンジェラは、いたずらな笑みを浮かべた。この子は時々、こういう表情をする。 「自分が上位と信じている」 「……ッ!」 「リヴァイア。上下なんて意味のないものよ。私たちは死の先の存在だけれど、ならば人間に全てにおいて勝っているのかと言われればそうでもない。力も生も負けないけれど、こういったお遊びを考えたりするのは人間の方が上手」 アンジェラは盤上の駒をもてあそび、 「言うなれば生物はこの駒と同じ。個々に力の強さや種類に違いはあれど、どれも等しい価値しか持たない。将棋と違う点があるとするなら、この世界に王はいない、それだけね」 アンジェラは軽く手首を返した。私は反射的に投げられたものを受け止める。 手を開くと、歩という文字が刻まれた駒があった。 「リヴァイア。一歩ずつ確実に歩みましょう。そうすればいずれ金になるわよ」 アンジェラは指で返す真似事をした。駒をひっくり返すと、裏側には赤い文字で金と刻まれていた。 「私にはあなたの言葉が理解できません」 「将棋は知らなかったかしら」 「それだけではありません」 自らが上位と思い込む。 どうして人間はそう思える? それは、獣に抵抗されて死ぬ事がないからだ。 死を前にしなければ生物は上下を判断できない。それはいかなる獣とて同じ。 だからといって、自分が上だと信じたとしても、獣は無意味に獣を殺さない。 なのに、人間は殺せてしまう。 ああ、考えていけばキリがない。 「その駒はあげるわ。じっくり考えてみて。マリアも、それを望んでいるだろうから」 「――あなたなんかがマリアの言葉を代弁しないでいただけますか」 「ちょっとぉ。なんかってどういう意味よ」 「言葉通りです」 背を向け、そのまま私は立ち去る。 一瞬、ケイが追おうとする気配を感じ取ったが、実際には追ってこなかった。アンジェラが止めたのだろうか。 ……あの子は、気に食わない。 晴れない気持ちを胸に残したまま、空間を渡った。 |