幽霊は幽霊としか交わる事はできない。
 交流がなきゃお互いに知り合う事もできない。
 だから、幽霊と生きている人間の壁はとてつもなく大きい。


 俺は公園をねぐらにしている。
 つってもホームレスじゃない。もちろんアウトドアな引きこもりでもない。
 俺は、死んでいた。いわゆる幽霊だ。
 三十年の長いのか短いのかよくわからん人生の中で、さすがに幽霊に出会った経験はなかった。だから、なりたての頃はひどく戸惑ったもんだ。
 けど、それも数日すれば慣れてしまうもの。人間の順応力には驚かされる。
 生前の俺には家族なんていうものはなかった。親父もおふくろも何年も前に死んじまったし、結婚もまだしてなかった。社宅に帰ろうかと思ったけど、そっちもどうせすぐに別の誰かが借りるだろう。
 そう思い、俺がねぐらに決めたのがこの公園だった。幸いにもここはホームレスの姿がない場所で(連中にも理想の立地条件とかはあるらしい)、たまのカップルはうざいものの、さしあたって過ごすには悪くない場所だった。
 死人になって困った事は、とにかく暇な事だ。
 なにせ、話し相手がいない。遊ぼうにも金がない。仕方なしに映画館でひたすらタダ見したりしまくったが、どうにもつまらなかった。
「退屈なのはいけねーや」
 どうやったら成仏できるのかもわからないまま、漫然と過ごす日々。けど、それは生前とあまり変わらないような気がした。
 そんな、どうにも浮かない気分でふわふわ浮いていると、公園の隅に立つ女の子に目がとまった。
 中学生くらいだろうか。制服姿の、ごく普通の女の子だった。そう、外見は。
 俺は女の子に近づき、その肩に手を置いた。
「ひっ……!?」
 びくん、ととびはねた女の子は、ザザザと俺から距離を取った。
「あのさ。そこまでビビらなくてもいいと思わないか? 俺でも傷つくんだけど」
「だ、ちょ、あ、え?」
 うまく言葉にできない女の子に代わり、俺は自分の胸を親指で指しながら自己紹介を始める。
「俺、岡田真一。見ての通りの幽霊。君と一緒」
 女の子はしばらく口をパクパクさせていたが、やがて深呼吸を始め、落ち着いたところで俺を見た。
 強気な目が印象的だった。
「おじさん、何」
「おじさんて。俺まだ三十なんだけど」
「あたしは十四。倍以上。何か文句ある? お、じ、さ、ん!」
「……んな強調しなくたっていいじゃんか」
 とはいえ、せっかく見つけた久しぶりの話し相手だ。そうそう簡単に立ち去るつもりもない。
「君、名前は?」
「なんでそんなの教えなきゃいけないわけ」
「いいじゃないか、別に。幽霊同士、ちょっとは仲良くしようぜ? どうせ話し相手なんかいないんだから」
「大きなお世話。別にそんなのいらない」
 ぷい、と顔をそらした女の子は、そのままどこかに飛び去ろうとしてしまう。
「あ、おい!」
 俺は慌ててその後を追った。空を歩きながら女の子に話しかける。
「君、さっき何を見ていたんだ?」
 俺はちらと公園に視線を走らせた。カップルが二組。犬の散歩をしている人が三人ばかし。公園にいる人はそれだけだった。
「あんたには関係ないでしょ」
「まあいいじゃんいいじゃん。お兄さんに相談してみな? 何かすっきりするかもしれないだろ?」
 ピタッ、と女の子が足をとめた。何かな、などと思っていると、いきなり顔をはたかれた。
「無責任な事は言わないでッ! あんたに何ができるってのよ!」
 死んでも、痛みはあるんだな。
 少し場違いな事を思いながら、俺は頬に手を添えた。
「何もできないな。だから、相談って言ったんだけどな。愚痴をこぼせと言い換えてもいい」
 俺はそのまま空中に腰をおろし、
「俺は別に人生経験豊富ってわけじゃないけどな。これでも三十年は生きてるんだ、ため込む辛さくらいは知ってるつもりだよ。
 苦しい事は誰にでもいいから吐いちまえばいいんだ。でなきゃ落ちるだけ。重いもんを吐きださなきゃ浮き上がる事もできやしない」
「何それ。くっだらない」
 言いつつも、女の子も腰をおろしていた。やはり、話し相手は欲しいのだろう。
 死者に話し相手はいない。こっちの姿が見える奴も声が聞こえる奴も、ついぞ会った事がない。そんな俺たちが話せる相手といえば、今、目の前にいる相手だけだ。
「じゃ、ま、俺の身の上話でも聞いて行くか?」
「なんで。そんな暇じゃないんだけど」
「暇だろうが。どうせ死んでるんだから」
 女の子はむっつりと黙り込んだまま、答える事をやめてしまった。
 俺は軽く息を吐き、
「そうだなぁ。じゃ、俺の恋愛経験でも語ってみるかな」
「はぁ? なんでさ」
「女の子といえばやっぱ恋愛だろ?」
 女の子が口を閉じたのを見計らい、俺は言葉を続ける。
「俺の初恋は、中学だったなぁ。一個上の先輩。卒業式の日に告白して、見事にふられた。彼氏がいたんだと」
 あの日の事は今でも忘れられない。そのまま家に帰って壁に頭ぶつけてたらおふくろに止められた。苦い思い出だ。
「やけになって高校は男子校を受けて……、結局、次の恋ができたのは就職してからだったな。二年先輩の、きっつい人」
 本当に、きつい人だった。ミスをした奴は容赦なく叱り飛ばし、まさに部下のケツを叩いて仕事させるタイプだった。
「……なんでそんなの好きになれるわけ?」
「おいおい、そんなのはないだろ。そりゃ性格はちょっときつかったけど、優しいとこもあったんだぜ?
 こう、なんつーか、不器用なんだよ。妥協ができない。だから他人には厳しいし、自分にゃもっと厳しい。部下ならミスしても叱って穴埋めで済むけど、あの人は自分のミスは絶対に許さなかったから」
 だから、俺たちはあの人のミスのしりぬぐいをした事は一度もない。ミスをすれば、それは絶対に自分で解決しようとする人だった。たとえ山のような残業になっても。
「――ま、先輩もそういう風に見られているとは考えてなかったらしいけどな。告白したら驚かれたよ。こんな自分でいいのか、って」
「で、いいって答えた」
「ちょいと違うな。むしろお願いしますって感じだ」
 女の子の視線が、ちょっとおもむきを変えた。
「変態?」
「違うわ。ともかく、そんなこんなで付き合い始めた」
 特に大きな問題は一度も起きなかった。付き合いだしてからも相変わらずきつかったけど、それはあの人らしさとも言えた。
「あれは、付き合い始めて……、二年くらい経った頃だったかな。海に行ったんだよ。先輩と水遊びするの初めてでさ、俺も浮かれてた。だから、気付かなかったのかもなぁ」
「何に?」
「先輩が、泳げないって事に」
 あの人は本当に自分に厳しい人だった。弱みを見せるのはとかく嫌う人だった。だから、泳げないって事も絶対に口にしようとはしなかった。
 泳げないなら泳げないって言ってくれればよかったんだ。それならあんなに沖に出る事はしなかったし、それこそ海に行かなくなってよかったんだから。プールでも山でも、いっそ家にいたっていい。
 あんな事にならないなら、どこでもよかった。
「……何かあったわけ?」
 俺の表情から読み取ったのだろう。声の裏に、あまり聞きたくないという雰囲気が感じ取れた。
「ま、だいたい想像通りだと思うよ」
 あの日の事は、今でも忘れられない。
「海難事故だ」
 海で溺れる。よくある事だ。そして、それによる死者も。
「……そう、なんだ」
「事故が起きてしばらくは実感なかったよ。なにせ遺体が見つからなかった。死を目の前にしてないから、どうにも現実感がなくってさぁ。どこかでまだ生きているような気がしてならなかった」
 そんな事はありえない。
 頭ではわかっていても、体が理解してくれなかった。
「それからしばらくは会社を無断で休んで海通いさ。どっかに先輩がいるような気がして、ひたすら泳いでた。三日くらいで体力が尽きて逆に救助されたけどな」
 よくまあ、あの時には解雇されなかったと思う。それだけまわりも理解してくれていたのだろう。
「その、後は?」
「んー? あんまり覚えてない」
「覚えてない?」
 女の子は目をぱちぱちとさせた。よく理解できなかったのかもしれない。
「こう、先輩がいないと本当に虚無って言うか、何もないような気がしてさ。なんとなく、体が覚えている事をひたすらに繰り返している感じだった。抜け殻、って言うのかな。何度か休暇を勧められたくらいだよ」
「その様子だと、休まなかったんだ」
「むしろ休日でも出勤しようとしたくらいだな。家にひとりでいると、思いだしちまうんだ。そんで、自分の浅はかさを呪いたくなる。だからできる限り家にはいないようにしたし、仕事できるなら仕事してたよ。そんな感じでボーっと生活してるからだろうな、車にひかれてこの通りさ」
 死んで、よかった事がある。
 自分を取り戻した事だ。
 誰にも話しかけられず話しかけられない生活は、ゆっくりと考え事をするのに最適な時間だった。また、死んでいるという事実は、先輩だけ先に逝かせてしまったという負い目を和らげてくれた。
 結果、俺は茫然自失とした生活を抜け、こうして過去を振り返る事ができるまでになった。
「自己紹介おしまい。面白かった?」
「今のどこに面白いところがあったのよ」
 そりゃそうだ。
「けど、まあ、今度はあたしの事を話してあげる」
「へ?」
「何よッ! 聞くんでしょ、どうせ?」
「あ、ああ、もちろん」
 女の子の目つき。それが、どこか懐かしい気がした。
「あたしだって、その、死ぬ前はそれなりに女の子したかったのよ。男子と付き合ったり、とか」
「だろうなぁ」
 この年頃の子だ。興味を持たない方がおかしいかもしれない。
「それで、気になる人に告白したの」
「その様子だと、玉砕したのかな」
 ――パンッ!
 返事の前に張り手が飛んできた。
「あんたさ、デリカシーとかないの?」
「体の方に置いてきちゃって」
「……ふん!」
 女の子は目の端をつり上げ、それでも口を開く。
「まあ、その通りよ。あたし、こんな性格だからさ、何度か告白したけどぜーんぶダメ。ありえないとまで言われちゃった」
「そりゃまた見る目のない」
「誰もがあんたみたいな変態じゃないわよ」
 だから俺は変態じゃないと。
 ……言っても聞かなさそうだから言わないけど。
「ほんとさぁ、嫌になるよね。性格なんてそう簡単にどうこうできるものじゃないじゃん。それダメって言われたら、もう、どうしようもないじゃない」
「そうでもないけどね」
 言うと、やっぱりと言うべきか、女の子はキッと俺をにらんできた。
「簡単に変われるような性格なら誰も苦労しないよ。頑張ったって変われなくて、だから苦しいんじゃんか」
「そういうものかな」
 言いつつも、俺にも自覚はあった。
 簡単に吹っ切れるなら、苦痛はなかった。茫然とする事も、自分を失うほど悲しむ事もなかった。
 人間の心は、厄介だ。
「つまり、君の心残りは男の子と付き合えなかった事?」
「そっちじゃない。聞けなかった事」
「聞けない?」
 女の子はうつむき、
「死ぬ前にも、告白したの。金曜に。それで、返事は月曜まで待って欲しいって言われてさ。どうせまたダメだろうなぁって思いながらふらふらっと歩いてたら、あんたと同じ末路」
「俺たちに共通する教訓は、道路を歩く時は気をつけましょう、だな」
 冗談めかして言うと、女の子はほんの少しだけ頬を緩めた。
 でも、なるほどね。つまりは、あこがれの(?)男子からの返事が欲しいって事か。
「なら、聞きに行けばいいじゃないか」
「無理だよ、そんなの」
「無理って?」
「わかってるでしょ。あたしらは死んでるんだよ? どうやって生きている人と話をするわけ?」
 確かに。
 確かに、俺たちは生きている人間と触れ合う事はできない。それは俺がしばらくの死者生活で確認してきた。
 あるいは、どうやってもあこがれの君の気持を確認する方法なんてないのかもしれない。
 だけど、それでも。
「どうせ暇なんだろ。後悔があるなら、今の間に解決できるよう挑戦しといたほうがいい」
「だから、どうやって?」
「そんなのは会ってから考えればいいんだよ。後悔ばっかしていると成仏できないぞ」
 俺は女の子の手を握ると、空に飛び出した。
「あ、ちょっと!」
「いいから、いいから」
「だー、もう、よくないのっ!」
 女の子は強引に俺の腕をふりほどき、びしっと明後日の方向を指した。
「彼の家はあっち! 方向がぜんっぜん違うでしょうが!」
「でしょうがって言われても、俺は知らないからね」
「じゃあ連れて行こうとすんな!」
 ひとしきり文句を言ったところで、女の子は足先を指の向きと同じ方向に向けた。
 俺はそんな様子をほほえましく思いつつ、同じ方向に足を向ける。



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