人は生きる間で何度も選択を迫られる。
 その中で最も大きな選択。
 それは、子供から大人に変わる時に訪れる。


 今朝、家を出る前に見たテレビの星座占いでは、こんな事を言っていた。
『選択を迫られる時です。人生を大きく変えるためには、小さなことの積みかさねが必要です。具体的に何をすればそれが可能なのか、冷静に検討してみましょう。
 すぐに行動に移せなくても、今日できることを見つけてそれに取りかかるのが一番の近道になるでしょう』
 お決まりの文句。こういうのが当たった事ってないなぁとか、占い通りだと人生の選択が年に何十回もきちゃうじゃないかとか、そんな事を無意識に思った。
 ただ、それだけだった。

「いやー、悪いねー、遠藤君」
 天野さんは机の上に足を乗せてお礼(?)を言う。そういう態度じゃないとか、そもそも女の人がそういう格好ってどうなんだろうとか、そんな事は口が裂けても言わない。言わない。
 天野さんはマグカップに注いだコーヒーを飲みながら、
「やっぱりさぁ、大学出身のエリートは違うわ。うん。そこいくとアタシなんか高卒どころか中卒でこっちの世界入っちゃったもんだから、だめだめねー。書類仕事なんて頭とか腰とか目とか痛くなってくるし」
「それは誰がやっても同じです。……頭はともかく」
 こちらの世界。すなわち、おばけが世間を堂々と闊歩し、死神が自殺者を引き止め、人間が悪魔と戦うような、そんな世界。
 どこの漫画だ、と言われたら反論できない。そのくらい荒唐無稽な話だ。だけど、それが真実でもある。
 世の中の大半の人はおばけを見る事ができない。霊感がある人でも気配を感じるのが精一杯で、とてもおばけの存在を見つけたり、ましてや話したりなんてまねはできない。そんな人がもっとたくさんいるなら、世間でおばけの存在はもっと現実のものとして認知されていた事だろう。
 もちろん、僕のような例外品もいるにはいるのだが。
「ねー、遠藤君。もういっその事、本当にウチに就職しない? 給料はできる限り弾んじゃうよ」
「……就職、ですか」
 僕の周囲の人はすでに就職活動を終了しつつある。なにせもう夏だ。就職難の昨今とは言っても、決まる人はやっぱり決まる。
 そんな中、僕は――活動をしてさえいなかった。
「いやいや、真面目な話。遠藤君も来年には卒業でしょ? 実際にどっかで働かないとご飯が食べられないわけじゃない」
「それは、そうです、けど」
「だったらウチなんてどう、って言ってるの。胡散臭さ千パーセントで将来性も微妙なお仕事だけど、遠藤君なら能力を活用できるじゃない?」
 僕の、能力。
 おばけを見る事も触る事も話す事も聞く事も、相談に乗る事も悪霊を元に戻す事も生きている人の在り方さえ変えてしまえる。
 僕の能力を見た死導者は、これを書き換えリライトと呼んだ。言葉通り、魂を書き替えてしまう能力。そして、それに付随する、様々な力。
 この能力は、対霊を専門とする退魔師でさえ持っていないものらしい。それほど稀有な能力なら、きっと退魔の業界でも食べていく事は可能だろう。
 それに……、この業界でなければ、できない事もある。
 たとえば悪霊の浄霊。普通、退魔師というのは『殺す』能力しかないものらしい。だから、霊を『生かす』僕の能力は本当に貴重なんだそうだ。この業界に入れば、僕は多くの霊を、多くの死後を、小さな安らぎで彩ることができるはず。
「そう悪くないとは思うけどね。ま、慌てて結論を出さなきゃいけない話じゃない。ゆっくり考えていいよ。卒業したってウチのバイトっていう身分は変わんないからさ」
「あ、ありがとうございます、所長」
「前から言ってるけどさー、どうせ二人しかいないんだから、所長なんて大層な呼び方じゃなくていいんだよ?」
「いや、この方がお仕事って気分になれますから」
 天野さんは苦笑を浮かべ、真面目だねぇ、と呟くにとどまった。
「そういやこの後もバイトなんだっけ?」
「ええ、まあ」
「ほんと、勤勉だわ。二宮金次郎でももう少し休んだと思うよ」
「僕は、そんなに偉くないですよ」
「いやいやいや。そんなこたーないよ」
 天野さんは、ずい、と身を乗り出し、
「偉いか偉くないかってのは、君が決めるものじゃないのさ。周囲の評価が自然と生み出すもの。まやかしみたいな、形のないものだよ。そして、このアタシが遠藤君は偉いと感じた。だから、遠藤君は偉いの」
 よくわかるような、わかんないような。とりあえず褒めてくれているのだから、素直にお礼を言うべきだったろうか。
「はは、臭い事を言っちゃったかねぇ。ま、いいや。後はやっとくからさ、次に行っちゃったら?」
「あ、はい、じゃあ」
 僕は書類を整えてファイルすると、鞄を手に事務所を後にした。

 僕は二つのバイトを兼務している。
 ひとつはアマノサイキックエージェンシーでの幽霊調査。
 もうひとつは、ファミレスでのバイトだ。実はこっちの方が長い。
「おはようございまーす」
「あ、くー、おはよー」
 いつも真っ先に出迎えてくれるのは、フロアチーフにして僕の恋人・田崎真理先輩。刺してしまうほど僕を愛してくれている、繊細な人だ。別に刺されたいわけではないんだけど。
「そうそう、店長が呼んでたよ」
「あ、はい」
 このファミレスの店長は、真理先輩の上司であり、温厚な人物だ。細かい事を気にしない性格でもある。見た目には風采のあがらないおじさんといった感じだけど、たまに問題が起きるこの店舗を普通に経営しているのだから、実は優秀な人なのかもしれない。
 着替えてから休憩室の奥の部屋に行くと、店長がパソコンを前に、何事かを考えている最中だった。
「店長」
 声をかけると、店長はいつもの柔和なスマイルを浮かべた。
「や、遠藤君。おはよう」
「おはようございます。それで、僕に何か用事とか」
「ああ、いや、急ぎの話じゃないんだけどね」
 前置きし、店長は前のめりになって僕を招き寄せた。
 僕は頭髪の薄くなった店長に顔を近づける。
「実は、君を正社員として登用してもいい、って話が出ていてね」
「え? 僕が、ですか?」
「そう。君も四年生で、来年には卒業できるんだろ?」
「ええ、まあ」
 少なくても卒業に必要な単位についてはすでに揃えている。残っているものといえば、せいぜい卒業論文くらいなものだ。
「それでね、君はよく働いてくれてるし、たまにお客さんからも特別に良い評判をもらうこともあってね」
「そんな事まであるんですか?」
 僕は目を丸くせざるをえなかった。なにせ、そんな自覚はとんとなかったのだから。
 と、店長はからからと笑い、
「そうなんだよ。自分じゃ意外だったかな? でも、実際に君の評判は内外に良い。そろそろこのあたりのブロックから推薦を何人か出さなきゃいけないから、その中に遠藤君も、と思ってね」
「はぁ……。でも、本当に僕なんかでいいんですか?」
 自分では言いたくないけど、この店舗で起きている問題の大半は僕が絡んでいる。積極的にしろ、消極的にしろ。
「自信を持ちなよ。君は大学生にしてはやけにしっかりしているし、それに、能力だってあるんだから」
 そう言う店長の姿が、天野さんと重なって見えた。
 ――ここでも、未来の話。僕の将来についてだ。
 正直な話、僕はみんなと違って、正確なビジョンなんて何一つとして持っていなかった。だから、正社員としてファミレスに勤める自分も想像できないし、幽霊調査を生業としている自分も想像できない。
 言うなれば、数年後の自分を思い描く事ができない。これじゃあ、決めようもない。
 僕の迷いをどう解釈したのか、店長は顔の前で手を振った。
「いやいや、そんなに慌てて決めなきゃいけない事じゃないよ。正式に話をするのは来月だから、それまでに考えてくれればいい。ただ、君にはそういう選択肢もあるよ、って考えてもらいたかったんだ」
「はぁ……」
 僕は、曖昧な返事をする事くらいしか、できなかった。

 フロアでの仕事もひと段落し、余裕ができると、真理先輩がつつと寄ってきた。
「ねーねー、くーぅー……?」
 どこか甘えたような声。言いたい事は聞くまでもなくわかっていた。
「店長の話の事、ですか?」
「そっ! すごいじゃない、正社員なんて」
 どこかで真理先輩も聞いたのだろう。目を輝かせていた。
「あー、でもそうなるとくーと一緒のお店で働けなくなっちゃうかもなー。それだったら、いっそバイトになろうかしら」
 うきうきとしている先輩。僕には、どうして先輩がそんなに喜んでいるのか、理解できなかった。
「真理先輩、どうしてそんな上機嫌なんですか?」
「え? だって私のくーが認められたのよ? 嬉しくないわけないじゃないの」
 私の、とさらりと言えるあたり、何と言うか。まあいいんだけど。
 それより僕には、僕は真理先輩ほど上機嫌にはなれない、という事の方がよほど問題だった。
「どうしたの? くー、嬉しくないの?」
 真理先輩が不安そうな顔をする。僕は努めて笑顔で、
「そんな事はないですよ。やっぱり、認められたり評価されるのは嬉しいです」
 なんだかんだと言っても。
 やっぱり、僕は孤児だ。親戚に育ててもらったけど、実の親がいないという事に変わりはない。
 養父母には感謝しているし、何かがあれば僕を守ってくれるとも思うけど、それだけでもあった。血の繋がりはない。本当の危険が迫った時、あるいは自分の力で何かをなさねばならなくなった時、僕が無条件に頼っていい人はいないんだ。
 それだけに、他人の評価は人一倍、感動を覚える。評価されている間は、僕がどうなろうとも、助けてくれる人もいるだろうから。
 だけど。そんな暗い理由とは別に、この評価を素直に喜べない理由もあった。
 結局は……、僕自身の問題、という事になるんだろうけど。
 思い悩んでいるのを見て取ったのか、先輩は僕の顔を覗き込み、
「あのさ、くー」
 チーフとしての顔ではない、恋人としての顔で言った。
「私は、何があってもくーの味方だよ。困ったら頼っていいし、辛かったら当っていいし、助けが欲しかったら呼んでいい。そういう相手なの。
 たぶん、くーが今、悩んでいる事については……、私は何も言えないんだと思う。最終的にはくーが決める事だから。だけどさ、くーがどんな選択をしても、私は私だから。だから、心配しないで、ね?」
 その、暖かさ。包容力。
 これが、僕が先輩に感じる魅力なんだ。
 僕自身、よく包み込むようだ、と言われる。誰かを許容し、受け止める事も、まあできる。
 じゃあ、僕自身はと言われると……、ちょっと困る。
 なにせ、僕自身を受け止めてくれる人、僕が安心して体を預けられる人は、そういないのだから。
「ありがとう、先輩」
 だから、僕は素直にそう言う事ができた。
 先輩はにっこりと笑う。ちょうどそのタイミングで、お客さんが入ってきた。
「あ、私が行くね」
 いらっしゃいませ、と声をかけながら駆け寄る先輩を遠目に眺める。
 僕は、幸せ、なんだな。
 なんとなく、そう感じた。

 バイトを終えて家に帰る。鍵を開けて部屋に入ると、なぜだか先客がいた。
「や、紅葉」
 窓も扉も使わずに部屋に出入りできる存在。そんな人は限られている。
 否――人でさえない。
 志野ケイ。桜色の着物と白いミニスカートを組み合わせた奇妙ないでたちの女の子。その正体は、死者だ。
「どうしたの、ケイ。僕が帰るより早くに来るなんて」
 彼女たちは、たまに僕の家を訪れる。それは近況報告だったり、何か問題を引っさげてだったり、僕の相談に乗るためだったり、単に暇つぶしのため、なんて時もある。
「んー、それがさ。マリアがあんたに用があるんだって。で、それを伝言するために待ってたのよ。今、いい?」
「ん、今日はもう休むだけだから別にいいけど……」
 なんで自分で来ないでケイに伝言なんてさせるのだろう、と思う。別に僕の部屋は出入禁止になっているわけでもないし、彼女も死導者だ。壁から出入りすれば済むはずなのだが。
「なんかね、他にも用事があるんだって」
「へえ。忙しいんだ。じゃあ、それこそ今で大丈夫なの?」
「いいんじゃない? じゃ、あたしと一緒に来てくれる?」
 ケイが手を差し出す。僕はなんとなく嫌な予感がしたが、仕方なしにその手を取った。
「じゃ、行っくわよー」
 特に気負いも何もない声で言い、ケイは窓を開けた。
「あの。ケイさん。何するつもり?」
「ちょっとぶっ飛ぶだけ。大丈夫、痛くないから」
「いや、その方法にまでは反対しないけど、それなら別に手をつかまないでも他にいくらでも方法があると思うんだけどそのあたりは」
「却下。めんどい。れっつごー」
 平坦な声で言い、僕を引きつれ、少女は空に飛び出した。
 ――腕が抜けるかと思った。

 空中飛行は、そう長くは続かなかった。
 空高く。町を広く見下ろす事ができるほどの高空に、僕は立っていた。
「いらっしゃい。生者の夢見る死者の世界へ」
 僕を出迎えてくれたのは、真っ白な女の子と真っ黒な女の子。
 正反対だけれどそっくりな二人は、僕の知り合いでもあった。マリアとアンジェラ。死者の中の死者、死を導く者。
「マリアが僕を呼んだんだよね?」
「ええ。そろそろ頃合だと思って」
 マリアはその外見とはまったくそぐわない妖艶な笑みを浮かべ、
「選択を求められたでしょう? 人として生きるか、魔として生きるか」
「み、見てたの?」
「その反応からすると、予想通りといったところね」
 まさに占い通り、だな。日常はいつまでも続かない。今日という日が……僕にとっての、境目の日なんだ。今までの無責任な子供と、責任を持たなければいけない大人と。
「人として生きる。これは正道。あるいは常道。人として生まれた貴方が、本来進むべき道のり。死者が関わる事はなく、平穏にして退屈な、それだけに幸福な日々が待つ」
 マリアが指を振るう。と、その指先の軌跡を辿るように、光が生まれた。
「魔として生きる。これは邪道。あるいは外道。人の身を捨て、魔を狩るために魔に身を落とす。常に苦痛と死が付き添い、安寧はほど遠いところに転がる事になる」
 アンジェラは、マリアの後ろで沈黙してた。いつもなら寡黙に雄弁だけど、今日はそんな姿とは遠くかけ離れていた。
 まるで、ただの人形だ。
「そして、三つめ」
 マリアの笑みがいっそう深まり、ほとんど悪意さえ垣間見えた。
「それは、生きない事。死者となりて死を拒み、悪魔とも死神とも呼ばれる存在になる事。それは、あるいは昇格、あるいは堕落。真の意味は己で見つけなければならない修羅の道」
「……僕に、死導者になれって?」
「なれ、なんて命じるつもりはないわ。私と貴方は関係性で言えば対等。貴方に命令する事など、私にはできようはずもない」
 くすっと笑い、
「ただ、貴方は生前の私によく似ている。もしも魔と関わり続ければ、貴方はいずれ己でさえ御しきれない力を手に入れる事になるわ。その時、貴方は……、人間でいる事などできない」
 それは、まるで未来を見てきたかのような宣告だった。
 いや、実際に、マリアは僕の未来を見ているんだ。自分の経験として。
「それは、忠告かな?」
「受け止め方は貴方次第。私は事実を語るのみ」
「事実、ね」
 あのマリアが言うんだから、ただの冗談という事はありえない。ある程度の真実を含んだ、僕の未来に待ち受ける可能性のひとつなのだろう。それが。
「それでも僕は、まだ生きるつもりだよ」
 それだけは断言できた。人間の道を歩もうが、退魔の道を歩もうが、絶対に変わる事などありえない、ひとつの理念。
 たくさんの大切な人たちの中で、僕が最後に選ぶもの、優先させるものは、決まりきっている。そして、彼女を守るためには、僕は生きていなきゃいけない。
 遠からず死ぬ事になろうとも、この体――まだ手放すわけにはいかない。
「指針があるのは良い事ね。迷いが減る」
 チリン――。
 言葉の切れたタイミングを狙うかのような音色に、マリアも口をつぐむ。
「そろそろ私たちは行くわ」
「あ、じゃあ、あたしも」
 つい、と足をそむけた。なんとなく、この三人とはしばらくの間、会えないような気がした。
「アンジェラ」
 声をかけると、夜空色の少女は律儀に振り向いてくれた。
「ありがとね」
 少女は無表情のまま、しばらく僕を見つめた。
 やがて、くるりと向き直り、マリアの後を追う。
 ――こちらこそ。
 小さな声は、気のせいだったのかもしれない。それでも僕は、満足だった。



次へ  戻る