空間を渡る。
 それは、死導者なら誰でも使える事。そんなに遠くまで一度に飛べるわけじゃないけど、ある程度まで距離を置く事は可能。戦いに応用するのは難しいし、もちろん相手も空間を渡れるのならまったく意味はないけど、
「どうやら飛べないみたいね、あいつ」
 あたしはどっかの家の屋根に座り込み、深々と息を吐いた。これほどに緊張したのは久しぶりだった。
「ケイ、怪我はない?」
「ん、大丈夫。ありがと」
「……それが大丈夫なものかしらね」
 アンジェラはあたしの足元にしゃがみ込むと、すねの怪我に手をかざした。
 生があたしの足を覆う。痛みも和らいでいく。こういう時、死人の体ってちょっと便利。人間の体よりも治るのは遥かに早い。
 見れば、アンジェラも随分と疲れているように見えた。
「ねえ、アンジェラ。あいつ、何なんだと思う?」
「存在で言うのなら、彼女は間違いなくレティシア当人よ」
 そこに嘘偽りはない、とアンジェラは断言した。
「だよねぇ……」
 だけど、それはおかしな事。
 レティシアは過去に死んだ。死人が死ぬという事は、次はないという事。根源まで消滅し、何一つとして残らない。元より未来のないあたしたちが、過去まで失ってしまう。
 レティシアはフランスのどっかで死んだはずだった。あたし自身が死ぬところを目撃したわけじゃないけど、アンジェラはちゃんとそれを見届けている。それこそトラウマになるくらいに心を痛めたはず。まさか見間違いという事ない、と思う。
「じゃあ、魂が死んでなお、蘇る事ができたってわけ?」
「そういう事になる、わね」
 そんな事、本当にあるのだろうか。
 アンジェラも自信がなさそうだった。それもそうだ、そんな事、普通に考えたらあるはずもない。
「ケイ、何かヒントになるようなものは見なかった?」
「ヒントになるものねぇ……」
 思い出す。レティシアの格好はどう見ても普通の人間そのものだった。気配は死導者と同じだったけど、よくよく考えれば、あれは肉体の縛りを受けていたような気がする。そっか、だから空間を渡る事ができなかったんだ。
 じゃあ、あいつはどうやって肉体の中に蘇ったんだろう。
 人間は死んだら転生するって言われてる。まさかあいつも転生したとか? いやいや、魂が死んだのに転生できるわけない。魂の死ってのは、転生の輪から外れるって事なんだし。
 他に何かヒントになる事。えっと、あいつの特徴は、あたしの剣でさえ斬れない剣を持っていて、そういえばその核には。
「やつかのつるぎ?」
 確か、あいつはそう呼んでいた。石と鉄で作られた儀式用の剣みたいなの。それがフランベルジュの核になっていて、あれが生きた人間に過ぎないレティシアに力を与えていたように思う。
「八握剣? そう言ったのね、レティシアが」
「う、うん」
 微妙に自信ないけど。
 だけどそれでアンジェラには伝わったらしく、しきりに何かを考えているようだった。あたしはアンジェラの思考を邪魔しないように、口をつぐむ。
「ケイ。貴女は八握剣という存在について知っている?」
「ううん。そのやつかのつるぎって何?」
「十種神宝の一種よ。十種神宝はニギハヤヒノミコトという神様が持ち、人間に伝えたとされる伝説級の神器」
「神様の道具ってわけね」
 なんでそんなもんをあいつが?
 疑問には思うけど、今はそれどころじゃない。目前に明確な脅威がいるんだから。
「んで、どうすればいいと思う?」
 あたしの質問に、アンジェラは言葉をなくす。
 チリン――
 どうすればいいのか、あたしの意見はある。でも、この方法を使うためには、アンジェラの許可が必要だと思う。否、アンジェラも認めてくれなきゃ、こんな事は絶対にできない。
 アンジェラの中には、いまだに消えない傷がある。他人の死を背負うアンジェラならではの、自分が助ける事ができなかった人たちの苦しみ。この痛みを和らげるには、あたしの存在は必要だし、アンジェラ自身の気持ちも必要だ。
 しばしの沈黙。あたしは夜空を眺めながら、アンジェラの答えを待った。
 綺麗な月。都会と田舎の中間みたいなこの町は、決して綺麗な空を見られる場所じゃない。それでも、月だけは綺麗に眺める事ができる。
 手を伸ばせばつかめそうな存在。それでも手にする事は絶対にできない。
 それは、死と生の関係に、ちょっとだけ似ている。
 死者は生に手が届かない。届いちゃいけない。手を伸ばす事、生きようとする意志は尊いのかもしれないけど、でも死者は死ななきゃいけない。
 幸いにも、あたしは次が与えられた。死の先。誰もが進めるわけじゃない、本当に貴重な立場だ。これは感謝してる。それを与えてくれたアンジェラにも。
 レティシアも同じだった。あたしと同じように死の先を歩み、そして再びの死を迎えてしまった。
 三度目の生。あいつは、何を思うんだろう。
「ケイ」
 あたしが視線を下ろすと、アンジェラもあたしの隣に腰かけていた。
「彼女が持つ力、おそらくは貴女と対極に近い部分にあるわ。貴女が何もかもを破壊し尽くす力であるなら、彼女は存在をそのままに維持しようとする力。『再生』の起源」
「再生、ね」
 それでか。あたしの剣が止められたのは。
 あいつはあたしが斬るそばから再生していた。だからあたしの剣では殺しきれなかった。それでも殺そうと、本気の一撃は止められなかった。
 つまり、起源の力をより引き出しているのは、あたしの方。
「種がわかればなんて事ないわね。んで、答えは出た?」
 アンジェラはこくりと頷く。そっと、あたしの頬に手を伸ばす。
「ケイ。私の眷属」
 小さな指が、そっとあたしの頬をなでた。
「貴女は殺す力を持っている。類まれなる力」
「ま、こんなんがぽこぽこいちゃ、たまったもんじゃないわね」
「ふふ、そうね」
 そっと笑み、アンジェラは指を離した。
「お願い、ケイ。彼女を殺して。彼女は、私が手を出せないほどの殺意に飲まれてしまっている。今の私に彼女を救う事はできない。かといって、私では殺す事もできない。だから」
「ん、わかった」
 あたしはゆっくりと立ち上がった。アンジェラの視線があたしを追う。
「今の彼女は狂ってしまっている。一目でわかるほどに。今の彼女は、私が知っている彼女とは、根本的な部分が変質してしまっている」
「大丈夫よ、アンジェラ。あたしを誰だと思ってるの?」
 あたしは破壊。八番目の眷属、破壊の起源を持つ者、『死徒』志野ケイ!
「あたしに殺せないものはないわ」
「頼もしいわね」
 チリン――
 アンジェラが腕を振るうと、鞘に収まった剣が現れた。いつもの宝剣と似ているけど、宝剣に鞘はない。
「これは、私が貴女のためにできる唯一の事」
 あたしは渡された剣を引き抜いてみた。
 アンジェラの持つ剣に似た、それでいて明らかに違う剣。その刃には文字が刻まれていた。
 ――“Angel Favor”
「エンジェル、フェイバー?」
「お願い、ケイ。私の想いがその刃に込められている」
 あたしはしばし自分の手にある剣を眺め、そして、鞘に収めた。
「じゃ、行ってくる」
 鞘を腰に紐で結わえつけ、ぐっと四肢に力を込めた。

 あたしはレティシアがどこにいるのか、どういう生活をしているのか、そんな事はまるで知らない。だけど、レティシアがどこで、何をしているのか、それだけは予想がついた。
 あたしの進路は決まっていた。
 目的地に到着し、あたしは地に降りる。実体化し、条件を全て揃える。
 夕暮れ時。まだ日は出ているというに、公園には一人を除いて人の姿はなかった。まるで、これから先に起きる出来事を知った誰かが吹聴してまわったみたいに。
 それは、あたしにとっても、あいつにとっても好都合な出来事なんだと思った。
「また会ったわね、レティシア」
 レティシアは石剣を手に待っていた。待ち人は、あたしだ。
「あんたは、アタシがここにいれば、必ずやって来るって思ってた」
「あたしも、ここに来ればあんたと会えるって思っていたわよ」
 これ以上、お互いに話す事なんてなかった。
 レティシアは石剣を、あたしはアンジェラに貰ったエンジェル・フェイバーを構える。鞘から引き抜いた剣は、十年来の友達みたいにしっくりと手になじんだ。
 飛び出したタイミングは、同時。
 振り上げた剣がフランベルジュとなるのを、あたしはスローモーションで見ていた。同じように、あたしは握る剣に力を込める。
 激突。互いに剣筋が通らず、弾かれる。
「ふッ!」
 飛び来るナイフ。懐から居合抜き。いつもの握りで作った剣で弾く。そうして、右手の剣を改めて握り直し、
「そらぁ!」
 二合目、それもまたすぐに離れる。
 レティシアはあたしと切り結ぶのを嫌がっているようだった。それもそのはず、あたしの本気の一撃はレティシアの『起源の力』を上回るのは目に見えている。再生速度が追いつかない以上、レティシアが本気で切り結ぶ事はありえない。
 だからこそ、あたしは攻める。攻める。攻める。
 引いては駄目。離れれば、あたしの剣は彼女に傷を負わせる事ができない。とにかく近づき、あたしの全力の斬撃を加える他に、勝ち目はないのだから。
 離れようとするレティシアと、追いすがるあたし。鬼ごっこにも似た剣舞は、火花を散らしながら互いの体力を削る。
「なんで実体化したわけェ!? 霊体のままの方が有利だったろうにね!」
「冗談! あんたにはこんくらいのハンデが必要でしょ!?」
 今のレティシアの体力もパワーも、人間のそれとは違う。それは、死導者のあたしに付いてこれる時点で明らか。
 となれば、あたしは霊体のままで戦うべきだった。いかに肉体が死導者に近いと言ってもレティシアは飛べないし、空間も渡れない。あたしは飛べるし、いざってなれば空間を渡る事も不可能じゃない。
 それでも、あたしはレティシアと同じ条件で戦いたかった。そうでなければ、あたしはあいつを殺せる気がしなかった。
「あんたこそ! 本気でやったらどう!?」
「どういう意味さッ!」
「神器の力、こんなもんでおしまいなわけないでしょうがッ!!」
 あえてレティシアを力一杯に弾き、お互いに距離を置く。
「出しなさいよ、全力。そうでなきゃあたしはあんたを殺す意味がない」
「……言ってくれるじゃない」
 レティシアはフランベルジュを横に構えた。例の十字架のような構え。
「いいよ、あんたも死導者である事に変わりはない。強さは認めるよ。だからってアタシは負けない負けられない殺すまではァ!!」
 どこからか、生が湧いてくるようだった。
 レティシアがまとう気配が強くなる。明らかに、生の総量が増えている。
 エネルギーを生み出すなんてふざけた真似ができる存在を、あたしは二人しか知らない。それを、レティシアもやっていた。ただ、これはあいつの能力じゃない。
 これが、神器の力。
「ひ、ふ、み」
 レティシアの首と足首が光る。そこに、布切れみたいのが浮かび上がった。
「よ、いつ、む、なな」
 続いて耳と手首。両耳のピアスと、両腕のリングが光っている。
「や、ここの」
 腰の左右。円形の光を放っているのは、何だろう。
「たり」
 そして、剣が光る。
 それは、レティシアの体を覆う魔法陣みたいだった。ひとつの完成形だ。綺麗ですらある。
 そう、醜悪なほどに、綺麗だ。
「ふるべ。ゆらゆらとふるべ」
 術式が、安定する。
 あたしは術、なんてのはさっぱりだけど、それがわかった。それほどに顕著な変化だった。
「一から三で器を作り、四から七で力を満たし、八九で増幅させ、十で全身に満ち足りる」
 レティシアの歌うような言霊。それも、終わる。
「十種の神宝。伊達じゃないっての、見せてやるよォ!!」
 悪夢のような悪魔が、吠える。



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