必要としてくれる何か。
 誰かに必要とされているから、活きていられる。
 生きるだけでなく。


「君が佐藤君?」
 校門近くで声をかけてきたのは、知らない女子だった。
「あー、まあ、そうだけど」
 佐藤は俺だけじゃないけど。
 この名字で最も困る事は、自分が呼ばれたのか呼ばれていないのか、いまいち判断つきにくい事だと思う。
 帰りがけ。まだ放課後の早い時間だけあって、生徒の姿もちらほら見える。そいつらがこっちをチラチラと見ているのが恥ずかしかった。
 だというに、この女子はそんな視線にまったく気付いていないのか、平然としている。ある意味でたいしたもんだ。
「えーと、あたし二年三組の中西っていうんだけど」
「中西、先輩」
 なんだ、先輩か。そういえば、なんとなーく見た事があるような、ないような。やっぱない。
 俺は部活に入っていない。そのせいで、先輩に知り合いはいなかった。
 中西先輩はやけにきらきらした目で俺を見ている。
 言いたい事じゃないが、俺はこういう目で女子に見られた事がない。だからこそ、喜びより戸惑いが先に立った。
「佐藤君、バンドやろう!」
「……お断りします」
「よしじゃあまずは部室に行こうか!」
「話とか聞いてますか!?」
 たった今、断るって言ったばっかなのに!
 と、先輩は何故だか自慢げな顔で、
「いいかな、佐藤君。勧誘というのは相手の意見を聞いていたら不可能になってしまうのだよ」
「相手の意見を聞かないで連れていくことを拉致または誘拐って言うんですよ!」
「失礼な。あたしは年下趣味じゃないわよ」
「だったらほっとけ!」
 無駄に疲れる人だ。
 関わり合いになりたくないという気持ちの強さから、俺の足は自然と学校の外に向く。けれど、中西先輩はそれを許してくれそうになかった。
「お願い、本当に困ってるのよ。ちょっとだけでいいの、ね? 話だけでも聞いて!」
 手を合わせ、本気でお願いをされてしまうと、なんだか断りにくくなってくる。
 俺はあえて深々とため息をつき、
「わかりました、部室に行けばいいんですか?」
 幸いなのか狙ったのか、俺は帰宅部。今日は特に帰ってすることもない。
 俺の提案に中西先輩はやけに顔を輝かせ、
「ホント!? ありがとー! 助かるっ!」
 ――まだ、何をするとも言ってないし聞いていないんだけど。すでに先輩の中では、俺の行動は決められてしまったらしい。
「はぁ……」
 今度こそ、本気でため息が出た。

 連行された部室は、他の部室や教室とは離れた場所にあった。
 ウチの学校は、廃部となった部活が多い。数年前だかにやけに積極的な生徒会があって、たくさんの部活が量産された名残らしい。
 たくさん並んだ空き部屋の奥。部屋の中は普通の教室の半分くらいの広さしかなく、置いてあるものと言えば教室で使うような机がひとつと椅子がいくつか。そして、おそらくはメインであろう、教室の雰囲気とはあまりに不釣り合いな楽器。
 そう、楽器だ。
「バンド、ね」
 ギター。ベース。ドラム。キーボード。
 どれも一目で中古とわかる品々だけど、手入れはきちんとされているし、そんなに悪いものじゃなさそうに見える。学生のバンドならこれでも十分以上だ。楽器は高い。
「おー、本当に連れてきた」
 教室にいたのは、二人。
 どちらも見た事はない女子生徒。おそらくは先輩だろう。適当に頭を下げ、部屋に入る。
「そっちが山中でこっちが武井。山ちゃんはドラムで、武ちゃんがキーボードの担当なの」
「中西先輩は?」
「ベース。というわけでギターがいないわけなのよ」
 中西先輩は部屋の隅に置いてあったギターを手に取ると、はい、と俺に手渡した。
「というわけで君がギター担当ね。大会は月末だけど君なら大丈夫でしょ? さー練習するよ、練習!」
「色々と待って下さい」
 俺は何一つ承知していない。
 俺は話が通じない中西先輩を捨て置き、残る二人に視線で助けを求めてみた。山中先輩と武井先輩は顔を見合わせ、
「また強引に引っ張ってきたわけ? 武ちゃん引っ張って来た時も星ちゃん引っ張って来た時もそうだったねー」
「だってさ、細々とお願いして断られたら時間の無駄じゃない?」
 二度手間という言葉は知っているのでしょうか先輩。
 山中先輩は俺の方に向き直り、
「ごめんね。でもさ、マジで時間もないのよ。さっき言ったように、今月末に大会があってね。本当は正規メンバーいたんだけど、右腕を骨折しちゃって演奏できそうにないのよ」
 ギターを片手で演奏するのはまず不可能だろう。俺は軽く頷く。
「それで、代理に俺に入って欲しいって事っすか?」
「そういう事。ギターできる人ってそんなに多くないしさ、誰かいるかーってあちこちで話を聞いて、佐藤君ならできるって聞いたのよ」
「誰っすか、そんな事を言ったの」
 俺がギターをやっていたのは中学の頃。高校は私学を選んだので、当時の知り合いは本当にちょっとしかいないはず。なんとなく、バラした奴が誰だか特定できた気がした。
「ね、佐藤君。今月だけでいいからお願いできない? 今から出ませんって言うわけにもいかないし、それに、あたしたちも出たいのよ」
「それは、正規メンバーじゃない俺なんかを入れてでも、ですか?」
 バンドは一人じゃない。みんなで息を合わせる事は不可欠だ。
 仲良しのメンバー同士ならそれもいいだろう。だけど、知りもしない後輩を無理やりに引き込んで、それでも演奏するっていうのなら、一体感が得られる可能性は低め。良い演奏にはなりにくいだろう。
 そこまでして、大会なんて出るものじゃない。
 見たところ、山中先輩は中西先輩に付き合っているだけって感じがした。武井先輩に関しては言わずもがな。
 おそらくは、そこまでのやる気があるのは中西先輩だけだ。それなら、我慢すればいい。
「別に音楽祭なら来年もあるでしょう。チャンスは今年限りってわけじゃないんだから、無理に今年にこだわらなくてもいいんじゃないですか?」
「うーん、それがそういうわけにもね」
 山中先輩は肩をすくめ、
「来年は受験だし、十二月の音楽祭って出られないと思うのよ。だから、今年がラストチャンス」
「ああ……」
 そういえば二年だって言っていたっけ。自分の事ではないだけに、あまり関心がなかった。
「もーうあちこちで断られてさー、本当に時間もないし、佐藤君しかいないの! お願い、一度だけでいいから! ね、ね!?」
 拝み倒す勢いの中西先輩。その姿を見る俺の心は、冷えていた。
「お断りします」
「えー!? なんで!?」
「ギター、やめたんで」
 もう、やめたんだ。ギターは。
 やっていても、苦しくなるだけだったから。
「やめててもいいからまたやって!」
「まあまあ、そう無茶を言うなってー」
 中西先輩の肩を抱き、山中先輩は抑え込む。ジタバタと暴れる中西先輩と、それをなだめる山中先輩。いつもそういう二人なのだろう、その姿はしっくりとくる光景だ。
 そんな中、ずっと黙りこくっていた武井先輩がすすっと俺に寄って来た。
「何か理由があるんでしょ? ギターやめた理由。それも、あんまし言いたくないような」
「……ええ、まあ」
 態度を見ればそのくらいはわかるだろう。いや、わかってなさそうな人もいるけど。
 武井先輩はくすっと笑い、
「私は中ちゃんに付き合っているだけ、だけどさ。それって、付き合いたくなる理由があるって意味でもあるんだよね」
「俺にはありません」
「うん、そうだろうね。だからさ、たまにでいいから、この部室にも来てみてくれない? 演奏しなくていいから」
 それで良い側面を感じろって事か。
 ――バカらしい。
「ここに来たら誘われるに決まってんでしょ? そういうの、うっとうしいんで」
「クールねぇ……、女の子のお誘いだってのに。そういうのが恥ずかしい年頃?」
「違います!」
 力強く言い切り、俺は部室を後にした。

 家に帰ってちょっと調べてみると、中西先輩たちが言っていた音楽祭の情報は簡単に見つかった。
 地元主催の、決して大きくはない大会。いや、大会と呼ぶにもおこがましいような代物だ。
 だけど地元のバンドは割と出るみたいだし、街おこしイベントの一環ってものなんだろう、出場すれば否応にも目立つ事は予想できた。
「やっぱ、駄目だな」
 パソコンの電源を落とし、俺はひとりごちる。
 目立たなければいい、ってもんでもない。だけど、目立つのは嫌ってのがある。
 地元の音楽祭なら、あるいは中学の知り合いも来るかもしれない。それは好ましくなかった。せっかく私立に行ってまで別れたんだ、いまさら、顔を合わせたくなんかなかった。
「付き合いたくなる理由ねぇ……」
 そんなもの、あるだろうか。
 俺には、想像もできなかった。
 ギシリと軋む椅子。見上げる自室の天井はあまり綺麗ではなかった。
『お前たちは何で音楽やってんだ?』
 友人の何気ない質問。その回答こそが、俺の手からギターを奪った。
 俺の理由は、他の人とはあまりに違いすぎていた。
 バンドで大切なのは一体感。息を合わせる事。
 けど、それから俺は合わなくなった。どんなに練習をしても、心のどこかで、自分は他の人と違う目的だって思うと、集中する事ができなかった。
 結局、俺はバンドを、さらにはギターまでもやめてしまった。
 今の俺に、バンドなんて、できやしない。
 ボーっと、何をする気力も起きなくて、ただ天井を見つめる。静かな部屋。外の音が遠くなり、
 チリン――
 内の音に体が目覚めた。
 首をめぐらせ、その正体を探し、気付く。
「こんにちは」
 鈴付きの腕輪を揺らす、小さな女の子。
 夜空色に包まれた、大人びた雰囲気を持つ女の子が、俺の事を見つめていた。
「……は?」
 状況が飲み込めない。
 どうして俺の部屋に、女の子? どこから入った? 誰?
 とりとめのない疑問、聞くべき事が山のように浮かぶのに、口をついて出る事はない。不思議な、夢でも見ているような感覚。
「私は、アンジェラ。アンジェラ・ウェーバー」
「アンジェ、ラ?」
「そう。見ての通り、人ならざる者。そう言っても、理解はできないでしょうね」
 人ならざる。
 荒唐無稽な言葉なのに、やけにこの女の子にはしっくりと来る。人ではないと、本能のような部分が告げている気がする。
 アンジェラはさして広くもない俺の部屋を横切り、目の前に立つ。
 そうして改めてみると、その瞳の紅が強く印象に残った。
 アンジェラは小さな手を伸ばし、俺の胸に触れた。
「貴方は今、生きている」
 どくんどくんと、心臓が脈打っている。その音が聞こえてくる。
「でも、それを感じている?」
「……ッ!」
 そっと手を、体を離し、アンジェラは口元に笑みを浮かべた。
 チリン――
「貴方の持つ弱さ、それは人として誰もが持ちうるもの。そう、誰でも、貴方と同じように悩む事もあるの。この国は、生きる事そのものは難しくない。けれど、活きる事は難しいかもしれない」
「な、何の、話だよ……?」
「問いかけてみなさい。人は孤独では活きられない」
 ふっと、女の子の姿が掻き消えた。
「!?」
 慌てて部屋中を見回すが、どこにも女の子の姿はなく、隠れるような場所も見当たらなかった。
 チリン――
 鈴の音色だけが、女の子がそこにいた事を示すように響いていた。



次へ  戻る