望まれない事をするのはお節介だ。
 なら、僕は……、お節介だろう。
 それでいい。お節介でも、放っておけないから。



 僕が足を踏み入れたその山は、どこか他の山と雰囲気が違うように思えた。
 少し前に流行していたパワースポットという場所に近いのかもしれない。ここだけ空気が澄んでいるような、妙に冷えているような、そんな感じ。
「ここが、ねぇ」
 僕の隣で、ジーンズにシャツというラフな格好の女性が言う。
 僕は無言で頷き、山に分け行った。
 道というものはない。地元の人いわく、猟師でさえなかなか入らない場所なんだとか。それは獲物がいないという事もあるし、それ以上に、この山の持つ特殊な雰囲気にあてられての事なんだろう。
 木の根を飛び越え、枝を払い、道なき道を進む。僕の後ろから声がした。
「本当にこんなとこに君の知り合いがいるの?」
「知り合いじゃないですよ。でも、辿ると……、ここなんです」
 そう、ここなのだ。彼女が訪れたであろう場所は。
 この場所を見つけたのは、実は僕ではなかった。僕の友人(と言ったらたぶん向こうは怒る)が、独自の手法で見つけた場所だ。
 町のあちこちに彼女たちは出没する。それはいつもの事。なにせ、彼女たちの目的とは、人を救う事にこそある。誰も頼る人がおらず苦しむ人、明確な道を見いだせず絶望する人、何を正しいと言っていいかもわからなくなった迷い人。そういう人を導く事こそが、彼女たちの常だ。
 だけど、その理論で言うならば、この場所は確かにおかしい。こんなところに人が住んでいるはずもないし、彼女たちが目的を持って訪れない限りは、ここに来る理由は何もない。
 となれば。きっと、ここには何かがあるはずなんだ。僕たちが知らない何か、そのきっかけ。手がかりが。
 この場所を見つけた友人は、ここには行けない、と言った。その理由は、君ならば行けばわかる、と言っていた。その理由、今の僕には、なんとなくわかっていた。
 山の奥の奥まで進むと、そこに祠があった。いや、おやしろ……、かな?
 こんな場所にまで手入れに来る人がいるとは思えないような場所。なのに、そこに鎮座するちっちゃなおやしろは、つい昨日にでも掃除したばかりのように綺麗だった。
「後ろ」
「ん?」
 おやしろの後ろからひょっこりと何かが覗いている。ひょい、と後ろを見ると、なんとまあ、狐が寝入っていた。警戒心とかないんだろうか。
 などと思いつつ狐を眺めていると、ふっ、と目覚めたのか、顔を持ち上げこちらを見た。
 不思議な瞳の色をした狐だった。瑠璃色、とでも言うのだろうか。若干の濁りがある、濃い赤身の青。僕は狐なんてあまり見た事はないけど、綺麗な色だ、と思った。
 狐は僕の顔をじっと見つめ、
「なんじゃ? 人間の客人とは珍しいの」
「いッ……!?」
 しゃ、べった。狐が。人間の言葉を。
「ん? お主、言葉を交わす動物は初めてかの。そう驚かんでもよかろ、おばけの方がよほど怪異じゃ」
 からから、と笑い、狐はひょいとおやしろの前に跳んだ。
 ぽん、と尻尾で石畳を叩き、
「さて。あての縄張りに入ったからには名乗って貰おうかの。お主ら、名前はなんという」
 僕は連れと顔を見合わせ……、名乗る事にした。しゃべる狐には驚いたけど、相手が名乗りを要求しているのに断る理由もない。
「僕の名前は、遠藤紅葉。くれないの葉っぱ、と書いてクレハさ」

 狐は自分の事を瑠璃と名乗った。瞳の色からきているのだろう、その名前は、彼女(?)に似合っているように思えた。
「ほう。では、お主らはアンジェラの知り合いか」
「やっぱり、アンジェラの事は知っているんですね」
 なんとなく逆らいがたい雰囲気があって、狐相手なのに僕は丁寧語を使ってしまっていた。でも、よくよく考えれば、相手が狐だろうが猿だろうが、僕と比べて上下関係があるわけじゃない。丁寧語で接するのは当然の事なのかも。
「もちろんじゃ。日本における事で、あてが知らぬ事はそう多くない」
「言うねぇ。そんじゃ、アンジェラたちの行き先とかその目的とかも知ってるわけだ」
 僕はちらりと隣に立つ所長を見た。僕の連れは、僕が勤める調査事務所の所長でもある。幼い頃から超常的な存在によく触れていた天野所長は、こうした言葉を交わす存在を見ても、動揺したりはしなかった。
「知ってはおる。じゃが話すわけにはいかんな」
「なぜ?」
「あの子らがそれを望まぬじゃろうというのがひとつ。何より、あてはお主らを認めているわけではないからの、狐は対等と認めた相手にでなければ協力はせんのじゃ」
 からから、と笑い、瑠璃さんは僕の瞳を覗き込んだ。
「じゃが、あては狐であって鬼ではない。お主に可能性をやろう」
「可能性、ですか」
「そうじゃ」
 ぽん、と瑠璃さんが尻尾を叩くと、尾が割れた。
 ずらりと居並ぶ尾の数、九本。
「紅葉、お主の目ならばこれが見えるはずじゃな。あての自慢の尻尾じゃ」
「僕のなら……、ってことは」
 僕は隣を見た。天野さんは、能力的にはあくまで普通の人だ。
「何も見えないわね。ただの尻尾に見える」
「それはそうじゃ、あての尻尾はある程度の霊格がなければ見えぬ」
 ふむ、と瑠璃さんはうなり、
「やはり見えるんじゃな。お主のまなざしにはなにやら不思議なものが垣間見える」
「まあ、僕の霊的な何やら、っていうのは……、要するに目が全てなので」
 僕も昔は、ただおばけが見えるだけの人だった。アンジェラたちと出会い、成長し、今では簡単な退魔もどきができるようになったけど。
 僕の全て。それは、この目から始まった。
「実はの、霊的に強い力を持った人間なんてのは、そう珍しくはない」
「そうなんですか」
「うむ。そんなものは何十年かに一度は生まれてくる。じゃが、お主はそれだけではない。そうであろ?」
「そう、かもしれませんが」
「はっきり言うてしまえば、お主は特別じゃ。マリアに近いものを感じる。つまりは、お主もまた『先を逝く者』ということじゃな」
「それは、マリアにも言われました」
 僕はいずれ、死導者になる。それが、彼女たちの予言だった。
 僕の持つ力は、僕が望むと望まざるとに関わらず、特別なものらしい。それも破格なほど強く、純粋なその力の強さだけならば、僕はいずれ死導者にもなれる器――なんだとか。
 正直、実感はあまりない。それは僕がまだそこまで至ってないせいかもしれないし、単純に僕の性格なのかもしれない。
「ふむ」
 瑠璃さんは九つの尻尾をふりふりと揺らし、
「お主が特別なのは、ようわかった。じゃが、それだけで認めるわけにもいかんの」
「どうすればいいんですか?」
「どうすればいいと思う?」
 まさに、試すような眼差しを向けてくる瑠璃さん。これが、認めてもらうための試験、なんだろか。
 とはいっても、さすがの僕も動物の知り合いはいな……いこともないけど、あんまりいない。狐の考える事を考えろと言われても難しい。
 だから、瑠璃さんについて考えてみた。
 彼女は狐だ。それも感じからして、すごく古い。人間の言葉を理解しているだけじゃなく、どうも、動作に人間くささみたいなものを感じる。言うなれば、狐の形をしている人、とも受け取れなくもない。
 あるいは、瑠璃さんも以前、人間と時間を共に過ごしていたのかもしれない。少なくとも、こんな人里から離れた、誰も訪れるはずもないような場所で、人間のような雰囲気を身につける事は不可能に思えた。
「……あ、そうか」
「ん?」
「あ、いえ。だから、悲しそうなのかな、って」
 瑠璃さんの瞳が細くなった。
「どういうことじゃ?」
「え? いや、だって、目を見たらわかりますよ」
 若干の濁り。青色を汚す、黒い何か。
 それは、心の色だ。何かに捉われていて、悲しくて。それが払えないから、瞳に映る。揺らぐ。
 人は、目を見れば大抵の事はわかってくる。瞳が魂に最も近い場所だと、僕はこの眼を持って知った。
 瑠璃さんの濁りに危険な様子はない。言うなれば、捨てる事はできない壊れた玩具、とか。そういう感じ。
 瑠璃さんはじっと僕を見上げ、やがて、ほぅ……、と深く息を吐いた。
「なるほどの。アンジェラやマリアが認めたのは、能力だけではないという事か」
「……?」
「あての目を見ただけで理解したのはお主だけじゃ。アンジェラとて、そこまでは見抜けん」
 後ろを見る。当然と言うかなんというか、天野さんは首を横に振った。
「まあわかるわきゃないよね。人生経験的にわかる事はあるかもしれない、でも、それも自分より年上の相手にそうそう通じる事でもないし」
「そういう事じゃ。それを、見ただけ? ふざけた話じゃ」
 ぽん、と揺れる尻尾が、どこか寂しげに見えた。
「ふざけた、話じゃ……」
 瑠璃さんが沈黙する。僕も天野さんも、何も言えなかった。そういう雰囲気が漂っていた。
 ただ、空を見上げている。僕も真似して見上げてみた。
 上は、木々に阻まれて、空を仰ぎ見る事はできない。けど、瑠璃さんの瞳には、確かな空が映っているように思えた。
「なんとも、のう。縁じゃろうか」
「縁?」
「こちらの話じゃ。まあ、よい」
 ひゅっ、と尻尾を振る。瑠璃さんの前に、何かが浮かび上がった。
 目をこらす。それは豆粒ほどの大きさの、毛の塊だった。
「それを持っていくといい。本来は、こういう事をしてはいけないのじゃがな」
 毛を受け取る。小さいのに、暖かな感触がある。ほんのりと熱を帯びているようだ。
「それはあての尾毛じゃ。それが導いてくれるじゃろう。それで満足じゃろ? ほら、行け」
 ひょいひょい、と僕らを追い払うように尻尾を振り、瑠璃さんは寝ころんでしまった。何も言わない、と宣言しているように見える。
「行こう、遠藤君」
「はい」
 ぎゅっと豆粒大のお守りを握り、瑠璃さんに頭を下げ、僕は天野さんと共に下山した。
 遠く、狐の声が、僕を励ましているような――そんな気がした。



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