僕は生きた人間だ。
 幽霊の気持ちも理解できるし、いざとなれば戦う事もできる。
 それでも僕は人間なんだ。



 それは、ある晴れた日の事だった。
「くー、ここ行こう、ここ」
「……はい?」
 ベッドで寝ていたと思ったら先輩の顔が目の前にあった。
 真理先輩には合鍵を渡してあるし、奇行は割といつもの事だけど、さすがに状況が理解できなかった。
 頭が少しずつ追いついてきて、疑問も沸いてくる。
「なんですか、いきなり……」
 寝ぼけた頭を覚ますように顔をこすり、先輩が突きつけているものを手に取る。
 それは女性向けの雑誌だった。先輩が開いているページは遊園地の紹介記事で、おばけ屋敷について書かれている。
「はあ、おばけ屋敷、ですか」
 記事を読むと、なにやら最新の設備による、凝った造りの場所らしい。そういえば、僕も何かで人気のおばけ屋敷がある、と聞いた事がある。これの事だったんだろうか。
「よし行こう、準備して」
「先輩、寝ているところを叩き起こしておいていきなりそれですか」
 時計を見ると、まだ七時過ぎだった。いくらなんでも早すぎないだろうか。
「ほらほら、いい若いもんが休みの日に家でごろごろしてちゃ勿体ないでしょ! だいたい、最近のくーは忙しくて構ってくれないんだから、たまには遊んでくれてもいいじゃないの」
「確かに今日は僕もお休みですけど、いきなりそんな事を言われても」
「昨日の夜に思い立ったからいきなりじゃないよ」
「僕が言われたのはいきなりですよ!?」
 先輩の思考ルーチンはたまにわからない。せめてメールくらいしてくれれば、僕も準備を済ませておいたのに。
「あ、朝ごはんは私もまだなの。だから後で一緒に食べよう」
「はぁ……。じゃ、ちょっと待っていてください。さっさと準備しちゃいますから」
「うん」
 ……。
「先輩。とりあえず、僕も着替えたいんですけど」
「あ、お構いなく」
「構います! 少しの間でいいんで外で待っていてください!」
「えー」
 文句たらたらの真理先輩を外に追い出し、僕はため息をつく。
「はぁ、なんで僕の恋人はあんな風なんだろうね」
 惚れた弱み、なんだろうか。なんだかんだと言っても、僕は先輩の頼みは断れない。
 今はどちらが依存しているとも言いきれない関係だけど、もともとは僕が先輩に惚れたいきさつがある。紆余曲折を経てお互いに貸しも借りもあるし、そんなのはもはやどうでもいい事かもしれないんだけど。
「とりあえず着替えようかな」
 今日の服装をざっと頭の中で考えつつ、僕は動きだした。

 真理先輩と朝食を済ませ、遊園地に到着したのは、ちょうど開園時間になる頃合いだった。
 平日のせいか、お客の姿はそこまで多くはない。入園料を支払って中に入ると、遊園地お決まりのアトラクションが並んでいた。家族連れの人がいるけど、学校はどうなっているんだろう。
「で、どこから行きますか?」
「んー、いきなりおばけ屋敷メインってのも勿体ないしー、他のアトラクションとかまわってみようか」
「……。ちなみに、そのおばけ屋敷ってそんなに怖いんですか?」
「らしいね。なんでも、元気な人が、出てきた頃には魂が抜けたみたいになってるんだって」
「そんなに?」
 なんか、さすがにちょっと怖くなってきた、かも。
「何を言ってんの。くーはおばけが見えるんだから怖がる必要とか別にないじゃない」
「そういう問題じゃ」
 まあ、おばけが見える特異体質は今に始まった事じゃないけど、それはそれとして怖いものは怖い。なんというか、ああいうものって根源的な恐怖をあおる気がする。
「そういえば、先輩はおばけが見えない割に怖いものが好きですよね」
 おばけが見える人で怖いものが好きって人にはまだ会った事がないけど。
「女の子は怖いのが好きなもんじゃない?」
「さあ。先輩以外の人と付き合った事、ないですし」
「あ、そうなんだ」
「前に言いませんでしたっけ?」
「初耳」
「じゃ、そうです。もともと、僕ってそんなにモテるタイプじゃないですしね」
「へーえー」
 じーっ、と先輩が僕の事を見つめてくる。ん、何か失言したかな?
 思い返すけど思い当たる事は特になく。
「くー。女の子と接触禁止」
「それはさすがに社会生活に問題が出るんですけど」
「じゃ、もうちょっと自覚を持ちなさい。くーに救われる人は多いの、男女問わず。経験の少ない女の子なら、そのまま恋に落ちてもおかしくないくらいにね」
「そんな大げさな」
「私もそのひとり。それでも大げさ?」
「む……」
 それを言われてしまうと弱い。反論ができなくなる。
「それは、くーにとっては当たり前の事なのかもしれない。そうすべきだって思ったからするんだろうし、ごく自然な風に誰かの隣に立てるのはくーのいいところだと思うよ。でもね、もう少し注意して欲しいの。それ、すっごく罪つくりな事なのよ?」
「はあ、考えておきます」
「よーく肝に銘じておきなさい。女の子を勘違いさせちゃうと、最後に苦しいのはお互いなんだからね」
「何があっても、僕は先輩しか選びませんから」
「人に絶対はないの」
 でも、と先輩は僕の額をこつんと叩いた。
「その言葉は、ありがたく受け取ってあげようかな」
「ありがとうございます」
「ふふ。というわけで、まずはこれね」
 いつの間にか、僕は先輩に先導され、アトラクションの前に立っていた。縦長の塔みたいな形をしたアトラクション。
「先輩。これ」
「よーしまずは落下だー!」
「いきなり絶叫系ですかー!?」
 いや、そりゃ遊園地のアトラクションなんてこんなんばっかだけど!
 遠雷のように聞こえていたはずの絶叫が急に耳に届いてくる。なんというか、半端ない絶叫具合なんだけど!
「ちなみにここのフリーフォールは自由落下より早い速度で落ちるのが自慢なんだって。楽しみね」
「わざわざ加速させる意味がわからなうぐっ」
「男がごちゃごちゃぬかさない!」
 先輩に首を引っ張られ、僕はフリーフォールに突撃する。

 直後、死にかけた。

 午前中はあちこちの絶叫マシン巡りをさせられ、ふらふら状態で昼食タイム。
 でもって、とうとうそこにやって来た。
「ここかぁ」
 それは真新しい感じのおばけ屋敷だった。洋館風の建物で、窓の感じからして二階もあるんだろう。見た目にはなかなかの作りで、どうやったのか、表面のレンガはくすんだ感じだし、本物らしいツタまで絡みついている。
 入っていく人は、圧倒的にカップルが多かった。他のアトラクションより人気があるように見えるのは、やはり雑誌に紹介されたからだろうか。女性同士の連れもちらほら見られた。
「ほら、並ぼ」
「は、はあ」
 正直、僕はこの手のものはあんまり好きじゃない。おばけが見える、つまり幽霊が実際に存在する事はわかっている。でも、僕にとっての幽霊ってのは死んでいるだけのただの人で、要するに怖いものじゃない。だけど、おばけ屋敷はそういう常識も話も通じないぶん、どうしても気後れしてしまう。
 そんな僕の思惑をよそに、列はどんどん進んでいく。中から出てきた人の顔を見ていると、なるほど、たまげたとはこういう顔の事をいうのか、というくらい誰もが唖然としていた。
 活発そうな人でさえその調子になるほどのアトラクション……。どうなっているんだろう。想像していると、余計に恐怖が増してくる。
「お、そろそろかな」
 ここは他よりも混雑しているとはいえ、どこぞの有名王国じゃない。行列も、並んでいればすぐに自分の順番が来てしまう。
「ちょ、先輩、僕はまだ心の準備とか」
「そんなの中に入ってからしなさい!」
「それじゃ準備の意味がっ!?」
 係の人は無情にも僕らを案内してしまう。先輩はノリノリで僕を引っ張っていった。
 覚悟を決めて中に入ると、入り口は玄関ホールらしい場所だった。ただのおばけ屋敷にしては、本当に凝った造りだ。まるで本物の家みたいに見える。
 全体的に部屋は薄暗く、見渡す事ができないようになっている。どこからともなく聞こえる笑い声みたいなものは……、気のせいという事にしておこう。
「こっちね」
 薄暗い中、浮かび上がって見える手が指し示す方向に向かう。というか、あの浮かんでいるように見える手が普通に怖い。
 先輩は平気な顔で進んでいってしまう。ホールにあった大階段をのぼり、
「――ッ!」
 ガシャアン! と巨大な音が響いた。振り向けば、シャンデリアが落ちている。戻り道はない、という意味か……。
「な、なんだかすごい仕掛けね」
 先輩も若干、ひきつっていた。僕の腕をしっかりとつかみ、さらに進む。
 二階は通路が左右に伸びていた。指は右を示している。そして、そちらには入ってくれと言わんばかりに開いた扉が。
「行く、んですよね?」
「当然。ほら」
 廊下を進み、部屋に入ると、なかば予想していた通りに扉が閉まった。
 ここは書斎らしい。書き物机と椅子、左右には本棚。正面には大きな額縁が飾ってある。
 額縁の中にはひとりの男性を描いた絵が飾ってあった。この家の持ち主という設定なんだろう。白髪の、えらく陰気な顔をした男性だった。
『ようこそ、我が屋敷へ。招かれざる客人よ』
 どこからともなく声が響いてきた。先輩が僕の腕を握る力を強くする。
『ここが我が屋敷と知っての上での狼藉、寛大な私も見逃すわけにはいかん。君たちは決して帰しはしない。この屋敷に巣くう亡霊たちの仲間入りをしてくれたまえ』
 ギギギ、と本棚が動きだした。その裏には空洞。抜け道という事か。
「帰さないっていうなら、この場でどうこうしちゃえばいいのに……」
「くー、面白くない事を言わないの」
 冗談でも言わないと怖いんです、先輩。
 暗い通路。短い廊下の先には扉が浮かび上がって見える。
 ……なんとなく、嫌な感じだな。
 その扉を開きたくない、と思わせる何かがあった。扉そのものはごく普通の木扉にしか見えないけど、もしかすると、心理学的に何か圧迫を与えるような工夫がされているんだろうか。
「行こ」
 先輩は緊張しているのか違うのか、ごく普通の足取りで先に進む。廊下を抜け、扉に手をかけ、
「それっ」
 開いた。
「……?」
 部屋は真っ暗だった。なのに、冷気が伝わってくる。嫌な感じが増した。
 なんだろう。頭のどこかで警戒音が鳴っている。何かを、見落としている?
 こんなアトラクションで見落としも何もあるはずないのに。
 さっきからずっと感じている違和感。まるでそこに誰かがいるような感じ。
 違う。いるような、じゃない。
 ――いるんだ!



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