許しがたい敵がいる。
 ならば、身命を賭して戦うのは当然の事。
 たとい、何を犠牲にしたとしても。



 ふと、喫茶店が目に入った。
 どうという特徴のない、普通の店だ。窓から覗ける店内には客の姿などなく、女性店員が一人、暇そうにしていた。
 ちょうどいい。何か食べて行こうか。
 僕が店の扉を押し開くと、カランカランとベルが鳴った。テーブル席とカウンター席がある。僕はテーブル席を選んだ。
「あ、いらっしゃいませ」
 女性店員が慌てて取り繕い、メニューを持ってくる。僕はそれをざっと眺め、
「ホットコーヒーと卵サンド」
「はい、少々お待ちください」
 店員がカウンターの裏に引っ込む。僕は手持無沙汰になり、店を見渡した。
 狭い店だった。テーブル席が二つと、カウンターに席がいくつか。木目調の落ち着いた雰囲気は、良く言えば年季が入っており、悪く言えば古臭い。
「お待たせしました」
 程なくして、コーヒーとサンドイッチが運ばれてきた。まずはコーヒーをすする。じんわりと広がる苦みと酸味。
「どうですか?」
「……まあまあ」
「ありがとうございます」
 今のを褒め言葉として受け取ったんだろうか。だとしたら、えらく能天気な人だ。
 カップを置き、卵サンドをかじる。シャキシャキとしたレタスに、なんとも言えない卵フィリングの食感が混じる。
「うちのレタスも卵も、新鮮なんですよ。毎朝、買い出しに行ってるんです」
「そう」
 店員は、相変わらず僕の脇に立ったままだった。僕は店員をちらりと見上げ、
「何か?」
「暇なんです」
「それは見ればわかるけれど」
「暇つぶしになってください」
「僕は客だよ」
「私は店員ですよ」
 そういう事を言っているわけじゃないんだけど。
 とうとう、店員は僕の向かい側に座ってしまった。相手にするのも面倒で、僕はそれを無視する。
「平日の、この時間って、本当に暇なんですよねー。もう少し遅くなると、高校生とか近所のお母様方とかいらっしゃるんですけど」
「……」
「……お客さん、無口ですね」
「君がおしゃべりなんだと思うけど」
「いいじゃないですか、おしゃべり。言葉を交わせるのは人間の特権です」
「犬猫だって、互いに意思の疎通くらいはするよ」
「あ、そうなんですか?」
 よくそれで特権などと言えるものだと、少しだけ感心した。
「――」
 その顔を見ていると、彼女の姿を思い出した。
 顔かたちはまったく似ていない。彼女はショートではなくロングヘアだったし、たれ目ではなくつり目がちだったし、エプロンではなく修道服を着ていた。
 そんな、どこも似ていないはずの女に、彼女の姿が重なって見えるのは……、何故だろうか。
 サンドイッチを食べ終え、コーヒーを飲み干すと、僕は財布を取り出しながら席を立った。
「650円です」
 財布の中から小銭を取り出し、テーブルに置く。
「ありがとうございます」
 にっこりと笑う店員を背に、僕は店を後にした。

 一ヵ月後。道を歩いていると、またあの喫茶店が目に入った。
 今日も変わらず、あの店員だけが暇そうにしている。
 ベルのついた扉を押し開くと、店員は僕の存在に気づき、にっこりと笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。今日は何にしますか」
「そんな、常連相手のようなことを言わないで欲しい」
「二度目以降のご来店は、みんな常連さんですよ」
 いたく常連のハードルが低い店だ。
 僕は前回と同じテーブル席に座り、
「ホットコーヒーと卵サンド」
「はーい、前と同じですね」
 店員は慣れた手つきでコーヒーとサンドイッチを用意し、僕のテーブルまで運んでくると、やはり向かい側にぺたんと座った。
「だから、どうしてそこに座るの」
「今日も今日とて暇なんです」
「……いつも暇だね、ここは」
「アフタヌーンティーにはちょっと早いんです!」
 確かに、中途半端な時間といえば、そうかもしれないが。
 昼食には遅く、おやつには早い。そんな、微妙な昼下がり。
 コーヒーをすする僕を眺める店員は、やはり、にこにこと笑っている。
「君は、どうしてそんなに楽しそうなの?」
「暇つぶしが目の前に座っているからです」
「僕は君のおもちゃか」
「いいですね、おもちゃ」
 あきれるほど気楽な人。適当な人、と言ってもいい。
 そんな、ちゃらんぽらんな感じは、やはり彼女と似ているのだ。
 女性店員は僕をじっ、と見つめ、
「お客さんって、前回もそうでしたけど、やっぱり何か悩んでます?」
「何かって?」
「よくわかりません。でも、少しだけ気落ちしているというか、ぶっちゃけ今にも死にそうな顔をしています」
「死にそう、ね」
 僕の口元は自然とゆるんだ。
「死なないよ、僕は」
 目標を達するまで、死ぬわけにはいかない。
 そんな僕に、店員さんはやっぱり、とつぶやく。
「あなたは、悩んでますね。普通の人は、死にそうな顔って言われて、そんなに真面目な顔で死なない、なんて返しません。笑って流すか、失礼だって怒るか。とにかく、真剣な表情では言いません」
「……それで?」
「で、何を悩んでいるんですか。店員さんに話してみてください」
「それが言いたかっただけじゃないの?」
「そうとも言います」
 やっぱり、適当な子だ。
 コーヒーを飲み干した僕は、650円をテーブルの上に置いた。
「また来てくださいね」
「もう来ないよ」
 僕は、そう言いながら、店を後にした。

 店の扉を押し開くと、カランカランとベルが鳴る。
「いらっしゃいませ。卵サンドとホットコーヒーでいい?」
 僕は何も言わず、テーブル席に座る。すると、すぐさま店員がコーヒーを持ってきた。
「もう来ない、なんて言っていた割に、結局、来ちゃうんですね」
「大きなお世話だ。常連客にそういうことを言っていいのか?」
「そんなことを言っても必ず来てくれそうなお客さんですから」
 僕が言い返さずにいると、店員は僕の向かい側で、にっこりと笑んだ。
「少し、私の昔ばなしとか聞きます?」
「興味がない」
「まあそう言わず。実はですね、私、昔、すごく不思議な体験をした事があるんです」
「僕にとっては今の君が十分に不思議だよ」
「まあまあ。あれは冬の寒い時でした。中学生だった私は、ちょうどその日、ずっと想っていた人に告白したんです。でも、失敗しちゃいました。その人には、他の学校に彼女がいたんです」
「そうか」
「そりゃもう、死にたくなるくらい落ち込みました。明日からどうやって学校に行って、どんな顔をしていればいいのか、まるでわかりませんでした。そんな時、小学生くらいの女の子に会ったんです」
「小学生……?」
「そうです。といっても、見た目は小学生なのに、明らかに異常な雰囲気がありました。迫力っていうんですかね。そして、その子は、死神って名乗ったんです」
 小学生の姿をした、死神。
「女の子は私に言いました。『羞恥に負け、そこで足を止めても、それは貴女の選択肢。けれど、羞恥を乗り越え、それを思い出に変えられるのもまた、貴女しかいない』」
 店員は頷き、
「その言葉に、私は救われました。そして、彼女はこうも言いました。『もしも貴女が自分を知ったのなら、今度はそれを他の人に分け与えて欲しい。持っている貴女だからこそ、分け与えられるものがある』」
「分け与える……」
「そうです。ですから、私、このお店で働き始めた時に決めたんです。困っている人、悩んでいる人がいたら、相談に乗ろうって。どんなに苦しい事も、他の人から見ればちっちゃな事でも、本人にとっては大きな悩みだって事、私は知っています。そして、そんな悩みを言葉にする事で、ちっちゃなものに変えられるって事も」
 店員はにっこりと笑い、僕を見つめた。
「あなたの悩み、聞かせてくれますか?」
「……」
 僕は財布から千円札を取り出してテーブルに置くと、店員を見た。
「じゃあ、僕の悩みを教えてあげよう。どうやって、その小学生を殺そうか、さ」
「――え?」
 僕は食べかけの卵サンドを残し、店を後にした。
 もうその店に立ち寄るつもりは、なかった。

 僕は、生まれた時から、金銭で不自由した事はなかった。
 両親はかなりの資産を持ち、僕自身、欲しいと思ったものが手に入らなかった事などなかった。
 そのせいだろうか、小学校を卒業する頃には、僕は何かにつれて興味を抱かなくなっていった。
 どんなものも、手に入れようと思えば手に入る。そんなものをコレクションしても、さして意味はない。ただそれが、自分の手元にあるか、他人の手元にあるかの違いだけ。
 物質的に満たされすぎた僕は、かえって、精神が飢えていたのかもしれない。
 ならば友人を作ればよかったのかもしれないが、僕は普通の人とあまりに違い過ぎていた。
 自然と孤立し、休みの日は一日中、自宅で過ごす事が多くなった。
 僕の実家は和風建築だ。今どき珍しく縁側があり、畳がある。僕はいつも縁側に座り、そこで将棋盤を前にしていた。
 その日も、僕は一人で将棋盤を前にしていた。そんな僕に、彼女は声をかけてきた。
「ねえ、それ、どうやるの?」
 見上げると、庭に見知らぬ少女が立っていた。
 修道服と言うのだろうか、紺色を基調とした、足元まで隠れるワンピースには、何故だかポケットがたくさんついていた。長い金色の髪が陽光にきらきらと煌めき――とても、美しかった。
「……将棋の指南書なら、本屋にたくさん並んでいるよ」
 知らない人間ではあったけれど、僕はその事について、疑問を抱かなかった。僕の日常にとって、知らない人間が庭にいる事は、別に珍しい事ではなかったから。
「ニンゲンの本なんか読んでも面白くないもの」
 特に許可を得るわけでもなく、少女は僕の向かい側に座った。何の香りもしない、人間としてはありえない気配に、またかと思う。
 僕は資産家の息子という側面だけでなく、もうひとつ、特別なところがあった。死者が見えるという点だ。
 両親は違ったらしいけれど、僕の先祖には、退魔師……、という仕事をしていた者がいたらしい。いわく、死者を自分の目で捉え、その声を聞き、かつ天まで葬送する仕事だとか。
 胡散臭いとは思うけれど、実際に自分の目で他人には見えない存在を見ては、否定のしようもない。
 だから、死者に声をかけられるという体験も、僕の心を動かすには至らなかった。
 僕はその時も将棋盤から目を離さず、
「人間って、君も元は人間だろう」
 そう言いながら、銀を前に進めた。対する少女は、銀の前に金を置き、言った。
「あたし、元人間じゃないよ。死導者っていうの」
「……」
 少女の言葉を、僕は理解できなかった。
 銀の前に立ちはだかる障害を除き、僕は目の前の少女を見やった。
「死導者って?」
「うーん。強いて言うのなら、死神、かな?」
「死神……?」
 それが。
 僕と彼女の、出会いだった。



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