「よう」
 思考を断ち切ったのは、聞いた事のない男の声。
 視線を持ち上げると、僕の進路を塞ぐように、一人の男が立ちはだかっていた。ネックレスやダメージジーンズといった軽薄な服装ながら、それとは反する重厚な圧――死導者か。
 振り返れば、後ろは後ろで、眼鏡をかけた女が塞いでいた。
「いいのかい? こんな町中で」
「構わねえさ。俺様は別に、人間が何をどう思おうが関係ねえ」
「そうかい。まあ、困る事はないかもしれないね」
 しょせんは人ならざる者。人の枠組みを外れて困るのは人だけだ。
「ご用件は?」
「わかってんだろ? テメエをぶっ殺しに来たんだよ」
「……死導者は人を殺さないと決めたんじゃなかったっけ?」
「よく知ってやがるな。確かに、俺様たちはマリアに、二度と人を殺すなって言われている。だから、正確に言うなら、死に至らしめるまではしない。けどな、死ななきゃ……、何をしたっていいんだぜ?」
 男の周囲に生が立ち込める。揺らぐ生は熱を帯び、やがて、炎のように変質する。
 焦熱地獄エースネット・ヘル。傲慢のルシフェルが持つ、固有の能力。
 炎を扱う退魔師は多いと聞くけれど、彼のそれは、おそらくそんなものとは格が違うのだろう。本物はあまり見た事がないから、詳しくはないけれど。
「死にさらせ!!」
 ルシフェルが炎を放つ。火線はまっすぐ僕まで伸び、
「ぬるいよ」
 それまでの間に、僕は剣を具現化し、振るう事ができた。
 横薙ぎに払った剣は炎を蹴散らし、
「わかってるよ」
 声は目の前から聞こえた。
 炎と同時に迫っていたのだろう、剣を振り切った僕の前に、ルシフェルの姿があった。
「果てろ、クソガキ」
 パチン、と指を鳴らす。直後、轟音が耳をつんざき、僕の全身は炎に包まれた。
「……」
 なるほど、戦い慣れている。最初の火線はただのオトリ、本命は自分自身が近づいて、至近距離で攻撃する事。
 その点は立派だ。だが、甘い。
「その、程度!」
 全身に活を入れる。みなぎる生が力と化し、僕を包む炎を消し飛ばす。
「ッ!?」
 自身の術式を破られ、ルシフェルは驚愕に目を開く。その隙に踏み込み、ルシフェルを蹴り上げる。
 傲慢は深追いもせず、僕から距離を置いた。
「テメエ、本当に人間かッ……!?」
「ああ、人間だったさ。君たちよりも余程」
「あなたが人間かどうかは別の機会に論ずればよいでしょう。それはどちらでもよい事ですから」
 振り返る。僕の目の前に、後ろを取っていた女が迫っていた。女は眼鏡を外し、じっと僕を見据える。
「あなたが人であろうが、なかろうが、肉を持つ、一人の生き物には変わらない。ならば、私の『目』からも……、逃れられない」
 石化の魔眼。嫉妬の持つ、生に抵抗力のない人間を束縛する力。
 だけど。
「そんなものが、僕に通じるものか!」
 捉えようとする力を弾き、僕は手にした剣を振るう。驚愕に彩られたリヴァイアの体に剣が吸い込まれ、
「ッ!」
 硬質な手ごたえと同時、僕は身をひねった。僕が立っていた場所を、剛腕がよぎる。
「ふっ!」
 真っ白な腕を切り裂き、僕は周囲に視線を配る。
 ――いた。
 ルシフェルの後方、僕の間合いの外。無表情な、どこか人形めいた女の子。そのかたわらには、あまりにも似つかわしくない、ごく普通にしか見えない男が立っている。
 口を開いたのは、男の方だった。
「ルシフェルもリヴァイアも、そこまでにしておきなよ。たぶん、勝てないよ」
「あぁ!? なんだテメエ、俺様が人間なんぞに負けるとでも言うつもりか、ええ!?」
「じゃあ、僕と戦って、今のあなたは絶対に勝てる?」
「……っ」
「ルシフェルの能力は特にそうだよ。あまりにも殺傷能力が高すぎて、殺さずに攻撃することが難しい。今だってそうだ、手加減せず、全力で仕掛けていれば、決められずともダメージは与えられたんじゃない? でも、それはできない。何故なら、そうした時に、相手を殺さない自信がないからだ」
「ちっ、うるせえな」
「わかったなら、退いてくれる?」
「……」
 ルシフェルは男をにらみつけたかと思うと、高く跳びあがり、僕の後背でリヴァイアと並んだ。
 後門の死導者。では、前門はどうだろうか。
「君は、何者だい」
「僕は遠藤紅葉。こっちはガブリエル。後ろの二人は自己紹介していないみたいだけど、今さらする必要はないですよね?」
 遠藤紅葉。……そうか、この男が。
 実際にこの男と会ったのは初めてだった。だが、僕にとって、この男の情報は嫌というほど耳にしている。
 死導者を変えた、元人間。
 生きた人の身で死導者の領域にまで至った、天才。
「……あなたは霧島万里さん、で間違いありませんね?」
「僕を知っているのか」
「調べました。ガブリエルにも手伝ってもらって。彼女、探査能力は死導者たちよりもずっと優れているんです」
 僕は何も言えなかった。先ほどの、白い人形――僕とリヴァイアの攻防に割り込んだ存在が、おそらくは彼女の能力だろう。
 だが、その正体が分からない以上、さすがに迂闊なことはできない。僕はたいていの相手に負けない自信はあるが、遠藤紅葉がいる場となると、話は少し違う。
 なんとかして逃げの手を打たなきゃ……、厳しい。
 じゃり、と僕の足元で石が鳴る。
「そう構えないでください。あなたにも理解して欲しいんです」
「僕は君と話すことはない」
「そうでしょうか? じゃあ、僕の話を聞いてくれるだけでもいいです。それに、そんなに長くはありません」
 こほん、と咳払いし、遠藤紅葉は続ける。
「……僕はもともと、鯉田匠さんを疑っていませんでした」
「いや、匠は霊具を作っていたよ」
「確かに、たくさんの人を苦しめた霊具を作ったのは、匠さんかもしれません。けれど、その発案者は彼じゃない」
「何故、そう言い切れる?」
「簡単な話です。レティシアが蘇ったから」
「……」
 レティシア・ラスペード。アンジェラが従えていた、眷属。
「彼女は森谷さんという少女の体を乗っ取っていました。けれど、彼女自身、そんなことを望んでいた風ではなかった。つまり、誰かが彼女を生き返らせたんです」
「それが……、どう関係する。匠の霊具が、たまたまそういう効果を発揮したのかもしれないだろう」
「ありえません。匠さんが作ろうとしていたのは、自然生を利用し、変魂を討伐するための人形。魂まで消滅したレティシアをわざわざ生き返らせる理由なんてありません。理由も目的もないのに、今まで誰もなしえなかったことが偶発的に起きるというのは、やはり考えにくい。偶然で可能なら、もっと起きていておかしくないわけですから」
「なるほど」
 それなりに頭は回るらしい。
 少なくても、今回の件に関わっていた退魔の関係者や死導者は、誰もそんなことを考えていなかったはずだ。
 能力があるだけならば、まだ対処はできる。だが、それを扱う頭脳もあるとなると……、難易度は遥かに増す。
「となると、真犯人……、匠さんに協力した人は、そういう霊具を欲していたということです。そこで、真犯人の役割についての問題が出ます。狐の周防と合流した時点で、匠さんは自らの目的を達するための知識は得ていたはず。ありていに言って、匠さんにはそれ以上の仲間がいらなかったはずです。なのに、協力者がいる。では、その彼ないし彼女は、何をしたのか?」
「さあ。想像もできないね」
「僕の答えはひとつです。おそらくですが、彼はスポンサーだったのでは?」
「スポンサー?」
 遠藤紅葉は頷き、
「そうです。現代社会、何をやるにもお金と時間は必要です。匠さんは比較的、時間の自由が利く仕事をしていました。ですが、金銭的な面はそうもいかなかったはず。霊具の研究なんて、僕には想像もできませんけど、大学の研究室を見ていると……、研究と名前のつくものは、それなりにお金がかかるものだと思います。たとえそれが、退魔関係なんていう、普通の社会からかけ離れたものであったとしても」
 だから、と遠藤紅葉は続ける。
「探しました。死者を生き返らせたいという願いを持っており、かつ、金銭的に裕福で、匠さんと接点のあった、おそらくは退魔の知識を持つ人。願いの絡みは難しかったですが、金銭的に裕福な退魔関係者というだけで、ある程度は絞れました。あとは、その中で、近々に親しい人を失った人を探せばいい」
 祖は獣とも意思を疎通できる。
 その能力をもってすれば、普通の人間にはできない調査も可能だったことだろう。
 僕の家には、猫がよく出入りしていた。彼らに聞けば、僕の家に出入りしていた死者がいたことも、その彼女が姿を見せなくなったことも……、聞き出せた。
「調べた結果、あなただけが残りました。金銭的に裕福で、先祖も、あなた自身も退魔の才を持っている。霧島万里さん。あなた以外に、犯人の可能性はなかった」
「……それで? 答えまでたどり着いた、それがなんだと?」
「答えを知らなければ、説得もできませんから」
 一息。遠藤紅葉の瞳に、強い輝きが宿る。
「彼女は、あなたのそんな行いを望んでいません」
 瞬間。
 奴の言葉が正しいとか間違っているとか、そんな概念すら吹っ飛び、僕の手は勝手に動いていた。
 繰り出した剣筋は、真っ白な人形によって阻まれる。
「はやらないでください」
「お前に、何が分かるッ……!!」
 沸騰する僕の頭とは対照的に、遠藤紅葉の顔は冷静そのものだった。
 冷ややかに、僕の目を見つめる。
「知っているから、そう言えるんです。彼女は誰かに殺されたわけではありません。自ら、マモンに吸収される道を選んだんです」
「そんな事があるものかッ! 彼女は、楽しみを欲していた! 僕と歩む道を楽しんでくれていたッ……!!」
 脳裏によぎる、彼女の笑み。
 確かに、彼女は言っていた。『もっと楽しいことがしたい』と。
 僕は、そんな彼女に……、もう一度、会いたかっただけだ。
「お前なんかに! 知った口をきかれてたまるか!!」
「なら彼女がそう言ったのか!!」
「ッ!?」
 それまでの穏やかな表情が一変した、気迫のこもった一喝。思わず、僕は紅葉から距離を置いていた。
「相手の事を思いやるのは大切な事だと思います。だけど! それはどこまで行ったって想像だ! それが絶対なんて、そんなの言えるはずもない! なのにあなたは、それが絶対だと思い込んだ! あげく、多くの人を犠牲にした! それが、そんな事が、正しいはずあるかッ!!」
「うるさい、じゃあお前は何だ! 僕の想いを勝手に想像し、勝手に動いているお前は何だ!?」
「僕は! 僕は……、大切な人を守ろうと、そう決めただけです」
 ギリ、と奥歯が鳴る。
 今すぐにでもこいつを殺してやりたい。だが、それは簡単ではない。
 現代で唯一、生きたまま死導者の域にまで達した天才。
 祖と同格の力を持っているこいつを倒すのは、僕の力でも容易じゃない。
 それに、頭の冷静な部分が叫んでいる。このガブリエルという少女、この子も只者じゃない。さすがにあの遠藤紅葉が連れているだけのことはある。下手をすればルシフェルなどと同格、いや、それ以上――。
「強欲の眷属。あなたが生き返らせたかった彼女は、マリアのゲームが終わった時、自分からマモンのところに来ています」
「そんなはずない!! 彼女のことを、お前が語るな!!」
「嘘は言っていません。彼女はマモンに溶け込む前に言っていたそうです。『役目があって、それをサボるから楽しかった。自由にしていいと言われても、自由なんかない』と」
「ッ……!!」
 殺意だけが自分の中で膨れ上がる。
 とにかく、この男を許しがたかった。
 彼女の言葉を代弁する、この男が。
「あなたが、僕の言葉を信じられないのは当然かもしれません。それに、あなたは僕が憎いでしょう。だから」
 僕とつばぜり合いを演じる白い人形に、遠藤紅葉が触れる。
 直後。その姿が霧散した。横で、ガブリエルが目を丸くする。
「僕と殴り合い、しませんか」
「……何?」
「簡単なことです」
 ぐっ、と握った拳を見せた遠藤紅葉。
「僕も、あなたを一発、殴ってやりたい。そのために探していたんですから」



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