害されれば恨む。
 その恨みを、怒りを、流して無にする事。
 それが、許すという事。



 そいつがアタシの働いている弁当屋に来たのは二度目だった。
 本来、アタシは厨房担当で、表に出る事はあまりない。ただ、今日は表を担当する子が風邪で休んでおり、仕方なくアタシが出ていたに過ぎない。
 そういうタイミングで来るのは……、偶然なんだろうけど、すごくイライラさせた。
 ましてや、ふぬけた笑い顔を見てれば、なおの事。
「こんにちは」
 にこやかな笑み、子供っぽくも見える童顔。それでいて、底知れない男。
 遠藤紅葉。調査事務所に所属している、なんて言っていたけれど、その本質は、いまだによくわかっていない、変なやつ。
「……注文は?」
 とはいえ、弁当屋に来た相手を追い返すわけにもいかない。必要以上にぶっきらぼうになりながら、アタシは聞く。
「ヒレカツ弁当」
「はい、ヒレカツいっちょー」
 厨房に声をかけながら、袋や箸の準備をする。外れた時間帯のせいで、他に客はいなかった。
「それと、もうひとつ。調査事務所としてはいけないのかもしれないけど、サービスで」
「何?」
「あなたを蘇らせた人を見つけました」
「ッ……!?」
 ガチャン、と鳴る。自分がお金を入れる皿をひっくり返したのだと気づいたのは、少しあと。
「見つけた、って? 間違いないの?」
「ええ。他にできる人はそうそういないでしょうし、本人も認めていますから。ただ、あなたを蘇らせるつもりはなかったようですけど」
「いいわ」
 ようよう、見つかったのだ。
 アタシを生き返らせた糞野郎。沙織を殺した、元凶。
「案内してくれるんでしょうね? 当然」
「もちろん」
 厨房から出てきた弁当を受け取った遠藤は、仕事が終わる頃にまた来ると言って、帰って行った。
 ――その後、客が一人も来なかったのは、時間が遅かったせいであって、アタシのせいじゃない。

 アタシの名前はレティシア・ラスペードという。
 けれど、その名でアタシを呼ぶ人はそういない。何故なら、この体は、アタシが神から貰った肉体ではないから。
 アタシは、数百年も前に死んだはずだった。魂までも滅され、二度と蘇る事などないはずだった。
 なのに、生き返った。森谷沙織というのが、この肉体の本来の持ち主。けれど、沙織の魂はアタシの魂に塗りつぶされ、肉体は奪われた。
 アタシは、意図せずして、人を殺してしまった。
 その事実に悩んだ事もある。今は受け入れたけど、でも、沙織を殺すきっかけとなった犯人を許したわけじゃない。
 そいつだけは、絶対に殺す。それが、アタシの、今の目標だった。

 遠藤がアタシを連れて行ったのは、大きな屋敷だった。洋風の邸宅は見覚えがない。
 ただ、門扉から入った瞬間、強烈な違和感を覚えた。不愉快な感じというか、清浄すぎる空気というか……。おそらくは、なんらかの結界が敷かれている。
 遠藤は知ってか知らずか、躊躇なくインターフォンを押した。
 玄関の扉が開く。出てきたのは、黒いコートを着た若い男。
「君か。後ろの子が?」
「はい。森谷沙織さん……、いえ、レティシア・ラスペードさん。霧島さんの被害者です」
「そうか。レティシアさん」
 黒コートの男はアタシに視線を移し、
「私は火野陽平。この屋敷の主であり、火野家の当主でもある。君を生き返らせた犯人――霧島万里は、私が身柄を預かっている」
「そう。そんな事より、早くそいつの顔を拝みたいんだけどねェ?」
「会う前に、絶対に暴れないと誓えるか?」
「会わなきゃわかんないわ」
「それでは会わせられない」
 しばし落ちる沈黙。間に入ったのは、遠藤だった。
「まあまあ、通してあげましょうよ」
「遠藤君、君は……」
「わかっています。けど、こうしなければいけないと思うんです」
 遠藤の、無言の圧力。火野は深々と嘆息し、
「わかった。あがってくれ」
 火野陽平はアタシたちを先導し、屋敷の中に入った。
 二階に上がり、奥の部屋へ。
「ここだ」
 扉を開けると、中には二人の男がいた。
 一人は革製のジャンパーを羽織った男。黒コートの男と雰囲気が似ているから、兄弟かもしれない。
 もう一人は、これまた黒っぽい服装の男。銀色のアクセサリーを身に着けている。
「ジャンパーの方が私の兄、公平だ。隣が……」
「わかった」
 陽平が何かを言い終える前に、アタシは剣を抜いていた。
 速攻の、躊躇などない斬撃。フランベルジュの重い一撃は、けれど硬質な手ごたえに阻まれる。
「おいおい、出会い頭に斬りかかるこたぁねえだろ」
 防いだのは、公平の持つ氷の剣だった。いつの間に展開したのか、アタシもわからなかった。術式だけは最初から準備していたのかもしれない。
「ふん。話す事なんてない。ただ、殺すだけよ」
「わかってんのか。それは、人間のルールで言えば犯罪だ」
「そいつのやった事と変わらないわ」
「いいや、違うね。霧島のやった事は、法律じゃ裁けない。単に能力を悪用しただけだ。だが、お前は能力を使ってとはいえ、明確に人を殺す事になる。死体だって残る。そうなりゃ、俺たちはお前をかばえない」
「かばってくれなくて結構。アタシにとって、そいつを殺す、それだけが今の目標なのよ」
「それをさせねえって言ってんだ。そのために俺がここにいる」
「そう。じゃあ、あんたを先に片づければいいわけ?」
 剣のきっさきを公平に向ける。すると、公平はわずかに眉をひそめた。
「お前、何を言ってんのか、理解してんのか。復讐のために、余計な血を流すつもりか?」
「全てだと言ったでしょう」
「話になんねぇな。おい、遠藤。本当にこんな奴を連れてきて良かったのかよ」
 公平は、アタシの後ろに立つ遠藤に声をかけた。
「必要ですから。今、レティシアさんが納得できなければ、彼女が今のしがらみから解放される機会は永遠に失われてしまう」
「つったって、こんな殺人狂の相手、俺は嫌だぜ」
 言いながらも、公平は氷の刃を収めない。きっさきは、アタシの方を向いている。
「……ったく。おい、霧島。お前も弁明とかねえのか。このままじゃ、お前、こいつに斬られちまうぞ」
 公平が水を向けると、隣に立つ男――霧島は、小さくうなった。
「ふむ。僕に何を言えと?」
「だから。釈明とかそういうのだよ」
「あればとっくにしているさ。僕は、あくまで僕のために実験を行った。その結果として、森谷沙織という人が犠牲になった。まあ、それが森谷沙織だったのは僕の意図したところではない、ただの偶然だったわけだけど、それにしたって結果は変わらない。それが別の誰かになったところで、結局は誰かの魂が消える事になった」
「……そうね。あんたが余計な事をして、そのせいで沙織は死ぬ事になった。こんな、アタシなんかのために!」
 アタシの燃えるような意志が、剣に力を与える。
 炎状剣フランベルジュ。炎の剣。
「あんたさえいなければ! 沙織が死ぬ事はなかったのよ!」
「まったくその通りだ。それに関しては弁明の余地はない。だが……、そうだな、強いて言うなら、僕はそもそも君を生き返らせたかったわけじゃない」
「偶然だったから許せってわけ? 冗談じゃないわ!」
「もちろんそんな事は言っていない。ただの事実なんだが、僕は強欲の眷属と会いたかっただけだ。君じゃない。というか、意図的に誰かを蘇らせる事が可能というわけでもない」
「……どういう事?」
「技術的問題か構造的問題かは判明してないんだけどね。自然の生に吸収された魂というのは、自然そのものと同一化する。その中で、もともと人間の魂を構築していたものを抽出する事はできないんだ。僕が可能なのは、まだ自然の生に溶けきる前に取り出すか……、自然の生に同一化できなかった、異質な生を抽出する事だけだ」
 アタシが死んだのは、数百年も前。溶けきる前に、なんて事が可能なほど最近の話じゃない。
 つまるところ、アタシは……、自然に溶け込む事ができなかった?
 アタシは、異質――。
「もともと死導者を構築している生はマリアが生み出したものだ。そういう意味では自然の中で異質な存在だから、抽出も不可能じゃないと踏んでいた。いや、そう思いたかっただけかもしれないが……。とにかく、その実験の中で、偶然、まだ自然に溶け込んでいない君を抽出する事になってしまった。取り出した後、君の魂は、なんとか安定しようと体を求める。変魂と変わらない理屈だ。そして、たまたま君の魂と波長が適合した森谷沙織の肉体に宿り……、もともとの宿主である森谷沙織と、君の魂が争った結果、君が勝った。そんなところじゃないかと思っている」
「そん、なの……」
「君に覚えはないだろうが、僕が知っている事実と、君自身の状態を聞いた限りの推測だ。あながち外れという事もないだろう。森谷沙織が選ばれたのも偶然だし、そもそも君の魂が抽出できたのも偶然。いや、目的や結果を考えれば、不幸な偶然と言うべきだろうが」
「不幸な偶然、ですって?」
 そんな理由で。
 そんな、軽々しい理由で!
「沙織を殺して、その程度か!!」
 爆発したアタシの感情は、そのまま刃に乗った。全力の斬撃。それを、公平が間に入って止める。
 ガツン、と剣が鳴り響く。
「おい、いい加減にしろよ……! どんな理由があったって、お前がこいつを殺していいって事にゃならねえ!!」
「じゃあどうすればいいって言うのよ!? 沙織は殺された! こいつがいなければ沙織が死ぬ必要はなかった! アタシなんかが生き返る必要だって……、なかったのよ!!」
「それは……」
 反論できず、口を閉ざす公平。答えは、アタシの背後から飛んできた。
「必要なんかなくても、それが事実です」
 視線だけで後ろを確認する。遠藤紅葉は、まっすぐアタシを見ていた。
「受け入れるって、許すってそういう事です。確かに霧島さんは許されない事をした。その結果、森谷さんは死ぬ事になった。それでも、だから霧島さんが死ねばいいなんて、そんな安直な話ではありません」
「じゃあどうしろと!」
「それが、許す事だと言っているんです。殺したから殺す、死んだから死ぬ、そんな連鎖は全体を不幸にするだけだ」
「許せるわけないじゃない! こいつさえいなければ……!」
「でも現実に霧島さんはいて、悪い事をして、そして森谷さんは死に、あなたが存在している。これが事実です」
「ッ……!」
「もちろん、同じ過ちを繰り返させるわけにはいきません。霧島さんには相応の罰も受けてもらわなければいけないでしょう。けど、それで終わりにしましょう」
「そんな事、できるわけないでしょう!!」
「してください」
 アタシは思わず、剣を遠藤に向けていた。
「邪魔をしないで」
「きっさきを向けるべき相手が違うんじゃありませんか。……本当は、自分の中でも気づいているんじゃありませんか?」
「……ッ」
 何も言えなかった。
 ぐるぐると、自分の中でいろいろな感情が渦巻きすぎて、何を言えばいいのかもわからなかった。
「あなたが憎んでいるのは霧島さんだ。あなたが許さなければいけない相手も。僕に言葉を向けられて、それをちょうどいい踏み台とばかりにしたんじゃありませんか? あなたは逃げた。霧島さんを殺したい、でも殺してはいけない、そんな葛藤から目を背けたんだ」
「違うッ!!」
「どう違うんですか?」
「アタシは、アタシはッ――!!」
 違う、とは言える。だけど、違う理由は、言えない。
 そんなものはない。それは、自分で知っていた。
 奥歯をかみ砕きそうなほどに噛みしめ、それでも、すべきはわからない。
 結局、アタシにできたことは、全てに背中を向ける事だけだった。
「レティシアさん?」
「……邪魔したわ」
 重い足を引きずるようにして、前に。
 遠藤たちは追ってこなかった。



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