火野家の中庭は庭園と林の中間くらいの有様だった。毎日の手入れは、さすがにできないんだろう。
 火野さんはそこに魔法陣のようなものを描き、その中でぶつぶつと何事かを唱えている。僕はそれを、少し離れたところから眺めていた。
 僕の隣には、女の子と男の人。
 女の子の方はさっきから色々と働いている子で、名前は鯉田さんというらしい。雰囲気以外は割と普通の女の子だ。
 男の人の方は、火野さん――陽平さんのお兄さんで、名前は公平さん。最近は暑いくらいだってのに、皮ジャンなんて着ている。
「それにしても、陽平からアンジェラを呼ぶなんて異常事態だろ。客っての、そんなに強そうだったのか?」
「強いか弱いかで言えば、間違いなく強いの。でも、どのくらいかは、わからないの」
「そうか。そりゃしょうがないな」
 なんだろう。とても場違い感。陽平さんは、どうして僕をここに残したんだろう。とても居心地が悪いよ?
 やがて呪文を唱え終えたのか、陽平さんは空を見上げた。その、途端。
 チリン――
 鈴の音色と共に、庭の闇から、ふたりの女の子が姿を現した。
 ひとりは桜色の和服と白いミニスカートを合わせた、高校生くらいの女の子。アンジェラの眷属ぶかで、名前はケイだ。
 もうひとりは、夜空色のワンピースを着た、見た目は小学生くらいの女の子。八番目の死導者、死導者を狩る死導者。アンジェラだ。
 その頭の上には黒いオコジョが乗っている。エルミネアって名前は、僕がつけた名前だ。
「いよう、アンジェラ。久しぶり」
「お久しぶり、なの」
「よーへーのお呼びなんて聞きたくなかったけど、来てあげたわよ」
 アンジェラの代わりに、ケイが答えた。
 六人、集合。庭に円を描くように、僕らは立った。
「それぞれに自己紹介は必要ない、わね」
 ケイがそれぞれの顔を等分に眺めながら言う。
「あ、待った。オレは遠藤君の事をよく知らないけど」
「私はそっちの眷属さん、よく知らないの」
「僕は公平さんと鯉田さんについてよく知らないよ」
 ケイは額に指を当て、ため息をついた。
「何よ。結局、自己紹介が必要なんじゃないの」
 僕は、苦笑いしかできなかった。
「んじゃあ、オレから。火野公平。さっきも言ったが、陽平の兄で、退魔師だ」
「鯉田まみ。高校生。陽平兄さんと公平兄さんは親戚なの」
「遠藤紅葉。もみじって書いてくれはって読みます。職業は学生です」
「私は名乗る必要もない、な」
 陽平さんはちらとケイを見た。次は、ケイの番だ。
 ケイはちょっと照れくさそうにそっぽを向き、名乗った。
「志野ケイ。アンジェラの眷属よ。アンジェラの紹介は必要ない、わね?」
「いいわ、ケイ。せっかくだから、名乗りましょう」
 どこか楽しそうに言い、アンジェラは一歩、前に出た。
「八番目の死導者。名はアンジェラ、称号は死喰いよ」
 アンジェラについて知らない人は、たぶんここにはいないんだろう。
 僕も、アンジェラには何度か助けてもらった。代わりに、僕もアンジェラを助けた事がある。
 どういう関係、って聞かれると困るけど、強いて言うなら……友達、なんだろうな。
「さて、と。自己紹介は終わったし、あたしたちを呼んだ理由、聞かせてもらいましょうか」
 ケイが陽平さんを見る。けれど、返事は別の方向から返ってきた。
「ぼくが教えてあげるよ」
 がさがさと庭木が揺れる。その声は、聞こえるはずがない声だった。
「アルバート、君?」
「ここで待っていて正解だったよ。『Fools rush in where angels fear to tread』、日本の言葉で言うと、『飛んで火にいる夏の虫』ってところかな」
 アルバート君の雰囲気は、さっきと全く違った。まるで、別人。およそ僕の知り合いの中で、こんな……こんな、残酷な笑みを浮かべられる人は、いない。
 たとえるなら、それは猛獣。獲物を前に喜び、けれど絶対に油断もしない、猛獣の顔だった。
 ふー、という、エルの威嚇する声が聞こえた。
「さて、と。死導者、片付けさせてもらうよ」
 アルバート君が一歩、前に出る。反射的に、公平さんとケイがアンジェラを庇うように前に出た。
「聞いてくれますか、トールキンさん。彼女はさしあたって危険性がない。存在するのに必要な生も、死者からのみ集めている。この世界に害なす存在じゃあないんですよ」
 陽平さんも前に出ながら、説得を試みた。
「だからどうしたんですか」
 けれど。アルバート君の耳には、届かなかった。
「今。彼女たちが危険かどうかなんてぼくは知らないし、興味もない。そいつは死導者、ぼくは悪魔祓い。これ以上に説明が必要ですか?」
 アルバート君は、アンジェラを倒す気だ。言葉で説得は、たぶんできない。
「ちッ、しゃあないか。アンジェラ、ケイ。やるぜ。まみは下がってろ」
 公平さんが声をかける。
 返ってきたのは、諦めきったような、残念そうな声だった。
「駄目、よ。私は、戦えない」
「え?」
 振り向くと、アンジェラはぎゅっと手首を握っていた。まるで、動きそうになる手を、無理にでも止めるかのように。
「私は死者に死を導く。生きる者には力を行使できないの」
「つっても、やらなきゃやられるぞ」
 公平さんは言うけれど、アンジェラはゆっくりと首を横に振った。
「私がたとえこの身を八つに裂かれようとも、私は決して力を行使できない。ここで力を使えば、私は存在する意味を失ってしまう」
 存在する意味を失う。それは、死んでいるのと同じ事だ。
 じゃあ、せめて――。
「アンジェラ、それなら逃げて。ここは僕らがどうにかするから」
「君に何ができるのか、と聞きたいところだが、今はそれどころじゃないね」
 じりじりと前に出ながら、陽平さんは続けた。
「君は知らないだろうが、我が家からはたとえ死導者であろうとも単純には逃げられない。生を縛るんだ、この家は。縛られないのは、実体を持つ者だけ。けれど、実体があっては、とても逃げられない。要するに、彼を倒さなきゃ、彼女は逃がせないってわけだ」
 陽平さんは一気にまくしたてた。
 つまり、アルバート君を倒さなきゃいけない、ってわけか。しかも、アンジェラ抜きで。
 でも、いける。アンジェラの抜けた穴は大きいけれど、専門家である陽平さんも公平さんも、それにケイもいる。三対一なら、負ける可能性は低い。
「では、招かれざる客はご退去を願おうか」
 陽平さんが先頭に立つ。その両脇を固めるように公平さんとケイが立ち、後ろではアンジェラを庇うように鯉田さんが抱きしめた。その頭上では、エルが毛を逆立てていた。そして、僕はアンジェラと陽平さんの間に立つ。
 これだけの相手を前に、けれど、アルバート君は笑っていた。まるで、余裕だ、と言わんばかりに。
「火野陽平。日本でも有数の戦闘能力を持つ退魔一族、火野家の当主だったね。けど、ぼくの相手じゃあない」
「言って、くれるじゃないか!」
 陽平さんの両手が閃く。得意技の自在に動くワイヤー攻撃だ。
 アルバート君はその一撃を、
「それで攻撃のつもり?」
 腕を後ろで組んだままで、弾いた。
「なッ!?」
 声を漏らしたのは、僕だろうか。それとも、他の誰か?
 陽平さんの一撃は、冗談ではなく岩をも砕く威力だ。なのに、アルバート君は、それを指一本すら動かさずに弾いた。それは、それだけの実力差があるっていう事になる。
「全力で行くぞ!」
 公平さんが吼え、駆け出した。
 ぱっと、暗い中に綺麗な氷が咲いた。公平さんの周囲を、氷のトゲみたいのが囲んでいる。それが公平さんの能力なんだろう。
 そのうちのひとつを掴み、公平さんは突っ込んだ。アルバート君は、それに対して片手を向けた。
「残念でした」
 ドン、と空気が揺れた。公平さんが、突っ込んだ方向とは反対に吹き飛ばされて。
 そのすぐ後をカバーするように、陽平さんとケイが動く。陽平さんが両手でワイヤーを操り、ケイはいつもの生を固めた剣を握り締めた。
 アルバート君は、両手をそれぞれに向けた。
「ぐッ!」
 たった、それだけで。
「うッ!?」
 ケイと、陽平さんは。
「突っ込んだって無駄だよ」
 公平さんと同じように、吹っ飛ばされた。
「君らがぼくに勝てないのは仕方ないよ。ぼくは、極めた錬金術師なんだから」
 三人を見下ろし、アルバート君は言った。
「世間的には、錬金術ってのは金を作るための技術って言われている。確かに金を生み出す道具けんじゃのいしの生成は錬金術の分野だ。けど、それが錬金術の目的ってわけじゃないんだよ」
 どうしよう。どうすればいい?
 僕の能力は死んだ人にしか試した事がない。それは、生きている人にも通じるんだろうか?
 もし仮に通じたとしても、それでアルバート君が死んじゃったら?
 アンジェラは守りたい。けれど、そのためにアルバート君を犠牲になんて、僕にできるのか?
 僕の迷いはよそに、アルバート君は話を続けた。
「錬金術の究極は、世界を知る事だ。金を作るのも永遠の命も、その過程に過ぎない。この世界の構造を知る事。世界の原点を知る事。言ってしまえば、神様になるって事。それが、錬金術の意義なんだ」
 それにしても、アルバート君は何を言っているんだろう。神様になる? そんな事、人間にできるんだろうか。
 ……仮にできたとしても、なるべきじゃないだろうに。
「ぼくは神に最も近付いた人間。錬金術の技でも極致に位置する奥義を覚えた、唯一の人間なんだよ」
「奥、義?」
 よろよろと起き上がりながら、公平さんは搾り出すような声を出した。
「そう。奥義」
 アルバート君の頬が吊り上っていく。本当に、楽しそうに。
「『大いなる秘法アルス・マグナ』。それがぼくの技の名前、さ」
 アルス・マグナ?
 僕は聞き覚えのない言葉だったけれど、その言葉に反応した人がいた。陽平さんだ。
「アルス、マグナだと? そんな、馬鹿な……。人間の領域を、超えている!」
「よ、陽平さん。そのアルス・マグナってのは、そんなに凄いんですか?」
「凄いなんてもんじゃない!」
 陽平さんの声は、すでに悲鳴のようだった。
「大いなる秘法、アルス・マグナ! 神の知恵と力を得るという、馬鹿げた技だよ! そんなものを使っている相手に、勝てるはずがない!」
「よくわかっているじゃないか」
 うんうんと、アルバート君は頷いた。
「専門家じゃない人がいるからね。より、わかりやすく説明しよう。イギリスの教会は、能力者にそれぞれランクをつけている。レベルゼロが一般人、レベルワンなら幽霊が見えるようになる、といった具合にね。各レベルの間には絶対的とも言える壁があり、互いが戦闘に特化した能力であるなら、下のレベルの者は、上のレベルの者には勝てない。これは意味も理由もない、ただの事実なんだよ」
 そこで言葉を切り、次の言葉の効果を高めるように間を空けた。
 そして、口を開く。
「たとえば、火野陽平はレベルスリー。能力者としては平均よりほんの少し上、といった程度だ。戦闘には特化しているようだけどね。そして、ぼくのレベルは……」
 にっこりと笑い、告げた。
「ファイブ。戦闘特化タイプではないけれどね。ちなみにこれは、歴史上ですら数人しか確認されていないほどだ」
 それは、死刑宣告にも等しい言葉に思えた。
 アルバート君は続けた。
「ちなみに、人間で確認できた限界はレベルファイブまで。そこから先、シックス以上は神様の領域と呼ばれている。そして、ぼくは歴史上のレベルファイブの中でも、最高位の能力を持っている。わかる? 要するに、ぼくは人間の中で最も神様に近付いた男ってわけだよ」
 つまり、僕らは神様候補を相手にしているって事?
 ――そんなの。勝ち目なんか、ないじゃないか。
「さて。ぼくの強さはわかったよね? ここで取引だ。その死導者と眷属を差し出すなら、残りは見逃す。差し出さないなら、ぼくは勝手にやるべき事をやる。邪魔するのは自由にどうぞってところだね。さあ、どうする?」
 楽しそうに。本当に楽しそうに、アルバート君は首をかしげた。
 遊んで、いるんだ。
 アルバート君が本気になれば、たぶん、僕らはもう死んでいておかしくない。けれど、それをやらないのは、命を大切にしているからじゃない。ただ、遊んでいるだけなんだ。僕らが悩む様、苦しむ様を見て、楽しんでいるんだ。
 ――許せない。
 命をもてあそぶ。人の想いを踏みにじる。そんな、そんなの、許せるわけない。
「三十秒くらいなら待ってあげるよ?」
 僕らを見下ろし、錬金術師は言った。



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