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くそッ! 時間が過ぎる。刻一刻と。時計の針が進む音がしっかりと聞こえる気がした。 焦りばかりが募る。焦っても駄目なんだ、冷静にならないと。 でも、僕に何ができるって言うんだ? 「もう、いいわ」 そこに。まるで、冷水のような声が聞こえた。 「私を庇って、貴方たちが傷つく必要はない。私は、今回はここまでだった。それだけの事よ」 その声は、アンジェラが発していた。けれど、僕の知るアンジェラの声じゃなかった。あの、暖かくてどこか優しい、いつものアンジェラの声じゃなかった。 冷たく乾いた、悲しい声。聞いているだけで胸が痛くなる。言葉が、突き刺さる。 「……できないよ」 だから、自然と僕の口をついて出た言葉は、意外でもなんでもなかった。 「そんな事、できない。できるわけない」 「紅葉。無理をしないで。貴方は、こんなところで傷つく必要などない」 「できるわけないだろ!」 僕は、アンジェラを見た。 アンジェラは悲しげに、本当に悲しげに、僕を見つめていた。 「誰かを犠牲にして、それでいいわけないだろ! 僕は傷つく必要なんてないかもしれない。でも、アンジェラだって傷つく必要なんかない! どうして、どうしてアンジェラだけが犠牲にならなきゃいけないんだよ!?」 僕が叫ぶたびに、アンジェラはピクリと肩を震わせた。怯えているように見えた。 違う。怯えさせたいんじゃない。でも、気持ちが止まらない。 「誰かを犠牲にして平和なんかになれるもんか。それは、アンジェラだって同じだ。僕もアンジェラも、みんなが一緒でなきゃ駄目なんだ」 こんなところで、またアンジェラに助けられるなんて嫌だ。 アンジェラが何もできないなら、僕が頑張る。今度は僕がアンジェラを助ける。 何の力もない僕だって、アンジェラの前で壁になるくらいはできる。なら、それで十分だ。 「私も、遠藤さんの意見に賛成なの」 暖かい、声が続いた。 僕に優しく賛同してくれたのは、鯉田さんだった。 「私も、誰かを犠牲にしたくない。救われない者を救いたい。力なんてないけれど、それでもそういう退魔師になりたいと思ったの。だから、あなたも犠牲にはしたくないの。ううん、しないの」 「そういう話なら、あたしだって同じよ」 続けて頷いたのは、ケイ。 「あたしはアンジェラに救われた。アンジェラがいなければ今のあたしはないの。暗い闇の中でずっと独りで、何かを壊し続けていた。何もかもを壊して、それでも満足できなくて……」 でも、とケイは続けた。 「でも、アンジェラが救ってくれた。あたしに手を差し伸べてくれた。そして、あたしは救われた。だったら、この拾った命、アンジェラのために使い切る。そう、約束した。アンジェラを犠牲にして、それで幸せになんかなれるはずがない」 女の人は、強いな。 僕よりも、もっと強い想いを感じる。だからこのふたりは、これだけの相手を目の前に、けれど一歩も下がらないんだ。 「年下の女の子に負けるわけにはいかねーな」 「もちろん」 陽平さんと公平さんも、前に出た。みんなが、戦う意思を失くしていない。誰ひとり、諦めていない。 「ここは火野の敷地だ。闖入者に勝手をさせるわけにはいかない、誰だろうとね。火野家の名に関わる」 「アンジェラを犠牲にするわけにもいかねーしな。それに、オレ的にもこいつはムカつく」 陽平さんに、公平さんが続く。まるで闘志が目に見えるみたいだ。 いや、見えている。ふたりの生が増えている。さっきよりも、ずっと。それは確かに、このふたりの闘志だ。 そして。僕はアンジェラを見つめ、微笑みかけた。 「そういうわけだから。だから、アンジェラはそこで黙って見てて」 アンジェラは、小さく震えている。その責任の一端は、僕らにあるだろう。でも、何よりその原因は、彼だ。 アルバートは僕らの顔を等分に眺め、はあ、とため息をついた。 「バカだね。『Who is born a fool is never cured』、日本の言葉で言えば『バカは死ななきゃ治らない』だっけ。でも、君らは死んでも治らなさそうだ」 「大きなお世話だよ」 とは言ったものの。 現状は何も変わっていない。士気が上がって、死期が近付いたってところだ。 まずは、彼の能力。その詳細を知り、弱点を見つけなきゃいけない。神様の力を得る、なんて馬鹿げている。きっと、何らかのルールがあるはずなんだ。 それに、アルバートだって人間だ。ケイの剣は、神様だって悪魔だって切り裂く。人間を倒せないわけがない。 要するに、どうにかしてケイの間合いにアルバートを入れればいいんだ。そのためには、彼の能力についてもっと知る必要がある。 (陽平さん。あれ、どういう能力か、わかりませんか) 僕は小声で陽平さんに声をかけた。返ってきたのは、やはり小さな声だった。 (いや。わかる事と言えば、彼の生が半端でなく多いという、それだけだ) 生が多い、か。そういえば、そうだ。 さっきの公平さんとケイを弾いたのも、ただ生を飛ばしただけ。陽平さんのように生を爆発させているわけでも、公平さんのように生を氷に変化させているわけでも、ケイのように剣状に固めているわけでもない。純粋な、ただのエネルギーなんだ。 押し固めないでもあれほどの威力。本気になれば、手が出せないだろう。その前に叩かなきゃ。 (仕方ない。全員で突っ込むぞ。私と兄さんとケイ、三人で道を切り開くんだ。本体はただの人間に過ぎない、殴り飛ばせばそれでいいはずだ) 陽平さんの案に、公平さんとケイは頷いた。僕にも、依存はない。彼は、殴ってでも目を覚まさせてやらなきゃいけない。 僕は弱い。今、ここにいる人の中で、たぶん最弱を争う。それでも、退けない時がある。そして、そんな僕でも、できる事がある! 「っしゃあ! なら、それで行くぜッ!」 言うが早いか、公平さんは飛び出した。それを補佐するように陽平さんが走り、ケイが続く。そして、僕はその後を駆ける。 「無駄だってのが、わからないのかい!?」 アルバートのエネルギー波。それが、公平さんを吹き飛ばした。 空いたスペースを埋めるように、陽平さんのワイヤーが疾駆する。それすらも、アルバートは生で吹き飛ばした。 続くケイにも生が飛んできた。それを、ケイは斬り飛ばす。本気になれば、ケイに斬れないものはない。 「甘いね!」 続いて飛んできたのは、蛇のような生が八本。八方から襲いかかる生は、今のケイの身体能力で、一本の剣じゃあ斬りきれない――! 「くッ……!」 ケイが苦しげに呻き、倒れた。 これで、僕とアルバートの間は一直線。遮蔽物は何もない。真っ直ぐな道が、僕の前に続いている。 体が熱い。目の奥がちりちりする。喉が、渇く。 全身の血が暴れている気がした。目の前の敵を倒せと、ひたすらに倒せと、そう命じているように思えた。 「終わりさ!」 彼の放つ、生の塊。僕はそれを見つめ、そして。 ――片腕で、弾き飛ばした。 「なッ!?」 そんな事ができるなんて、知らなかった。思ってもみなかった。けれど、体が自然と動く。こうするのが当たり前だったかのように、ごく自然に。 そうだ。ただの生を、恐れる必要なんかない! ぎゅっと拳を握る。そして、それを、顔面に……叩き込む! めり、と拳がめり込む感触が手に伝わる。僕はそれを、全力で振り切った。 アルバートが吹き飛ぶ。そして、案外と軽い身体は、木に叩きつけられた。 「どう、だ!」 息が荒い。そういえば、人をここまで全力で殴ったのも初めてだ。 でも、今の僕にある想いの全てを込めた一発だ。決して、軽いものじゃないはずだ。 アルバートは動かない。本当に、ぴくりとも動かなかった。 「アル、バート?」 「……ない」 「え?」 「そんな、はずが、ない」 アルバートの声は、震えていた。ゆっくりと起こした体。その瞳には、今は恐怖の色があった。 「そんな、そんな馬鹿な! だって、そんな、退魔師でもない人間が辿り着く領域じゃない! そこは、そこは選ばれた者だけが立つ場所だ! 退魔師の中でも最高峰の、神になれる者だけが辿り着く場所なのに!」 「な、何?」 アルバートは、完全に取り乱していた。まとう生が淀んでいるのが、僕にもわかる。 「くそ、くそッ!」 突然、アルバートはガバッと起き上がった。そして、僕に真っ直ぐ突っ込んで来る。 「遅い、よ」 僕は喧嘩には慣れていない。それでも、今のアルバート君は、遅かった。 僕はもう一度、拳を握る。今度こそ、確実に。僕のありったけの想いと力を込めて、 「はあッ!」 アルバートを殴った。僕の拳は、あごに命中。アルバートはぐらりと揺れて、地面に倒れた。 「案外と強いんじゃねーか」 振り向くと、膝を立てて座る公平さんが、笑っていた。 「生を消滅させる、か。オレにはそんな器用な真似はできねーぞ」 「生を消滅させた? 僕が、ですか?」 「何を言っているんだ、君は。自分で何をしたのかもわかっていないのか?」 呆れた様子で、陽平さんは言った。すでに立ち上がっていて、どうやら大きなダメージを受けたってわけじゃないらしい。 でも、僕にそんな能力はないはずだ。僕は悪霊を戻す事はできても、生を操る能力は持っていない。なのに、どうやって生を消滅させるって言うんだ。 ふと、視界にアンジェラの姿が入った。アンジェラは、もう震えていなかった。僕の事を唖然と見つめている。それだけだった。 「アン、ジェラ? どうかしたの?」 「……いいえ、そういう、わけではないの」 アンジェラは、くすりと笑った。 「そう、そうだったの。それなら、私が心配をする必要なんてなかった。貴方に、大いなる秘法は通用しない」 「どういう、事?」 アンジェラは笑い続けた。とても楽しそうに、笑い続けた。 そして、笑いながら、言った。 「彼の能力は、限りない生を作り出すというもの。それを彼なりに押し固めようとも、それはケイの剣を薄くしたようなものに過ぎない。けれど、貴方は生を無効化してしまう。起源も書き換えてしまう。貴方には、退魔師の攻撃は通用しないのよ」 「――それって、無敵じゃない?」 「そうでもないわ。貴方は人間、すなわち物理の壁がある。死導者なら、実体化して貴方を殴打するだけで、貴方を殺してしまえる。けれど、少なくても彼にとって、貴方は最も相性の悪い相手だったわね」 とすん、とアンジェラは座り込んだ。いや、へたり込んだと言った方が適切かもしれない。 アンジェラはみんなの顔を見つめた。鯉田さん、公平さん、陽平さん、ケイ、そして、僕。 「みんな、ありがとう……。本当に、ありがとう」 はらりと雫がこぼれ落ちた。 アンジェラは静かに涙を流している。けれど、みんなは笑っていた。 「私は何もしていないの」 「オレはやりたい事をやっただけだし」 「私は死導者を守ったんじゃない、火野家の体面を守ったんだ」 「あたしは義務を果たしただけよ」 みんなが声をかける。その全てが、優しかった。 「僕は、」 だから、僕も僕にできる限り、優しく言った。 「借りを返しただけだよ」 |