好きじゃなければ。どうでもよければ、気にならない。
 好きだから。どうでもよくないから、気になる。
 その気持ちは、知っているつもりなんだけどなぁ……。


「紅葉ッ!」
 ――僕を名前で呼び捨てるのは、世界に三人しかいない。
 振り向けば、予想通りの顔があった。高校生くらいの少女が、腰に手を当て、僕を見ている。
「……ケイ?」
「何よ、そのビミョーな顔は」
「いやあ、だって、さ」
 右確認。左確認。
 よし、誰もいないな。
 正面に向き直ると、不機嫌を滲ませた人外の知り合いが立っていた。当たり前なんだけど。
「あのさ、ケイ。知っているとは思うんだけど、その格好は目立つんだよ」
「そうね。で、だから何?」
 自他共に認めるほど、ケイの服装は変わっている。
 桜色の着物の下から覗く、白いミニスカート。和洋折衷の服装は、現代日本ではなくても珍しい。
 それはつまり、見える人からは最高に注目される光景であるわけで。しかも、今のケイは何故だか実体化しているわけで。要するに、見られたら確実に記憶を残してしまうって事になる。
「僕も一応、彼女がいるんだってのも、知ってるよね?」
「つまりはあたしが彼女に間違われるのが嫌ってわけね?」
「嫌ってほどじゃないんだけどね。先輩はさ、自分に自信がないから。僕が他の女の人と親しそうにしていると、不安にさせちゃうでしょ?」
 先輩が自信を持っていない理由はひとつ。許されない、事件を起こしたから。
 人を殺すという行い。どの社会でも決して許されない行為を、先輩は、した。
 僕はその点については了解済みなのに、先輩はそれを未だに気にしている。人殺しをするような女の子は好かれないって、そう思っている。
 それを解くには、僕が頑張らないと。そのためにも、ケイと親しそうにするのはまずい。まして、往来のど真ん中じゃ、何があるかわからないし。
「あーあー、お熱いこって。こちとら彼氏はいませんよ」
 ケイには彼氏もできないと思うけどな。生きていないんだから。
 ケイは、死導者の眷属。日本語で言うなら、死神の部下ってところだ。もちろん、生きてなんかいない。僕がケイを普通に見えるのは、単に僕が霊感少年ってだけで、一般大学生は見えない。見えない女の子と付き合える男性はいないと思うんだ。
 ……いないと信じたい。
「ま、いいわ。でさ、アンジェラ、知らない? あーのご主人様はまーたあたしを置いてどっかに行っちゃったのよね」
「知らないよ。ケイも大変だね」
「そりゃもう、切実にね」
 うーん、とケイは背伸びした。
「んじゃ、あたしはそろそろ行くわ」
「うん、気をつけて」
「何に気をつければいいのかしらね」
 そこでケイは、いきなりにんまりと笑った。
「な、何?」
「べっつにー。そんじゃ、お大事に」
 軽く手を振り、ケイは走り去ってしまった。
 ――お大事にって、病人じゃないんだから。
 まわれ右、と!?
「せ、先輩!?」
 いつの間にか。僕の彼女は、泣きそうな顔で立っていた。
「――あ!」
 ケイめ……。さては、気付いてたな!?
「紅葉。今の女の子?」
「志野ケイ。先輩は、知っているはずですよね?」
「死導者の眷属。つまりは、おばけの類」
「そう、そうです」
「……まあ、いいケド」
 先輩は僕の手を握ると、スタスタと歩き出した。足は一応、仕事先に向いている。
 と。いきなりピタリと止まった。
 振り向いた先輩の顔には、必死な雰囲気がある。
「紅葉。今度から私の事は名前で呼んで」
「――はい?」
「敬語も禁止。わかった?」
 えーと。それはつまり、どういう事だろう?
 んー、たぶん、僕を放したくないって事かな。だから、必要以上に近付けたがる。どこまでも、密着していても、まだ遠い。
「……わかった。ただ、当分は慣れていないから、間違えるかもしれないけど」
 なら。僕は僕にできる限りをやって、先輩を安心させるしかない。これでも一応、彼氏だしね。
「よろしい。で、私はこれから、くーって呼ぶからね」
「なんだか犬みたいだなぁ……」
「いいの! わかった!?」
「はいはい、わかりましたよ」
「敬語はダメー!」
 むう。これはちょっと、深刻かもしれないなぁ。

 休憩室に入ると、先客はひとりだけだった。僕よりもバイト歴の長い、言うなれば先輩アルバイト。ヘビースモーカーで、この禁煙ブームのご時勢に、いつもタバコを吸っている。
 斜め向かいの席に座り、僕は缶コーヒーのプルタブを開けた。と、先輩アルバイトはちらりと僕を見た。
「なあ、遠藤。お前さ、田崎と何かあったんか?」
「はい?」
 予想外のご質問。先輩アルバイトはタバコを片手に、なんでもないと言わんばかりの表情だった。
「ええと、どうしてそうなるんですか?」
「だってよ、呼び方が変わってたじゃんか。くー、って」
 あー、あれか。
 ……聞かれていたと思うと、ちょっと恥ずかしいな。
「お前も敬語は止めてたし。もしかして一線を越えちまったか?」
「まだですよ」
「そーいう事を平然と答えられてもな。つーか、まだ手ぇ出してないのかよ?」
「先輩が大事ですから」
 大事だから。好きだから。
 僕は、ただ一緒にいられれば、それで満足なんだ。それ以上は必要ない。
 ――先輩が望むなら、別だけどさ。
「っかー! お前って本当に現代人? ジジイだってあんだけベタ惚れされてりゃ手ぇ出すぞ。お前は不能かっつーの」
「今更ですけど、下品です」
「それについては否定の余地がないな」
 ふー、と白煙を吹き出す。白い輪が生まれ、天井に向かって浮かび上がり、消えた。
「ま、大事にするのもいいけどよ、気をつけとけ。田崎は一途だけどよ、あんまり一途すぎってのも問題になるからな」
 なかなか先輩をよく見ているなぁ。僕より付き合いが長いわけだし、当たり前かもしれないんだけど。
「肝に銘じておきます」
 微笑と共に返し、缶コーヒーを飲んだ。なんだか、苦かった。

 バイトが上がる時間も同じだったので、僕は休憩室で先輩が着替えて来るのを待つ事にした。
 店長は、今日は本店に用事があるとかで早めに上がってしまったため、今は僕と先輩しかこの建物にいないって事になる。
「ま、だからどう、って事もないけど」
 独り言は、誰の耳に届く事もなく、空気に溶けた。
 これが無関係の男女なら意識しても普通だけど、僕と先輩は付き合っている。ふたりきり、なんてのも珍しい話じゃないから、意識する事じゃない。
 ……なんて言ったら、また叱られそうな気がする。いろんな人に。
「くー、お待たせ」
 更衣室の扉が開き、普段着に着替えた先輩が顔を出した。
「それじゃあ、帰る?」
「うん」
 店の方の扉はもう閉めてある。シャッターも同じく。後は、休憩室から外に出て、鍵をかける、だけ?
 ……手に、ホットな感触。
「手、繋いで帰ろ」
 先輩はニコニコと、笑いながら言った。
 遅いと言っても、現在時刻はまだ十一時前。外に出れば歩いている人は少ないだろうけど、ゼロでもない。
 つまり、目立つ、って事だよね。
「――わかったよ」
 けれど、僕はそう言うしかなかった。ここで嫌だなんて言えば、また先輩を不安にさせちゃうし。
 まあ、そのくらいのバカップルならそのへんにもいるし、いいだろうと思う。僕らだって手を繋ぐくらいなら、しょっちゅうしているし。僕はあまり嬉しくないんだけど。
 先輩と手を繋いだままで店を出て、鍵を閉める。そして、僕と先輩は夜道を歩き出した。
 すれ違う人がいないのはラッキーだな。
 ん? なんだか、手の感触が、
「――ッ痛!?」
 先輩の爪が、僕の手に食い込んでいた。冗談でなく、地味に痛い。
「ちょ、ちょっと! 爪が!」
「何よ。他の人のためには怪我できるけど、私のためだと嫌なの?」
「はい?」
 僕の少し前を歩く先輩の表情はいたって普通。特に怒っているようには見えない。
「この間だっていきなり手に大怪我して! 理由を聞いても教えてくれないし!」
 あー、あれ。でも、なあ。
 友達のために喧嘩したら案外とグーパンチは危険でした、とは言えないしなぁ。その友達が女の子なら、なおさら。
 ……これだと僕が浮気したように聞こえるな。ますます、マズい。
 でも、我慢できない相手に対して口を噛んで耐えるほど、僕も素直じゃないからなぁ。この性分は、どうにも修復不可能に思える。。
「大怪我なんて、そんなにすごいものじゃないよ」
「大怪我だよ! もう、どうして私には何も教えてくれないのよ!?」
 とても興奮している。とてもマズい。さしあたって、手が痛い。
「だから、くーの手に印をつけるの。くーが私を忘れないように」
 怪我した事を怒るのに、傷をつけるの?
 言いたいけど、言えない。先輩に弱い自分がうらめしい。
 反論しなかったためか、先輩は僕を連れてスタスタと歩く。仕方ない、我慢するか。

 結局、家に帰っても、僕の手にはバッチリと痕が残ってしまった。

 翌日。学校は休みなので朝からバイトに行くと、休憩室にはすでに先輩がいた。
「あ、くー、遅い」
「おはよう。まだ十分に時間あるんだけど?」
「私より遅かったら遅い」
 んな無茶な。先輩か店長しか鍵を持ってないんだから、先輩が来なければ僕が入れないじゃないか。
「そうそう、店長、今日は午後から来るって」
「また?」
「そ。本店で残業だってさ。で、新人が来るからよろしくって」
 新人かぁ。女の子だと、何かを教えているだけで先輩に嫉妬されそうで怖いな。どうか、男の人でありますように。
 と、がちゃりと僕の背後で扉の開閉音。振り向くと、不安げに顔を曇らせた女の子がひとり。高校生くらいで、割とかわいい。
 そして。僕は、その顔に見覚えがあった。と言うか、つい昨日、見たばっかりだ。
「……ケイ?」
「え?」
 目をぱちくりさせ、僕を見つめる女の子。髪型や雰囲気は違うけど、顔は、知り合いたる眷属にそっくりだった。
「あ、ああ、ごめん。新しく入る人だよね?」
「はい。志野恵といいます」
 志野さんはぺこりと頭を下げた。
「それで、今、ケイって――?」
「うん、僕の知り合いに似ていただけで、関係はないんだ」
「ケイの知り合い、なんですか?」
 ん?
「ケイって、あたしとそっくりな顔の、ちょっと変わった格好の子ですよね?」
 んんー?
「前に会った事があるんです。もう会えないって言ってたんですけど……」
 これはマズい。多様な意味合いでマズい。
 ケイが会えない宣言したって事は、この子はおばけと縁のない一般人。もしそんな子に、
「ケイと連絡、つくんですか?」
 なんて言われたらどうやって答えればいいんだ!? って、もう言われちゃったし!
「志野さん」
 と、先輩の声が僕の混乱しかけた思考を破った。見れば、何故か先輩は、少しだけ険悪な雰囲気で志野さんを見つめている。何故かって、明らかに嫉妬だけど。
「志野さん。まずは仕事の準備があるから、話は後にしてくれる?」
 平然と言っているつもり、なんだろうけど……声に怒気が混じっています、先輩。本当に感情を隠すのが下手ですね。
 志野さんは慌てた調子で、
「あ、すみません。まずは何をすればいいですか?」
「こっちに来て。制服のサイズ、合わせるから」
「はい」
 志野さんを引き連れ、更衣室に消えた。
 ――はぁ。なんだか、洒落じゃ済まない予感がするよ。



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