男性って割と、浮気をする人が多いらしい。
 それが、僕にはよくわからない。
 本当に大事な人がいたら、それ以外の人なんて、見えないじゃないか。


 スーパーからの帰り道。夕飯の材料が入った鞄を手に、僕は自宅への道を歩いていた。それも、あと少しというところで。
「あの!」
 角から飛び出してきた女の人に、声をかけられた。
 僕より数歳は年上、といったところだろうか。すらりと背が高く、スタイルがいいのも一目でわかる。金髪だけど、顔つきは日本人のそれに近かった。
「あの、すみません。助けて欲しいんです」
「はあ」
 いきなり出てきて助けて欲しいって、まるで漫画みたいな展開だな。だとすると、次は誰かに追われているからかくまって、といったところかな?
「知らない、怪しい人に追われているんです。匿ってくれませんか?」
 ……マジでかい。
「あの。怪しい人って、ストーカーとかですか?」
「すと……? あ、はい、ええと、そんな感じです」
 そんな感じって、適当だなぁ。
 迷っている僕を見て、女の人は手を取った。
「お願いします!」
 ――ん? やけに、冷たい手だ。
 んー、どうしよう。困っている人は助けたいけど、女の人を助けるとまた彼女に嫉妬される気がしないでもない。もし連れているところを見られたら、僕のお腹にまた穴が開くかも。
 でも、ほっておく、ってのもできないしな。困った。
「駄目、ですか?」
 上目できらきら目線。普通の男性は一発で落ちるところだ。でも、さすがの僕もそこまで守備範囲は広くない。
 僕はため息ひとつ、言った。
「わかりました。僕の家が近くにありますし、来ますか?」
「はい! ありがとうございます!」
 やれやれ。僕は、心霊研究家とかじゃないんだけどな。

「そういえば、まだ名前も聞いていませんでしたね」
 自宅に戻り、お茶を出し。落ち着いたところで、僕はそう切り出した。
「名前、ですか? ええと、明日香っていいます。明日が香ると書いて、アスカです」
「明日香、さん。僕は遠藤紅葉です。紅の葉っぱで、クレハ」
 さて、と。これからどうしよう。
 普通に考えれば、この人を追っているヤツなんていない。そもそも、この人を見える人がどれだけいるのかって話だ。なぜなら、この人はおばけなんだから。
 僕は元々が霊感少年だから、こうして普通におばけと話せるし、違和感もない。けど、一般人からしたら、そもそも明日香さんを見る事さえできない。
 だから、そんなおばけを追うような存在なんて、いるはずがない。
 おそらく、だけど。生きていた頃の記憶が混在して、何かの恐怖心を抱いているんじゃないだろうか。成仏させるには、それを除くのが最善、なんだろう。たぶん。
 でも、と思う。そりゃ僕だって、一般人じゃない。おばけの成仏に付き合った事もあるし、僕自身の能力でおばけと戦った事もある。あるけど、別に得意にしているってわけでもない。
 何より、死んでいる人に『あんたは死んでいる』と言わないで、どうやって心残りを聞き出せばいいんだろう?
 僕が何も言わないのを気にしたのか、明日香さんの方から口を開いた。
「あの、私――」
 言いかけて、戸惑ったように頭を振った。
「ごめんなさい。巻き込んでしまって」
「いえ、別にいいですよ、それくらいは」
 おばけ相手にするの、慣れてるし。
 そこまでは、言えないけれど。
「事情は話せます、か?」
 とりあえず、聞いてみた。自分が死んでいるとの自覚はなさそうだけど、それ以外、何かを覚えているかもしれない。そうしたら、それが自覚の手助けになる可能性だってある。
「あ、あの。すみません、事情は……話せないんです」
 だろうね。そもそも、覚えているのかな?
 仕方ない。こうなったら、時間をかけてゆっくりとやるしかないだろう。おばけなら、さすがに彼女も嫉妬しないだろうし。見えないんだから。
「話せないなら、仕方ないですね。何か必要な事があったら言って下さい。それまでは、ウチにいても構いませんから」
 僕が言うと、明日香さんは驚いたように僕を見つめた。いや、そりゃ驚くだろうね。見知らぬ誰かを、いきなり泊めてあげるって言っているんだから。
「すみません、ありがとうございます」
 深々と頭を下げる明日香さんに、むしろ、僕の方が恐縮した。

 目を開けると、体の節々が痛かった。やっぱり今度、もうちょっとマシな布団を買ってこよう。
 ぼんやりとした頭で、昨日の事を思い出す。あの後、やっぱり明日香さんは何も食べなかった。食欲がないと本人は言っていたけれど、おばけに食欲が湧くわけがない。
 おばけでも、一応は女の人。床に転がしておくわけにもいかず、死んだ人間にベッドを貸し、僕自身は床で眠るという貴重な体験をした。
「ん?」
 ふと、なんだかいい匂いが漂っている事に気付いた。しかも、窓の方からじゃない。
 僕は起き上がると、部屋を出た。ワンルームにキッチンしかない狭い家だ、目的の場所は、すぐさま辿り着いた。
「明日香、さん?」
「え? ああ、すみません。起こしてしまいましたか?」
 明日香さんは、いつの間に着替えたのか、昨日とは違う服装で、しかもエプロンまでしていた。コンロの上には、ごく一般的な味噌汁らしきものが。
 これはつまり。
「……これ、明日香さんが?」
「すみません。出過ぎた真似かとも思ったんですけど、何かお礼がしたくって」
「いえ、出過ぎたって事はないですけど」
 僕が引っかかった場所は、そんなところじゃない。なんでおばけが料理しているんだって、そこだった。そもそもおばけって、おたまを掴めたっけ?
「あの。味見、してもらえますか」
「え? あ、ああ」
 僕は差し出された小皿の味噌汁を飲んだ。どういうわけか、とても美味しい。
「どう、ですか?」
 不安げな様子の明日香さんに、僕は頷いてみせた。
「とても美味しいですよ」
 不自然なくらいに。
 段々と、疑惑が渦巻く僕の耳に、扉を叩く音が聞こえた。こんなに朝早くから、お客さん?
 疑問に思いながらも、僕は玄関の扉を開いた。
「はい、どちらさ――」「くー!」
 僕の声は途中で途切れ、身体は体当たりによって木の床に叩きつけられた。い、痛い……。
「せ、先輩? どうしたんですか、こんなに早くから?」
「会いたくなったの! だから来た!」
 いや、そんなに明朗に答えられても。この人は本当に、やりたい事をやる人だなぁ。
 僕の年上の彼女は、ふと顔を上げた。
「なんかいい匂いがする」
 きょろきょろと真理先輩は周囲を見渡し、そして、一点で視線を止めた。その先には、明日香さん。
 瞬間、まずい、と思った。理由や根拠は何もない、ただの直感だけれど。
 僕は素早く先輩から離れると、立ち上がった。
 一方、先輩はやけにゆっくりとした動きで立ち上がり、油の切れたロボットみたいな動きで僕の方を振り返った。
「くーれーはー君? 彼女は、誰なのかなー?」
 やばい。最高にやばい。
 僕の彼女は、僕を刺しちゃうくらいに愛している。しかも、自分に対する自信というものが全くない。そんな真理先輩が、僕の部屋で、朝も早くに女の人がいるのを発見したら。
 ――先に救急車でも呼んでおこうかなぁ?
 なんて、冗談を言っている場合じゃない。
「あの、先輩? 見える、んですよね?」
「何の事かな? 私はあの素敵なレディが紅葉とどういう関係にあるのかって事を知りたいんだけどなー?」
 どうしよう。とりあえず、正直に言ってみようか。
『スーパーからの帰り道で助けて欲しいと言われたので家に泊めました』
 うん、言い訳にもなってないね。信じてもらえたとしたら奇蹟だ。
 僕が返事に迷っている、その間に。明日香さんが、僕と先輩の間に割って入った。
「あの、私が悪いんです!」
「私は、あなたじゃなくて、紅葉に聞いているんだけど?」
 無表情の先輩が放っている雰囲気は、かなりやばい。
「すみません。一度、紅葉さんと話させてくれませんか?」
 はい?
 先輩を一層、逆上させるような台詞を普通に吐いてくれた明日香さん。勘弁して欲しい。
 すると、先輩はゆっくりと口を開いた。
「――いいわ。五分だけね」
 こうなったら痛いのは覚悟して……、え?
 話をして、いい?
「ありがとうございます」
 頭を下げる明日香さんの背中を眺めながら、僕の中では、違和感だけが大きくなっていた。何かが、おかしい。
 先輩ってこんなに物分りがよかったっけ? 先輩は、特に僕の事に関しては、絶対に妥協をしないはずだけど。
 先輩が部屋の外に出て行き、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
 明日香さんは振り向き、そっと僕に寄る。僕の頬に手を当てた。その手は、昨日と同じように、冷たかった。
「紅葉、さん。迷惑、でしたよね」
 言葉は出なかった。先輩の不可解な行動ばかりが、気になって。
 おばけが見えた先輩。出てけと言われて素直に出て行った先輩。それが意味する事って?
 答えは、単純だ。この人は、『一般人にも見える幽霊』なんだ。
 僕だって、素人じゃないから。そういう幽霊がいるという事実も知っている。そして、そんな相手は、絶対に危ないって事も。
 僕はじりじりと明日香さんから距離を開きつつ、説得をしようと決めた。
「明日香、さん。少し聞きたい事があるんですが、いいですか?」
「はい、なんでしょう」
 明日香さんの純粋な瞳には、疑いの色がない。その目に向かって、僕は問いかける。
「明日香さんは、自分が生きていないって、ご存知ですか」
 一度、驚いたように目を丸くして。そして、明日香さんは続けた。
「気付いて、らしたんですか」
「という事は、自覚はあったわけですね」
「……はい。ただ、ひとつだけ願いがあって、紅葉さんのところにお邪魔しちゃいました」
「お願い?」
 明日香さんは頷いた。
「私、一度でいいから、男の人と寝てみたくて」
「――はい?」
 予想外と言えばあまりに予想外な台詞に、僕は言葉を失った。
「私、今まで箱入りで。男の人とはお話しする事もできなかったんです。一度、一度でいいんです。お願い、できませんか?」
 お願いできません。そんな事をしてたら、間違いなく先輩に殺される。
「悪いけれど、それはできないんだ。いくら相手が変魂でも……」「なんですって?」
 僕の言葉を遮った明日香さんの声色は、さっきまでと少し違っていた。
「へ、ん、ご、ん?」
 変魂。変化した魂、つまり悪霊の事だ。人間に見えるおばけなんて、それ以外には考えられない。
 けれど、明日香さんの態度は、それを否定していた。
「この私を! 変魂などと一緒にするなんて!」
 一瞬、明日香さんの姿が僕の視界から消えた。首を巡らせて探す前に、頭を誰かに掴まれた感触、そして。
「うわっ!?」
 僕は、宙に浮いていた。



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