特別、天才、優秀。
 そんな言葉じゃ、人は救えない。
 本当に救いたい人を救う事は、できないんだ。


 僕の行動圏内から電車で三十分。少し離れた都会は、空気すらもどこかが違っているように思える。
 僕が住んでいる町は、田舎というほどではないけれど、普通の住宅街だ。だから、若者が集まったり、観光客が訪れたりする場所じゃない。そういうところに住んでいると、都会は新鮮であると同時に、どこか落ち着かない雰囲気があった。
 人混みの中を、歩く。ふと視線をあげると、視界の隅に、綺麗な桜色が見えた。
「あれ……?」
 もしかしたら人違いかな、などと思いつつ、その色を追う。すると、その先にいたのは、やっぱり知り合いだった。
「あ、ケイ」
 とある店のウインドウの前で僕が声をかけると、彼女は振り向いた。
「紅葉じゃないの。こんなところで何をしてるのよ?」
 強い眼差しに、少し外ハネ気味のロング。桜色の着物と白いミニスカートを組み合わせた、都会でも珍しい格好は、人目を引きそうに思える。けれど、誰もケイには注目しない。というか、見えていない。
 ケイは、死導者。簡単に言えば、おばけの上位みたいな存在。上位でもおばけには違いないから、ケイ自身が意識しない限り、普通の人には見えない。僕のような、霊感少年でもなければ。
「僕はちょっと買い物に。ケイこそ、どうしたの。アンジェラは? また行方不明?」
 ケイの上司、アンジェラは、僕の友人でもある。けれど、放浪癖のようなところがあるから、簡単には会えない。たまには、会いに来てくれるんだけど。
 案の定、ケイはため息をついた。
「そーなのよね。またどっかに行っちゃって。困ったもんよねー。あんたは知らない、でしょうね」
「うん、ごめん。役に立てそうにないかな」
 僕が苦笑を浮かべると、ケイも同じように笑う。その視線が、僕の手元で止まった。
「それが買ったやつ?」
「そう」
「んー? でもそれ、見た感じ、女物の服みたいだけど?」
「そうだけど?」
 当然のように首を傾げる僕を、ケイは不思議なものを見るような目で見つめる。
「もしかして、彼女にプレゼントってわけ?」
「プレゼントじゃなくて、買ってくるのを頼まれたの。今日しか安く買えないんだってさ」
「ふーん。相変わらずって言えばいいのかしらね、あんたらは」
 一瞬、沈黙する。ケイの瞳が、少しだけ揺らいだ。
「――ねえ。あんたは彼女、好きなのよね」
「そうだよ」
 迷う事なく、即答する。僕にとって、先輩は誰よりも大切な人だ。
「こういう事は、あたしが言う事じゃないだろうけどさ」
 前置きし、ケイは僕を見上げた。
「別れた方が、いいんじゃないの? あんた」
「どうしてそう思うの?」
 聞かなくても、答えはわかっていた。第一、僕にそう言ったのは、ケイが初めてじゃない。色々な友達に言われて、けれど僕は聞く耳を持たなかった。
 ケイの口から出た言葉も、予想できていた内容だった。
「だって、あんたの彼女は……、病的なくらい、嫉妬深いでしょ。あんた、そのうち恋人に殺されるかもしれないのよ? 今なら、まだ間に合うかもしれないじゃないの」
「駄目だよ、それは」
 だから僕も、いつもの答えを返す。
「先輩は、僕がいなくなったらきっと壊れてしまう。それに、先輩は病気なんかじゃない。ちょっと自分に自信がなくて、そして、僕を愛してくれているだけなんだ」
 僕を愛していても、先輩は自信がないから、僕が他の誰かと一緒にいると不安になってしまう。自分よりも他の女性の方が優れていると思い込んでいるから、自分が捨てられてしまうのではないかと思ってしまう。そして、その感情は、どうしたって消えない。
「それに、そんな事をしたら、僕も耐えられないだろうからね」
 僕も、先輩が好きだ。先輩と別れたら、先輩が耐えられないように、僕も耐えられない。
 いや、あるいは、そっちの方が大きな理由かもしれない。
「でも、ケイがそこまで心配してくれるなんて珍しいね」
 僕が言うと、ケイは頬をかいた。
「あんたは、特別だもの。あたしたちにとって」
「どういう、事?」
「あんたは、あのマリアが救った人間なの。わかる? それが、死導者あたしたちにとってどれだけ特別な事か。
 あたしはアンジェラ至上主義だけど、そのアンジェラにとってでさえ、マリアの言葉は特別な重みがある。まして、マリアが直接に救ったあんたなら、存在そのものが特別なのよ」
 マリア。その名前は、僕の記憶にもある。
 幼い頃、死にかけた僕を救ってくれた白い影。本当ならそこで死ぬはずだった僕を救ってくれた、小さな少女。その名前を知ったのは、ごく最近の出来事――。それが、マリアだった。
「まあ、あんたが彼女を大切にするって言うなら止めないけどさ。気をつけなさいよ? あんたが死んだら、たぶんアンジェラは悲しむ。アンジェラを泣かしたら、あたしがあんたを許さないから」
「それは怖いね。気をつけるよ」
 ケイは、苦笑を交えて言う僕を、本当にわかっているのか、という目つきで見つめていた。

 駅に向かう途中、僕は小さな黒い女の子を見つけた。頭の上に黒いオコジョを乗せて、平然と歩いている。
 女の子の外見は小学生くらいだけど、雰囲気が明らかに違った。そして何より、その少女という存在を誰も意識していない。
 どう見ても霊体、というか、知り合いだった。
 向こうも僕の存在に気がついたらしい。視線を向け、油断していると見逃してしまいそうなレベルで表情を崩す。
「こんにちは、紅葉」
「久しぶり、アンジェラ」
 さっきはケイに会ったばかりなのに、今度はアンジェラか。今日はなんだか、死導者に縁がありそうな日だなぁ。
 ……思って、自己嫌悪した。アンジェラやケイならともかく、そんな日は、あんまり嬉しくない。
「アンジェラ、さっきケイが探していたよ。また勝手にふらふらしていたんだって?」
 僕が言うと、アンジェラは困ったように眉根を寄せた。
「気になったものだから、つい。ケイを待つべきという事は理解しているのだけれど、体が勝手に動いてしまうのよ」
「そりゃまた、重症だね」
 いつもの事だけどね。
 気になったら即行動、それがアンジェラの原則。上司の奇行を止める事はできないと、最近ではケイも諦め気味だ。
 ケイとの会話を思い出す。その間に、ふと、とある台詞が思い起こされた。
「ねえ、アンジェラ」
「何かしら?」
 首を傾げるアンジェラに、
「……僕って、特別だと思う?」
 聞いてみた。
 質問に、アンジェラは目を丸くした。
「どうかしたのかしら。急にそんな事を聞くなんて?」
「ん、実は――」
 僕は、ケイに『僕が死導者にとって特別な存在である』と言われた事を話した。
 僕は、僕をそれほど特別とは思っていないのに。
 事情を飲み込んだアンジェラは頷く。
「ケイの言う通りね。貴方は零番目マリアが手を出した、数少ない人間。しかも一般人にもかかわらず起源を見切り、死導者と戦っても生還した。そんな人間、貴方くらいよ」
 そう言われると、色々と覚えがあり過ぎる。
 僕が能力を得たのは、マリアに命を助けられたからだ。しかもアンジェラにもできない事ができるし、以前、死導者のひとりと争いになった事もある。アンジェラが助けてくれた事もあって、あの時は無傷だったんだよな……。
 そう考えると、まあ、自分が普通でない事は認めるしかない。けど――。
「やっぱり、特別って性に合わないなぁ」
「貴方以上に特別な人もそうそういないのだけれど」
「うん。自分が変わっている事も理解しているし、普通の人はできない経験を積んでいる事も理解しているよ。実際、僕の力は特殊だからね。けど、僕がやってきた事は、そんなに特別な事だとは思っていないんだ」
 目の前に恩人がいて、その恩人が困っていたら、誰だって助けると思う。
 目の前に苦しんでいる人がいて、自分しか助ける力がないってわかっているなら、誰だって手を差し伸べると思う。
 目の前に明確な敵がいて、自分や大切な人が襲われていたら、誰だって戦うと思う。
 僕の選択は、いつだって“当たり前”の選択だった。それ以外に道は存在しないと思えるほど、一本の道を進んできたつもりだ。
 だから、特別なんて言葉は、実感が沸かないんだ。当たり前の選択肢を、当たり前のように選んできた。それは、“普通”という言葉で表すべきものだ。
「紅葉」
 アンジェラの静かな言葉を、僕の耳が捉える。
「貴方は、間違いなく特別よ」
 どこか厳しさも含んだ口調で、アンジェラは言う。
「誰もが貴方と同じ選択をするわけではないわ。時に、人は自分以外の人間を冷酷なまでに切り捨てる。その原動力は恐怖であり、怠惰であり、無関心であり。理由は人によってそれぞれだけれど、他者を助けられる人間は、そう多くはないと思っているわ」
 僕よりも多くの人間と触れ合ってきた、アンジェラの言葉。
 それは、重みがある。たかだが二十年の人生しかない僕の言葉とは、明らかに違う重みが。
「紅葉、人は弱いの。誰かがやってくれる、自分でなければいけない理由はない、そこまでしてあげる義理はない。そうやって自分を誤魔化して、救う事を拒む。それもまた、人間の一面なの。
 そうしない貴方は、確かに特別。苦しむ人を助け、迷う人に道を指し示し、悲しむ人の隣にいられる人間。それが、貴方」
 ――僕の選択は、誰にでもできる事じゃない。
 アンジェラは、そう言いたいんだろう。力があっても、傷つくのは怖い。踏ん張らなきゃいけないのは、やっぱり苦しい。
 そういうのを避けたいって思うのは、普通の心かもしれない。僕が、そうしないだけで。
 だから、僕は強いと、そういう事なんだろう。
「もっと自分を誇りなさい、紅葉。貴方はそれだけの事をしてきたし、それだけの力があるのだから」
 僕の、功績。
 僕の、力。
 僕は、誇っていていいのだろうか。
「……、ありがとう、アンジェラ」
 答えは、出なかった。
 それでも僕はお礼を言った。アンジェラには、僕が落ち込んでいるように見えたのかもしれない。言葉の端々に、激励するような温かさが感じられた。
「でも、やっぱり僕は、特別に優秀じゃないよ。本当に救いたい人は、救えていない。むしろ、僕が悪化させているんだから」
 僕は弱い。そして、エゴイスティックだ。それが僕の全てというわけではないけど、そういう面も、僕にはある。
 アンジェラは僕を見上げる。頭上で、エルが小さく鳴いた。
 僕の言葉の意味を理解したのか、それともよくわかっていないのか。無表情では、それもわからない。
 チリン――
「紅葉。貴方は、貴方の選択を信じなさい。きっと、それで大抵の事柄はうまく行くはずよ」
 最後に言い残し、アンジェラはケイを探しに行った。



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