幸せは、どこにでも、どんな時にも転がっているのかもしれない。
 時に、それを見つけるのは本当に難しくて、見つけられないかもしれないけど。
 でも、きっと、いつもそこにあるんだ。


 凄惨な事故、と呼んでいいんじゃないかと思う。
 死者は、僕の見える範囲で、十人以上はいる。たぶん、もっと多くいるんだろう。
 走っている電車にトラックがぶつかり、脱線。それなりにスピードの出ていた列車から飛び出した人は、間違いなく全員が死んだと思う。
 僕も、そのひとりだった。
 僕が乗っていたのは、最前列の車両。そのぶん、衝撃は半端じゃなかった。体がふわりと浮いたな、と思ったら、次の瞬間に意識は途切れ――、そして、こんな体になってしまった。
「っそぉ!」
 叫び声に後ろを向くと、若者と中年の間くらいのおじさんが、木にやつあたりをしていた。
「なんでだよっ、オレが何か悪い事でもしたってのかよ!?」
 振り抜いた拳は、木をすり抜ける。
 これが、俗にいう幽霊ってものなんだろう。これだけ周囲に同じ存在の人がいると、いまいち実感なんてものは沸かないけど。
「なんでだよ、なんで……、オレのどこが悪かったんだよ!」
 別に何も悪くない。あえて言えば、運が悪かった。それだけ。
 世の中なんて、そんなものだと思う。昨日まで笑っていた人が、翌日に死ぬ。今すぐにでも死にそうなくらいに血まみれの人が、奇跡の生還を果たす。
 結局、何をするにも運が必要という事。僕も、あの人も、運がなかった。それだけの事なんだ。
 再び電車に目を向ける。
 ぐちゃぐちゃになった電車の周囲では、軽いケガで済んだ人たちが簡単な手当てを受けている。重症の人は、もうとっくの昔に病院まで運ばれた。今は、警察の人やら工事の人やらが集まって、何事かを相談していた。
 そして、それを囲むようにして、幽霊たちが集まっている。小さな子供を引き連れた若いお母さん、スーツを着込んだ中年のおじさん、杖を手にしたお婆さん。年齢も性別も関係なく、死は平等に訪れている。
「ねー、君」
 僕の視界を遮るように、影が現われた。見上げると、二十代くらいのお姉さんが僕を見ていた。
「なんですか」
「君さ、どうしてそんなに冷静な顔をしてるのよ」
「変ですか」
「変よ」
 お姉さんはさらりと答え、髪をかき上げた。
「君、まだ小学生でしょ? 少しくらいは動揺したり、泣いたり怒ったり、せめて呆然としたりしない?
 今の君は、冷静に状況を受け止めているって顔をしてる。正直、子供のする顔じゃないよ、それ」
「よく言われます。でも、これが僕ですから」
 ふうん、とつぶやき、お姉さんは僕と同じくらいにまでしゃがんだ。
「なるほど、なるほど。これまた淡白な子だねぇ、あたしゃこんな子は初めて見たよ」
「そりゃどうも」
 僕をじっと見つめたお姉さんは、ふふん、と笑い出した。その笑い方が気になったから、聞いてみる。
「なんですか」
「君。お姉さんと楽しいコトしよう」
「……はい?」
「いいからいいから。ほらほら、一緒に来ればいいの!」
「え? ちょ、ちょっと!」
 僕の手を引っ張り、強引に連れて行こうとするお姉さん。僕はそれに、全身で反抗した。
「なんでそんな事をしなきゃいけないんですか! イヤですよ、そんなの!」
「まーまー。あ、あたしの名前は大庭美由紀。君は?」
「だから、なんで名乗らなきゃいけないんですか!」
「年上のお姉さんに名乗られたら、とりあえず名乗り返すのが男の子の礼儀なの! ほら、名前!」
 強く言われ、僕はしぶしぶ答えた。
「――、品川啓志、ですけど」
「ケーシくん、ね。おっけー、それじゃあ行くわよ、ケーシくん!」
「だから、せめてどこに行くのかくらい、ちょっと!」
 僕の言葉にはまるで耳を貸さず、美由紀さんは僕を連れて行ってしまった。

 美由紀さんに連れられてやった来たのは、とある映画館だった。
「こんなところで、何をするんですか」
「何って、映画を見るに決まってるじゃないの」
「……お金は?」
「おばけがお金なんて払わなくていいでしょ。ほらほら、入った入った」
 美由紀さんに押し込まれ、僕は壁をすり抜けた。
 上映中のラインナップを眺め、美由紀さんは楽しそうに聞いてくる。
「ねえねえ、どれ見る? どれでも、好きなものを見られるわよ。しかも、タダで」
「どれでもいいですよ」
 というか、どうでもいい。
 僕の内心を知ってか知らずか、美由紀さんは楽しそうに選び、
「じゃあこれ!」
 ひとつの作品を選んだ。
 内容はどうでもいいので、場所だけを確認する。シアター1、すぐそこだ。
「レッツゴー!」
 にこにこと笑いながら進む美由紀さんの後を、僕も付いて行く。今の間に逃げようとか、そういう発想は諦めた。
 どうせ僕も暇なんだし、こういう人に付き合うのも、悪くないかもしれない。なんて、思いながら。
 映画館はガラガラだった。観客なんて、数えるほどしかいない。平日の昼間だし、普通はこんなものなんだろうか。
 美由紀さんは見やすい位置に浮かんだ。僕も、その隣に浮かび、美由紀さんの顔を盗み見る。
 とても、わくわくしていた。
 顔から、体から、楽しみだっていう気持ちが湧き出ているようだった。僕には、こういうの、真似できないな。
 しばらく待つと、場内が暗くなった。そして、映画が始まる。
 映し出されたのは、壊れた町並み。人の気配はない。ガレキがそこらに散らばり、どこか戦争している土地を思い起こさせた。
 そこに、主役らしい女の人が現われる。迷彩模様のタンクトップを着て、手にはマシンガンのようなものを持っていた。
 と、建物の裏から、バッと何かが飛び出す。
 腐ったような、緑色の体。ボロボロの服。明らかに生きている人の顔じゃない。というかこれ、ゾンビ?
 女の人が銃を向け、思い切り撃つ。ゾンビの体が弾け、気持ち悪い破片がそこらに飛び散った。
「……あの。これ、何の映画ですか」
「ホラー。R指定のヤツ」
「あの。僕、まだ小学生なんですけど」
「そうね。せっかく死んだんだから、生きている間にできない事をしたいじゃない。でしょ?」
 だからって、子供に見せちゃいけないって決めたものを、わざわざ子供に見せるの? まったく、この人は何を考えているんだろう?
 いや、この人の考えがわからないのは、今に始まった事じゃない。僕の前に現われた時からだ。今さら、そんな事を考えても仕方ないな。
 結局、美由紀さんは映画を最後まで存分に楽しんだ。僕は、それほど楽しめなかったけど。

 映画館から出ると、美由紀さんは思い切り伸びをした。
「んー、面白かったね! 最後なんか感動して涙を流しちゃったよ」
「それはよかったですね」
「んー?」
 美由紀さんは僕の顔を覗きこんだ。顔が近い。
「どうした、少年。楽しそうじゃないな?」
「R指定のホラー映画を見せられて喜ぶ小学生がいるんですか」
「そうかいの。なら、次に行こうかねぇ」
「まだ、どっかに行くんですか?」
「当然。不本意ながらも死んじゃった以上、霊体ってのを楽しまなきゃ」
 おそろしくポジティブな人だ。信じがたいほどに。
 通りを、美由紀さんと並んで歩く。美由紀さんはきょろきょろと見渡し、実に楽しそうに見える。
 死んでしまって、おまけにこんな世の中で。いったい、何がここまで楽しいんだろう。それが、僕には理解できない。
「お、少年、次はあれにしよう」
「あれ?」
 美由紀さんの指差す方向を見ると、水族館、と書いてあった。
 僕はため息ひとつ、そちらに足を向ける。
「お? 素直になったな、ケーシくん?」
「美由紀さんは何を言っても諦めないでしょう。なら、素直に従いますよ。どうせ、他にする事もないんだし」
 見上げると、美由紀さんは、うんうんと頷いていた。
「それが正しいぞ、少年。現状を変えられないなら、せめて現状を楽しまないとね」
「そんなに楽しめるの、美由紀さんくらいですよ」
「そうかな?」
 パッと笑顔を咲かせ、美由紀さんは僕の手を取った。
「それなら、君は幸運って事ね。このあたしと出会えたのだから!」
「……それ、自分で言う事ですか」
「もち!」
 楽しそうな美由紀さんには、反抗する意志が沸かなかった。
 いや――僕は元々、反抗できる人間じゃないのかもしれない。
 飼い慣らされた子犬は、絶対に飼い主に反抗しない。そういうものだろうし、僕も、そんな存在だ。
 主の言うがままに動く、機械のような人間。
 そんな生活の、どこに楽しむ要素があるというのか。
 ……いや、美由紀さんなら、見つけるかもしれない。
 あんな中でも、楽しいものを見つけ、自分なりに楽しもうとするだろう。僕には、そんな真似はできないけど。
「ん? どうした、ケーシくん。空腹かい?」
「おばけが空腹になるわけないでしょう。なんでもありません」
「そうかい。なら、今はお魚さんの優美な姿を楽しむのだ!」
 おどけて、美由紀さんは僕を連れまわす。
 引っ張られるまま、僕は後に付いて行った。

 映画館、水族館、果てはお笑いのライブまで。
 美由紀さんは僕を引っ張り、僕もそれに付いて歩き回った。
 あちこちを回った僕らは、けれど肉体的な疲れは何もなかった。ただ、次の目的地は特に決められず、仕方なしに僕らは空から夜景を見る事になった。
 この街の夜景は、キレイ、と称されるべきものなんだろう。またたく光が、海のように広がっていた。それを見ても、感慨なんてものは沸かないけど。
 そんな光景を眺めながら、ふと、美由紀さんは口を開いた。
「ね、ケーシくん。どうして、あたしが君をあっちこっちに連れて行こうとしたか、わかる?」
「さあ? それが趣味なんじゃないですか」
「はは、まさか。君だからよ、ケーシくん」
 隣を見上げると、真剣な表情だった。
「君の顔には、感情がなかった。だから、それを取り戻して欲しかったの。恐怖でも、感動でも、笑いでも、なんでもよかった。とにかく、君に『感情を表現する』って事を思い出して欲しかったのよ」
 けれど、それは失敗した。
 なぜなら、僕の顔には、何も浮かんでいないから。
「ごめんね。本当は、取り戻して欲しかったんだけどさ。あたしじゃ、無理みたい」
 美由紀さんは、心の底から残念そうな顔でうつむいた。嘘には、見えなかった。
「……、なんで」
 だから、僕の口は、動いた。
「なんで、そんなに真剣になれるんですか? あなたにとって、僕は他人じゃないですか。なのに、どうして?」
「んー? どうしてって事はないよ。ただね、君の顔を見ていたら、子供がこんな顔をしているのはイヤだなって思っただけ」
「イヤだなって、それだけで? それだけで、ここまで?」
 美由紀さんは、首を横に振った。前髪が、顔にかかる。
「いーや。あたしは何もできちゃいないよ。君に表情を取り戻す事はできなかった。失格だね」
「十分です。ここまでしてくれただけでも」
「努力が評価されるのは、結果があるからよ。結果のない努力は、評価のしようがない。だから、評価されない」
 そっと、美由紀さんの手が僕の頬に触れる。優しく、優しく、繊細な何かを壊さないような手つきで。
「あたしは、結果が出せていない。なら、努力なんてどれだけしようと無駄になっちゃう。おおかた、君も結果を求められてきたんでしょ?」
「――僕の事、知っていたんですか?」
「いんや。でも、なんとなくわかるわよ。
 最近の子供ってさ、塾とか習い事とか、そういうので忙しいんでしょ? 参っちゃうよね。遊べるのなんて子供の間だけなのに、今の日本じゃ、子供だって遊ぶ事ができないんだもの」
 まさに、その通りだった。
 僕の親は、僕を有名な私立中学に入れようと必死だった。僕を複数の塾に通わせ、僕は親の命じるまま、勉強だけを続けた。
 友達は、あまりいない。放課後に遊べない人間を友達扱いする人は、本当に少ない。
 僕の知識は増えていった。代わりに、僕の中から、感情は抜け落ちていった。
「あたしね、子供の頃は小学校の先生になりたかったんだ。死ぬ前までは何の因果か、ごく普通のOLやってたけど。それで、表情のなかった君を見て、あたしができる事をしようって思ったんだ。
 けど、駄目だった。そんで、あたしは、もう時間がないみたいね」
 美由紀さんの手が、僕から離れる。その姿が、なんとなく、薄くなっていくようで――。
「美由紀、さん?」
 不安が込み上げてくる。重苦しい気持ちに、胸がいっぱいになりそうだ。
 それを飲み込み、僕は名前を呼ぶ。
「美由紀さん、時間がないってどういう事ですか。駄目だったって、なんでですか。もう諦めちゃうんですか!」
「ごめん。さよなら、ケーシくん」
 その体が、明確に消えていく。
 僕は、悟った。ああ、美由紀さんは天国に行くんだ、って。
 イヤだった。たまらなく不安だった。
「美由紀さん、待ってください! ひとりだけ行くなんてズルいですよ!」
「はは、それ、恋人にも言われたわ。お前だけ死ぬな、って。でも、ごめんね。これ、あたしじゃどうにもできないみたいなの」
「美由紀さんっ!」
 僕が懸命に伸ばした手は、美由紀さんの体を、すり抜けた。
「そん、な! そんな! 僕だけ置いていくんですか、美由紀さん!」
「……はは。ごめんね、でもって、ありがとう」
 美由紀さんは目を細め、満足そうに笑った。
『今の君、すごく感情的だ。あたしは、最期にそれが見れて、満足だよ』
「美由紀さん!」
 ふわりと、美由紀さんの体が消え、光の玉になる。そして、それはゆっくりと天に昇っていった。
「美由紀、さん……」
 呼び声に答えてくれる優しい声は、もう聞こえなかった。



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