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知らないから、できる。 知っているから、できる。 できないもの、それは――。 心臓がバクバクと跳ねていた。怖いわけじゃない。むしろ、これは興奮だった。 ぎゅっと得物を握り締める。手に、薄っすらと汗がにじんでいた。 「ターゲットは?」 「コータが見張ってる。今は公園のベンチにいるって」 「オッケー、じゃ、裏から回るぞ」 仲間と一緒に、こっそりと歩いていく。程なくして目的の公園に辿り着くと、揃ってトイレの裏から様子をうかがった。 「コータ!」 小声で名前を呼ぶと、ベンチから少し離れたところにある茂みが揺れ、そこからコータが顔を出した。 「そこのベンチ。見たか?」 「ああ、いたな。んで、いつ仕掛ける?」 「こっちはオッケーだぜ」 「ひゃっはぁ!」 「いつでもいけるよ」 「よし、それじゃあ行くか!」 もう誰が声を出しているのかもわからなかった。視野が極端に狭くなって、世界中に存在するのは、俺とターゲットだけになっていく。 俺は両手で得物を握り締めると、思い切り振り下ろした。 人の体をえぐる、柔らかいながらも、にぶい感触。そして、真っ赤な血が噴き出した。 何も聞こえない。何も必要ない。 俺は強い、強い、強い! 全身の感覚が研ぎ澄まされ、標的の息遣い、指の動き、血の流れさえも知覚できる。今なら、何でもできる気がした。 血が、血が血が血が血が、俺に力を与えてくれる! 「よし、そろそろいいだろ」 シゲの声で、俺は我に帰った。手を休め、荒くなった息を整える。 見れば、標的は地面に転がり、細い息を吐いていた。赤黒い血が公園の地面に染みこんでいる。 「おい、そろそろ逃げるぞ。誰か来ないうちに」 「オッケー」 「ひゃっはぁ!」 皆が立ち去っていく中、俺は倒れたホームレスを見つめていた。 「おい、ソラ! さっさと逃げるぞ!」 「うん? あ、ああ」 答えつつも、ホームレスから目が離せない。得物を握る手が、ますます力を増していく。 「おい! ソラ、何してんだよ!」 シゲに腕を掴まれて引っ張られるまで、足が動かなかった。 学校に行くと、シゲやコータが集まっていた。俺も自分の席に鞄を置き、その机に行く。 「どうしたんだ?」 「あ、ソラ。ほら、昨日のあれが新聞に載ってるんだよ」 コータが全国紙の社会面を広げた。そこには、連続ホームレス傷害事件に関する記事が大きく載っていた。 「くそー、まだ一面にはならないか。今度はもっと派手にやって、一面に載せようぜ」 「だったら、もういっそ、やっちゃう?」 「あー、それいいね。そうすりゃ絶対に一面だし」 「ひゃっはぁ?」 「なんで疑問系なんだよ。でも、面白そうだな。オッケー、いつやる?」 「今日でいいんじゃね?」 「昨日の今日じゃなぁ。来週くらいの方がいいだろ」 「むしろ、こんくらいの方が意表をつけていいんじゃね」 「ひゃっはぁ!」 「あー、わかったわかった。んじゃ、今日な」 仲間の流れるような会話に加わる事もなく、ただ漫然と見つめている俺。そんな俺を、ふと、シゲの視線が捉えた。 「どうしたよ、ソラ。元気ねーな?」 「え? あ、いや、そんな事はないよ」 一瞬、シゲの視線が揺らいだ。けど、すぐに元の色に戻る。 「で、ソラは今日はどうなんだよ?」 「ああ、俺は大丈夫だけど。てか、さすがに殺しまでやるのはヤバくね? 警察、マジになるぜ」 「大丈夫だよ。誰にも見られちゃいないし、仮に捕まったって、子供相手じゃ何もできないだろ」 シゲは言う。少し楽観的すぎやしないか、とは思うが、実際に今までは何も起きていない。なんだかんだ言っても、シゲたちだって殺したりはしないだろう。せいぜい、半殺し。重症程度なら、警察だってマジにならないかもしれない。 「じゃ、いつもの時間にあそこに集合な」 「うん、わかった」 俺が頷いた時、ちょうどよくチャイムが鳴り、ほとんど同時に教室の扉が開いた。 ぞろぞろと皆が席に戻る中、俺も窓際にある自分の席に戻り、外を眺めた。 なんとなく、暗い気分のままに。 学校近くのコンビニが、俺たちの集合場所。午後十時、俺が到着すると、いつものメンバーがだいたい揃っていた。 「あれ? コータだけいなくね?」 「あー、なんか、ちょっとだけ遅れるって。さっきメールがあった」 「ふーん……」 コータが遅れるなんて珍しい。あいつは時間に正確で、まず間違いなく一番手で到着するのに。 「ワリィ、みんな」 なんて考えていると、後ろから声が聞こえた。俺は振り向きつつ、答える。 「おう、どうしたんだよ、コータ?」 そこで、俺の動きは固まった。空気もなんとなく冷たく張り詰めている。 コータの後ろには、ふたりの女子がいた。 ひとりは俺らより年下、まず間違いなく小学生。夜空色のワンピースに、吸い込まれそうな真紅の瞳を持つ、ある意味で不気味な子だった。それでも怖くないのは、雰囲気が優しいからかもしれない。 もうひとりは、たぶん俺らより年上。高校生くらいだろうか? 桜色の着物と白いミニスカートを組み合わせた、仮装みたいな格好をした人だった。 「コータ、誰だよ」 「あー、説明するの、難しいんだけど」 困ったように口を尖らせ、コータは目線で後ろに合図した。ふたりが頷き返す。 「あたしはケイ。志野ケイね」 「私は、アンジェラ・ウェーバー」 「――んで? 俺らに何か用っすか」 シゲが警戒した目つきでふたりを見る。まさかコータがバラした、なんて事はないと思うけど、万が一にも目撃とかされていたら、口封じをしなきゃいけない。 全力で警戒する俺らに対し、ケイは平然と手を振った。 「そんなにマジになんなくて大丈夫よ? 別に警察に言ったりなんてしないから」 「警察? 何の事っすか」 答えつつも、全員の視線がコータに集まる。コータは声には出さず、『俺じゃない』と言っていた。 俺たちの視線に気づいたのか、ケイは軽く見回しつつ、 「別にこの子は何もバラしちゃいないわよ。単に、ここまで案内してもらっただけ。あたしらは、見ていただけよ。昨日も、ね」 「見ていた? だから、何をっすか」 「わざわざ聞きたい? 自分の恥」 シゲが全員に目配せした。俺らは、そっとふたりを囲むように立ち回る。得物は隠し場所にあるから今はないけど、女の子を相手にこれだけの人数なんだから、命令するのはたやすい。 「そこまで知っているんだったら、無事に帰れないって事もわかるっすよね」 「んー、そうかもね。じゃ、早く行きましょ。どうせ、どっかに武器とか隠しているんでしょ?」 ケイも、アンジェラも、まるで緊張していなかった。どこか、自分は絶対に安全だと言わんばかりの自信を持っているように見える。 そういうのは、ムカつく。 世の中に絶対安全、なんてないんだ。それを俺らは証明している。なんでもない街中だって、時に凶行の現場になるんだ。 それを、思い知らせてやる。 ケイとアンジェラを連れ、俺たちはいつもの隠し場所にやって来た。昼間なら散歩道に適した木立だ。けど、夜の今は明かりが少ないために薄暗く、人影はまるでない。 「準備、してきなよ。逃げたりしないからさ」 腰に手を当て、バカにしたような目つきで俺らを見るケイ。その目を見返し、俺は言った。 「後悔すんなよ」 「後悔なんてのは自分に自信がない奴がするものよ。あたしは、あたしの行動に自信と責任を持ってやってるの。後悔なんてするわけないでしょうが」 「あら、そうだったの」 久しぶりに口を開いたかと思いきや、アンジェラの視線はケイに注がれていた。 「私は後悔する事ばかりよ。過ぎた時間は戻る事がなく、どれほどの力でも変える事ができない。それこそ、マリアでさえ、ね」 「あのさ。アンジェラ。せっかくカッコつけたんだから、ちょっとはカッコいいままで終わらせてあげようとか、そういう暖かな心配りは?」 「気づかなかったわ」 「……………………いじわる」 「おいおいおい! 無視してんじゃねえ!」 ガン、とコンクリートを叩く音に、ケイとアンジェラの視線が集まる。俺もそちらを見た。シゲやコータが、バットや金属パイプを手に、ケイをにらんでいた。俺もすぐに離れ、使い慣れたバットを受け取る。 「さて、と。誰にも喋らないって約束すれば、無事に帰してやるぜ?」 「甘いのね。そんな口約束で信じられるわけ?」 確かに。ここで何を言おうとも、俺たちのいないところで警察に駆け込まないとも限らない。 「シゲ、思いっきりやっちまおうぜ。誰にも言いたくなくなるくらい、それこそ自殺したくなるくらいにやってもいいな」 「なら、目でも潰すか。そうすりゃ死にたくなるだろ」 「ひゃっはぁ!」 「オッケー、なら、まずはボコって足でも折るか」 俺の仲間たちの言葉に、ケイの視線が細くなった。 「あんたらさー、自分が何をしてるかわかってんの?」 「ストレス発散の運動と社会貢献を兼ねた、崇高な趣味」 「そう。じゃ、あたしもストレスが溜まってきたから、発散してもいい?」 ぞくり、と背筋が凍った。手が、小刻みに震える。それが、全身にまで発展していくのに、そう時間はかからなかった。 「自分たちは子供だから、何もされないとでも思った? 警察や大人も、自分たちの味方をしてくれるに違いないって? 甘ったれんじゃないわよ」 そっと、ケイは懐に手を突っ込んだ。取り出したのは、ただの木片――? 「あんたらを見ていると、ムカついてしょうがない。ガキのイタズラで許されるのも、限度があるのよ」 「ガキのイタズラかどうか、体で味わえよ!」 コータが飛び出す。あいつらにコケにされて、誰よりムカついているように見えたのは、コータだった。俺らの知らない間に、何か言われたのだろうか。 金属パイプがまっすぐにケイに伸びていき、キン、という高い音が響いた。 「……あ?」 コータの足が止まる。その目が、自分の握る鉄パイプに注がれていた。 鉄パイプは、途中で切られていた。まるでそこから先だけがどこかに消えたかのような、綺麗な断面だった。 「なん、だ? 何が?」 正直、俺にも何が起きたのか理解できなかった。コータが突っ込んで、気がついたら鉄パイプが短くなっていた。 「まずは、あんたらの武器を打ち砕く」 「あう?」 ふっと、ケイの姿が見えなくなった。アンジェラはその場に立ったまま、無表情に俺たちを見返している。 「あんた、ただの中学生にしてはやるじゃない。剣道でもやってんの?」 声は、後ろから聞こえた。慌てて振り向くと、俺らの仲間のひとりであるリョウタが、ケイと対峙していた。 「お、おい、ソラ! バット!」 言われて、俺はバットに目を向けた。そこで、初めて気づく。 バットの、握りより上が、なくなっているという事に。 切断面は、コータの鉄パイプと同じ、綺麗なものだった。いつの間に切られたのか、まるでわからなかった。 周りを見てみる。シゲのバットも、ツバサの木刀も、握りより上が切られていた。まさか、さっきケイが姿を消した時に何かしたのか? でも、そんな事って、できんのか? 「シゲ、コータ、ソラ、ツバサ。逃げろ」 リョウタが、いつもとは違った真面目な口調で言った。 「あ? ど、どうしたんだよ、リョウタ」 「こいつ、ヤバい。マジで強い。俺らとじゃ勝負になんない」 リョウタは、俺らの中で唯一、運動部に入っていた。ケイの言う通り、剣道部だ。そのリョウタが言うんだから、間違いないだろう。 いや、実際、リョウタがどんくらい強いのかは知らないけど、ケイがヤバいってのは俺でもわかった。こいつは、普通じゃない。 「なーにー? 逃げんの? ま、いいけどさ。あんたらっぽくて」 「ど、どういう意味だよ!」 「まんまよ。武器と人数で圧倒し、やるだけやったらさっさと逃げる。んな姑息な真似、サタンだってやらないわよ。 あ、それと、ついでにもうひとつ、教えてあげるわ」 ケイは満面の笑みを浮かべ、堂々と言い放った。 「アンジェラがマジになったら、あたしより厳しいから」 ケイの殺気のせいで、気づかなかった。背後に迫る、強烈な怒気。それを放つ存在。 後ろを見たくなかった。目を合わせた瞬間に殺されそうな気さえした。それでも、体は意思に反して動く。 俺たちの、後ろ。そこにいたのは、ただの小学生だった。 表情はさっきまでと変わらない。無表情で、ただ突っ立っているだけ。 なのに、異様な威圧感があった。虎を前にしたウサギってのは、こんな風に頼りない気持ちになるんだろうか? 嫌だ。嫌だ怖い嫌だ嫌だ! この場にいたくない! どこかに逃げてしまいたい! 全身が叫ぶ。そのくせ、今度は体が欠片も動きやしない。 前後を殺気に挟まれた俺たちは、まさに袋のネズミ。食い殺されるだけの、弱者でしかなかった。 「人間は、弱い。だからこそ、強くあろうとする必要がある。そうしないと、どこまでもどこまでも落ちていく。ちょうど、今の貴方たちのように」 「落ち、た? 俺たちが?」 「自覚ないのぉ!?」 ケイの呆れた声に、びくりと肩が震えた。 「貴方たちは守られている。そうでなければ、幼い貴方たちは生きる事さえできなくなる。もちろん、だから感謝しなければいけない、などとは言わないわ。感謝は気持ちが生むものだもの」 ただ。呟き、すっと、アンジェラは手を上げた。 チリン―― 腕輪に付いた鈴が鳴る。涼しげな音色だった。 「守られているからという理由で、何をしても良いわけではない。貴方たちは義務を持たない、代わりに、自由も与えられない。 まして、貴方たちの行いは、いかなる者であろうとも許されざるもの。 己の快楽のために、平気で無抵抗な他者を傷つける? 冗談にもならないわ」 俺たちが殴った、どんな奴でも、こんな目はしなかった。こんな、視線だけで殺すような目は。 「帰りなさい、あるべき場所に。特に、貴方は」 ひゅっと振り下ろされたアンジェラの手。その手は、不思議な事に、剣を握っていた。ずっと見ていたはずなのに、いつの間に掴んだか、まるでわからなかった。 剣が、俺を指す。ただ、俺だけを。 「貴方は染まりすぎている。いずれ、崩壊してしまうほどに。そうなる前に、貴方は帰らなければいけない」 言い切り、アンジェラは剣を下げた。殺気も一緒に消え去っていた。 見渡すと、シゲたちは疲れたような顔をして、その場にへたり込んだり、あるいは立ったままで呆然としていた。抵抗できそうなほどに気力が残っている奴なんて、いなかった。 「行いは、いずれ己に返る。貴方たちは、与えた苦痛の分だけ、絶望を受けなければいけない。私たちが貴方たちに与えたものは、ほんの一部に過ぎない――それを、思い知ればいい」 チリン―― 鈴が鳴ると同時、アンジェラの姿は消えていた。不可思議な現象が目の前で起きたのに、心が疲弊していて、それどころじゃなかった。 「言っておくけど、次はあんたたちを斬るわよ」 言い残し、ケイもまた悠然と立ち去る。それを見送るほどの力は、俺には残っていなかった。 |