命を尽くして、それこそ死んでも守りたいもの。
 言葉で言うのは簡単だが、実行するってのは難しい。
 それだけの覚悟は、普通の人間にはない。


 ジリリリリ……!
「はいはい、うっせーよ」
 文句を言っても仕方ないとは思うが、文句を言わずにはいられないってもんだ。
 電話を取ると、いきなり大声が聞こえてきた。ちょっと耳から受話器を遠ざける。
『やーあ、火野家の諸君、元気してるー!?』
「……天野。声がでけえ。声を小さくするか、電話から離れろ」
『おう? おうおうおう? その声は公平だな。君さ、もうちょっと優しい言葉使いはできない?』
「お前はもうちょっと声を落とせねえ? でないと切るぞ」
『いいのかなー? 仕事の依頼だよ?』
「仕事ぉ? どうせお前の依頼なんだから、また面倒な要件なんだろ?」
『たはは、まあ、そうなんだけどねー。こっちの要求は、信頼できる霊視能力者を最低で三人。除霊能力があればなおよし。多ければ多いほどいい。交通費なんかの実費はもちろん、依頼料はいつもくらいの額で払うよ』
「三人も? オレと陽平だけじゃ駄目なのか?」
『んー、場所はただの学校なんだけど、なにせ数が多くてねぇ。校舎丸々だし。あんたらふたりだけじゃ、ちょっと不安なのよね』
 なるほどな、と心の中で呟く。
 しかし、困ったな。オレら以外って言えば鯉田だが、鯉田の両親は揃って京都に仕事で行っている。まみは大学の試験期間だとかで、仕事はさせないように言われたばっかだ。そうなると、他の知り合いって事になるんだが……。
 困った事に、ウチ以外の退魔師となると信頼できる相手はそうそういないんだよな。
「あー、わかった。ま、もうひとりくらいどうにかなるだろ。適当に調達して連れて行くから、しっかり金の用意をしとけよ」
『はいはい。あ、それはそれとして。どう? 今度、また飲み会でもしない?』
「やだよ。お前、すぐに酔って絡みやがるんだから。自分がめちゃめちゃ弱いっていい加減に学習しろよ」
『ぶう。ケチぃ。いいもんねー、陽平を誘うから』
 またあいつの心労の種が増えるな。大半はオレだが。
「じゃあな。揃ったら連絡する」
『了解』
 電話が切れた後、オレは再び受話器を持ち上げた。
 さて。誰ならいいかな?

「そういうわけだったんですか」
 後部座席に座る童顔少年は、ようやく納得したように頷いた。
「兄さん。本当に彼でないといけなかったのか? 他に退魔師なんていくらでもいるだろう」
「近くにいて、かつ信頼できるレベルの霊視能力があるってなると、かなり厳しいんだぜ? 退魔はできるが弱い霊は見えないなんて連中もザラにいるしな。紅葉ほどしっかり見える奴は、そうそういないんだよ。なあ?」
 笑いかけると、紅葉は苦笑を浮かべた。それ以外に反応しにくかったか。
「しかしだね、兄さん。彼は一般人だ。霊視能力者どころか、元来は退魔師ですらない。そんな人間の手を借りるなんて、退魔師としての誇りというのはないのか?」
「誇りで幽霊退治できんならいいけどな」
「むう……」
 陽平はよく誇りを気にする。それは、火野の名前を背負っているという、ある種の重みがあるからだろう。
 ところが、オレにはそんなもんはない。だいたい、一度は破門された身だ。今さら、退魔師としての誇りなんてものに興味はない。要するに、勝てばいいんだ。
 少しだけ空気が重くなった。オレも、運転に集中する。
「お。見えてきたぜ」
 やがて、それは見えてきた。
 都内のとある高校。敷地は意外と広く、運動場と、三つの校舎がある。内のひとつは木造だ。
 その裏門のところに、ひとりの女が立っていた。
 着古したシャツとジーンズ。服装に気を使っているようには見えないが、そのくせスタイルは良い。女からしたら、存在そのものが嫌味なんじゃないかと思えるような奴だ。
「いらっしゃい。待ってたよ」
「久しぶりだな」
 こいつが、天野みお。オレたちに依頼をしてきた張本人だ。
「とりあえず、車は中に入れちゃって。駐車場にアタシのキャンピングカーが置いてあるから、その隣にでも」
「おう」
 裏門から中に入ると、そこはすぐに駐車場だった。白線を完全に無視した状態で、白いキャンピングカーが置いてある。オレはその隣の駐車スペースにレンタカーを運んだ。
 車から降りると、すぐさま天野が駆け寄ってきた。
「やあやあ、お疲れさん。陽平も、久しぶりね」
「ご無沙汰しております」
 陽平はバカ丁寧に頭を下げた。こんな奴にそこまでする必要はないと思うんだが、こういうところは真面目な奴だ。
「それと、そっちが助っ人君かな? 高校生?」
「いや、大学」
 答え、オレは遠藤の方に向き直った。
「遠藤、こいつがオレたちに依頼してきた、天野みおだ」
「よろしくっ!」
 遠藤は軽く笑みを浮かべながら、
「初めまして。遠藤紅葉です」
「ふうむ。見た感じはただの好青年ってところかな? ま、公平が言うんだから本物なんだろうけど」
「本物も本物、イギリスの悪魔祓いのお墨付きだぜ」
「イギリス? ふむふむ。ま、依頼の詳しい内容とか、アタシ自身の説明とか必要だろうから、とりあえずはこっちに来て」
 天野はオレたちを三つの校舎の中でも真ん中に位置する校舎に導いた。鉄筋製の、どこにでもありそうな学校だ。
 一階の会議室を、天野が借り受けているらしい。そこにはすでに、天野の商売道具が並んでいた。
「うわ……」
 遠藤の感嘆が聞こえた。オレも、初めて見た時には驚いたもんだ。
 壁際に簡単な棚が作られている。そこにはモニターやら計器類やらが並び、何かの映像を自動的に記録していた。
 テーブルの上にはたくさんの資料と、それからノートパソコン。床のあちこちを配線が伸びており、すでに学校が異次元と化している。
「ここは会議室。アタシはベースって呼んでる。今回の調査の拠点ね」
 モニターとは反対側の壁際にホワイトボードがあった。そこには、校舎の地図らしきものが貼り付けてある。
「まずは遠藤君にアタシの仕事を説明しようか。どうせ公平の事だからきちんと説明してないでしょ?」
 その通り。さすがは天野だ。オレをよく理解してやがる。
 天野はオレたちを適当に座らせると、ポットでお茶を淹れた。
「世の中には、オカルトめいた事件ってのがいくつもあるわけね。幽霊の出る屋敷だとか、火の玉が踊る墓場だとか。その中のいくつかは、本当に幽霊――より正確に言うなら、死者が関わっている」
 天野自身は机に腰掛け、遠藤の方を向いてぺらぺらと説明していた。オレにとっては聞き飽きた説明なので、あまり聞いちゃいない。
「けど、大半は幽霊なんて関係ない、ただの自然現象なわけよ。そういう問題を解決するためには、どうすればいいか。
 もちろん、退魔師に相談しても無駄。だって幽霊は関係していないんだもん、解決のしようがない。かといって、きちんとした調査機関は、幽霊屋敷の調査なんてしてくれない」
「つまり、それをするのが天野さんという事ですか?」
「正解。話が早くて助かるね。アタシは、アマノサイキックエージェンシーの所長。業務内容は、オカルトっぽい事件を科学的に調査し、場合によっては退魔師に解決を依頼する事」
「そして、今回は僕たちが呼ばれた」
 そう。天野の仕事は本来、オレたちのような変人を必要としない。それが呼ばれたって事は、大当たりって事だ。
 ところが、天野は急に歯切れが悪くなった。
「んー、そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「あん? どういう事だよ、天野。オレたちを呼んだからには、霊の仕業って事なんだろ?」
「それが、はっきりしないのよ」
 天野は困ったように眉を寄せ、お茶を口に含んだ。
「実はさ、調査していると、どうにもはっきりしないのよ。一見すると、単なる物理現象に見えなくもない問題が多い。そのくせ、何かしら人ではない者の力が加わらなきゃ起きないような問題もある。幽霊の仕業なのか、人間の仕業なのか、それとも自然のいたずらなのか、いまいちハッキリとしないのよね」
「そんで霊視能力者を三人も呼んだのか。幽霊がいれば、それでハッキリするから」
「ま、そういう事。じゃ、そろそろ現場に行きましょうか」
 そう言って、天野は湯飲みを机の上に置いた。

 天野がオレたちを連れて行ったのは、ボロッちい木造校舎だった。
「最初の事件は昨年の十二月。この校舎の取り壊しを計画した校長と教員の一部が、この校舎の中を見て回った時」
 木造校舎は三階建て。天野は最初に、オレたちを三階の端にある教室まで案内した。
「この校舎は現在は授業なんかには使っていなくて、生徒が教員に届けを出せば、自由に使っていい事になってたらしいの。けど、そろそろ古くなってきて危ないかもしれないから、思い切って取り壊す事にしたらしいんだけど」
 教室の中には、机と椅子だけが六つばかり並んでいた。黒板はそのまま残されている。まるで過疎地の教室みたいだった。
「問題は、教室に入った時だった。教室が一瞬だけ揺れたかと思うと、いきなり机と椅子が踊りだしたって言うのよ。そんで、先生たちは外に出た。地震か何かかと思ったらしいけどね」
「ところがその時には地震はおろか、他が揺れた形跡さえなかった」
 陽平の言葉に、天野は頷く。
「最初は気のせいかと思ったみたいだけど、次の事件が起きたせいで、勘違いとは言えなくなった。それが今年の一月、冬休みが終わった直後の出来事」
 天野は机の上をなぞりながら話を続ける。オレも机や椅子を調べてみた。特におかしな点はない。
「その日、部活動で帰りが遅くなった生徒がこの木造校舎の前を通った時、窓際に人影のようなものを見た。去年の先生たちの出来事以来、ここは立ち入り禁止になっていたから、生徒はおかしいと思って窓から覗き込んだらしいの。そうしたら、その生徒は教室の真ん中に見てしまった」
「――何を?」
「幽霊」
 へえ、と誰かが声を漏らした。
「その子は女の人の幽霊みたいだった、なんて言ってたけど、詳しく話を聞くと、要するに白いモヤみたいなものを見ただけみたいね。それでも、こんな教室にモヤがあるなんておかしい」
 そのモヤの正体はわからねーが、少なくても自然現象には見えない。だいたい、モヤが出るような教室じゃ、授業には使えなかっただろうしな。
「そこで、先生方は相談して、近所の神社におはらいを頼んだらしいの。調べてみたけど、退魔師じゃない、ただの神職みたいね」
 宗教家だからって、誰もが退魔師ってわけじゃない。むしろ、そういう特殊な世界を知る人間の方が少ないくらいだ。それは、オレもあちこちを見て回ってきたから知っている。
「三件目の事件が起きたのはその日の夜。モヤが出た教室で、ボヤ騒ぎがあったの」
「ボヤ? 火が出たってのか? それでよく木造の校舎が燃え尽きなかったな」
「それが不思議な点。なんでも、火は教室の中心で燃えるばかりで、なぜか延焼はしなかったらしくってね。これはいよいよおかしな話って事になった。そこから先は、いたちごっこよ」
 教会の人間が鎮魂を行い、椅子が勝手に動き出す。坊さんがお経を唱え、ボヤ騒ぎ。それ以来、そんな事の繰り返しらしい。
「んで、回りまわって、アタシのところに依頼が来たってわけ。わかった?」
「事件のあらましはな。んで、お前はどういう事件だと見ているんだ」
「問題はそれなんだけど」
 天野はくちびるに指を当てた。こいつが何かを考えている時の癖だ。
「最初の件。椅子や机が動いたってだけなら、地盤沈下とかが原因とも思える。けど、それじゃモヤやボヤの説明はつかないし、第一、この校舎は水平だった」
 天野はポケットからビー玉を取り出すと、それを床の上に置いた。ビー玉はぴくりとも動かない。水平な証拠だ。
「かといって、ポルターガイストにしては、おかしな点がある。幽霊の目的が不明だし、何よりも、物を動かしたり燃やしたりできるほどに強い力を持った幽霊が、どうして計器類には何の反応も示さないのかが理解できない」
「計器には異常がなかったのか?」
「そう。アタシがここに来たのが一週間前。それからずっとこの校舎を監視しているんだけど、反応はさっぱり。見事に普通の校舎よ。このまま壊したって何も起きないとしか思えないくらいにね」
 はあ、とため息をつく天野は、どことなく疲れて見えた。
「ともかく、ここに人の力を超えた何かがいる可能性はあると思うの。でなきゃボヤの件は説明できないから。というわけで、君たちにはこの木造校舎に幽霊がいないか、片っ端から探して欲しいわけ」
「もしも見つからなかったら?」
「その時はまた次の対策を考える。とりあえずは、できる事からやってみましょ」
 オレたちは顔を見合わせると、互いに頷きあった。

 結果。やはり、霊は見つからなかった。

「どうなってるんだろうねぇ」
 何かの記録用紙を眺めながら、天野はボールペンで頭をかいた。
「学校そのものに異常はなし。ちょっと古いだけで、今でも現役で通じるような建物。なのに変な事が起きて、しかも幽霊は影も形もないときた」
 用紙を机の上に放り出し、天野はオレたちを見た。
「本当にどこにもいなかったわけ?」
「オレたちを疑ってどーする。お前は見えないんだから、オレたちの言葉を信じるしかないだろうが」
「まあ、そりゃそうなんだけど」
 遠藤が三階を、オレが二階を、陽平が一階を探し回ったが、どこにも霊らしき姿はなかった。
 オレの探した二階にあったのは教室ばかりで、机や椅子もない空き教室も多かった。あれだけのオープンスペースで、見落としがあろうはずがない。
 モニターに目をやれば、今も校舎の中をカメラが見張っていた。その映像にも、やはり問題となりそうな何かは映っていない。
「そういや天野。お前が来てからは何も起きていないのか?」
「ちっとも。もともと、月に一度、あるかないかって話だったからね。来てから一週間も経ってないし、それほど不自然じゃないよ」
「それはそれで、少し妙な気もしますが」
 壁に寄りかかる陽平は、黒いコートのポケットに突っ込んでいた手を出した。
「当初、神社の者が除霊を行った、その日に次の事件が起きたという話でしたね。他にも、除霊を行おうとすると、不可思議な事件が起きるとの事でしたが」
「その通りだけど」
「ですが、こうして事件解明のために動き出した我々は平穏無事に過ごせている。事件の片鱗も見当たらない。これはおかしいと言えるのでは?」
「……そういえばそうだね」
 ふむ、と考える仕草に入った天野は、どこか独り言のような調子で言う。
「という事は、除霊と事件は直接的に関係しているわけではない、もしくは、アタシたちが除霊とは思われていない。前者は不自然。となると後者。つまり、アタシと除霊は決定的に違う点があるという事」
「まあ、お前は調査であって除霊じゃないからな」
「イエス。要するに、この事件を起こしている何者かは、調査されても問題はないけれど、除霊されるのは困るという事になる。ここで、また疑問。そもそも除霊する能力のない一般人に、どうしてそこまで過剰な反応を示す?」
「そりゃ、幽霊からすれば、目の前でお経だの聖書の言葉だの祝詞だのを読まれるのは気分が悪いからだろ」
「でも、それが問題ないものである事は聞いていればわかるはず。それで除霊できるなら、その後の事件なんて起きるわけないし。なのに、まるで除霊しようとした事実そのものに対して怒っているかのような反応。これはどうして?」
 どうしてと言われても、オレは幽霊じゃないんだから答えようがない。
「それなら話は早い」
 天野は視線を陽平に向けた。陽平は頷き、
「我々で除霊しようとしてみればいいでしょう。相手は確実に動く。その時に滅してしまえば、少なくても霊的な原因は取り除ける。少なくても、除霊はして欲しくないらしいですからね」
 ……、本当にそれで解決するんだろうか。
 なんとなく、オレにはそれで解決するようには思えなかった。ただの勘だが。
 だが、どうやら天野も同じような事を考えているらしい。陽平の提案には賛同せず、何かを低くうなっただけだった。
「――とりあえず、明日の朝になってから結論を出そうか。今日はどうする? アタシのキャンピングカーに泊まってもいいし、学校に頼めば宿直室も貸してくれるよ。帰りたいってのなら、また明日の朝に来てくれればいいけど」
「お前のキャンピングカーに泊まれんのか。久しぶりに泊まっていいか?」
「おっけー。君らは?」
 陽平と遠藤は顔を見合わせ、
「じゃあ、お願いしていいですか」
 遠藤の言葉に、天野はにこりと笑った。



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