「なあなあ、コハル」
 龍宮コハルが教室で帰り支度をしていると、友人が声をかけてきた。
「進路希望調査表、もう書いたか?」
「いや、まだ」
 鞄の中に仕舞いかけていたプリントを取り出す。進路希望調査表と銘打たれた紙には三つの空欄があったが、いずれも書いた形跡すらない。
「提出、来月だろ? どうする?」
「んー、考え中」
「進学は進学だろ? でも大学の名前まで書かなきゃいけねえんだよなぁ」
 そう言って、友人はぼやく。
 コハルは改めて調査表に視線を落とした。
 高校2年生のコハルにとって、進路とは一年先の出来事だ。だが、その先で一生を左右するものでもある。
 わかってはいるが、16歳で人生を決めろと言われてもピンとは来ない。特にコハルは運動が得意なわけでもないし、勉強だって普通。外見も特別にカッコイイわけじゃないし、強いて言えば一人暮らしなので男子高校生にしては家事ができるくらい。
 部活動にも入っておらず、特別に得意なことがあるわけじゃない。恋人がいればまだ違うのかもしれないが、そんな相手はいるわけない。
 結局のところ、進路を希望できる身分ではないのであった。
「……あれはなぁ」
「え?」
「なんでもない」
 ひとつだけ、特技と言えば特技っぽいものもあるが、それは進学にも就職にも役立ちそうにないスキル。
 というか今までの人生で役立ったこともないし、なんだったら自分がただおかしいのではないかとさえ思っているので、口にしたこともない。
 そんなスキルは頭から追い出す。役立たずは役立たず。
「そうだ。渋谷はサッカー部なんだし、サッカー進学とか?」
「それなぁ。特待生を狙えるほどサッカー上手いわけじゃねえし、プロになれるかって言うと難しいだろうしなぁ。サッカー関係ってのはさすがに考えられねえよ」
「渋谷でもそんなレベルか……」
 友人はサッカー部に所属している。そんな彼でさえ、将来の姿は想像すらできないのだという。
 では、何もない自分には、何を想像すればいいというのか。
「……」
 なんとなくさえ思い描けない。もっとも、それも当然だ。
 今までの人生、何かに熱中したこともなければ、何かに挑戦しつづけてきたわけでもない。
 未来を想像できるのは、挑んだ者だけだ。何もしていない自分が何もないからといって文句を言うのは筋違いだろう。
「だいたい、2年生で進路を考えるなんて早すぎるよなぁ」
「そうは言ってもね」
「だってみんな、何も考えてねえだろ。どうせ」
「何を言ってるのよ。みんな考えてるっての」
 口を挟んできたのは女子生徒が二人。コハルとは友達だ。
「ミアちゃんはドイツに留学するのよね?」
「ええ」
「げっ、マジかよ。まあ、頭良いもんなぁ」
「それほど特別にってわけじゃないけど。エリも進学で決めているでしょ? 福祉系の大学よね」
「うん。学部も決まってるし。後は偏差値との相談かな」
「……マジで? エリも?」
「そうよ、悪い?」
「いや。将来なんて真面目に考えてたんだなぁ、なんて」
「もちろん。福祉系なら就職にも困らないだろうしさ」
「あー、就職なぁ。下手な学部に入ると仕事ないってところもあるかもしれないしなぁ」
「そうそう。だから、そういうところまで調べないとダメよ。あるいはミアちゃんみたいに留学するとか。海外経験があれば就職は有利だわ。英語しゃべれるだけで違うし」
「ドイツはドイツ語だから、少し違うけれどね」
「それでも違う国の言葉が話せるってだけで違うでしょ」
「確かに」
「じゃあ、渋谷君も留学する?」
「オレにはそんな頭と金がねーわ」
 三人の会話を、聞くともなく聞き流す。
 海外。就職。
 なんとなく、どれも遠い言葉だ。自分のこととは思えない。
「ま、来週までには何か考えておこうかな」
 そう言って、コハルは鞄にプリントを仕舞った。
 空欄を埋める文字は、思い描けていない。

★ ☆ ☆ ☆ ★

 翌日。土曜日の午後8時24分。平均年齢の高いこの町では、みんなが家にいる時間。
 今日は高校も休みだし、と思ってのんびりしていたら、冷蔵庫がカラッポなことを思い出したのが30分前。それから慌てて買い物に出て、近所のスーパーに寄って帰る道。
「……?」
 コハルは、空が明るく光っているのを見つけた。
 最初は隕石か何かだと思った。それ以外に空が光る要因が思いつかなかったからだ。
 光は徐々に弱くなり、ふわふわと浮かびながら高度を下げる。やがて、空き家の庭に落ちた。
 気になったコハルは、買物袋を片手に空き家を覗き込んだ。隕石でも拾えたらラッキーとか、そんな程度の気持ち。
 ところが、そこに転がっていたのは石ころではなかった。
「ん……」
 漫画のような真っ赤で長い髪。触れば折れてしまいそうなほどに華奢な体。身にまとっているのは質素な衣。足元は裸足だった。
 10代の中頃だろうか。誰が見ても、それは女の子だった。
「あの、大丈夫ですか?」
 最初は隕石が頭に当たったのかと思った。冷静に考えれば人間の頭に隕石が当たっていて無事で済むわけないのだが、その時はそう思ってしまったのだ。
 返事がないので、近づいてみる。
 どうも、女の子は意識を失っているらしかった。動く気配はなく、目はかたく閉じられている。
 ゆすっても大丈夫だろうか、なんて思いながら腕に視線を落とした。そこに、異常を見つけた。
「あ……」
 女の子は腕に怪我をしていた。けれど、そこから流れているのは血液などではなく、光の粒子。
「この子……。違うんだ」
 人間ではない。そんなことは見ればわかる。見ればわかるが、じゃあほっておくかというと。
「……」
 このままここに放置しても、人道的にも法律的にも問題はない。そもそも相手は人間の形をしているだけで人間じゃない。それは理解している、のだが。
「そのままにしていいわけないよね」
 ため息がてら、女の子を持ち上げてみる。いわゆるお姫様だっこ。
 人間ではないせいか、重みというものは感じられなかった。
 目を覚ます気配がない女の子を連れて、コハルはひとまず家に帰ることにした。
 空き家の3軒隣がコハルの自宅だ。5階建ての低層マンション、その1階。鍵を開け、家に入ると、女の子をリビングのソファに寝かせる。本当はベッドか何かに寝かせるべきなのだろうが、あいにくきちんと使える寝室は自分の部屋だけだ。さすがに、男の子のベッドに女の子を寝かせるのも気が引けた。
「ってなんでやねん」
 そもそも女の子じゃない。というか人間じゃない。
 人間はこんなに軽くないし、切り傷から光は出ない。
「やっぱりそういうこと、だよなぁ」
 頭をぽりぽり。
 人間の形をしている相手を見るのは初めてだったが、これは幼い頃からよく見る奴だ。
 呼び名は知らない。けれど、普通の人には見えないもの。
 俗には、幽霊なんて呼ぶもの。
「拾ってきちゃ、まずかったかなぁ」
 龍宮コハル、高校2年生。
 特技、霊感体質。
 ある日、女の子の幽霊を拾いました。