幽霊が目を覚ましたのは、コハルが夕飯を食べて洗い物も済ませた後だった。
「んー……?」
「あ、起きた?」
 コハルが声をかけると、幽霊の女の子はうなりながら目を開けた。
「う、ん。あれ?」
 起き上がった女の子は周囲をきょろきょろと見渡し、やがて、目につくものがコハルしかいないことに気づいた。
「誰? あんた」
「え? あ、龍宮コハル、です」
「コハル?」
「そう、コハル」
 男に生まれて16年。女の子に下の名前で呼ばれたのは、実はこれが初めてだったりする(お母さんはノーカウント)。そのことにドキドキしていると、女の子はじっとコハルを見つめ、
「あなたも、あたしの敵?」
 直後。ぞくりと背筋が震えた。
 いつの間にか、目の前に刃物が突きつけられていた。
「敵には容赦しない」
 女の子が手に握っていたのは、直刀だった。反りなど一切ない、少女の気質を表すような、まっすぐな刀。
 一瞬前まで、少女は何も持っていなかった。まるでマジックのように、あるいは魔法のように、刀が現れていた。
 ありえない光景ではあったが、燃えるような髪色とまっすぐな深紅の瞳は、美しくすらある。まるで一枚の絵画であるかのように、その図はぴたりとはまっていた。
 そんな、ある意味で幻想的な光景でありながら、少女の口から出てくるのは辛辣な言葉。
「あたしは死にたくないわ。そのためなら、誰だって犠牲にできる」
「えっと……。僕も死にたくないな」
「そう。意見が合わないわね」
「いや、合わせられると思うな。僕は死にたくないし、死なせたくもない」
「口でならなんとでも言えるわ」
「口以外ではなんとも言えないからね」
 ホールドアップ。けれど、少女の瞳は鋭さを増すばかり。
 幽霊は初めて見るわけではないが、幽霊に刀を突きつけられた経験はなかった。殺意のようなものはない、気がするが。とはいえ刃物を突きつけられていてはどうにもならない。
 コハルも困り果てていると、

 くぅ。

「……え?」
「ッ!!」
 気のせいだろうか。いや、気のせいじゃない。
 お腹が、鳴った? 自分の? いやいや違う。じゃあ自分以外の誰の?

 ーー幽霊が、お腹を空かせている?

「何よ悪い!?」
「わ、悪くありません!!」
 すかさずホールドアップ。お腹の空いた幽霊なんて聞いたこともないが、まあ実際にお腹を鳴らすくらいなんだから、人間と大差ない構造なのかもしれない。その割には軽いし光とか出るけど。
「でも夕飯は食べちゃったし、材料はあるけど料理ってわけにも……。あ、そうだ」
 ちょっと待ってね、とコハルが前置きすると、少女は素直に刀を引いた。その隙に、コハルは冷蔵庫からプリンを取り出す。3個セットとかじゃない、1個包装のちょっと良いやつ。
「こんなのでよければ」
「何これ?」
「プリン。甘くて美味しいよ」
 じーっ、といぶかしむ少女に、コハルは畳みかけるように言う。
「どうぞ。君にあげる・・・
「あ……」
 女の子はプリンを受けとった。すると、
「ッ!?」
「……?」
 女の子は急に驚き、目をまんまるく開く。
「な、何これ甘い!!」
「いや、プリンなんだからそれはそうだけど……。ていうか、今食べた?」
「何言ってるのよ、あんたがあげるって言ったんじゃない」
「いや、言ったけど。って、え?」
「あげるってことは、お供えするってことでしょ? だからあたしが食べたの。何、悪い?」
「悪くはないけど……。ああ、そういうことか」
 たとえば、お墓参りの時におはぎをお供えしたりする。ご先祖様に食べて貰うため、なんて言ったりする。神道では神饌しんせんといい、要するに神様に捧げる食事だ。
 だから、コハルの『あげる』という気持ちで、幽霊にも食べ物が届いたらしい。しかも大変お気に召している。
「ん、美味しかったわ」
 見た目にはプリンのケースがそのままなのだが、彼女的には食べ終えたらしい。カップをテーブルの上に置くと、コハルを見る目がいくぶん優しくなっていた。
「あんた、良い奴ね」
「それはどうも」
 プリンひとつでちょろくないか、とは思ったが、口には出さなかった。コハルだって斬られたくはない。
「えっと、君の名前は?」
「名前? そんなの知らないわ」
「じゃあ、どこから来たの?」
「覚えてない」
「……? 覚えてない? 迷子?」
「失敬ね! 誰が子供よ!」
 そうは言っても、スレンダー過ぎる体型はどう見ても子供ーー。
「何か言った?」
「何も言ってません」
 うーん、とコハルは悩む。
「君、人間ではないよね? 幽霊さん?」
「まあ人間ではないわね」
 一応、会話は通じている。単語の意味も理解していそうだ。
「君、空き家の庭に倒れていたんだけど。なんでだか分かる?」
「空き家の庭……。そうだわ、変な奴に襲われたの。で、そいつを撃退したんだけど、怪我しちゃって。力が出なくなって、ふらふら〜となって。気づいたらここにいたわ」
「そっか……。じゃあ、家とかは」
「家?」
 幽霊に家はないか。
 コハルがそう思っていると、少女はぶんぶんと頭を振った。
「あんたが何を聞きたいかは分かっているつもりよ。でも、あたし、何も答えられないわ」
「何も答えられない?」
「うん。だって、何も覚えてないもの」
「……覚えて、ない?」
 女の子はこくりと頷き、
「言葉の意味とか、刀の出し方とかは分かるの。戦い方も体が覚えている。でも、自分の名前とか、どこから来たとか、そういうことは一切思い出せないの」
「記憶喪失の幽霊ってこと?」
「そういうことね」
「そういうことか……」
 これが生きた人間なら病院に連れて行くところだが、幽霊ではそれも無意味だろう。
「じゃあ、行く当てもない?」
「うん」
 一瞬だけ考えたが、結論は最初から決まっていた。
 もちろん幽霊なので、追い出しても構わない。どうせ他人には見えないだろうし、世間体とかも気にならない。
 それでも気にかかるものがあるとすれば、それは自分の良心だけ。ところがどっこい、これが一番厄介なのだ。
 となれば、答はひとつ。それは、自然と口から出ていた。
「それじゃあ、当てが出来るまで、うちに居てもいいよ」
「……いいの?」
「うん。うち、両親はそれぞれ単身赴任していて、今は家に一人だし。お供えくらいなら作れるから」
 お供え、の言葉にぴくんと反応した。しっぽがあったら多分振っている。
「じゃ、じゃあ、しばらく居てあげるわ」
「ふふ、よろしくね。っと……。名前が思い出せないんだよね? でも、それじゃあ呼び方に困るな」
「それなら、あんたが名前をつけてよ」
「僕が?」
 ふむ、とうなったコハルは、部屋を見渡す。目についたのは、壁のカレンダー。
 綺麗な星空が写ったそれを見て、
「じゃあ……。ヴィナ」
「ヴィナ?」
「そう。君、夜空にとっても輝いていたから、明けの明星ヴィーナスから取って、ヴィナってのはどうかな」
 ヴィナ、ヴィナ、と口の中でつぶやいた少女は、にかっと笑顔を見せる。
「うん、気に入ったわ。よろしくね、コハル!」
「うん。よろしくね、ヴィナ」


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