翌日曜日。
 龍宮コハルは、ヴィナを連れて町を歩いていた。幽霊だからというわけではないだろうが、ヴィナはふわふわと浮きながら、コハルの肩に座っている。重みは感じないが、顔の横に尻がある状態というのはどういう状況だろうか。
「ヴィナ。そこに座るのやめない?」
「いいじゃない。なんでか知らないけど、あんたに触っていると気持ちいいのよ。落ち着くというか、これが自然というか」
 顔の横に尻がある状況は健全な高校生的に自然じゃない。
「それよりコハル。どこに行くの?」
「マイペースだね……。えっと、君は、記憶がないとはいえ、たぶん幽霊だろうからね。どこかに手がかりがないかなと」
「そんなの、町を歩いているだけでわかるの?」
「君の記憶がある場所があればと思ってね。まあ、散歩みたいなものだよ」
「ふうん。あなた、若いくせに年寄りみたいね」
「……よく言われる」
 日曜日の町は、遊んでいる子供やウォーキングしている人をちょくちょく見かける。その中にあって、男子高校生のコハルは珍しい存在だった。
 しかも、独り言をぶつぶつと呟くコハルなんてヴィナ以上に浮いている。
「ねえ、ヴィナ。聞いてもいいかな」
「答えられることなら」
「記憶があるのはどこから?」
「うーん、なんか空を浮いていた気がするわ。で、バケモノみたいなやつに襲われてさ。返り討ちにしたんだけど、力尽きたのよね」
「じゃあ、あの刀を出す能力。あれは最初から使えたんだ?」
「最初からっていうと変かもしれないけど。まあ、使い方はなんとなくわかるわ。今も意識して使ってはいない」
 自転車に乗れる人は、たとえ記憶喪失になっても、自転車には乗れてしまうという。
 人間、体が覚えていることは、自然とできてしまうものだ。それが幽霊にも当てはまるのかは不明だが、まあ本人がそう言うのだから、そうなのだろう。
「他には何か能力はある?」
「わかんない。とりあえず刀は出せるけどね」
 ひゅん、と手を振ると、件の刀が生まれる。
「それ、実際に切れるの?」
「切れるわよ。ほら」
 ヴィナが刀を振るうと、近くの樹から枝が落ちた。
 拾ってみる。切断面は綺麗にまっすぐだった。
「……ずいぶんと切れ味が良いんだね」
「そう?」
 普通、刃物で切っても、樹をこれほど綺麗に切り落とすことは難しい。それだけ鋭く、それだけ力強く、切断する能力があるということだ。
 あるいは、人間すら切れてしまうほどの。
「……」
 ヴィナは、今は自分に懐いてくれている。一夜を明かし、多少の信頼を置いてくれているのだろう。少なくても敵とは思われていない。
 だがもし、彼女が人間に牙をむいたら。その時、コハルの持つ力だけでは、彼女を止められないだろう。
 あるいは、自分さえも斬り殺すかもしれない。
「ヴィナ。その刀、むやみに使わないでね」
「何よ。何か問題でもあるわけ?」
「ほら、危ないし」
「敵を斬るための武器よ。敵を放置することの方がよっぽど危ないじゃない」
「それはそうなんだけどさ……。でも、敵なんて言うほどいないし」
「そんなの分からないじゃないの」
わかるよ・・・・
 コハルが足を止めると、ゆっくり流れていた景色も止まる。
 ヴィナはコハルを見下ろし、
「わかるってなんで?」
「僕が、霊感体質だからさ」
「れーかん?」
「君みたいな、普通の人には見えないものを見る能力かな。この町に生まれてずっと住んでいるけど、少なくても町で幽霊を見るのは月に1度とか、その程度だから」
 そう、それはコハルが体感した事実だった。
 よく地縛霊だの浮遊霊だの言うが、それは嘘っぱちだ。幽霊なんてのは、そうほいほい現れない。
 そしてーー幽霊は、人間のような形はしていない。
「この町に住んでいる限り、そうそう出会うことはないよ。まして、君が昨日、倒したばかりならなおさらね」
「ふうん。そんなものかしらね」
 こぼしたヴィナは、ふと空を見上げた。
 どこまでも広がる蒼穹。その景色をじっと眺めていたヴィナは、
「……ねえ、コハル。幽霊って月に一度しか現れないって言ったよね?」
「ああ、言ったけど」
「じゃあ、あれ何かしら」
 空を見上げる。そこに何かがいた。
 翼竜のような大きな翼。白くてしっかりした足。顔は扁平で、絵を描いた盾のようにも見える。
「あれ、気のせいでなければ、昨日のやつとは違うやつなんだけど」
「僕の意見を言ってもいい?」
「どうぞ」
「……逃げよう!」
 ダッ、と全力疾走した直後、ぶわりと背後の空気が膨れ上がった。
「ッ!!」
 ちらりと後ろを見る。そこには、舞い降りた幽霊の姿があった。
 否、それはコハルが便宜的に”幽霊”と呼んでいるだけのもの。世間一般で呼ぶところの幽霊とは明らかに異なる存在だった。
 いつもは逃げた。あいつらの視界から逃げれば、いつの間にか消えていた。
 明らかに人間を害する存在。その見た目で、明らかに相容れないと分かる存在。
「ギィィィィ!!」
 化生が鳴く。それは下手くそなバイオリンにも似た、耳障りな高音。
「あ、あいつっ……。僕らを狙ってない!?」
「来そうね。迎撃するしかない、コハル! 広いところに案内して!」
「わ、わかった!!」
 全力疾走、町を駆け抜け、向かった先は工事現場。
 仮囲いをしてはや半年、なんでも工事を発注していた会社が夜逃げしたとかで、工事が中断したままになっている現場だ。地元では有名で、仮囲いの一部が壊れても、直しに来る気配さえない。
 そんな隙間から中に忍び込んだコハルの後を、バケモノが追いかけてくる。大きな翼をバサバサと羽ばたきながら、あっさりと追いついた。
「くそッ!?」
 見た目からすれば、空を飛べるはずもない。なのに、奴はしっかりと空を飛んでいる。ヴィナのように体重がないのか? だとしたら、攻撃を受けても危なくない?
「ッ!!」
 そんな甘い目論見は、一瞬にして消え去る。
 地上に降り立った化生、その足元に転がっていた鉄骨が、鍵爪でぐにゃりと握り潰されたからだ。
「なんていう馬鹿力……。ヴィナの刀と同じってわけか」
 誰も、あいつが見えている様子はない。姿が見えるわけではないけれど、物質に干渉する能力はある。
 もしあれが鉄骨ではなく、自分の腕だったら。そう思うだけで心臓が早鐘を打つ。
「ふん」
 今までコハルの肩に乗っていたヴィナが、ぴょんと飛び降りた。
「ヴィナ? 危ないよ!」
「何よ、バケモノの一匹や二匹。どうってことないわ」
「そうは言っても……」
「まあ見てなさい!!」
 ヴィナは例の刀を生み出すと、バケモノに斬りかかる。
「ふッ!!」
 紙一重、空中に浮かび上がって回避するバケモノ。勢い余ったヴィナの刃は、バケモノが止まり木にしていた鉄骨を無残に切断する。
「なッ……」
 枝どころの話ではない。鉄さえ切り裂く威力。
 確かに、あれほどの刀ならばーーあのバケモノだって斬れるかもしれない。
 だが。
「ィィィ!!」
 空を飛んでいる敵。対するヴィナは地上にいる。
 すると、ヴィナはにやりと笑った。
「空を飛んだくらいで、逃げきれると思っているわけ!?」
 ダン、と地面を蹴飛ばし、空中へと舞い上がる。その高さ、およそ5メートル以上。
「すごっ……!」
「はッ!!」
 空中を踏み締め、さらに加速。バケモノに斬りかかるヴィナに、バケモノは大きく口を開いた。
「ッ!! ヴィナ!! 何か来る!!」
 直後、バケモノの口から小さなココナッツみたいなものが飛び出した。バラバラと撒かれたそれらは、ヴィナの周囲を覆うように落下し、
「ッ!?」
 ズン、と空気が破裂した。まさに弾丸のような勢いで、ヴィナが落下してくる。
「ヴィナ!?」
 バン、と地面に叩きつけられたヴィナに、コハルは駆け寄った。げほっ、と光を吐き出し、ヴィナは歯を食いしばる。
「ちっ、油断したわ。次は斬る」
「ダメだよヴィナ、逃げよう!」
「逃げるってどうやって? あいつは空を飛ぶのよ」
「それは……」
 バサリと音がした。振り返ると、バケモノがこちらを見ていた。
「リィィィ!!」
 威嚇するように音を鳴らす化生。コハルはごくりと喉を鳴らす。
 と、そんなコハルの肩を、ヴィナは優しくつかんだ。
「いいから、逃げてなさい」
「に、逃げてなさいって……。君は?」
「あんた一人なら逃げられる。あたしは足止めしてくから」
「そんなの嫌だよ!」
「じゃあどうすんのよ!? あんた、幽霊が見える他に特技なんてあるわけ!?」
「それは……」
 答えられなかった。
 確かに生まれてこのかた、あんなバケモノと戦ったことはない。見たことはあっても、いつも逃げ回っていた。
 いつも通りならそうしただろう。一人だったら、全力で逃げ回る。そうすれば、あいつはそのうち興味をなくしてくれるかもしれない。
 だけどーー今日は、いつもと違う。
「やっぱりダメだよ」
 何故なら、今日は一人ではない。
 戦うなんて怖い。漫画のヒーローじゃない、勇者でもなんでもない。そんなコハルに、バケモノと戦えなんて無理がある。
 けど、それでも!
「女の子を置いて、逃げるなんて出来ないよ!!」
「バカじゃないの!? そういう問題じゃないでしょ!!」
「そういう問題なんだよ! ここで君を置いて逃げたら、君が襲われるじゃないか!」
「あたしならなんとかするから!」
「なんとかできるような相手か!!」
 ヴィナ一人で対処できる相手とは思えない。
 自分に何かできるか分からない。それでも! 見えないところで、ヴィナが傷つく姿を想像するだけで心が痛む!
 それはーー目の前の敵から逃げ回るより、はるかに怖いことだ!
「一緒にあいつを倒す方法を考えよう! 何かあるはずだ!!」
「何かってそんなの……」
 ふっ、とヴィナは口を閉ざした。
「……ある、かも」
「どうするの!?」
「あんた、あたしを信じてくれる?」
 コハルはちらりとヴィナを見やり、
「信じないと殺されそうだね」
「あいつに? あたしに?」
「どっちも!」
「ふんだ。正解よ!!」
 ガッ、とヴィナはコハルの腕を握る。
「な、何!?」
「いいから、あたしを信じて!! 行くわよ、ご主人様マスター!!」


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