その空間は、不思議な力に包まれていた。
 もやもやとした空間の向こう側は、どこまでも薄暗い何かがたゆたっている。
「本当に行くのですね」
「決めたことだからな」
 ドイツ本国、片田舎。
 見届け人は、気高き者エーデル・ムート代表のニーナ・マイヤーと、その部下が6名。
 全員が能力全開で武装をしている。が、ベルホルトが本気を出せば、その程度はどうにでもなるだろう。
 ニーナとてわかっている。彼はもはや、そんな真似はしないということ。
「そうだ、ニーナ。最後に言っておこう」
「なんですか」
「精霊のことだ」
「……聞きましょう」
 ベルホルトから話を聞いたニーナは、目を伏せる。
「なるほど。脅威の芽というわけですか」
「現実的に発芽するとは思えない芽だがな。一応は伝えておく」
「ありがとう。参考にします」
「じゃあな」
 そう言って、ベルホルトは異界への扉をくぐった。
 ニーナは、愛した者の最後を見送った。

★ ☆ ☆ ☆ ☆ ★

 その日、龍宮コハルが教室に入ると、なんとなくざわざわしていた。
 学校の教室なんてそんなに静かな場所ではないし、騒がしいのは普通と言えば普通だが。その日はなんとなく、いつもよりざわついている気がしたのだ。
「よう、龍宮」
「おはよう、龍宮君」
「おはよう。渋谷、鶴見さん」
 友達に挨拶しながら、コハルは自分の席に鞄を置く。
「で、なんでこんなにざわついてるの?」
「これだよこれ」
 友人の渋谷が提示したのは、スマホの画面だ。そこにはネットニュースが表示されている。
「ふうん? 通り魔事件?」
 なんでも、高校生の男子が殺害されたらしい。物取りではなく、特別な恨みを買っている様子もなく、警察は通り魔事件として警戒するよう呼び掛けている。要約すると、そんな話だった。
「これ、先週からの?」
「たぶんな」
 渋谷は頷く。
 コハルの住んでいる町は、平均年齢の高い、閑静な住宅街だ。そのぶん、事件なんてものとは縁遠いところでもあった。
 ところが先週、通り魔事件が発生した。被害者は50代の女性会社員で、帰宅途中に襲われた。頭部を殴られ、腕に刺し傷を負ったが、悲鳴をあげたおかげか、犯人は逃走。命に別状はなくて済んだ。
 とはいえ、背後からの強襲で犯人は目撃しておらず、周囲には防犯カメラもなかった。そのせいで犯人像は掴めぬままだった。
「二人目の被害者は殺された。しかも前回と今回の被害者に共通点なんてあるわけねぇ。となると無差別殺人ってことになる」
 そう言う渋谷の表情は、いつになく真剣だった。
「確かにそれは……怖いな」
 コハルとて、荒事は未経験というわけではない。つい先月には命と世界を賭けたような戦いも経験している。
 とはいえ、それはそれ。いくら能力者への対抗能力を手にしても、一般の殺人鬼を相手にするのは怖い。
「このあと、全校集会があるみたい。たぶん事件のことだと思うけど」
 そう言う鶴見もまた、少し不安そうだった。
「無差別ってんじゃな。危ないのは分かるけど、ふせぎようがねえし」
「そうそう。用心って言っても、どう用心すればいいのよ。誰が犯人かもわからないのに」
「それはそうだけど。でも、僕らにできることはないんだし、警察に任せるしかないじゃない」
「そうなんだけどさぁ。ほら、あたしなんかこういう見た目だし、標的にしやすそうで不安なの」
「確かに偽委員長は女児力が高めだが」
「誰が!! 女児か!!」
「自分で言ったんじゃねえか!?」
「女児とは言ってないわ!!」
「ははは」
 よかった。少しだけいつもの調子に戻った。
 鶴見の不安は消えたようだが、それでも状況はあまり良くない。町にいる通り魔。今は警察も警戒しているだろうが、それで犯人は捕まえられるのだろうか。
 そう思っていると、
「龍宮君」
 声に顔をあげると、長い黒髪が視界に入る。結城ミアだ。
 凛とした佇まいの彼女が真剣な顔をしていると、それだけで緊迫感がある。
 ミアは流れるような黒髪をかきあげ、小声で言う。
「後で、少し時間ある?」
「わかった」
 頷き返す。
 二つ返事をしたが、そもそもミアが真剣な面持ちで声をかけてくるのだ。尋常な事態ではない。
 そうこうしているうちに、教師が呼び掛けてきた。全員、体育館に集合とのこと。
 めいめい教室を出ていく中で、コハルは空を見上げた。
 雨が降りそうな、曇り空だった。

★ ☆ ☆ ☆ ★

 龍宮コハルは、ちょっとだけ変わったところがある高校生だった。
 一人暮らしをしていて、女子力高めで、ついでに幽霊が見えた。
 その能力そのものは、最近までなんていうことはなかった。幽霊が見えようが見えまいが、世間は変わらない。
 そんなコハルは、ひょんなことから、幽霊の少女を拾った。名前すら覚えていない記憶喪失の幽霊を、コハルはヴィナと名付け、一緒に行動するようになった。
 その後、いわゆる霊能力者の集団ーーミアたちに教わり、コハルは自分の能力がただの霊視ではないと知った。
 彼が見ていた幽霊は”ラスター”という異界の存在であり、彼らは人間の幸福を喰うのだという。そして、ミアを始めとする異能力者たちが、そんな存在から世間を守っていたのだと。
 信じがたい話ではあるが、実際に色々と目の当たりにすれば、信じる他になくなる。
 その後、紆余曲折を経て、ラスター大量発生の問題も解決。現状、問題らしい問題は起きていなかったのだが……。
 ものの一ヶ月でこうも事件が起きてしまうとは、コハルも思っていなかった。


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