ドムの日、朝。
 シルビナ・ノワールの朝は早い。いつも5時には起き、身支度をしたら朝食を作る。
 居候先の家主であるカンナは全盲だ。歩くにも介助が必要なほどで、食事の準備など自分ではできない。簡単な日常生活は妖精が手助けしてくれているようだが、妖精には人間の食事など作れない。よって、家事は自分の担当だ。
 1階にある台所には魔鉱製品の調理器具が並び、四人が座れる卓がある。シルビナの城だ。
 パンと新鮮なバター、それに野菜。乾燥肉をあぶっていると、カンナが起きてくる。
「おはようございます」
「おはようございます、先生」
 家の中ならば、カンナは妖精の手助け程度で歩くことができる。食卓についたカンナと共に、朝食の時間。
 その後、カンナに公式手合がない時などは、二人でアストラルサイドへ移動し、決闘の勉強などをする。日がな一日、決闘の鍛錬を積み続けてはや3年。さすがに毎日、朝から晩まで決闘漬けの人生を送っていれば、それなりにモノになってくる。
 だが、それでも足りない。プロ決闘者は本当に幼い頃――早い者は3歳頃から、決闘漬けの日々を送っているのだ。スタートを切るのが遅かったぶん、シルビナは同年代の奨励会員と比べると、成績は遅れがちだ。努力をせねば。
 茶をすすっていると、カンナが口を開いた。
「そう、シルビナ。ヴァンのことですが」
「はい?」
 ヴァン・レクサス。カンナ一門に新しく加わった少年だ。
 とはいえ、一番弟子のゼルや内弟子となったシルビナとは違い、彼は書類上の師弟関係というだけで、まだカンナの講義を受けたわけではない。
「ヴァンはまだ都市に来たばかり、そうですね?」
「ええ、そうらしいですね」
 列車の中で出会った関係で、シルビナはヴァンの素性も少しは知っている。田舎から都市に出てくる者は珍しくない。特に若い者は、田舎では得られない生活を求め、都市に出てくることが多々ある。
「おそらくですが、彼は今日も公園で寝泊まりしているでしょう。食事も、街路樹あたりで果実をもいでいるか、兎でも狩っていると思います」
「……まさか。いくら常識知らずとはいえ、街路樹の果実を食べるなんて」
「地方ではよくあることと聞きますよ? 都市と違って、整備局の管理下にはありませんから」
「それは……」
 イメージしてみる。公園で目覚め、そこらへんの樹から果実をもいでいるヴァンの姿。
 ――容易に想像できてしまった。
「これも推測ですが、彼は仕事を持っていないでしょう。都市に来て、仕事を持つとも思えません」
「仕事をしなければどうやって生きるんですか」
「彼の頭は決闘でいっぱいのようですから」
「そこまでの決闘バカじゃ……、いえ、決闘バカでしたね」
「そういうことです。ですので、彼も内弟子にしようと考えています」
「はあ、なるほど……。え?」
 相槌を打ってから、シルビナは言葉の意味を考える。
「う、内弟子ということは、彼もこの家に住むということですか?」
「もちろんその通りです」
「先生? 何を考えているんですか?」
 思わず言ってしまったシルビナにもカンナは表情を崩さない。
「彼は仕事を持っていない。かといって、普通の仕事も合わないでしょう。彼には決闘が全てです。ならば、決闘ができる環境を整えてやることもまた、師匠の務めというものです」
「それは、確かにこの家ならば決闘もできますが、そうではなく。彼は男性です」
「そうですね。ちなみに私とシルビナは女性です」
「知っています。……先生。貞操の危機とか、そういったものをよく考えてください。ましてや先生は目が見えないんですよ?」
「知っています。それに、大丈夫ですよ。その程度ならばどうにかなります」
「どうにかなります、って……」
 食事を作ることも実生活をすることもままならないカンナが、男と同居。
 カンナは全盲者としてはありえないくらい勘が鋭く、たまに見えているんじゃないかと思うこともあるが――それにしたって。
「私は反対です。男と同居なんて……」
「ゼルも男ではありませんか」
「ゼルは同居していません!」
「ですが、この家に出入りしていますし、たまに泊まることもあるでしょう」
「あれは一晩中、決闘をしているだけじゃありませんか!」
「同じことです。一晩が二晩、三晩となったところで。とにかく、これは師匠として命じます。シルビナ、ヴァンをこの家に連れてきてください。それが今日の課題です」
 有無を言わせないカンナの笑顔に、シルビナの口から魂が抜け出そうだった。

◇ ◇ ◇


 シルビナは師匠に持たされたバスケットを手に、奨励会館へ向かった。
 会館は平日も開いているが、まだ朝早い時間。さすがにミーナも来ていないだろう。
 そう思って隣の公園を覗くと、案の定と言うべきか、彼の姿があった。
「ヴァン……」
「おう、シルビナ。早いな」
 公園でアルウェズと共に体操をしていた少年は、シルビナの顔を見るなり、太陽のように笑う。
「……。あなた、公園で寝泊まりして、食事はどうしているの?」
「そのへんにあるじゃん」
 ヴァンは本当にそこらの樹を指さす。見れば、街路樹には赤い果物がなっていた。
「本当に……」
 師匠の想像力に、思わずシルビナは頭を抱えた。
「ヴァン。あのね、都市にある樹は、全て都市管理局のものなの。果物が実っているからといって、勝手に食べてはいけないの」
「え? そうなのか?」
「そうよ。ほら、これを食べなさい」
 そう言ってシルビナが突き出したバスケットには、パンがいくつか入っていた。これも師匠の想像通りだ。持ってきてよかったと言うべきか、なんというべきか。
「お、ありがとな」
「別に。先生が用意したものよ。たぶん彼はそこらで野兎でも食べていることでしょう、って」
「いやあ、このへん、兎ってあんまいないのな」
「いたら本当に食べるつもりだったの?」
 何もかも想像通り。彼がわかりやすいのか、師匠の想像力が優れているのか。
「うめえな、これ」
「そう。お礼なら先生に言いなさい。というか、乱雑な食事は決闘者として問題ではないの?」
「そうか?」
「体調の良し悪しはアストラルサイドに移動しても影響するもの。ゼルなんて以前、手合の日にひどい下痢をして、ろくに戦えなかったことがあるわ」
「なんで向こうに行ってまで下痢してんだよ」
「実際に下痢をしているわけではないけど、言ってしまえば、平常時の自分をうまくイメージできなくなるからでしょうね。……あなた、そういう経験はないの?」
「オレ、風邪とか引いたことねーもん」
「どういう体をしているの……」
 呆れたシルビナは続ける。
「それで、あなた、仕事はどうするつもり?」
「何も考えてねえ。村じゃまき割りと水汲みと鹿狩りしてたけど」
「都市ではどれも仕事にならないわね。水は水道で各家庭に引かれているし、燃料はみんな市場で買っているわ。あと、当たり前だけれど、野生の鹿はいないわ」
「おう、そうだろうな」
「田舎ではどうだか知らないけれど、今日はドムの日よ。学生ならば今日から五日間は授業があるから、学校に行くけれど」
「オレ、今さら勉強してもなぁ」
「あなたは少し勉強した方がいい気もするけれど、まあそうね。学校に入るならばお金も必要だし。あなたは働いて稼いだ方がいいかもしれないけど」
「そういうシルビナはどうしてんだ?」
「私は治安維持部隊にいた頃の給金が使い切れないほどあるもの。両親が遺してくれたぶんもあるし」
「あー、なるほどな」
「今はいいかもしれないけれど、本格的に仕事は考えておいた方がいいわ。あなたがどうなるつもりでもね」
「どう、って?」
「……知らないでしょうから言っておくけれど、決闘者にもプロ制度があるわ。プロ決闘者になれば、報奨金のかかった公式試合に出られるようになる。でも、勝ち続けなければ、生活もままならないわ。ほとんどのプロは、公式試合の手合料の他に、先生のように奨励会で講義をしたり、イベントに参加して報酬を得たりして生活してる。それがアマチュアともなれば、もっと大変よ」
「公式試合に出られねえから、ってことか?」
「そういうこと。報酬の出る公式試合に出られなければ、決闘でいくら強くなろうとも、お金にはならないわ。収入がなければ生きていけない。当然よね? 年齢制限もあるけど、アマは、だいたい親の世話になっている人が多いわ。ヴァン、あなたは?」
「金ならねえぞ」
 堂々と答えるヴァンに、シルビナは思わず嘆息した。
 どこまでも師匠の想像から外れない。なんというか、自分が負けた気がして、シルビナはますます気落ちした。
「ヴァン。先生が、あなたを家に連れてこいと」
「家? カンナのか?」
「そうよ。……あなたを、内弟子にすると」
「内弟子って?」
「師匠の家に同居して、決闘の勉強をする制度よ。今はあまりいないけど。私も先生の内弟子」
「ああ、なるほどな。ってことは、あれか、決闘していいってことか?」
「そうだけど、気にするのはそこでなく……。私やカンナ先生と同居するということで」
「よし行く」
「……ちゃんと考えてる、ヴァン?」
「もちろん。決闘していいんだろ?」
 明るい笑顔で、当たり前のように言うヴァン・レクサス。
「……」
 なんだか心配している自分がバカみたいに思えてきた。