徐々に日差しが強くなってきている。
 すでに春を過ぎて初夏となりつつある中とはいえ、風はいまだ爽やかで、開けた場所にいれば、まだ過ごしやすい。
 一方で、熱気がこもりがちな建物の中は、普通ならばあまり過ごしやすいとは言えない。そう、“普通”ならば。
アメリア・ラッセルが腕を振るう。すると、空間に氷の塊が生まれた。先刻まで何もなかったはずの空間に生まれた確かな存在は、ゆっくりとブルーシートの上に降ろされる。
「ありがとう、アメリア」
 八雲恵美は礼を言うと、さっそくアメリアが作った氷に刀を向けた。
「せいッ!」
 恵美が刀を振るうと、氷は三つの塊に分解された。それぞれ一抱えもある氷の塊を、自衛隊員たちが手分けして運んでいく。
 アメリアは金の長髪をかき上げ、ふう、と息を吐いた。
「まったくもう。日本の夏って暑すぎよ」
「何を言ってるのさ。まだ夏じゃないよ」
「夏じゃないのにこれだけ暑いってのがありえないって言っているのよ」
 口をとがらせるアメリアに、恵美は苦笑を漏らした。
 そこは、自衛隊駐屯地の中にある、地下倉庫だった。壁はコンクリートの打ちっぱなし、内装もなにもあったものではないが、新たな建物を建設する余裕は、いまだ人類にはなかった。
「さ、もう少し氷を作っておこうよ。そろそろ補給班も帰ってくるだろうし」
「はいはい、わかったわよ」
 返答し、アメリアは腕を振るう。
 ただそれだけで、軌跡は奇跡を生み、氷塊が量産されていく。
「本当に、アメリアの能力って便利だよねぇ。ボクと違って」
「何を言ってるのよ。戦闘能力なら、あんたは段違いでしょう」
「戦う能力があってもねぇ。ケモノは減ったし、そんなに強い必要もないしね。今なら葛原君たちだって十分に戦えるじゃないか」
「それはそうだけど」
「その点、アメリアの能力は、日常生活でも役立つんだもの。凄いと思うよ」
「そ、そう」
 褒められて悪い気はしない。アメリアは少しだけ頬を染め、そっぽを向く。
 昔は――自分の能力を疎ましく思ったこともある。ただの人間ではない自分に怒りを覚えたこともある。
 だが、それは全て過去の話だ。この力がなければ、あの大災害を生き残ることなどできず、こうして恵美と言葉を交わすこともなかったろう。
 神様から与えられた力ギフトは変わっていない。変わったものといえば、自分の心象風景だけだ。
 そのまましばし氷を作っては、恵美が分割し、自衛官たちが運ぶ作業を繰り返す。
 いくらか終えたところで、作業は終了となった。始める前は暑いほどだった室内は、アメリアの能力が生んだ余波で、むしろ寒いほどになっている。
「ふう。さて、作業は終わりだね。じゃあ狩りに行こうよ!」
「……あんたって本当に狩りが好きね」
「なんていうか、それくらいしかできないしね。でも一人で行くと、アメリアは怒るじゃないか」
「当たり前でしょ。あんたを一人で行かせると帰ってこないんだもの」
「そんなことないんだけどなぁ……」
 黒髪をなびかせ、元気に出ていく恵美の背中を見送りながら、アメリアもその後に続いた。



 世界は一瞬にして変わる。
 それは突如として起こった。もちろん、それは人間たちの認識であって、彼らからすれば、十分に準備を整えた後の行動だったのだろうが。
 世界中、同時多発的に現れた、既存の動物とは全く異なる生き物。人類はそれを変種と名付け、対抗した。
 だが、『向こう側』の存在である彼らに対し、『こちら側』でしかない人類が攻撃する手段はなかった。銃弾は弾かれ、爆撃は通じず、相手の振るう爪や牙で人も兵器も簡単に砕かれた。対抗策もないまま、瞬く間に世界は変種たちに席巻されてしまった。
 反撃が始まったのは、大災害と呼ばれた変種出現から一年も後のこと。日本の片隅で、政府の協力を得て米国の民間軍事会社PMCが対抗組織を作り上げたのだ。
 神威と名付けられた彼らは、変種と同質の力――呪力を宿していた。彼らの活躍もあり、人類は生活圏を手に入れた。途中、悲しい出来事があったにせよ、現状までに大型の変種はほぼ駆逐されている。
 それを成し遂げた一人の少女――八雲恵美。そして、そんな彼女によって生き様までも変わった少女――アメリア・ラッセル。
 彼女たちは今、自分たちの手によって作り上げた平和の中で、懸命に生きていた。



 太い枝を踏みしめ、跳びあがる。
 枝葉が後ろへと流れていく中、アメリア・ラッセルの瞳はその姿を捉えた。
 敵もまた、アメリアの姿にすぐさま気づいた。大きな牙を持つ猪。
 獣はこちらに向き直ると、果敢にもうなり声をあげる。そんな獣に、アメリアは刹那、憐れみさえ覚えた。
「食べる者、食べられる者、ってね」
 アメリアが腕を振るうと、それに沿って冷気が生まれる。
 生み出されたのは氷の刃。何もなかったはずの空間に生まれた確かな存在は、猪めがけ打ち出される。
 猪は避ける間もなく、串刺しにされた。一瞬にして絶命した獣の前に、アメリアは飛び降りる。
 大きな猪だった。その体格は、アメリアを一飲みにできるのではないかというほどだ。だが、これでも獣としては小型の種に過ぎないというのだから、変種という存在は、いかに狂っているかが分かる。
「お、やったね、アメリア」
 声に振り仰ぐと、空から少女が飛び降りてきた。
 黒い長髪に、何のこだわりか、学校指定のセーラー服。アメリアの友人、八雲恵美だった。彼女もまた、左手に子供ほどの大きさもある兎を持っていた。
「こっちは全然だよ。獲物がいやしない」
「ま、これだけ手に入れば十分でしょ? 持って帰りましょ」
「そうだね、今晩、皆が食べるくらいにはなるかな?」
 アメリアは恵美から兎を受け取り、恵美は猪を抱えた。普通の少女ならば――いや、成人男性さえ持ち運ぶことは困難な巨体も、恵美やアメリアにかかれば、たやすく担ぐことができる。
 呪力保持者。生まれながらに普通の人間ではない彼女たちは、スーパーマンと揶揄された。
「よいしょ、っと」
 恵美は刀を収めた鞘を腰から吊るすと、猪の死体を持ち上げる。そして、二人は揃って樹上へと跳びあがった。
 そこは、数年前までは住宅街だった場所だ。それが、いまや巨大な樹木に覆われ、人が住むことさえできなくなっている。もちろん、見通しはあまりよくない。
 アメリアが前に、恵美がその後ろに続く。しばし、二人は風のように跳んだ。
「アメリア!」
 恵美が声をあげたのは、五分ほど走った後のことだ。枝を蹴り飛ばして勢いを殺したアメリアは、樹上から振り返る。
「なによ、恵美。何かあった?」
「何か、ってわけじゃないんだけど……」
 そう言いつつも、恵美の視線は、右方に注がれていた。アメリアもそちらを見てみる。
 そこに広がるのは、原生林とおぼしき樹木の群れだ。特別な何かがあるようには見えない。
 ――否。
 その気配に気づいた瞬間、恵美は獲物を放して刀を手にし、アメリアは自身の周囲を冷気で覆った。
 刺すような視線。背筋が凍るような害意。明確なほどの殺意。
 敵だ。
「ちょうどいいわ。狩って、おみやげにしましょ」
「油断しない方がいいよ」
「……恵美? どうしたのよ」
「こいつは、おかしい」
「おかしいって?」
 恵美は冷汗をたらしながら、刀を引き抜く。
「来るよ!」
「……ッ!?」
 巨木をなぎ倒し、それが姿を現す。
 樹上に立つアメリアたちと全く変わらぬほどの背丈。太い腕の先には、白っぽい金槌のような塊が繋がっている。
 それは、最も近しい種類を問われれば、ゴリラと答えるのが正しいだろう。だが、大きさも何もかも、まったく別の存在。
「嘘、でしょ……!?」
 その存在を目の当たりにしたアメリアは、思わず手に持った兎を取り落した。
「【ハンマーエイプ型】……!? 大型種じゃない!!」
 アメリアの悲鳴に呼応するように、ハンマーエイプは剛腕を振り上げた。同時、恵美も駆け出す。
「はッ!!」
 振り下ろされるより早く、恵美の刀が一閃する。銀光がきらめき、ハンマーエイプの腕に浅い傷が残された。
「ガアアアアアアア!!」
 吼え、ハンマーエイプは左腕を振るった。恵美もまた、合わせるように刀を振るう。
 槌と刀の激突。火花が飛び散り、軽い恵美は勢いに負けて吹き飛ばされる。
「恵美ッ! ……このぉ!!」
 アメリアの生み出した氷が、ハンマーエイプを襲う。氷刃が何本か、巨猿の体に突き刺さった。
 ハンマーエイプの視線がアメリアを捉える。その、憎しみに満ちた視線に、思わずアメリアがひるんだ瞬間――。
「せいッ!!」
 閃光が巨猿の顔を二つに分けた。
 首を斬られ、血しぶきが噴水のように飛び散る。力を失った体が、ゆっくりと地面に落下した。
 ずしん、と地面が揺れる。その振動で、アメリアはようよう我に返った。
「今の、なんだったの……?」
「わからない」
 刀についた血のりを払った恵美は、真剣なまなざしをケモノの死骸に注ぐ。
「だって、大型種は、恵美が駆逐したはずでしょう?」
「……確かに、ボクの刀は、イザナミを殺したと思う。そのつながりも、イザナミに寄生されていた大型種も、死んだはずだ」
「じゃあ、なんでこいつがいるの?」
 敵としては低級だった。いきなり襲われた恵美とアメリアならば、問題なく倒せる程度の相手でしかなかった。
 だが、最も重要なのは、存在しないはずの・・・・・・・・大型種がそこにいた、という事実だ。
「こいつの死体を持って戻ろう。博士なら、何かわかるかもしれない」
「う、うん」
 突如として現れた大型種。
 それが、何かを告げる鐘の音に聞こえて、アメリアは思わず身震いした。



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