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樹林の中を駆け巡る。 アメリアは太い枝を選んでは踏み台にし、さらに跳躍を重ねる。 「どう、クズハラ」 前を進む葛原に問いかける。彼は誰よりも鼻が利く。人探しは得意分野だ。 「……匂いがあるな、こっちだ」 雨が降っていないのは幸いだった。葛原は駐屯地から匂いを辿り続けている。駐屯地から伸びる女の匂い。それは、そう多くない。 「にしても、その女はなんで駐屯地から出たんだ」 「わからないわ。もしかしたら……、心の問題、かもしれないけれど」 「心ねぇ」 確かに、精神的に病んで、そのまま失踪する者も少なくない。 それは理屈として理解できる、それだけストレスが発生する状況なのだ。自由などなく、ただ生きることにさえ苦労する日々。 だが。 「ありえねえ話、じゃあねえんだがな。その女は普通の女なんだろ? 十代の」 「そうよ」 「そんな奴が、この森を踏破できるものか?」 視線を下に向ける。 開墾が進んでいるとはいえ、駐屯地から離れれば、そこは異常成長した植物が支配する原生林だ。舗装された道しか歩いたこともない人間には、歩きにくくて仕方ない。太い根、崩れた瓦礫、壊れた建物の残骸。そういうもろもろが道路を支配している。 呪力保持者が樹上を通るのも、そういったもろもろの障害に邪魔をされないという理由もある。その点、普通の人間が地上を歩いていくというのは――ありえない話ではないが、少しばかり不自然にも思える。 「何かあったというの?」 「わかんねえがな」 そんなことを話しながら樹上を進んでいると、 「……この匂いは」 「見つけたの?」 「ああ……、ちっ」 舌打ちした葛原は、アメリアを先導する。やがて、葛原は一本の巨大な樹木に降り立った。下を見ると、人の姿がある。 アメリアはすぐさま飛び降りた。 「あなた、だいじょ……」 言葉は最後まで形にならなかった。 そこにいたのは、確かに少女だった。ほっそりとした手足に、肉感的な体。そして、無残に引きちぎられた腹。 鹿島真矢は、血泉の中で沈んでいた。 「むごいな」 匂いで、葛原は先に気づいていたのだろう。アメリアも、これだけ近づけば、むせるほどの血臭がよくわかる。 葛原はかがみ、少女の姿をよくよく検分した。 腹の傷は致命傷だろう。力任せに引きちぎられている。周囲には内臓の一部とおぼしき塊が飛び散っていた。服を着ていないのは、体と同じように千切られたと見るべきか? 溢れ出た血液はまだ地面に染みきっていない。死んだのは、そう前のことではないのだろう。 間に合わなかった。それが第一印象だ。そして……。 「……」 その傷に、葛原は少しだけ違和感を持った。 もちろん彼は医者などではない。素直に判断すれば、変種に連れ去られ、ここで喰われたと考えるべき。 だが、そう、おかしな点がある。 第一に、ここに体が残っている。変種に喰われたのであれば、腕のひとつやふたつ、内臓も大半は食べられていてしかるべきでは? それに、変種がわざわざここまで移動したというのも不可解だ。巣に持ち帰ったというのであればまだ理解できるが、ここは樹林の只中だ。 服を着ていないのも気にかかる。これでは、引き裂かれたというより、強引に脱がされたように見える。それに、靴も履いていない。動物が餌を食べるのに、わざわざそこまで脱がすだろうか。 そう、そして何より気にかかるのが、この傷だ。 この傷はまるで――。 「内……」 「どうしたの、クズハラ」 アメリアの声に、葛原は我に返った。頭を振り、いや、と答える。 「連れて帰ってやるか?」 「そうね、こんなところに放置するのも可哀想でしょう」 「そうだな」 葛原は少女の死体――もはや残骸と呼ぶべきかもしれないが――を抱えると、一息に樹上まで跳びあがった。 鹿島真矢の遺体を手に、アメリアと葛原は駐屯地へと戻った。 遺体は駐屯地の外れに建てたテントの中に安置し、外に出る。テントの外には、鹿島登紀子の姿があった。 「あの、娘は……」 呼ばれて来たばかりの登紀子は、娘の状態を知らない。アメリアはうつむきがちに、 「……死んでいたわ。体は見つけたから、連れ帰ったけど」 「死んで……?」 最初はその言葉を理解できないように。続いて、その瞳から大粒の涙が流れ落ちる。 「う、うううっ……!!」 嗚咽をかみ殺し、ぼろぼろと泣き崩れる母親。その姿に、アメリアは何も言えない。 「娘さんと会うのか?」 「……はい」 涙の止まらない登紀子は、それでも頷いた。 葛原と登紀子はテントの中に消える。その後を追いかけることは、アメリアにはできなかった。 テントの外にまで届く、悲哀の声。何故、とか、どうして、といった言葉が聞こえてくる。 はっきり言ってしまうのなら、こんな光景は日常茶飯事だ。大勢の人間が死んだ。そして、大勢の人間が死んでいる。 いまや、人間は生きていくことだけですら課題なのだ。小型種を狩れるこの駐屯地は食うに困ることなどないが、他の駐屯地では今日明日の食事にすら事欠くところもあると聞く。そうでなくても、多くの人間が殺され、満足な医療設備がない現状では風邪の治療もままならない。 アメリアには氷を生み出す力が――呪力がある。だが、そんな力をもってしても、人を助けることなどできない。両親のように。 「はぁ……」 その事実に、嘆息するしかない。 ふと、アメリアは顔を上げた。 テントの中から聞こえてくる声が、少しだけ変化しているように感じた。 いや、確かに変わっている。さっきまで登紀子は、ただ泣いていただけだ。だが、こうして聞こえる声は――。 「ッ!」 アメリアは思わずテントの中に飛び込んだ。 テントの中では、葛原が登紀子ともみ合っていた。 「お、おい……」 「なんで、なんでよ! なんで助けてくれなかったの!? あなたたち強いんでしょう、化物たちなんか簡単に殺せるんでしょう!!」 「無茶を言わないでくれ、遺体を見つけた時にゃもう死んでいたんだ! 死んだ奴を生き返らせるなんてできるわけねえだろう!」 「そんなはずないわ! そもそもどうして娘が駐屯地の外に出なければいけなかったの!? 出入り口は自衛隊が見張っているじゃない! 娘は外になんか出られなかったはずでしょう!」 「そりゃそうだが、抜け道くらいあるだろうが!」 「なんでそんなところを通らなければいけないの! あなたたちが何かしたんじゃないの!? そうよ、不思議な力があれば門でなくても通れるもの!」 「いい加減にしやがれ!」 葛原は登紀子を引きはがすと、飛びのいた。 「おい、アメリア、自衛官を呼べ。あと医者だ。こいつは、もう正気じゃない」 「でも……」 再び泣き崩れた母親。 きっと、彼女も理解しているのだ。過程は分からないが、娘は死んだという事実。そして、その結果に、葛原は何の罪もない――どころか、遺体を探してきてくれた恩人だという事実を。 ただ、誰かに当たらなければやっていられないほど悲しく、葛原はその犠牲になってしまっただけだ。 「ちっ」 テントを出る葛原。彼とて不満のひとつも言いたいのだろうが、母親の心情もわかるのだろう、何も言わなかった。 アメリアも何も言えぬまま、テントを出るしかなかった。 近くにいた自衛官に声をかけ、自らもテントから離れる。 追いかけると、葛原にはすぐ追いついた。 「大丈夫? クズハラ」 「テメエに心配されるほど落ちぶれちゃいねえ」 「悪態がつけるなら大丈夫そうね」 「けっ。お前は変な日本語まで知ってやがるな」 葛原はアメリアと並んで歩く。行くあてがあるわけではない。ただ、歩きたいだけだ。 「……アメリア。お前も、あの死体は見たよな」 「ええ」 「おかしいと思わなかったか?」 「何が?」 「第一に、あの死体が、あそこにあったことだ。鹿島真矢は裸足だったが、足に目立った怪我はなかった。あんなところまで歩いて、怪我せずにいられるか?」 「それは……、変種が運んだのかもしれないじゃない」 「変種が駐屯地の近くに来れば気づく。だから、あの女の子を運んだのは変種じゃない」 「でも、じゃあ誰が?」 「……」 葛原の言いたいことは、アメリアにも理解できていた。 犯人は、人間。 そうでなければ理屈に合わない。では、誰が? 犯人が人間ならば、強引に鹿島真矢を拉致したことになる。それだけの体力と腕力、少なくても女には無理だろう。非戦闘班のメンバーも、呪力量からいってありえまい。 第一候補は呪力保持者だが、 「鴨宮や早川はそういうことしそうなタマじゃねえな。井出ほど腑抜けってわけじゃねえが、そもそも正義感で神威に入ったようなとこがある」 「でも、他に男性はいないわ」 葛原はちらりとアメリアに視線を落とし、 「お前はオレを疑わねえのか?」 「クズハラがそんなことをしない人間なのは、よく理解しているつもりよ」 「けっ」 確かに、とアメリアは思う。 当初の――なにがしかにつけて反発していた葛原ならば、その可能性は否定できない。 だが、今の葛原は違う。仲間を失ってから、彼は大きく変わった。強い正義感と、他人をいつくしむ心を持っている。 そんな彼が、欲望に任せて少女をさらうなどとは考えられない。 ならば、犯人は? 「あいつしかいねえ、か」 「あいつ?」 葛原の視線を追いかけたアメリアは、その先に立つ男を見つけた。 加賀谷克哉。 容疑者だ。 |