鳥取県、北西部。
 輸送ヘリから降り立った恵美は、周囲を見渡した。
「なんだか、どこも変わらないね」
 巨木に囲まれた森と、わずかに切り取られた人間たちのスペース。
 自衛隊の駐屯地は、東京と同じように、難民キャンプになっている。たくさんの人が、あちこちに座り込んでいた。
「無理ないですね。もっとも、ここには呪力保持者がいません。もし大型種に襲われたら、ひとたまりもないでしょうね」
 井出の解説に、恵美は小さく頷いた。
 変種の能力は強大だ。小型種でさえ、武力なしには勝ち目などない。ましてや、大型種が来れば、自衛官ですら戦いにならない。
 狙われていない現状こそが、唯一の命綱と言っても過言ではないのだ。
「同情しては駄目よ。そのために来たんじゃないんだから」
 恵美に声をかけたのは、ショートヘアの女性だった。清水恋華。元警察官の呪力保持者だ。恵美のような生来の呪力保持者ほどの能力はないが、それなりの戦闘力と格闘センスがあり、以前から小型種を中心に狩りを行うことで皆の生計を立ててきた立役者だ。
「それは、まあわかっているさ」
 恵美は清水に頷き返した。
 恵美の力は強い。だが、一人の力でしかない。その刀で届く範囲しか守ることができず、そして、刀の届く範囲は決して広くない。
「ほら、すぐに移動するわよ」
「はーい」
 清水に連れられ、恵美たちも移動した。
 待っていたのは、自衛隊のトラックだった。幌のついた荷台に井出をはじめとする研究班の人間が乗り込む。同じように荷台に乗る清水を見送り、
「ボクは上で待機するよ」
「上って、幌の上?」
「うん。じっとしているのは性に合わないし、ボクの業なら少し離れたところにいる敵にもダメージを与えられるからね」
「そうね……。あなたの能力なら、その方がいいかもしれないわね。でも、落ちないようにね?」
「大丈夫さ」
「何が大丈夫だ」
 今にも車の上に飛び乗ろうとしていた恵美を引き留める声。振り向くと、迷彩柄の服を着た女性が恵美をにらんでいた。
 片浜命。元自衛官の呪力保持者で、この班でのリーダーだ。
「誰をどこに配置するかは私が決めることだ。お前じゃない」
「それは……、まあ。じゃあ上は誰が?」
「私が乗る。お前は下にいろ」
「ボクはそれでもいいけど、片浜さんはいいの? というか、片浜さんって、どういう能力なのさ?」
「お前は同じ神威だった者の能力も把握していないのか」
「聞いた覚えはあるんだけど」
「……話にならん」
 そう言って、片浜は車両の上に飛び乗った。引き留める間もなかった。
「いいのかな?」
「いいのよ、あれで」
 清水に言われ、恵美は首をかしげながらも、そのまま荷台に飛び乗った。



 自衛隊のトラックは坂道をゆっくりと登っていく。
 ガタガタと揺れる車内で、井出はパソコンの画面を眺めながら考え事をしており、研究班の男女は隅で仮眠を取っていた。そして、恵美はすることもなく、刀を磨いている。
 そんな恵美の隣に、清水が座った。
「ごめんなさいね、八雲さん」
「……? 何が?」
「命のこと」
「片浜さん?」
 恵美が本気で首をかしげていると、清水はくすりと笑った。
「さっきの態度よ。つっけんどんだったでしょ?」
「ああ、確かに、少し攻撃的だったけど。でも、それを清水さんが謝るの?」
「恋華でいいわ。私、命と組んでいたから。今はもう友達なの。友達の悪いことは謝るものでしょ」
「そうでもないと思うけど……。それに、たいしたことはしてないじゃないか」
「気にしなければそうかもしれないわね。……命はね、あなたと合わないのよ」
「ボクと合わない?」
 清水は小さく頷いた。
「あなたには知っておいて欲しいから言うわ。命は自分じゃ言わないだろうし。あのね、命はずっと自衛官として働いてきたの。海外派遣任務も負ったことがある。紛争地帯に行って、支援任務についたことも」
 恵美は黙ってうなずいた。清水は続ける。
「彼女は呪力保持者になってから、ずっと言っていたわ。もっと早くこの力が欲しかった、って。私にも、少しだけわかる。悪い奴を捕まえるのにも力は必要よ。だから警察官は拳銃を持っている。ましてや、戦地に行けば……、いくら最前線でなかったとはいえ、そう思う機会はずっと多いでしょうね」
「それで?」
「彼女は具体的なことを何も言っていない。だけど、思いは伝わってくるわ。だからこそ、あなたが気に入らないの。あなたという、生来の呪力保持者が」
 そういうことか、と恵美は合点した。
 彼女は――片浜命は、きっと正義感が強すぎるのだ。
「あなたのように、生まれながらに呪力を持っていれば、もっと救える命はあった。ましてや、あなたの力は、私や命よりも強い。きっと、たくさんの命を救えたはずだわ」
「……兄さんは、そうしていたよ」
 恵美の兄・八雲悠介は、海外のPMCに所属していた。もちろん、軍事力を売り物にした一企業だ。清水や片浜が思うような、正義のために行動していたわけではない。
 だが、悠介の行動によって救われた命も、少なくはないはずだ。
「ねえ、八雲さん。あなたは、どうして呪力を人助けに使っていなかったの?」
 恵美の答えは決まっていた。
 だから、すんなりと答えられた。
「それは、ボクの役目じゃないから」
「役目じゃない?」
「そうさ。確かに、ボクには人を守る能力があった。その気になれば、この力で、ヒーローになれた。でも、正しいかどうかは、ボクには判断できない。だから、ボクは誰も助けない」
 恵美は微笑を浮かべた。
 普段の恵美を知っている者ならば決して見ることはない、影のある笑い方だった。
「もちろん、それで悩むこともあったけどね。それでもボクは、八雲だ。八雲の力は人と人の争いに使うものじゃないんだ」
「それで救える命を見捨てたとしても?」
「八雲の力は強すぎる。一般人とじゃ勝負にならない。ボクが力を使えば、ボクの行動が正義になってしまうんだ。ボクが味方をした方が勝つ。それが正しいかどうかは関係なく」
 恵美の瞳は真剣だった。だから、清水にも彼女の本気は伝わっていた。
「もちろん、兄さんの行動を間違ったものだとは思わない。救える命を救うことだって正しい。だけど、救われた命が正しいとも限らないんだ。ほら、よくテロって聞いたじゃないか。一般人が爆弾を背負って、関係のない人を吹き飛ばす。誰かを殺そうとしている人は悪かもしれない、でも、殺そうとする側も人間だ。無条件に殺していいわけじゃない」
「それは、その通りね」
「それに、ボクには八雲の役目もあったからね。八雲の裏山にはね、ケモノがたまに出たんだ。それを殺すことが八雲の役目。誰も代わりはできない仕事だ」
「ケモノが……、以前から?」
「大昔からいたって聞いている。ケモノガクシ……、結界があったから、普通の人は気づかないままだったと思うけど。たぶん、あちこちにそんな場所があったんじゃないかな。そして、そういう場所を、力を持った人が守っていた。ボクら八雲や、茅野さんのように」
 そして、その誰もが、戦争で力を使うことはなかった。
 正義のために剣を振るうことはしなかった。
 すなわち、それが生来の呪力保持者たちの出した結論だったのだ。
「……そう、そうなのね」
 清水は小さくつぶやき、嘆息した。
「あなたたちの考えはわかったわ。でも、それでも納得できないものなのよ。この力さえあれば救えた命はあった、それは確実。ありふれた不幸なんて言ってしまえばそれまでだけど、そんな言葉で納得できない人もいるのよ。私や、命のようにね」
「うん、それでいいんだと思う。清水さん……、恋華も片浜さんも正しいよ」
「ありがと」
 そう言って、微笑を浮かべた清水に、暗い影はなかった。その事実に、恵美は少しだけ安堵した。
「……そういえば、私たちの能力、覚えていないって言っていたわね」
 話題を変えた清水に、恵美も気持ちを切り替える。しめっぽい空気は苦手だ。
 恵美はつとめて苦笑を浮かべながら、
「ごめん」
「いいのよ。知らないと連携も取りにくいだろうから言っておくわ。私の能力はこの警棒を使うの」
 腰にさしていた警棒を取り出し、清水は言う。
「私は電気を作れるの。作れるとは言っても、雷みたいにってわけにはいかない」
「でも、それって凄くない? バチッと攻撃できるんでしょう?」
 恵美の言葉に、清水は苦笑した。
「それが、そうもいかないの。空気って電気を通しにくくてね、私の作る電気程度じゃ、遠距離攻撃もできないわ。そこでこの警棒。私は自分で作った電気を警棒に流すことができるわ。触れさせれば、小型種程度なら痺れて気絶する。大型種でも足止めくらいにはなるわ」
「十分だよ」
 足を止めてもらえれば、恵美とて攻撃しやすい。
「片浜さんは?」
「命の能力は脳筋っていうか……。あなたに近い、筋力強化よ」
「ボクと同じタイプか」
「あなたほどではないけどね。それに、命が能力で強化できるのは腕だけなの。もちろん全身を呪力が覆っているから、防御力や身体能力は一般人と比べ物にならないんだけど……、わかりやすく言えば、腕だけゴリラって感じ」
「そのたとえ、片浜さんに言ったら怒られない?」
「怒られたわ」
「言ったんだ……」
 くすくすと笑う清水。そんな彼女に、今度は恵美が苦笑した。
「なるほどね。二人とも近接攻撃なんだ」
「そう。本当は中距離タイプの未来……、草薙未来って私たちのメンバーがいてね、三人で連携して狩るの。未来が中距離から気を引いて、私が動きを止めて、命がトドメ。もっとも、今回はあなたの方が攻撃力あるし、仮に接敵してもトドメはあなたになるかもしれないわね」
「それは状況次第さ」
「そうね、臨機応変に」
 ああ、と恵美は頷き、外を見た。
 流れていく樹林。その奥には、どれほどのケモノがいるのか、想像もできない。
「……何もなければいいけどね」
 それは、小さな願いだった。



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