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茅野明彦の実家は、大きな峠の手前にあった。 樹林を文字通り踏み越えながら車両がたどり着いた場所は、大きな樹木に囲まれながら、そこだけスペースとして生き残っていた。木々が倒され、人が住んでいる気配がある。 車から降りた恵美たちは、運転手の自衛官を見上げる。 「ありがとう。じゃあ、ボクたちは話を聞いてくる。予定通りあなたは戻っていて。明日、同じ時間に」 「ああ。えっと、うまく言えないが……、君たちも気をつけて」 「大丈夫。ボクは強いから」 「そういう意味じゃないさ」 自衛官の青年は制帽を直しながら続ける。 「ここの住人は自衛隊を寄せつけていない。不思議な力はあるはずだし、それがあれば駐屯地の防衛も楽になるんだが、彼は協力をしようとしないんだ。もちろん、建物に自衛官が近づくのも好んでいない。なんというか、他人がこの場所に近寄ることを嫌がっているようなんだ。それだけ偏屈な人だからね、論争になるかもしれない」 「それは……、ちょっと困るね」 「交渉は僕らが行いますから、恵美さんは心配しないでください」 井出の申し出に、恵美は微笑を浮かべる。 「そうだね、ボクだと必要なものもわからないし、そのほうがいいね」 「君か。とにかく、頑張ってくれ。自分たちはもう30分くらい、ここで待つよ。門前払いを食らったらすぐ戻れるように」 「そんな家なのか……」 げんなりしながら、恵美たちは屋敷へと足を向けた。 純和風の建築だ。おそらく塀や庭もあったのだろうが、ケモノに崩されたのか、何かの爪痕が残るばかりで、とても元の姿が想像できない。 だが、母屋の姿はしっかりと残っていた。井出を先頭に、6人は玄関をノックする。 「ごめんくださーい」 声をかけると、引き戸が少しだけ開いた。中から顔を覗かせたのは、髭面の男性だ。 「誰だ」 「陸上自衛隊特務班所属、井出晶です。以前、明彦さんの作った組織に所属していました」 「明彦の……?」 「はい。明彦さんは大災害の直前、アメリカから戻ってきていました。その後、東京で対変種組織を立ち上げ、実績もあげていました。ご存じありませんでしたか?」 「知らん。明彦は家を出た身だ。もう茅野家とは関係ない」 「そうでしたか。とにかく、僕らの目的を端的にお伝えします。現状、変種が――あなたがたの言い方だとケモノかもしれませんが、そういった生物が大量発生していることはご存知ですよね?」 「見ればわかるだろう」 「その通りです。僕らは大量発生した変種、それも一時的に姿を消していたはずの変種がどうして再び大量発生しているのか、その原因を探りたいと考えています。そして、茅野さんのお宅は、昔から呪力――不思議な力をお持ちで、そういった事柄に関する伝承もあったと聞きます。僕たちが欲しいのは、その情報です。そして、その中から、イザナミや他の変種に対する特徴、対策、できれば再発した原因などを知りたいんです」 「……俺には関係のない話だ」 「変種を討滅できなければ、人間は生きていけません」 「俺は生きていける。神力があるからな」 「失礼ですが、自分だけ良ければ、というのは、あまりにも傲慢ではありませんか。ましてや現状、救われるのは一個人ではありません。研究が進めば、人類を救えるんです」 「それがどうした? 俺が生きていくことは現状でも可能なんだ。他人の生き死になんて、俺には何の関係もないだろう」 「茅野さ……」 「関係ないなんてあるもんか!」 言いかけた井出を押しのけ、恵美が飛び出した。その顔は真っ赤に燃えている。 「あなたも力があったんだろう! ケモノを殺すことがボクらの使命じゃないか!」 「誰だ、君は」 「八雲恵美! 八雲家の生き残りだ!」 「八雲……。北の神力家か。それで、だからどうした? 俺はずっとケモノを狩ってきたし、山を――イザナミを封じ続けてきた。それが解放されたんだ。もはや俺の役目は終わった。人間は終わったんだ」 「終わってなどいるもんか! ボクらはまだ生きている!」 「……なら、伝承を教えてやろう。『黒きもの、開くべからず。暗雲となりて人は絶える』だ。俺の家に昔から伝わっていた。イザナミが開かれた時点で、人類は終わりなんだ」 「そんな昔の人が言ったことを真に受けるのか!? ボクもあなたも、まだ戦える! 人類はやり直せる!」 「じゃあどうしろと言うんだ!? そこらのケモノは山ですら見たことがないくらいでかい連中がうようよいる! 一時は確かにいなくなったさ、だが最近、また現れている! あの連中は刀だけじゃ殺せない!」 「ボクが倒す!」 はっきりとした言葉に、男は目を丸くした。 「ボクが、全てのケモノを倒してみせる。そのために生きている」 「無茶だ。できるはずがない」 「やっていないことは、できないことじゃない」 「……」 沈黙した男は、恵美を、続いて井出を見た。 「お前。この子は、いつもこうなのか」 「ええ。そして、実際にAランクの大型種……、あなたの言葉を借りるなら、“刀だけじゃ殺せない”敵を何度も倒してきました。一時的にせよ変種の数が減ったのも、彼女の業が連中のつながりを断ち切ったからだとか」 「つながりを、断ち切った? イザナミの連なりを……? お前、まさか、極めたのか?」 「極めた?」 言葉をなくした男は、やがて、ガラリと扉を開いた。 「家に入れ。大丈夫だ、この家はケモノゴロシといってな、結界が張られている。弱い神力しか持たないケモノは近づかない」 「いいんですか?」 「まずはお前たちの話を聞きたい。イザナミのつらなりを殺すとはどういう意味なのか、教えてくれ」 井出と顔を見合わせた恵美は、大きく頷いた。 「ああ、もちろん」 鳥取県、茅野邸。 ほこりっぽい和室に、恵美たち6人と、茅野英彦の姿があった。 恵美の話を聞き終えた英彦は、卓の上に湯呑を置き、ため息をついた。 「イザナミを殺す、か。まさか現代に神力を極める者が出るとはな」 「極めるというのはどういうことなんですか」 卓を挟んだ反対側に座る井出は問い直す。 英彦は少年を見つめ、 「昔から伝わることだ。そもそも、イザナミというのはどういう存在か、理解しているか?」 「群体、という話でしたが」 「現代風に言えばそうなる。奴はすべてがイザナミだ。分かたれたように見えても、それは人間の眼を通しての姿に過ぎない。全てが奴の手であし、足であり、頭脳となる。人間が手を怪我してもいずれ治るように、部品としてのイザナミを殺しても、修復してしまう。ゆえに奴は殺せないんだ」 「一か所に集めて殺すような手立ては?」 「どうやって? 神力は神力でしか殺せない。だが、人間の持つ神力は、イザナミから得たものだ」 「それは……」 「人間はもともと神力など持っていない。他方、イザナミは莫大な神力を持ち、自分自身を喰った相手に神力をさずける力がある。神力なしではイザナミが作り出す軍勢に勝てず、人力ではイザナミを殺せない。ゆえに、人間は手詰まりだった。だからこそ、分割し、封じるなどという面倒な手立てを使わざるをえなかったのだ。いつか人間がイザナミを殺せる、その日まで」 「手法はわかっていたんですか」 「イザナミは群体、すなわちどの破片もイザナミなのだ。だから、破片としてのイザナミを完全に殺せれば、死が伝播すると考えられていた。人間に例えるなら、細胞のひとつを癌にするようなものだ。いずれ全身を巡り、死に至る」 「それが……、極める、ということ?」 「その通り。とはいえ、破片にせよ、イザナミを完全に殺す方法など、人類は見つけられなかった。ただ剣を極め、神力の扱いを極め……、その先に答えがあると信じるしかなかった。そして、それは誰もなしえなかったんだ」 英彦は恵美を見つめる。連綿と続いた人類の歴史で、初めてイザナミを殺してのけた少女。 「八雲恵美。君がやったことは、本当にとんでもないことだ。才能としか言いようがない。人類が持ちえなかったほどの才を、君は持っている」 「そんなものかな? でも、うちにあった八雲の力の使い方には、ツクヨミってあったよ」 「ツクヨミは神力を断つ業だろう。それさえ、扱える者は限られるが……、ツクヨミをもってしても、イザナミは殺せない。神力の流れを断つんじゃない、神力の泉を枯れさせるとでも言うのか? そんな業だ」 「よくわからないよ……」 「恵美さんは感覚だけですからね」 「そんな業を体系化できるなら、もはや天才などという次元じゃない」 憮然と言った英彦は、続ける。 「とはいえ、君の業も完全ではなかった、ということだ。ケモノが現れたということはな」 「そう、それです。もし伝承の通り、イザナミに死が伝播する性質があったとすると、恵美さんは確かに死を伝わらせたはず。すなわち、イザナミは死んだはずなんです」 「死人は蘇らない。殺せなかったと考えてしかるべきだろう」 「それは……、蘇った?」 ふと、井出の脳裏をその言葉がかすめた。 それは、考えていなかった発想だった。ケモノが再出現したという事実ばかりに目を取られ、黄泉返りと呼ばなかった。 「まさか、誰かがイザナミを蘇らせた……? それが、以前と現状の違い!?」 「何を言っているんだ?」 首をかしげた英彦に対し、井出は後ろを振り返る。 「アトラク・ナクア検体は!!」 「と、東京です。拠点で厳重に保管されています」 答えた研究員。だが、井出は首を振る。 「違う、それが流出しているんだ。情報だけか、検体そのものかはわかりませんけど……、いえ、博士が気づいていないなら、検体そのものは無事なんでしょう。遺伝情報が流出し、誰かが再現したんです。アトラク・ナクアを!」 「アトラク・ナクアとはなんだ?」 「ボクが殺したケモノだよ。死者を操る能力があった……」 興奮のまま立ち上がった井出を、恵美は見上げる。 「井出君。検体というのは、要するにアトラク・ナクアの死体だよね?」 「そうです。死体の一部から遺伝情報を読み取り、解析し、その能力を別の技術に生かす研究もしています。ちょうど、アジ・ダハーカ検体を使った除草剤が、変質した植物に効果を出しているように」 井出はごくりと喉を鳴らし、 「アトラク・ナクア検体を使って、誰かがイザナミを蘇らせた。奴の能力で蘇った人は、生前と同じ記憶を有しながら、アトラク・ナクアに操られる人形と化します。きっと、イザナミの能力も再現し……、イザナミを通して、全ての大型種を蘇らせたのでは? イザナミの能力に距離は関係ありません。世界中を同時に伝播することもできるかもしれません」 「でも、誰がそんなことを? ケモノが蘇った方がいい人間なんて……」 「いるんでしょう、きっと。すなわち今回の災害は、災害じゃない。人災なんです」 |