沈黙が落ちた。井出はすぐさま携帯電話を手にする。
「どこに連絡を?」
「東京です。博士に連絡し、アトラク・ナクア検体を調べてもらいましょう。きっと遺伝情報が漏れているはずですし、それを培養し、アトラク・ナクア・ホロウとでも呼ぶべき存在を作った者がいるはずです。その犯人さえ捕らえてしまえば、人類は救われる」
「待ちなさい。下手に連絡すれば逆効果になる」
 英彦の目は真剣だった。しかし、と反論しかける井出に、英彦は声を張り上げる。
「情報を漏らした人間がいるのだろう! かといって、そんな重要施設に入れる人間は何人もいなかったはずだ!」
 はっ、とした。
 犯人は、甲斐の研究室に忍び込める人間でなければならない。さらに言えば、生物学の知識も不可欠だ。アトラク・ナクア検体とはいえ、死体から得た遺伝情報を活用し、イザナミを蘇らせるなどという研究は……、一朝一夕にはできないし、専門知識や場所も必要だ。
 そんなことができる人物は、限られる。
「それじゃ……」
「そこまで」
 気づけば、井出の頭に銃口が突きつけられていた。
「それ以上はよくないよ、井出君」
「……あなたが」
 井出が連れてきた、甲斐の部下。研究班の二人が、そろって拳銃を井出に向けていた。内の一人、男の方がにやりと笑う。
「僕は呪力保持者です。拳銃では殺せません。脅しになりませんよ」
「わかっているさ。呪力保持者に突きつける銃がただの拳銃だと本当に思うか?」
 井出は心の中で舌打ちした。
 井出とて甲斐の下で研究をしていたのだ。呪力によるパワードスーツを作る過程で、呪力保持者に対抗できる武器は色々と模索していた。
 実用に耐えるものはまだ完成していないが、一発程度ならダメージを与えられる武器はできている。呪力保持者でなくても使えるように、触れた瞬間、相手の呪力を変質させて破裂させる――特殊弾。アジ・ダハーカの呪力を爆発させる能力を流用した技術だ。
 量産はできていないが、サンプルはあった。それを持ってきていたとしたら……。
「あなたたちの望みは何ですか。どうして変種を蘇らせるんです」
「大人の機微は子供になど理解できないだろうさ」
「大人でも……、理解できないね!」
 直後。拳銃が跳ねあがり、ドン、と発砲した。
 神速の抜刀――引き抜かれた警棒。弾かれた腕はへし折れている。そのまま清水は回転する動きで男を蹴飛ばし、壁に叩きつけた。
「くっ……」
 残る女性研究員が銃を向けようとした瞬間、
「甘い!!」
 片浜命の格闘術が炸裂していた。床に叩きつけられた研究員は、そのまま目を回す。
「よし、縄か何かで彼らを捉えよう」
「そうですね。それにしても、二人も……」
「そうとは限らないわ。犯人が二人いたということは、三人か、それ以上という可能性もあるもの」
 清水の言葉に、井出は携帯をしまわざるをえなかった。
「でも、じゃあ、どうすれば?」
「とりあえずは東京に帰ることね。内偵をしなければいけないわ」
「身内を疑わなきゃいけないのか……」
「仕方ないでしょう」
 恵美が嘆息した次の瞬間、地面がズシンと揺れた。



 家の外に飛び出した恵美が見たものは、巨大な影だった。
「な、にっ……!?」
 獅子のような顔。鱗に覆われた肌。大きな翼を折り畳み、四足でしっかと地面を踏みしめている。そして、片目には大きな傷があり、塞がっていた。
 大型種。その姿に、恵美は見覚えがあった。
「こいつ、お祖父ちゃんを殺した……!!」
 忘れようもない。
 大災害が起きた、あの日。平和な町を襲い、恵美の祖父を、故郷を蹂躙した、凶悪にして強大なケモノ。
 翼を持つ獅子。巨獣ベヒーモス!
「逃げろ!!」
 叫んだのは誰だったか。全員が散開、その直後を巨獣の腕がよぎる。
 建物が爆散した。逃げ遅れていれば、その勢いだけで踏み潰されていた。
「なんだこいつは!?」
「ボクが殺した大型種! たぶんAくらいの強さがある!!」
「恵美さんの言う通りです、ベヒーモス! 呪力量換算Aランク! なんだこれッ……!? とんでもない呪力量ですよ!? こんなの、本当に倒したんですか!?」
「驚いている場合じゃないぞ!」
 咆哮と共に、獣が動く。
 前足が空から振り下ろされ、周囲にあった木々や建物の残骸を吹き飛ばす。
 暴風のように荒れ狂うベヒーモスの攻撃に、皆がなすすべなく撤退させられる。
 ベヒーモスの隻眼は、それでも恵美たちを捉えて離さない。いや。
 恵美を捉えて離さない・・・・・・・・・・・
「ボクを覚えているのか!」
「グルァァアアアアア!!」
 恵美に答えるように吼え、ベヒーモスは迫ってくる。
 密林をなぎ倒しながら迫る獣に、恵美は覚悟した。
「そっちがその気なら、やってやる!」
 手近にあった太い枝を踏み台に、恵美は跳躍した。恵美の振るう刀がベヒーモスの体を薙ぎ、
「ぐッ……!」
 やはり、弾かれる。
 あの時と同じだ。祖父の振るった刀は、ベヒーモスの体を通せなかった。自分でも、カグツチを――自分自身を焼き尽くすほどの強大な呪力を発揮しなければ、傷を負わせることはできなかった。
 とかく固い。傷を負わせられるとすれば、ツクヨミを使うか、顔を狙うしかない。
「恵美さん、無理です! このまま交戦するなんて!」
「逃げきれやしない! こいつは飛べるんだ!」
 背中に生えた翼は伊達じゃない。
 もちろんバシリスクのように、空を飛びながら攻撃してくるわけではない。だが、空を飛べるというだけで、逃げられないことは確実だ。空中から追われては、地上を走るしかない恵美たちではどうにもならない。
「殺せなくても、逃げられる程度には痛めつけなきゃ無理だ! 恋華、片浜さん! 手を貸して!」
「手をっ……、えっ?」
「た、戦うのか!? Aランクと!」
「やるしかないんだってば!! ……ッ!?」
 ベヒーモスの足が降る。恵美は全力をもって刀を振るい、その一撃をわずかにそらす。
 弾け飛んだ石が弾丸のようにかすめる中、恵美もまた、吹き飛ばされる。
「まったくもうっ……、片浜さん、清水さん、ぼくからもお願いします! ここでベヒーモスにダメージを負わせるのは急務です! かといって、ぼくには攻撃力がない! 恵美さんのサポートは、あなたがたでなければ無理です!」
「そ、そんなこと言ったって、Aランクなんか戦ったこともないんだぞ!」
「やらなきゃ死にます! 死にたくないなら戦うしかないんだ!!」
 片浜たちがしり込みするのも無理はない。彼女たちは資源を回収する班だった。言うなれば主な相手は小型種、せいぜいCランクの大型種だ。Bランクの大型種とはほとんど戦ったことがないし、Aランクに至っては一度も戦ったことがない。
 Aランクを何度も討伐している恵美や井出とは、覚悟が違うのだ。もちろん、能力も違う。恵美ほど強い呪力を持たない彼女たちでは、ベヒーモスにダメージを与えられるわけではない。
 ましてや、二人とも近接攻撃タイプなのだ。しかも身体能力、特にスピードは恵美に大きく劣る。あの剛腕をかいくぐって攻撃するだけでも、相当の勇気が必要だ。
「攻撃力が足りないのはわかっていますが、恵美さん一人ではベヒーモスの装甲を破れません! ツクヨミを使うためには呪力を溜める必要性があります! その隙を作らないと……!」
「恵美抜きで、あいつの攻撃を耐えろって言うのか!?」
「片浜さん、覚悟してください! ……ッ、来ました!!」
 吼えるベヒーモス。怒りに任せて振るわれた剛腕が暴風を生み、周囲の木々をなぎ倒す。
 ベヒーモスは、特殊な攻撃など何も使っていなかった。ただ腕を振るうだけ、それだけが必殺級の攻撃となって、襲いかかってくる。
 その姿に、恐怖するなと言うのは――無茶が過ぎた。
「くっ……」
 片浜命は、意図せず流れ出る汗を止められなかった。手が震え、足がすくむ。
 見れば、清水恋華も同様だった。手に握った警棒の先がぷるぷると震えている。
 いつもの狩りならば、これほど恐怖したりしなかった。大型種を前にしても戦えたし、そんな強さを持った自分に誇りも感じていた。
 だが、それはまやかしだったのだ。真の恐怖を前にしては、自分の手にした力など、赤子のようなものだ。
 思わず逃げたくなりながらも逃げないのは、自衛官としての……、あるいは警察官としての矜持か。一般人を捨て置き逃げるなど、これまで培ってきた職業意識が許さない。
 だが、そうやって二人が迷う間も、ベヒーモスは容赦なく恵美を狙う。恵美は、もはや防戦一方だった。攻撃が入らず、パワフルな暴撃を振るい続けるベヒーモス相手に、さしもの恵美も決め手を欠いているのだ。
 だが、そんなものがいつまでも保てるはずがない。井出が死を覚悟した時、
「井出君」
 そんな彼を守るように、刀を構えた男がいた。
 ――茅野英彦だ。
「茅野、さん?」
「俺が彼女を助ける」
「あなたが?」
「そうだ。俺は、茅野家だ。彼女ほどの力はないかもしれないが、力はある。奴を倒す手伝い、俺がする」
「……わかりました、お願いします」
 死ぬかもしれない。
 それがわかっていてなお、井出はそう言った。ここで誰かが恵美をサポートしなければ全滅する。死にたくなければ、そうするしかない。
 英彦はちらりと後ろを振り返った。
「二人とも、無理はない。上位と相対して逃げたくなるのは動物の本能だ。ケモノも、人も、そんなところは変わらない。だが、神力を扱うならば覚えておかなければいけない。神力家は常から言われる。『逃げてはならない』と」
「逃げては、ならない?」
「そうだ。今は君たちのような存在もいるが、もともと、ケモノは神力家でなければ狩れない存在だった。我々が投げ出せば、ケモノは人を襲っただろう。小さなケモノといえど、人を容易に殺せる。神力とはそういうものだ。だからこそ、我々は逃げてはならない。最初にして最後の砦、人類を守るための防波堤。それが、我々に課せられた役目だ」
 そう言って、英彦は自嘲した。
「まあ、最近まで投げ出し続けた俺の言うことじゃないかもしれないが。本来なら、イザナミが逃げたとわかった時点で、もっと手を打つべきだった。それを、もう無理だと勝手に諦め……、この体たらくだ。だが、彼女は違う。今も投げ出していない。家の役目を忠実に守り続けている。彼女こそが本当の神力家……、神の力を有する者だ」
 本当は、英彦にもわかっていたことだ。
 茅野家に限らず、力を伝える家々では、力の使い方と共に、それを運用する心についても説かれる。いわく、力は守るために。そして、逃げてはならぬ、と。
 命を賭して、命を救えと。
「俺は弱かった。そんな自分は、ここで殺す。それが俺の役目だからだ。そうでなければ……、神力を持つなど、ただの迷惑者だ。君たちは逃げても構わない。だが、覚えておかなければいけない。その力を有したのは何のためか」
 英彦はぐっ、と足をたわめると、そのまま飛び出した。気合と共に一閃、刀は弾かれるが、ベヒーモスの意識はわずかにそれた。その隙を使って、恵美は大きく跳躍し、距離を開く。ずっと全力稼働し続けて弊害だろう、荒く息を吐き、刀を握りなおした。
 その姿を、片浜と清水は確かに見ていた。見て、嘆息した。
「……恋華。今まで、何をしていたんだろうな」
「命?」
「守るべきものを守っていなかった。恵美のことを、そんな風に考えていた。でも、そうじゃなかった。こんな恐怖に立ち向かい続けていたんだ」
 成すべきこと。歩むべき道。
 人それぞれに定められているとでも言うべき宿命に、恵美は真摯に取り組んでいた。それを勘違いしていた。
 ただ、恥ずかしい。
「やろう、恋華。恵美は殺させない。そのために……、そのために戦ってきたんだから」
 まっすぐ恵美を、敵を見つめる命の様子に、恋華も少しだけほぐれた。
「……ええ。手伝うわ」
 片浜命、清水恋華。
 参戦。



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