咆哮が樹林に轟く。
 ベヒーモスの巨体が飛び、跳ね、周囲の地面を削り取る。
 恵美の放つ斬線は鱗に弾かれるものの、その腕をわずかにそらす。作られた間隙に英彦が飛び込み、胴体を思い切り蹴り抜く。かすかによろめいたところに片浜の追撃。大きくそれたところで、清水が警棒を叩きつける。
 即席ながら、四人の連携はそれなりに機能していた。四人が四人とも、近接攻撃を主体とする能力だというのも大きい。互いが互いの動作を邪魔しない。
 そんな四人を少し離れたところで見守りながら、井出は解析を続ける。
 相手の挙動、呪力量、周囲の地形や利用できるものをすべてすべてすべて――!
 井出には戦う能力がない。ただ、相手を見つめ、その由来を知り、先を予想することだけしかできない。
 だが、それが完全ならば――来るとわかっている攻撃ならば対策できる。隙も見つけられる。弱点がわかれば万々歳、存分にトドメを刺せる!
「おかしい……」
 順調に戦っている様子の四人に対し、井出は焦っていた。
 ケモノの能力は、リソースとでも呼ぶべき特徴がある。
 呪力量が多いものほど、その呪力を使う用途も兼ね備えているのだ。アジ・ダハーカは攻防に用いる炎に、アトラク・ナクアは死者の操作や自らを守る鎧に、バシリスクは空を飛び続ける浮力に。
 対して、ベヒーモスはそういった様子がない。攻撃は剛腕を振るうことだけで、単調だ。翼があり、空を飛べると恵美は言っていたが、バシリスクのように空を飛び続けることに能力を使う様子もない。防御は鱗の硬さ頼りで、もちろん呪力での防御壁はあるものの、あの呪力を消費するほどのレベルではない。
 要するに、莫大な呪力が余っているのだ。これは、Aランク特有の――。
「まだ、全力じゃない?」
 井出が漏らした時、戦いに変化が起きた。
 片浜と清水の連携した打撃が、ベヒーモスの体を大きく揺るがす。よろめいたところに恵美と英彦の斬撃。クロスした剣線が、一枚の鱗を斬り飛ばした。
「まずい……!」
 Aランクは中途半端に傷つけてはいけないのだ。本気にさせれば、全力を出してくる。
 そして、そうしてしまった。
「来るっ!」
 解析するまでもなく感じていた。ベヒーモスの周囲で呪力が渦巻く。
「グルァァァァァァァァァァ!!」
 巨獣の咆哮。それが、起動の合図。
 溢れ出た呪力は巨獣の周囲でうねり、形を成し――そして、弾けた。
「ッ!?」
 噴き出した呪力の波が五人を襲う。
 解析しようと画面に視線を落とした井出は青ざめた。
「これ……、解析できない!?」
 手持ちのパソコンは壊れていない。そもそも井出は呪力によってパソコンを疑似形成することも可能だ。そして、機器類さえ生きていれば、解析は可能。
だが、それができない。放たれた呪力の波が機器を狂わせているのだ。
「う、ぐっ……」
 同時、井出も軽い眩暈を覚えた。機器が異常をきたすほどの呪力波だ、同じように呪力を有する人間が毒されないはずもない。
 だが、ただ周囲に呪力を撒くだけの能力であるはずもない。何かある。本能的にそれが理解できるのに、回避できない。
 否、回避しようという発想がそもそも無駄なのだ。呪力は周囲にばら撒かれた。袋の鼠だ。
「来るっ……!」
 気づいた。
 放たれた呪力はそれぞれ寄り集まり、形を成していく。
 あるいは狼のような。あるいは鹿のような。あるいは猿のような。
 ベヒーモスから放たれた呪力は、質はそのまま、獣の形を成した。
百獣の王ベヒーモス……」
 ようやく理解した。奴の能力。
 自分の体から放たれた呪力を支配し、獣を具現化し、支配する能力。
 奴は一匹ではないのだ。無数の群れ、その王。
 それら万物が、ただ一人の少女を見据えている。
「恵美さん!」
 井出の悲痛な叫びと、獣たちの声ならぬ咆哮は重なり合った。



「何これッ……!?」
「来るぞッ!」
 呪力獣の狙いは恵美だった。だが、恵美と共に戦う三人も巻き込まれないはずがない。
 迫り来る猪を警棒で弾き、清水は歯噛みした。後ろから襲いかかった熊は片浜が蹴散らし、高く跳んだ狐を英彦の刀が両断する。
 その間に、恵美は数匹の獣を斬って捨てていた。
 個々の能力は高くない。普通の獣と同質程度だろうか。だが、数がとんでもない。
 百どころの騒ぎではない。その十倍、いや、それ以上か。
 しかも、斬った端から再び形を成してくる。所詮は呪力の塊、物理的に殺したところで意味はないのだ。
「このままじゃ!」
「ああ、まずい!」
 危機的状況なのはわかる。わかるのに、さばけない。
 それがいやらしいところだ。攻めるにも逃げるにも、相手の攻撃が激しすぎて手が打てない。
 そしてもちろん、凡百の兵隊だけではない。
「ッ!?」
 剛腕による踏み潰し。先ほどと同じなのに、回避はギリギリだった。
 ベヒーモスは、呪力獣を踏み潰すことなどお構いなしだ。それも当然、潰れたところで、獣たちはまた再生する。
 大本を断たなければ無駄。だが、これだけの数がいては、本体にたどり着くことさえ困難だ。
 いや……、たどり着いたところで、先ほどからのアタックを考えればわかる。それだけでは足りないのだ。
 なんとかして一撃を通す、そして、その一撃でベヒーモスを殺さねば。
 そんなことができるのは――。
「恵美ッ、チャージは!」
「できないよ!」
 素早く数匹を両断し、恵美と片浜は背中合わせに息を荒げた。
「どの程度必要だ」
「最低10秒」
「10秒か……、無理だな」
 短く会話を交わす間にも獣たちが襲ってくる。それらをいなし、蹴飛ばし、斬りながらの意見交換。
 ツクヨミを使うための溜めに入ると、恵美は動くことができない。集中しきるから、周囲の様子を見守ることも難しい。
 すなわち、これだけの獣たちとベヒーモスから、恵美を守らなければならないのだ。片浜と清水、それに英彦の三人で。
 そんなこと、できるはずもない。ならば。
「……恵美。奴の横腹を空ける」
「アタックは?」
「恋華だ。頼むぞ」
「了解!」
 理由は問わなかった。恵美は、やれと言われたことを成す。
 スピードだけならば一級の恵美。その斬線で、一直線に獣たちを裂いていく。
 獣たちは必ず再生する。だが、刹那なれど、再生に要する時間がある。その一瞬こそが、完全なる隙!
「恋華! 茅野!!」
「応!!」
 その間隙を三人が駆け抜ける。気づいたベヒーモスの顔がこちらを向き、前腕が振り上げられる。そこへ、
「っせるかぁ!!」
 気合と共に片浜は突っ込んだ。死ぬことへの恐怖は置き去りに。
 迫る剛腕に合わせ、握りしめた拳をぶつける。
「ぐぅぁぁああああああ!!」
 まさに根性。腕が悲鳴をあげ、骨が砕ける音を耳にしながらも、片浜は全力で拳を振り抜いた。巨腕が弾かれ生命が繋がれる。
「ふッ!」
 そこに英彦が走る。たわめられた翼に一閃。衝撃で片翼が開き、横っ腹があらわになる。
 そこに見えたのは、かすかな肉。先ほど恵美たちが斬り飛ばした鱗、それによって露出した無防備な一点!
「行けぇ、恋華ァァ!!」
 清水は返事もしなかった。声を出すことすら惜しみ、ただ一直線。仲間が切り開いた道を進み、走り、警棒を前に突き出す。
「喰らえぇえええええ!!」
 やわい肉に、清水の警棒が突き刺さる。かすかなダメージ、だが確かな痛みに、ベヒーモスが大きく吼えた。
 暴れる巨獣。だが、清水は放されまいと警棒を強く握り、自分が持つ呪力を全力で開放する。
「痺れて!!」
 感電捕縛スタンエッジ。清水の能力が解放され、電気と化した呪力がベヒーモスの体内を駆ける。
「ッ!!」
 ほんの一瞬だった。だが、ベヒーモスは動きを止めた。同時、彼が操っていた呪力獣たちも、刹那の戸惑いを見せる。
 その隙を逃すほど、生来の呪力保持者は甘くない。
「……」
 音も声もなく跳んだ恵美。その刀が、無防備なベヒーモスの顔面に一閃される。堅固な鱗も、顔には存在しない。その一撃が、隻眼となったベヒーモスの片目をえぐり出す。
「アアアァァァァ!!」
 激痛にのたうち回るベヒーモス。振り払われた清水がボールのように跳ね飛ばされ、地面を何度も転がっていく。
 両目を失ったベヒーモスは、もはや敵の所在もわかっていなかった。そこに、恵美と英彦、二人の呪力保持者が迫る。
「これでどうだッ!!」
 気合一閃。
 重なった二人の斬線はベヒーモスの顔面に大きな十文字を作り、剣線が頭を吹き飛ばす。
 呪力が破裂し、ベヒーモスは顔の半分を吹き飛ばされた。よろめき、だが、それでも巨獣は倒れない。
「オアアァァァァ!!」
 王の咆哮に獣たちは猛り、一斉に恵美へと殺到した。
「ッ!!」
 全力をベヒーモスに叩きつけた直後。さしもの恵美もさばききれない。一匹、二匹と斬り捨て、しかし殺しきれず、鹿の角が左腕に突き刺さり、狼の牙が太ももに食い込んだ。
「グッ……、らあああああ!!」
 それでも負けなかった。
 折れぬ心だけを武器に、自分を殺そうと迫る獣たちを斬り飛ばす。その反動で、ますます獣たちは恵美に殺到する。
 それが、反対に巨獣を守る駒を少なくする一因ともなった。
「終わりだ」
 無防備なベヒーモスに迫る英彦。両目をえぐられた巨獣はその接近に気づけない。
 残った半分の顔に刀を突き刺し、英彦は自分に残ったありったけの呪力を爆発させる。
 ズン、と衝撃が走った。文字通り爆裂した英彦の呪力は、ベヒーモスの残った脳を粉砕し、肉片へと変える。
 全てを失ったベヒーモスは、ゆっくりとよろけ、大地を揺るがしながら倒れ伏した。ほとんど同時、主を失った獣たちが逃げるように、呪力獣たちの姿がかすんで消えていく。
 それは、操られた死者が、生に屈した姿だった。



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