『どうだい、調子は』
 無線から発せられる声に、フィオナは答える。
「問題ありません。状況も整ってきました」
『そうか、それは素晴らしい。では、次のステージに?』
「ええ、移行は可能です。下地は揃いました」
『では、頼む』
「了解しました」
 通信を終え、フィオナ・クローゼは嘆息した。
 疲労ではない。これから訪れる、新しい任務への武者震いだ。
「これで……、状況は劇的に変化する」
 ふと、日本に来てから交流した、自衛隊の面々が思い浮かんだ。
 天衣無縫の八雲恵美、そんな彼女を信頼しているアメリアや葛原や……、仲間たちの姿。
 特に、八雲恵美の能力は特筆すべきものだ。自分のアルミュールが負けるとは言わないが、あのスピード、あのパワー。自分は彼女をあざけったが、生身であれだけ戦えるというのは異常なことだ。
 もし、あの能力が自分にあれば――。
「考えても、仕方ないことね」
 自分は最強だ。最強でなければならない。
 誰にも負けぬ力を蓄えなければ、自分には存在価値がない・・・・・・・
 恵美は強い、だが、所詮は生身だ。バシリスクの放つ毒には対応できていなかったし、ダキニの放つ電磁波にも負けていた。
 弱く、もろい人間の体。そんなものに頼っていては、常勝は望めまい。
 他方で、アルミュールは優秀だ。高い防御力と継戦能力、無頼の攻撃力。その操作はある程度の素養が必要とされるが――あれを誰よりうまく使いこなせるようになれば、自分は唯一の存在価値が生まれる。
 そう、“自分”には価値があるのだ。
「証明してみせる……」
 そっとつぶやき、フィオナは立ち上がった。
 無線を仕舞い込み、自室を出る。食事の時間が迫っていた。
 廊下を進むと、
「あ、フィオナさん」
 どこかで見たことのある少女に声をかけられた。快活な少女は、そう、恵美のかたわらで見た覚えがある。
「あなたは……、ナナ、だったかしら?」
「はい、春日菜々です。ナナ・カスガ」
「大丈夫よ、日本語も使えるわ」
 あの八雲恵美の友人。
 何か彼女の情報を持っているだろうか。そんなことが頭の片隅をよぎる。
「あなたは、エミの友人でしょう? 昔から仲よしなの?」
「そうですよ。あんなことが起きる前から」
「へえ」
 それは好都合だ。大災害以前からの友人。情報量も多い。
「珍しいわね、それは」
「そうですね。たぶん、私は運が良かっただけかなって。恵美は強いから、生き残って当然だったかもしれませんけど」
「そうね、彼女は強いわ。昔からそうだったの?」
「うーん、そうだったんだと思いますよ」
「……?」
 微妙なニュアンスにフィオナが首をかしげると、菜々はくすりと笑った。
「恵美、平和なときは、呪力なんて欠片も見せませんでしたから。学校でも普通だったんです。他の子と変わらない」
「そうだったの?」
「そうです。だから、私も本当のところは、恵美が強いとこって見たことないんですけどね。私は呪力が弱いから、戦いに出られるわけでもないし」
「そうなの……」
 それでは、もうこの少女に用事はない。問題にならない程度に話を切り上げようと思いつつ、
「あなたも呪力保持者なの?」
「そうですよ。ただ、私は弱いんで」
 甲斐の作ったBアンプルを投与したのだろう。あの薬は、呪力の発現に個人差がある。強い呪力を持つ者もいれば、弱い呪力しか持たない者もいるだろう。
 それは――仕方のないことだ。
 そんな少女に、フィオナは少しだけ聞いてみたくなった。
「あなたは、自分で戦いたいと思ったことはないの? 獣たちが憎いと」
「そうですね……。えっと、適材適所って日本語では言うんですけど。人間、できること、得意なことはそれぞれですから。私はみんなのお世話をするのが好きですし、戦いとか苦手だから……。だから、これでいいんじゃないかなって」
 正直、と菜々は続ける。
「私がここに来たのも、アンプルを投与してもらったのも、全部、恵美のためなんです。恵美は、自分で戦いたいって言うだろうから……、そんな恵美を支えたくて。唯一の、生き残った友達ってのもありますけどね。でも、実際に私が戦いに出たら、きっと恵美の足を引っ張ります。だから、この形がちょうどいいんだと思うんです」
「友達のため……? そんなことのために、自分の命をかけたの?」
 アンプルの刺激は強い。強すぎる。人間の体を文字通り作り変えてしまうだけの能力があるだけに、その反動は、人間を殺してしまえる。
 その問いかけに、菜々はふんわりと微笑んだ。
「だって、友達が自分たちのために命をかけてくれるって、わかっているんですよ? なら、当然のことじゃないですか」
「……」
 その答えは、フィオナの想定を超えており――。
 そして、とてもまぶしく映った。
「あ、そうだ、道具を取りに行くんでした。すみません、また今度」
「う、うん。そうね、バイ」
 手を振る少女を見送ったフィオナは、小さく舌打ちした。
「なんなのよ」
 自分を揶揄されたわけではないのだが。
 猛烈に、何かが自分の中で渦巻いていた。



 清水恋華が目覚めた時、しばらく自分の置かれた状況が理解できなかった。
 全身がにぶく痛むのに気付き、ようよう記憶がよみがえる。
「そう、あいつは……」
 体を起こす。そこは和室だった。木目のある天井、埃にまみれた畳。
 そして、部屋の隅にいる影に気づく。
「……目覚めましたか」
「井出君?」
 井出晶だった。膝を抱え、うつむいている。
「状況は?」
「ベヒーモスは茅野氏の協力で倒れました。ただ、状況は芳しくありません」
 ぽつぽつと答える井出。もともと覇気のあるタイプではないが、今は輪をかけて元気がなかった。
「片浜さんは負傷しています。詳細は検査しなければわかりませんが……、腕が複雑骨折しているようです。素手でベヒーモスの膂力と力比べをした反動でしょう。けど、もっと悪いのは……、恵美さんが負傷していることです」
「恵美が?」
「はい。恵美さんは、腕と足に貫通創があります。本来なら外科手術が必要なほどの怪我です。ですが、ここでは満足な医療設備もない……」
「……そういえば、ここは? 茅野さんのお宅?」
「そうです。恵美さんの出血もひどい。止血を施しましたが、はっきり言って、今も生存しているのは、恵美さんが呪力保持者だからでしょう。一般人なら死んでいる」
「なら、すぐ駐屯地に移動すれば……。外科手術の設備はないかもしれないけど、お医者さんならいるはずでしょう?」
「今の恵美さんを輸送することができません。片浜さんは腕を負傷しているし、茅野さんが恵美さんを背負って移動すれば、道中で変種に襲われても応戦できない。何より、今の恵美さんは、運ぶのも危険な状態です」
「そんな、それじゃ……」
「今は片浜さんと茅野さんが駐屯地から医者を呼んでくる途中です。ですが、それまで恵美さんが耐えられるかどうか」
 井出は、ますますうつむいた。小さくなった影は、とても戦いに赴いていた少年と同じとは思えない。
「やっぱり、僕は……、何の役にも立てません。解析しようと、戦うことができるわけでも、恵美さんを助けることができるわけでもない。中途半端で……」
「……井出君」
 思いのほか、固い声が出た。構わず、清水は続ける。
「井出君。懺悔なら、それは変種を駆逐してからにすべきだよ」
「……僕には、変種を駆逐する能力はありません」
「戦うだけが能力なら、私だっていくらも役立たない」
 くらくらする頭を押さえ、井出を見据える。
「私の能力じゃ大型種は殺せないわ。でも、できることはある。あなたも同じよ。あなたは誰よりも早く、アトラク・ナクア・ホロウという可能性に気づいたんでしょう」
「それは……、でも」
「もっと自分を信じなさい! できないことなんかいくらでもあるわ! 自分がヒーローになれないからってすねていたんじゃ、世界は救われない!」
 自分で放った言葉に、清水は驚いた。世界を救う。そんなつもりは毛頭なかったし、そんなことを考えて戦ったこともなかった。
 だが、口に出してみると、意想外にしっくりときた。そう、それが自分の根幹なのだ。
「そうよ、世界を救うのよ。成そうとした人にしか、それはできない! なら、やろうとしなきゃ! このまま人間が全滅なんて、そんなことさせないわ!」
「清水さん……」
「めげたくなる気持ちは分かるけど、そんな状況じゃないわ! やるしかないのよ!」
「やるしか……、ない」
 そう、やるしかないのだ。
 選択肢があるならば、やらないと言うこともできる。だが、現状は、抗わなければ死ぬだけだ。
 自ら命と断つというのであれば、その限りではない。だが、生きたいのなら……、生き延びたいのであれば、選択肢はひとつ。
 戦うしかないのだ。
 ふと気づけば、井出は小さく笑っていた。
「そういえば、恵美さんにも……、同じことを言われました」
「恵美に?」
「ええ。戦わなければ死ぬ。それだけだと。確かに、その通りです。できることを……、しなければ」
 井出は携帯電話を取り出した。
「東京の本部に連絡を?」
「いえ、それはできません。英彦さんの言っていた通りです。現状、誰が味方で、誰が敵かはわかりません。下手に外部へ情報を流せば、致命傷となりかねません」
 いつの間にか、井出の瞳に生気が戻っている。その事実に安堵しつつ、清水は続ける。
「じゃあ、どうするの?」
「まずは確定的な味方を増やすことです。アトラク・ナクア・ホロウの作成には、必ず遺伝情報が必要です。すなわち、甲斐博士の研究班は大なり小なり関係している。本部は甲斐博士とほとんどイコールです。彼女が今回の件に関わっている可能性は、性格を考えると低いですが……、ゼロじゃない以上、博士も疑うべきでしょう」
「じゃあ、他に関係していなさそうな人って……」
「自衛隊の中核にいる人間は関係している恐れがゼロじゃない。言い換えれば、自衛隊との関連が薄い人ほど、ぼくらの味方になってくれる可能性が高くなります」
「そんな人、いる? だって、今はみんな自衛隊の……」
「いえ、一人、心当たりがあります。自衛隊の中核からは遠く、ぼくが信頼できる人です」
 そう言う井出の脳裏には、一人の少女が浮かんでいた。



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