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春日菜々は、携帯電話を握りしめながら、電話の相手が言っていたことを反すうしていた。 『……誰かが変種を蘇らせた可能性があります。アトラク・ナクアの力を使って』 アトラク・ナクアという大型種を、菜々は見たことがない。だが、恵美から、その化物がどのような力を持っていたかは聞いていた。 死者を操るという、禁忌の能力。それを持つ化物。 なるほど、イザナミが蘇ったとなれば、それは確かにありうる可能性だ。同時、それを引き起こした人物は、必ずこの駐屯地にいるはずだ。 アトラク・ナクア検体は、研究班が厳重に保管している。自衛隊支援班の菜々でさえ見ることのできない場所だ。となれば、研究班には、関係者がいることだろう。 それを調査する役目。一介の少女には厳しすぎる任務だ。だが、誰が味方か分からない以上、おいそれと考えを話してまわることはできない。 気づいたことを気づかれていない現状が唯一のアドバンテージなのだ。それを活かすには、相手に悟られることなく、犯人を捜し出さなければならない。 だけど、と菜々は思う。災害前はただの女子高生だった菜々に、そんな警察のような真似はできない。誰か、もっと大人の協力が必要だろう。 「やっぱり博士に……」 甲斐玲奈は研究班のトップだ。彼女ならば、研究班の誰が怪しいか、内偵を進める知恵を含めて十分に持っている。彼女が関係しているということも、まあないだろう。少なくても、彼女は真剣に変種を根絶する方法を探しているように見えた。 井出には止められたが、やはり甲斐に相談しようときびすを返した菜々は、ふと気がつく。 駐屯地の外れ、開墾しようとしている畑の淵。その向こう側には依然として樹林が広がり、見通しは悪い。そんな樹林の向こう側で、何かが揺れたような気がしたのだ。 「……あ」 否、事実、草木が揺れていた。そして、姿を現す存在。 小型種。犬のようなケモノが、だらだらとよだれをたらしながら、菜々のことを見ている。 よくよく見れば、ギラギラと輝く瞳は、一対ではなかった。木々の合間から覗く金色の瞳は、ひとつ、ふたつ、みっつ――。 数えきれない! 「きゃああああああああ!!」 菜々は悲鳴をあげながら、全力で逃げだした。 「駐屯地の近くに変種だと!?」 報告に叫び返しながら、甲斐はつかつかと廊下を歩く。 「はっ、はい、小型種多数、大型種の姿も散見されます! 包囲されているようです! 現在は特務班を中心に、応戦しているところですが……」 「くそっ。今まで群れが人里を襲うようなことはなかったのに……!」 群れ、という言葉が、先日の自分が放った言葉と重なる。 鹿島真矢の件だ。獣たちは、人間と同じく、徒党を組むことを覚えたのでは? 自分の考えに、甲斐は恐怖した。本当にそうなら、人類は今度こそ終わってしまうかもしれない。 「一般市民の避難は」 「避難ルートがありません。現在は駐屯地の中心に誘導しています」 「それしかないか……。特務班に連絡を取れ。連中の行動原理をつかめと。変種どもが群れで行動することは、今までなかった。何か原因があるはずだ」 「はいっ、了解!」 駆け去る自衛官はそのまま、甲斐は建物の屋上に出た。 「……なんてことだ」 駐屯地は決して広くない。こうして建物の屋上から敷地全土が見渡せる程度には狭い。 だが、その周囲で、ケモノたちの咆哮が響いていた。そこかしこで自衛官が銃撃し、戦車が火を吹いている。耳を覆いたくなる轟音。 歯噛みする甲斐の後を追いかけるように、後ろの扉が開く。飛び出してきたのは、見知った男。 「ディランか。アルミュールの修理は」 「加賀谷たちはもう出撃させた。調整が完璧とは言えないが、そういう状況じゃないだろう」 「お前の言う通りだ。だが……、これは最悪だぞ」 人間が住める、数少ないテリトリー。それがケモノたちに襲われているのだ。逃げ場などない。 「ディラン。やはりきっかけは……」 「エキドナと名乗ったんだったか。彼女だろうな」 「やはりそう思うか」 「当然さ。今まで見られなかった群れ単位での行動。人間的な特徴だ。それに、彼女は人間という種族に対する殺意を表明していたのだろう? おそらくは、そういうことだ」 「エキドナは殺したんだぞ。それでもか」 「馬鹿か。変種は繋がっているんだろう」 「……まさか、記憶まで共有すると?」 「完全に、とは言えないだろう。知性も個体によって違うように見受けられるし、成長の度合いを考えても、全体で記憶を共有しているとは思えない。だが、自分の仲間が倒れたかどうか、どこで倒れたか――その程度の情報は伝わっていると見るべきじゃないのかな」 「それは、だが……、そういうことなのか」 駐屯地に、変種を殺せる存在がいる。 その事実に、変種たちが気づいた? だから、総攻撃を仕掛けてきた? その発想を、荒唐無稽と切って捨てることはできなかった。現実を見れば、それはいかにも事実にしか見えない。 おそらくだが、変種たちは自分たちを殺しに来たのだ。 「くそっ……。せめて恵美がいれば」 「一人や二人で状況が大幅に改善したりはしないだろう。とにかく、避難を考えるべきさ」 「あれだけの一般市民を連れて避難など、現実的にできると思うのか」 「ならば見捨てるしかない」 甲斐は振り返った。ディランは笑っていなかった。 「お前は何のために戦っているんだ」 「無論、生きるためさ。君は違うのかい、レイナ?」 「生かすためだ。自分のためなどではない」 「あのアンプルを作った君がそれを言うのかい?」 「貴様ッ……!!」 「事実だろう。僕の意見は、つまるところ君がアンプルを作ったことと変わらない。より大勢を生かすために、少数を犠牲にしようという話だ。ここで撤退すれば、少なくても戦力になるようなメンバーは生き残る。それ以外は死ぬかもしれないがね」 「馬鹿を言うんじゃない!!」 「僕ならばそう指示する。それで死んだ者もいる。米軍特務はそうやって生き残っている」 「ふざけるな!!」 「ふざけているのはどちらだ。対局を見据えろ、レイナ。昔の君なら、その程度の判断ができないほど愚かじゃなかったはずだ!!」 「……!!」 甲斐はもはや言葉を絞り出すこともできず、絶句した。 一瞬だけ迷い、そして、甲斐は答えを出す。 「ならば、米軍特務は撤退しろ。自衛隊は敵を駆逐するための軍隊ではない。力なき者を守る、民の盾だ」 「……それが君の答えなのか」 「ああ」 今度はディランがうつむき、そして、首を振った。 「僕が超えたいと思った君は、そんな君じゃない」 「そうか。なら、これが今の私だ。研究以外の全てに目を向けていなかった、あの頃の私はもういない」 「レイナ……」 嘆息したディランは、小さく頷いた。 「わかった、協力する」 「ディラン?」 「君の言っていることは間違いじゃない。ただ現実的じゃないだけだ。ならば、それを現実にすることで、米軍特務が……、ひいては僕が、君を超えていると証明してみせよう」 「……すまない、助かる」 「いいや。それが僕の弱みさ」 肩をすくめた知己の友人に、甲斐は安堵する。 「いいか、とにかく冷静に考えろ。今の私たちが出たところで戦況は変わらん。それよりも、事態を早急に収束させる必要がある」 「それはそうだが。でも、どうやって?」 「――襲撃してきているのは、小型種と大型種が混じっていたはずだな?」 「ああ。今のところ発見されているのはCランク程度だが」 「Cか。ふむ、もしかしたら、いけるかもしれん」 「どういうことだ?」 「いいか。変種が群れで行動し出すというのは、我々の予測だ。だが、小型種まで混じるというのは、よくよく考えればおかしいことじゃないか?」 「何?」 「小型種はたくさんの遺伝情報を有している個体もあるが、それぞれの特徴を大きく出すことはあまりない。大型種と比べても、明らかにただ既存の生物が大きくなっただけと考えた方が無理ない」 「それは……、そうかもしれないが」 「つまり、小型種どもが大挙して押し寄せているというのは、自分の知恵ではないのではないか? 簡潔に言うなら、連中を支配している大型種がいて、小型種は操られているだけじゃないのか?」 「そうか! なるほど、それなら説明できる」 「エキドナの死を感知した者はいるかもしれないが、これだけの小型種が皆、タイミングをうまく合わせるというのは難しいとも思える。ボスを探せばいいんだ、そいつを殺せば、連中は瓦解する可能性がある」 「……わかった。君の考えに懸けよう」 二人で頷き合い、屋上を後にした。 |