駐屯地の中心。広場となっている場所には民間人が集められている。だが、いまやそこは、喧騒と怒号のるつぼと化していた。
「どうなっているんだ! 今まで化物どもがここを襲うことなんかなかったじゃねえか!! ここは安全じゃねえのか!?」
「今、駆除を行っています! 皆さんの安全は確保いたします!」
「どうやってだ、ええ!? あいつらを全滅させられねえから、こんなところに住んでいるんだろうが!!」
 声を張り上げる藤堂と、そんな藤堂に負けじと声を張る自衛官。藤堂に賛同する声、同じ説明を繰り返す自衛官。そんな感情の渦がぐるぐると駆け巡っている。
「や、やっぱり、あの人たちが原因なんじゃないか!? 特務がいるから、ここが襲われているんじゃないのか!」
 藤堂の隣で、岸井も声を張る。藤堂はまだ多少の冷静さとでも呼ぶべき理性を持っていたが、彼の方はどう見ても混乱しきっていた。
 そんな岸井の恐怖と動揺が徐々に伝播しようとしている。危険な兆候だった。
「ですから、今はそういう状況じゃ――」
「おい、大丈夫か!?」
 そこに、空から飛び降りてくる影。葛原だった。思わず自衛官は舌打ちしたが、怒号にかき消されて聞こえない。
「出たな化物! お前がいるからッ……!?」
「あなた! やっぱりあなたがッ!!」
 人波の後ろから、中年の女性が飛び出してくる。鹿島登紀子――変種の母となった真矢の、実母だった。その顔を見た葛原は、顔をしかめる。
「あぁ!? まだんなこと言ってんのか!? いいからおとなしくしてやがれ!!」
 我を忘れ、葛原に殺到しかける人々。そんな民間人を自衛官たちは必死で抑えるが、なにせ多勢に無勢だ。押しとどめていた自衛官は、逆に押し倒され、そのまま踏みつけられる。だが、踏みにじった者は、足元で転がった人間のことなど見向きもせず、葛原に詰め寄った。
「お前が……、お前がッ!!」
「うるせえ、暴れんじゃねえ!!」
 葛原の胸中に、かすかな恐怖が湧いた。大型種を相手にした時のような――いや、それよりなお粘質の、いやらしい恐怖。
 人間という種族、自分が守ろうとした者が、ただ恐ろしい!
「くそっ、だから、もう寝てろ!!」
 恐怖に突き動かされるまま、葛原は鹿島登紀子を殴った。強引に意識の芽を刈り取る。だが、それは悪手だった。
「きゃあああああああ!?」
「や、やりやがった!!」
 暴力的な行動に対し、まだかろうじて繋ぎとめられていた市民たちの恐怖が限界を超える。それらは呪力保持者に対する否定となって、形を成していく。
「ちっ……、くそっ!!」
 思わずやってしまった自分に舌打ちしながら、葛原はその場を撤退した。せざるをえなかった。
「あ、おい、逃げるぞ!」
「追いかけろ!」
 現状すら忘れ、一部の市民たちは建物の向こう側に逃げた葛原を追いかけ始める。もはや自衛官による静止など欠片ほども意味をなさない。
「探せ、どこに行った!?」
「きっとあいつが化物どもを呼んだんだ!」
「隠れているはずだ!!」
 それは、論理的に考えれば、ありえない思考だった。葛原が感情的になったことと、変種たちの襲撃に因果関係があるはずもない。だが、激情にかられた市民たちにとって、それは当然の結論でしかなかった。
 手当たり次第に扉を開き、周囲を探し回る。自衛官の声など誰も聞きやしない。
 そんな最中に、
「な、何をしているんですか!?」
 逃げ遅れた避難民を探していた菜々が現れた。市民たちの目が一人の少女に向かう。
 その姿が、先ほど逃げた葛原と重なった。
「お前が隠したのか!」
「えっ!? な、何の……、きゃあああ!?」
支援班に過ぎない菜々は、呪力保持者といえど、爆発的な戦闘力は持っていない。普通の少女よりは腕力も強いだが、それも複数の男たちに囲まれては無意味だ。
「言えよ、あいつどこ行ったんだ!」
「な、何のッ……、あぐっ!?」
 腕を強引に引き寄せられ、頬を張られた。吐け、言え、と迫る男たち。訳が分からぬ菜々と、そんな市民たちを止めようとする自衛官。
「いいから言えよおおおおお!!」
 錯乱した青年が、菜々を思い切り蹴飛ばした。成人男性の力で蹴られ、菜々は壁に叩きつけられる。
「やめなさい!!」
 自衛官が菜々を守ろうとするが、数は市民の方が多い。無謀だと判断した自衛官の一人が、応援を呼びにその場を去る。
 混乱は収まる気配がない。
 狂気に落ちた市民の瞳に、菜々はただおびえることしかできなかった。



 銃声を背中に受けながら、葛原は樹林を駆け巡る。
「くそっ、なんだってんだ……!」
 混乱している市民のことを考えると、早急に事態を鎮圧させる必要がある。となれば、これらの雑多な変種を駆除しきらねばならない。
 だが、この数――。いかに葛原が小型種などものともしない戦闘力を有しているとはいえ、容易なことではない。
「アメリア!」
「クズハラ!」
 駆けていた葛原は、見慣れた金糸を前に足を止める。かたわらには、アメリアが拾ったのだろう、甲斐とディランの姿もあった。
「葛原、お前もちょうどいい。アメリアと大本を探せ」
「大本ってどういうこった」
「冷静に考えろ。これだけの小型種が勝手に動くなどありえない。操作する能力か、少なくとも群れの中核となる者がいるはずだ」
「操作……、そういうことか」
 変種は群れて行動しない。ならば、群れているのは……、原因がいるのだ。
「そうだ。大型種、少なくてもB以上のランクだ。おそらくは、エキドナがそいつを呼んだんだ……、いや、エキドナがまだ生きていると見てもいいかもしれん」
「エキドナが……?」
「まだ解析が完了したわけじゃないが、エキドナは蛇と人間、ふたつの体をもってひとつの生命体だと思われる。ふたつの体は呪力で繋がっていたんだ。ふたつが繋がっていたということは……、三つ以上という可能性もありうる。あるいは他種を呼んだ可能性もあるが、とにかく、奴の仲間か、それと同等の存在がいるんだ」
「そういうことか……! わかった、任せろ」
 葛原は使い込んだ対戦車ライフルを握り直すと、アメリアと視線を交わす。
「行くぜ!」
 大型種のいる場所。
 それを探すのは――探知任務を主とする葛原にとって、造作もない!
「どっちに向かうの!?」
「こっちだ!」
 鼻を利かせ、嗅いだことのある臭いを探す。
 いやらしい臭気を感じる方向、感じたことのある臭いは……、右方!
 枝を蹴り飛ばし、葛原は走る。アメリアが追随する。
 木々をはねのけた先に、その存在が鎮座していた。
「……」
 薄い翅。節のある足に、無機質な複眼。カチカチと鳴る口元は哺乳類のそれと大きく異なり、横に開いている。
 見た目だけで十分におぞけを誘う姿。巨大な虫――蜂にも似た何かだ。
「こいつが、エキドナの本体っていうのか……!?」
「どこが蛇女よ!」
 その姿に、意図せず二人は鳥肌を立てた。虫が好きな人でも、その姿を見れば生理的な嫌悪感はぬぐえないだろう。
「来やがるぞ!」
 虫は前足を動かすと、その先端から鋭い糸が飛び出した。かろうじてかわし、二人は散開する。
「アメリア、捉えろ!」
「任せて!」
 アメリアが右腕を振るうと、その軌跡がキラキラと輝く。
行けGO!」
 命じられるままに放たれた冷気は、虫の足を捉える。
「ィィィィィ!!」
 声とも言えぬ耳障りな音に顔をしかめながら、それでも葛原は銃撃した。
 もちろん、銃弾なんてものが大型種に通用するはずもない。重要なのは、衝撃が頭部に加わったということ。
 虫の複眼は、人間の目よりもよほど多角的に、全てのものを捉えている。だが、一瞬でも意識をそらせることができれば――。
「そらっ……、ッ!?」
 足のひとつを砕こうとライフルを振り上げた葛原は、自分の獣的な勘に従って逃げた。直後、氷を砕いた節足が葛原のいた場所を薙ぐ。その先端はギラリときらめくかぎ爪だ。
「こいつ、意識がそれねえ……!?」
「落ち着きなさい、クズハラ! こいつはエキドナなんでしょう!? 言葉が話せないだけで、知能は人間と同じなのよ!」
「ちっ、そういうことか!」
 普通の動物にならば通じるフェイントも、知恵を持つ相手には通じないということ。
 こちらの行動、その意味を理解している虫。厄介な相手だった。



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