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周囲が冷気で冷え切っている。 アメリアの氷槌によって砕かれたエキドナの死体は、もはや原形をとどめていない。さすがに、ここまで砕ければ、アトラク・ナクアの能力をもってしても再生はできないようだ。 「だいぶ出遅れちゃったわ……」 アメリアは葛原が消えた樹林の向こう側を見やる。今から追いつけるのだろうか。 「アメリア、これを持っていけ」 甲斐は携帯電話を取り出し、アメリアに手渡した。画面には周囲の地図と、人間のマークが表示されている。 「GPS機能だ。葛原のポイントを表示してある」 「了解!」 携帯電話を握りしめ、アメリアは飛び出した。南方、距離はかなり開いてしまっている。 樹林を飛び出してすぐ。いつぞや、恵美と訓練した中学校が視界の隅に映った。 「……!」 そこに、金属の塊を見つけ、アメリアは進路を変える。 「フィオナ!」 アルミュールだ。加賀谷機は大破してしまったが、フィオナは無事だったらしい。 「アメリア……」 アルミュールの腕に座ったフィオナは、どこか様子がおかしかった。いつものような覇気が感じられない。アメリアは、少しだけ疑問を持った。 「フィオナ、大変なの。元凶が判明したわ。アトラク・ナクア――死者を蘇らせる能力を持った変種を、自分に移植した研究員がいるの。彼がいる限り、変種は再発し続ける。今はエキドナを喰らって、さらに南へ移動しているわ。お願い、彼を狩るのを手伝って」 一気にまくしたてたアメリアとは違い、フィオナは冷静だった。 「……南方ね。たぶん、バフォメットのところでしょう」 「バフォメットの?」 「エキドナを喰ったんでしょう? なら、今度はバフォメットを喰うつもりなんじゃない?」 「あ、そうか……!」 考えてみれば、朝宮は今まで大きく動いていなかった。朝宮の能力によって変種たちは生まれていたが、彼自身が何かをしたことはない。 それもそのはず、彼の目的はあくまで『変種が存在する世界の再現』であり、自らにアトラク・ナクアを移植した時点で完結していたのだ。 だが、エキドナに触れ、彼は変わった。エキドナの持っていた呪力を吸収し、そして、おそらくは――エキドナの意思を継いでしまったのだ。 人間が憎いという、獣の意思を。 「なら、なおさら止めなきゃ……。Aランク2匹の呪力を吸収されたら、手におえないわ」 「そうかもしれないわね」 それでも。フィオナは、動く気配がなかった。 「フィオナ、状況を理解しているの!?」 その様子に、アメリアはいらだつ。だが、あくまでフィオナは冷静だった。 「あなたこそ、理解しているのかしら」 嘆息したフィオナは、アメリアを見下ろす。 「ねえ、アメリア。どうして、あなたは戦っているの?」 「どうして? 人を守るために決まっているでしょう」 「何故、守らなければいけないのか、と聞いているのよ」 「何故って……」 当然のこと。当たり前のこと。 そんな風に片づけてしまっていた。そこに理由など考えていなかった。 「……あたしたちには力があるのよ。弱い人を守るのは義務だわ」 だから、そんなことを答えた。その答えに、フィオナは満足していなかった。 「考えてもみなさい、アメリア。強い者は群れる必要などないわ。呪力保持者ならば、変種が存在する世界でも生きていくことができる。弱い人間をかばって自らが傷つくより、よほど確実に」 「それは……」 「災害前の社会だったなら、一人で生きていくことは困難だったかもしれない。でも、現状は違うわ。何の能力も持たない人間がどれだけいたところで、変種一匹さえ倒せない。ただ人間は蹂躙されるだけの存在。そんな人間を、何故、守らなければいけないの?」 フィオナは目を伏せた。前髪が表情を隠す。 「ナナは、あなたの友人でもあるのでしょう?」 「ナナ……? そうだけど」 「彼女は傷つけられたわ。あなたが守った人間たちに」 「……」 アメリアの脳裏に、ベッドに横たわる菜々の姿が浮かぶ。その痛々しい姿。 「脆く、弱い人間。そう言うのは簡単よ。でも、現実を見なさいな。人間は、他人から奪うばかりだわ。強者に寄生し、その力を浪費し、そのくせ恐怖に襲われれば他人を害する! そうやってたくさんのものを奪って、それで生きているのよ! アメリア、生まれついて強かったあなたにならわかるでしょう!? なんであんな寄生虫どもを守らなければいけないの!? 人間を守る価値は……、何なのよ!?」 人を守る価値。 そんなこと、考えたこともなかった。そう、考える必要はなかったのだ。 アメリアにとって、最初の戦いとは、すなわち敵討ちだった。自分から大切なものを奪った存在を許せないという憎しみ。ただ獣が憎くて、それだけを糧に戦ってきた。 それが変化したのは、一人の少女との出会い。未来のために戦おうと言ってくれた、たった一人の友人。 それからは……、言うなれば、恵美のために戦ってきたのだ。 彼女が戦うという選択肢を選んだからこそ、自分も戦っていたのだ。恵美を失わないために。 だが、現状、フィオナの言う通りでもあるのだ。あえて獣と戦う道を選ばないでも、生きていくことはできる。実際、自分は大災害からこっち、ずっとそうやって一人で生きてきたのだ。 ふと、葛原を責める女性の姿が浮かんだ。 鹿島登紀子。彼女は、せっかく彼女の娘を探し、遺体まで持ち帰った葛原をなじっていた。 菜々の件だってそうだ。彼女が、あれほど傷つけられることをしたわけじゃない。ただ、皆の恐慌に巻き込まれただけだ。 何も悪いことをしていなくても、ああして迫害される。それは、自分たちが普通の人間ではないから――呪力を有しているからだ。 呪われた力とは、よく名付けたものだ。きっと、甲斐にはわかっていたのだろう。 過ぎた力は排斥される。自分たちは、人間と混じることはできない。 今、アメリアのは、ふたつの道が見えていた。 あの時のように、一人で生きていく道。安易で優しい道。 もうひとつの道は、長く険しい道。目の前には大きな壁があり、そこを乗り越えても、きっとつらいことがたくさんある。守った者に石を投げられることになるだろう。 それは、容易に想像できた。だからこそ……、アメリアの答えは、すぐに固まった。 「バフォメットを吸収すれば、確かに手がつけられない化物が生まれるわ。それこそ、私たちでも敵わない! そんな相手に挑んで、命を散らして……、私たちの人生って何なのよ!?」 「……フィオナ」 アメリアの口からは、思いのほか、優しい声が出た。 「あたしの大切な人なら、きっと……、こう言うわ。『そんなのは理由にならない』」 「理由にならないって……」 「あたしの友達はね、ずっと戦ってきたわ。味方がいなくても。だって、強いから。戦う力があるから。そんな義務感だけで」 「じゃあ、力を持った者は、ただ犠牲になるだけじゃない!」 「そうね、そうかもしれない。ずっと損をするかもしれない。でも、あたしはそれでもいいの」 友人の顔が浮かぶ。 誰よりも大切な……、大切な人。 「あたしの友達は、きっと、戦うと言うわ。あたしは、そんなあの子の友達であり続けたいから。だから、戦う」 苦笑が浮かぶ。昔の自分なら絶対に言わなかったであろう言葉。自分も、思えば随分と変わったものだ。 だが、嫌な気はしない。 「あたしはね、他人なんかどうでもいいの。守るのはエミが守ろうとするから。それが全て。石を投げる連中なんかほっておくわ。ナナを傷つけるような連中がいるなら、離れて住んでもいい。それでも、変種は狩る」 「あな、たは……、馬鹿なの?」 ふと、思い出す。 バカな友人。感化されたな、と思う。 「そうね、とびきりの馬鹿なのよ」 そう答え、アメリアは携帯電話に視線を落とした。なるほど、点は、横浜へと向かっていたのか。 目的地がわかったところで、アメリアは空を見上げた。この先に、敵がいて、友がいる。 ならば、戦うことに、何の疑問があるというのか。 「じゃあ、行ってくるわ」 軽く散歩に行くような調子で、アメリアは飛び出した。すぐさま姿は見えなくなる。 残されたフィオナは――強く歯噛みし、拳を握りしめていた。 |