時間は矢のように過ぎ去っていく。
 気付けば、恵美が目覚めたあの時から、季節が一巡しようとしていた。
 日々の食料に事欠かないことだけは救いだった。ケモノは確かに凶暴だし、一般人が戦える相手ではなかったが、狩れない相手でもない。
 元猪や元熊の肉は、美食というわけにはいかなかったが、腹を満たすには十分だった。
 恵美は自分の力を、菜々と、親切にしてくれた守屋にだけは伝えた。
 守屋の助力で駐屯地を抜けだしては、ケモノを狩り、それを食料とする日々。異常繁殖した動物は厄介だが、食料を探さなくていいという点においては好都合だった。
 そんな毎日を過ごしていた、ある日。
 いつものように見つけた動物――元は鹿だったのだろう――を狩った恵美は、戦利品を手に、駐屯地まで戻ってきた。
「あ、八雲さん。お帰り」
「ただいま」
 迎えてくれた守屋に返事を返す。一般人である恵美が刀を持っていることも力を持っていることも公表は出来ないため、これらの獲物は守屋が狩ったということにしていた。
 鹿を受け取った守屋は、その場で解体を始める。死体を丸ごと持ち帰れば、斬撃の痕跡で守屋が倒したものではないと気付かれてしまう。
 駐屯地のすぐ外ですら、すでに異常植物が覆っている。だが、かえって物陰が増え、こうして秘密裏に肉を解体できる場所も増えたことは幸いだった。
「そういえば、八雲さん。今日、本部から連絡があってね」
 こんな情勢になったが、衛星電話だけはまだ使えた。基地局が必要な普通の携帯電話とは違い、宇宙からの電波をダイレクトに使う衛星電話は、基地局が潰れた今も各所との連絡に用いている。
「本部って東京の?」
「ああ。なんでも、今度、海外のPMCと協力して、新しい組織を作ることになったらしい。凶暴になった野生動物たちを討伐し、人間の居住空間を増やすための組織だ」
「PMCって……、なんか軍隊の真似事みたいなする会社のこと?」
「そう。正確には民間軍事会社かな。まあ、警備会社の上位みたいな存在だよ」
「知ってるよ。ボクの兄さんがそのなんとかって会社で勤めてる」
「へえ。日本人でPMCに入社している人は珍しいね。まあ、ともかく、ようやく人類の反撃が始まるんだ」
 鹿の解体を手伝いながら、恵美は問いかける。
「その組織って、誰でも参加できるの?」
 その問いかけに、守屋は笑みを浮かべた。
「君ならそう言うと思ったよ。自衛官も含め、あらゆる人に応募資格がある。戦闘経験がない一般人でもね。ただし、命懸けだ」
「そりゃそうさ。ケモノと戦うなら、そうならざるをえない」
「ああ。その代わり、応募した後は現状で用意できる中でも最高の待遇を政府が保証するらしいし、自衛官なら、その身分を失うこともない。この状況が収まるまでの間、その組織に身を置いても、すぐに元の職場に復帰できるよう求めるってさ」
「へえ。じゃあ、もしかして守屋さんも?」
「ああ。自分も応募するつもりだ」
 守屋は頷き、
「君に話したのは、当然、君も参加したがるって思ったからさ。ちなみに、春日さんも参加するそうだ」
「菜々も?」
「君が参加したがるだろうから、一緒に行きたいんだってさ。良い友達を持ったね、君は」
 この情勢になって、唯一となってしまった友人の顔を思い返す。
 本当に、自分は人に恵まれている。
「守屋さん、どうすればいいんだ?」
「応募する意思は自分から本部に伝えるよ。自衛隊の輸送機で本部まで行ってもらうことになると思うけど」
 航空自衛隊の装備は、ことごとくケモノ狩りには向かない。そのため、彼らの主な任務は、この情勢になってなお移動を必要とする者の足となることが主となっていた。
 異常植物によって陸路は大きく制限されているが、空路ならば、無事に移動できるはずだ。
「お互い、頑張ろう。八雲さん」
「ああ」
 鹿肉を手に、二人は立ち上がる。
「ようやく、か」
 見上げる空の色は、以前と変わらない。
 だが、恵美には、確かに始まりの音が聞こえていた。



 米と塩さえあれば、おにぎりくらいは作ることができる。
 久留米和弘は小ぶりのおにぎりを三つ作ると、それをタッパに入れて外に出た。自分が食べるためのものではない。久留米が世話を担当している、少女のためのものだった。
世話をするようになってだいぶ経つ。だが、いまだに彼女と交わした言葉は、ほとんどない。それでも、久留米は世話をやめなかった。
 彼女の好みや生活習慣が分からない以上、肉はいつも避けている。どう見てもキリスト教圏の人間だが、肉が駄目な宗教は、意外と多いものだ。
 外に出た久留米は、空を見上げた。今日は快晴だ。陸上自衛隊の駐屯地には、見渡せばそこここに人の姿が見える。野戦服姿の自衛官に混じって歩いているのは、私服姿の一般人たちだ。
 世界が変わり果てた生物たちに覆われて以来、人々は住まう場所を奪われた。居住地となっているのは、駐屯地のような、守るための武力が揃っている場所だけだ。
 久留米はタッパを手に、きょろきょろと周囲を見渡す。と、建物の陰に、金の輝きを見つけた。
「アメ……」
「おい、久留米! 手、空いてるか!」
「え? あ、はい」
 先輩の自衛官に声をかけられ、久留米は振り向く。先輩は手に何枚かのコピー用紙を持っていた。
「あ、なんだ、用事あったのか?」
「いえ、いつものなんで」
「ああ、彼女か……。お前も大変だな」
「いえ。俺がここではいちばん英語得意ですし」
「まあな。じゃあ、彼女に飯を届けてからでいいから、これを適当に掲示しといてくれ」
「いいすけど、なんすか、これ」
「新規部隊……、でもないか。一般人が対変種組織を作るんで、政府がそれを支援するんだと。その募集のチラシだよ」
「ふうん? ま、わかりました」
 チラシを受け取った久留米は、先輩と別れ、当初の目的に戻る。
 建物の隅まで行くと、金髪の少女が顔を上げた。
 華奢な体、整った顔立ち。無表情なのも相まって、人形のように見える少女だった。
『アメリア、食事を持ってきたよ。ライスボールで悪いんだけど』
「……」
 英語で話しかけるが、彼女は応じない。もっとも、いつものことだ。
 彼女を樹海と化した街で発見したのは、本当に偶然だった。しかし、回収して以来、彼女はほとんど話そうともしない。どうやって魔窟となった世界で過ごしていたのか、どこの出身で、どういった経緯で樹海にいたのか、何も口にしない。名前を聞き出すだけでも苦労したのだ。
 だが、久留米はそれでもいいと思っている。世界は、もはや数ヶ月前の、あの世界ではない。心的なショックを受けた人は多いし、それで発狂した者もいる。言葉を発さないだけならば、まだマシかもしれない。
 久留米がアメリアを構うのは、単に彼が英語を得意としているということ。そして、自衛官としてはあるまじき、けれど決して否定はできない、私的理由だ。
 ふと、アメリアが顔をあげる。青い瞳が久留米に向かい、
『……それは?』
『え? あ、ああ、これ?』
 アメリアは久留米が持っていたチラシに興味を持ったらしい。久留米はチラシを渡しながら、
『俺も詳しくないんだけど、なんでも、変種――凶暴になった動物たちを討伐する組織ができるらしいよ。これはその募集』
 アメリアはじっとチラシを見つめていた。やがて、
『あたし、これに参加したい』
『……え?』
『あたしも参加したい。参加要件は15歳以上40歳以下としかないし、あたしでもいいんでしょう?』
『それは、構わないと思うけど』
 言いつつ、久留米もチラシに視線を落とす。
 確かに、年齢制限の項目はあるものの、その他の制限はない。アメリアはどう見ても未成年者だが、さすがに小学生ということもないだろう。
 今まで全てに興味を持たなかったアメリアが、興味を示している。その事実に喜びつつ、しかし久留米は眉を寄せた。
『けれど、いいの? たぶん危険だよ』
『構わない』
 一瞬、久留米の背筋に悪寒が走りぬけた。
 まるでアメリアの瞳に黒い炎が燃えているように見えた。
『あたしが、全て殺してみせる』
 少女の放つ殺意に、久留米はただ頷くことしかできなかった。



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