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――時をさかのぼること、およそ一年弱。 目覚めた時、最初に見えたのはむき出しのコンクリートだった。 体をゆっくりと起こす。そこは、覚えのない部屋だった。 打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた、殺風景な部屋。部屋の隅には布団が畳まれ、段ボールの箱と共に積まれていた。そういえば、自分も布団に寝ていたらしい。 だが、どうして布団にもぐっていたのか、そもそもこの殺風景な部屋はどこなのか、まったく思い出すことができない。 立ち上がろうとして、恵美は立ちくらみに思わずよろめいた。 「……?」 そうして気付く。そういえば、そもそも服を着ていない。裸だ。 格好には割と無頓着な自覚はあるが、さすがに裸で寝るような真似はしていない。何故だろう、と考え、しかし思い出せない。 まるで頭にもやがかかったように、何をしていたか、思い出すことができないのだ。 不思議に思っていると、部屋に唯一の扉が開いた。 うつむきながら入ってきたのは、ショートヘアの高校生だった。その顔を見て、恵美は小首を傾げる。 「菜々?」 恵美の声に、春日菜々は顔をあげた。 その顔がみるみる赤く染まり、 「恵美……、恵美っ!!」 「わっ!?」 飛びついてきた友人に、こらえきれず、恵美は布団のうえに転がった。 「恵美! 恵美! よかった、よかったよぅ……」 「菜々、お、落ち着いて」 なぜだか、友人は泣きじゃくりながら恵美のことを抱きしめてくる。その理由がわからず、恵美は菜々の頭をなでてやることしかできない。 しばし泣き続けた菜々は、ようよう落ち着いたのか、体を引きはがした。 「恵美、よかった、本当によかった! 恵美まで死んじゃったら、あたし、どうしようって……」 「ボクが死ぬ? どうして?」 「だって、恵美、ずっと起きなかったし、あいつが来た時に近くいたって聞いたし……」 「あいつ?」 「あのおっきな怪獣のことだよ。ライオンみたいな」 「ライオン?」 その瞬間、まるで電撃が走ったように、記憶がよみがえった。 町中に現れた、巨大なケモノ。立ち向かい、敗北した祖父の姿。そして、自分はそんな相手に、全力で立ち向かい――。 「菜々。あいつは、あのケモノはどうなったんだ?」 「え? あ、そっか、恵美はずっと眠っていたんだもんね」 頷き、菜々は続ける。 「あいつは自衛隊が倒してくれたんだって! でも、あれ以来、変な動物がたくさん現れたり、植物が異常成長したりして、大変なの」 「変な動物? ケモノのこと、か」 「ケモノ? まあ動物だけど。それとね、自衛隊の人が言っていたんだけど、あたしたちが知ってる動物と違って、最近の動物はすごく凶暴なんだって。それこそライオンとか熊とか、そんな感じ? ただの野良犬とかまで、そんな風になってるって。だから、むやみに外も出られないの」 「……そういえば、そもそも、ここはどこなんだい?」 「あ、言ってなかったね。ここ、自衛隊の駐屯地だよ」 「自衛隊の駐屯地?」 「うん。もっとも、ここはもともと、ただの倉庫だったらしいんだけどね。ここに逃げ込んだ人が多くて、こんな場所でないと部屋も足りないくらいなの」 「……」 動植物の急成長。 異常に巨大なケモノの襲撃。 八雲として生きた年月は祖父より短い恵美だが、これがありえない事態であることは想像できる。もともと、ケモノは八雲の裏山でしか見つかっていなかったはずだ。裏山から逃げ出す者がいたとしても、これほどの規模になるとは思えない。 何かが、起き始めている。 「あ、そうだ、恵美の服、ここにしまってあるの」 菜々は部屋の隅に置いてあった段ボールを開くと、中から見覚えのある制服を取り出した。 「ごめんね、恵美の家には行けてなくて、見つかった時に着ていた、これしかないんだけど」 「あ、ああ、構わないよ。それより、ボクの刀はあるかな?」 「刀? ああ、大事そうに抱いていたって、自衛隊の人がわざわざ持ってきてくれたんだよ。銃刀法とか、本当はいけないんだけど……、まあこんな情勢だから、って。そのかわり、むやみに使っちゃだめだよ、って」 段ボールの陰から、細長い袋を取り出す。その中から現れたのは、祖父が渡してくれた、あの刀だった。 着替えと刀を受け取った恵美は、鞘から刀を引き抜く。 祖父の形見。 「ケモノの大量発生」 事実は見ていないが、それが現実であると確信できる。 ならば、それを収めるのは、八雲の役目だ。 心の中で、そう誓った。 着替えて外に出ると、思いのほか、人の姿があった。 野戦服姿の人たちは自衛官だろう。普段は彼らしかいないであろう駐屯地に、今は一般人らしき姿を多く見かける。 菜々に駐屯地を案内してもらいながら、恵美は体の感覚を確かめる。 話によると一ヶ月近く眠っていたらしいが、体はまるでさっき眠ったかのようにしっかりしている。 これもまた、八雲の力か。 普通の人間ならば、一ヶ月も寝たきりになっていれば、歩行さえ困難になる。それどころか、満足に医療設備もない場所なら、死んでいてもおかしくなかったろう。 力は及ばなかった。だが、無力でもない。 ただ歩くだけでそれを実感していると、一人の自衛官がこちらを見て足を止めた。 「あれ? 春日さん、その子って……」 恵美にとっては見知らぬ顔だった。 野戦服にヘルメットというのは他の自衛官と変わらない。背は恵美よりも高く、がっしりとした体格のおかげもあって、頼もしく見える。 「あ、はい、あたしの友達です! さっき起きたんですよ!」 「へえ、そりゃあよかった! 拾った時は、正直、もうダメかと思ったよ。全身、すり傷だらけだったし」 気さくな笑顔に、良い人だな、という印象を受けた。 菜々が振り返り、 「恵美、この人は守屋さん。恵美を助けてくれた自衛隊の人だよ」 「守屋直輝だ。よろしくね」 「ああ、そうだったのか。八雲恵美です。ありがとう、助かりました」 差し出された手を握り返す。ごつごつとした手だった。 「それにしても、もう起き上がれるのかい? すごいね」 「ええ、まあ」 「生きていたことといい、奇跡的だよ。平時ならテレビ局が喜びそうな話だ」 一転、守屋は表情を引き締める。 「八雲さん。現状は春日さんから聞いていると思うけど、決して芳しくはない。君の私物とかも、他の人には見せないようにして欲しい。特に今、みんな気が立っている。些細なことでケンカになりかねないし、そんな時にあれを持ち出されたら、自分たちも笑って許すことはできなくなる」 「うん、肝に銘じておくよ」 「頼むよ。じゃあ、春日さん。八雲さんをよろしくね」 「もちろんです!」 軽く手を振り、守屋はきびすを返す。 「面倒見のいい人なんだよ。あたしも助けてもらっちゃった」 「うん、良い人みたいだね」 それにしても、と恵美は周囲を見渡す。 多くの人は、絶望的な顔色をしている。隅にうずくまって動かない人も多い。 「……みんな、家に帰りたいんだよ。でも、危ないから、それができないんだ。無理をして出ていった人もいるけど、帰ってこない」 「そう、か」 「恵美は、これからどうするの?」 ちらと横を見る。自分を見上げる友人は、どこか瞳をうるませていた。 それでも、恵美は言うべきことを口にする。 「戦うよ、ボクは」 「恵美は、そう言うと思った。おじいさんから剣道を習っていたんだもんね。でも、刀で野生動物と戦うなんて無茶だよ、やめようよ」 「ボクにはそれができる。菜々には、信じられないかもしれないけど」 「恵美?」 「きっと、ボクが生き残ったのは、そうするためなんだ。そのために生きている」 自分の手を見つめる。 八雲の力は、人間としては規格外だ。ゆえにこそ、常にその力を使わぬよう、剣術よりも心構えを鍛えられる。 どれほど感情的になろうとも、八雲の力は、使う場所を選ばねばならない。それが八雲に生まれた者の掟だ。 そんな、決して他人を幸せにしない力を、自分は生まれながらに持っている。普段ならば、使うことのない力――だが、今はそんな力を使うべき場所がある。 ならば、戦うのは責務だ。 「ボクの持っている力がボクを生かした。なら、今度はみんなを生きさせるために使うんだ」 「恵美、危ないこと、するの?」 「……うん、ごめんね。心配させて」 すると、菜々は恵美の手を握り、しっかりと見上げてきた。 「じゃあ、恵美。約束してね。どんな風になっても、絶対に帰ってきて」 「菜々……」 「恵美が刀を抱いて倒れていたって聞いて、近くに動物たちも死んでいたって聞いて。自衛隊の人が倒したって聞いたけど、そうじゃないってこと、あたしにはなんとなくわかった。だって、自衛隊の人が倒せるなら、こんなことにはなっていないもんね。だから、あのライオン、恵美が倒したんでしょう?」 恵美は迷い、結局は頷いた。やっぱり、と声が漏れる。 「恵美が特別な力を持っているってこと、想像してたんだ。だから、もし目が覚めたら、きっとまた戦いに行っちゃうんだろうなって思って。でもね、恵美。あたしのお父さんもお母さんも見つかっていないの。ガッコの友達も、みんなどこにいるか、わからないの」 もちろん、見つからない者の全てが死んでいるわけではないだろう。 だが、ケモノがのさばる空間で、一般人が生きていられる可能性は、限りなくゼロに近い。 他の駐屯地にいるならともかく、そうでない者は、おそらく死んでいる。 たくさん、死んでいる。 「あたしの友達、もう恵美しかいないの。お願い、恵美。いなくならないで」 涙をこらえる友人。恵美は、その暖かな手を握り返す。 「わかったよ、約束する。ボクはどこに行っても、絶対に生きて戻るよ」 冷静に考えるなら、そんなことは約束できない。戦いに赴くのだ。何かの拍子に死んでもおかしくはない。 ケモノ程度には負けない自信があるものの、数が多いとなれば話が変わる。 だが、それでも恵美は、友人に約束した。身寄りを失くし、自分の身を案じてくれている友人を、大切にしたいと思った。 この気持ちは、本物だ。 目尻をぬぐい、菜々は言う。 「ありがとう、恵美」 涙交じりの笑顔。 その笑顔を、守りたいと。 心に浮かんだ想いを、恵美はそっと抱きしめた。 |