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手元のデータを見つめながら、日本国首相・国見大吾はかすかにうなりをあげていた。 経験上、そういう時の国見には話しかけない方が賢明だ。というか、こうなっている時には、人の話を聞かない。それがわかっているから、鳴海も自分の手元でデータ整理に勤めていた。 たった二人しかいない小会議室。窓すらない、机と椅子しか存在しないその部屋で、鳴海はノートパソコンと向き合っている。各官僚に任せていた仕事も、今は他に担当する者がいないせいで、鳴海がやらざるをえない。もっとも、経産省や総務省など、すでに存在さえない。ほとんどの仕事は自衛隊のあげてくる報告の整理と、各難民キャンプで足りていない物資のリストを更新するだけだ。 もっとも、足りている物資の方が少ないという有様、リストにもさしたる意味はない。 究極的に、変種たちからある程度の土地を――安全圏を取り戻せなければ、何も始まらないのだ。こんな、各地に点在している駐屯地程度では、連携すら難しい。 「……なるほど」 やがて、うなりを止めた国見は、鳴海を見やった。 「なあ、鳴海君」 「なんですか、総理」 「茅野はどうして、あんなに呪力というものに詳しかったんだと思う?」 「……? 甲斐博士の入れ知恵ではないですか」 「ふむ、そうだな……。確かに甲斐博士は研究者だと言っていた。彼女は、おそらく災害前から呪力の研究をしていたんだろう。そんな存在が秘匿されていたのは驚くべきことかもしれないが、不自然とまでは言えない。問題は、そんな秘匿されていた秘密に、茅野や、あるいは甲斐博士は、いつ接したのか、ということだ」 「それは……、あるいは、あの八雲さんという方から聞いたのでは? 昔から続く旧家だということですし、彼の家では、以前から情報が伝わっていたのでしょう?」 「そうだな、八雲君は、生まれた時から呪力に接していたんだろう。だが、茅野は俺の友人でもある。友人の交友関係を全て把握しているというわけじゃないが、それにしても、俺と八雲君や甲斐博士との接点がなさ過ぎる。そう思わないか」 「そんなの……。学生時代ならいざ知らず、社会人となってからなど、共通しない交友関係の方が多いくらいでしょう」 国見は目を細める。彼が何を考えているのか、鳴海にはさっぱりわからなかった。 「……まあ、一応、安全を見て手は打ったつもりだが、さらに安定させたいところだ。鳴海君、少し調査をしてくれないか」 「はい、わかりました」 国見の考えが読めないながらも、鳴海は頷く。 だからこそ、彼女は優秀な秘書たりえるのだ。 青年が立ち上がり、部屋を出て行ったところで、甲斐はため息をついた。 彼女らしくもないその様に、茅野は苦笑を浮かべる。 「なんだ、疲れたか?」 「そうじゃないが、まあそうだな。私は生物学者であって、面接官じゃない」 「仕方ないだろう。アンプルは300人分しか作れていないのに、応募は倍以上もいるんだから」 「まったくもって面倒な話だな」 「……なあ、博士。今のままで、もっとアンプルを量産できないのか?」 「無茶を言うな。変種さえ捕まえてくれば材料くらいは揃うかもしれんが、何よりレシピがない」 「覚えてないのか」 「あんな膨大な数式、さすがの私でも覚えられん。研究ノートを写したデータと、できれば基幹となる薬品。それがなければ話が始まらん」 「むぅ……。最初の任務はそれだな」 「その前に、この病的な連中のカウンセリングが先だな」 言って、甲斐はまた、ため息をついた。 そこは、ホテルの一室だった。といっても、客室のような、ゆったりと過ごせる空間ではない。バックヤードにある、単なる会議室だ。 そこに、長机を挟んで、パイプ椅子がぽつんと置かれている。対面しているのは、茅野と甲斐の二人。 茅野の提案を国見首相が飲む形で実現した対変種組織だったが、その募集には、予想外に多くの人が応じることとなった。各地の駐屯地で生存が確認された人に向けて募集を放ったが、茅野の考えでは、さほど応募はないものだろうと思っていた。言わずもがな、誰だって死ぬのは怖いからだ。 変種と戦うとなれば、たとえBアンプルを注射された人間でも、常に死の危険がつきまとう。そういった危険な組織に所属したいと思う人が、これほど多くいるとは、茅野も思っていなかった。 「つまるところ、それだけ連中に対する憎しみが深いということだろう」 先ほど面接した男もそうだった。 語ったのは、家族を失った悲しみと、ケモノたちに対する怒り。 もちろん、そういう理由を認めないわけではない。崇高な理由を語られるよりは、よほど真に迫っているとも言える。 だが、そんな話ばかりを聞かされる方としては、うんざりするのも止められない。 「とにかく、さっさと終わらせよう。どうせ、私がいなければ、誰にアンプルを打てばいいかも決められないんだろう?」 「まあ、な。俺ではアンプルに対する適正なんて、見ただけじゃわからないし」 「正確なところは検査をしなければ、私だってわからんさ。けど、検査キットだって、このご時世じゃ量産はできない。顔を見て判断するしかないだろう」 「それが難しいと言ってるんだよ」 「難しくなどないさ。殺意が強い奴ほど生き残る。生きる意志と理由を持つ人間は、アンプルになど負けないさ」 「精神論かい」 「生物学だよ」 そんな、くだらない話をしていると、次の応募者が入室してきた。 「ん……?」 金色の髪に、青い瞳。華奢だが、全身から活力を感じる。 応募者としては、初めての外国人だった。 「確かに国籍は指定しなかったな」 茅野はひとつ頷き、英語で問いかける。 『はじめまして。茅野明彦です。お名前と志望動機をうかがっても?』 入室した少女は茅野をまっすぐ見返し、 『アメリア・ラッセル。連中を皆殺しにする、そのために来た』 その瞳に、思わず茅野の背筋は凍った。 どう見ても10代の少女だ。なのに、その瞳に宿る殺意は、まるで歴戦の兵士を彷彿とさせる。 彼女は本気だ。本気で、ケモノたちを殺そうとしている。おそらくは、たった一人になったとしても。 その殺意は強みになると同時、危険でもあるのだが。 一瞬でそこまで思考を巡らせた茅野は、隣を見やった。甲斐はじっと少女を見ているだけだ。 「甲斐博士、どうですか」 問いかけには答えず、甲斐は机の上に置いてあった万年筆を手にとった。 先端のとがったそれを、甲斐はためらうことなくアメリアに向かって投げつける。 「なッ!?」 驚く茅野の前で、少女はただ迫る凶器を見返しただけだった。 カツン、と小さな音。跳ねあがった万年筆は、くるくると回転しながら落下し、地面に転がった。 「……え?」 万年筆は、確かに少女に当たったはずだ。なのに、怪我をした形跡もない。 単に当りどころがよかっただけかもしれない。だが、この現象を、茅野は嫌というほど見知っていた。 「おい、甲斐。まさか」 「……ああ」 甲斐は頷き、少女を見つめる。 『アメリア・ラッセル。君は連中に対抗できる力を持っている。そうだな?』 博士の問いかけに、異国の少女は静かに頷いてみせた。 『あたしは神に選ばれた者よ』 最悪な乗り心地の輸送機に揺られ、恵美たちが本部を訪れたのは、告示が出てから一週間後のことだった。 首都圏の外れに近い場所にあるその建物は、植物被害が少ないことを理由に選ばれた、臨時の庁舎だった。 地上13階、地下3階。本来ならばホテルとして機能しているはずの場所だったが、世界がケモノたちに覆われてからというもの、使う者も、所有者もいなくなっていた。そんな建物を有効活用しよう、というわけだ。 幸いにも、この建物はホテルだけあって部屋数もあり、しかも自衛隊の駐屯地が併設されている。そのため、いざという時の連携も取りやすい。おまけに、他のホテルにはない、自然エネルギーによる発電設備や、緊急時用の浄水装置なども設置されていた。臨時庁舎として使うぶんには十分すぎる設備だ。 到着してすぐ、恵美は菜々や守屋と離れることになった。なんでも、それぞれに適性を見るとのことらしい。 恵美も白衣の女性と面談を行ったが、どうということもなかった。それで試験らしいものは終わり、その後、恵美にもシングルルームをあてがってくれた。 とはいえ、やることもない。勝手に外へ出るわけにはいかず、PMCの社員だろうか、食事などの用意をする人間はすでにいた。 そんな中で、一人、退屈な時間を過ごすこと三日。恵美がベッドの上でもんもんと天井を見上げていると、扉がノックされた。 「はい」 返事をすると、扉の向こう側から男性の声が聞こえてきた。 「八雲恵美さんですね? 試験結果の通達がありますので、ご同行をお願いします」 「あ、はい!」 恵美は慌てて起き上ると、部屋の外に飛び出した。 「だっ!?」 同時、男性の顔面に扉を叩きつける結果となった。 「……そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」 「ご、ごめんなさい」 顔を押さえる男性は、恵美のこのホテルに来てから何度か見かけた顔だった。名前は知らないが、朴訥とした、感じの良い青年だ。 「どうぞ、例によってエレベーターは使えないので、階段ですけどね」 青年に先導され、恵美は階段を下りていく。案内された先は、イベントホールだった。本来ならば結婚式などに使うものなのだろう、だが、今はすべての机が撤去され、ただの広い空間となっていた。 そんなだだっ広い空間に、すでに100人近い人が集まっている。 「恵美!」 「菜々!」 群衆の中から、見知った友人の顔が飛び出す。抱きすくめられながら、恵美は笑顔を返した。 「久しぶり、菜々。試験は終わったのかい?」 「うん! かなり苦しかったけど、熱も引いたし、もう大丈夫!」 「熱?」 何のことだろう、と恵美が疑問に思ったのもつかの間、 『ご静粛に願います!』 マイクを通した大音声に、恵美も菜々も口をつぐんだ。 |