それから数分と経たないうちに、樹木が開ける。
「へえ」
 誰かが声を漏らす。
 樹木に挟まれた、ぽつんと開けた空間。その中心に、白い建物があった。
 平屋の周囲にはなぜだか植物がなく、そこだけが取り残されたようになっている。他の廃屋と同様、窓ガラスは割れ、人の住んでいる気配は欠片もなかった。
 廃屋の前にトラックを停車させる。運転席から、自衛官の久留米が顔を覗かせた。
「自分にできるのはここまでです」
「ありがとう。じゃあ、作戦を再確認するよ」
 守屋が立ち上がり、全員を見渡す。
「まず、自分を含む第四班が先行して突撃。八雲恵美さんとアメリア・ラッセルさんは自分たちのサポートに入ってもらう。八雲悠介さんはトラックの護衛。いいね?」
「おい、こいつ一人で大丈夫かよ」
 悠介はにこりと笑い、
「まあ、なんとかなるんじゃないかな。早めに戻ってきてくれると助かるけど」
「……けっ」
 唾を吐き、荷台から飛び降りる葛原。苦笑し、他のメンバーも続く。
 研究所の入口は、鍵が壊れていた。中に入り、五人は周囲を見渡す。
 入ってすぐには受付があり、左右に通路が伸びていた。まっとうな研究室はそちらにあるのだろうが、今回の目的はそこにはない。
 左右に伸びる通路には進まず、受付の横にある鉄扉の前に立つ。扉の脇には、暗証番号を入力する装置が取り付けてあったが、触っても反応が返ってこない。守屋が扉を押したり引いたりしてみたが、やはり開く様子はなかった。
「電源が死んでいるようだね」
「ならぶっ壊すか」
 葛原はライフルを扉に向けると、引き金を引いた。
 ガン、と硬質な音が響く。
「……あんだと?」
 扉には、傷さえついていなかった。
「えらく頑丈にできているんだね」
「ったく、めんどくせえな。どうするだよ、おい」
「開けますよ」
 と、今まで後ろに控えているだけだった井手が前に出た。
 電子錠の入力端末とパソコンを繋ぎ、カタカタと操作を始める。
「電気がなきゃ動かねえんじゃないのか」
「死んでませんよ、電源は」
「あ? なんでだ」
「この扉は電気的に施錠されていますから。そうでなければ、大人の手で開けないはずがありません」
「……そんで?」
「電気的に施錠されているのにテンキーが使用できないのなら、指紋認証機能でもあるんでしょう。だったら、その機能を騙します」
「できんのかよ、そんなこと」
「すぐできます。ほら」
 言っている間にも、扉は見えない人が引いたように大きく開いた。
「簡単でしょう? 行きましょう」
「ああ、まあ、いいが」
 葛原を先頭に、薄暗い空間へと足を踏み入れた。
 入ってすぐは、明かりのない空間だった。守屋が懐中電灯で照らすと、薄暗い中に両開きの扉が見えた。エレベーターだ。
「エレベーターはさすがに使えないみたいですね」
「そうかい、よっ!!」
 葛原が思い切り蹴飛ばすと、エレベーターの扉がひしゃげ、人が通れるほどのスペースが開いた。
「普通に開ければよかったんじゃないのか」
「めんどくせえ」
 穴の中を見下ろす。暗い空間が、どこまでも続いているような錯覚を起こす。
「一応、地下2階ぶんくらいの深さがあるはずですね」
「どうやって降りる?」
「ロープをつたって行くか」
「危ないが、それしかなさそうだな。自分が先に行こうか」
「いい、テメエは後で来い」
 葛原は扉を強引に開いてスペースを作ると、そのまま暗い空間に飛び降りた。
 数瞬の後、ドシン、と重い音が響く。続いて、ガシャンと扉が砕ける音が響いた。
「ほら、来いよ!!」
 エレベーターシャフトの下から葛原の声が響く。
「……まったく、無茶ばかりするね、彼は。この中で自信がない人は?」
 守屋が見回すと、井手だけが手をあげた。
「じゃあ、恵美さんとアメリアさんは先に。自分は井手君と一緒に行くよ」
「ああ、わかった」
 先に恵美が縦穴の中に入る。薄暗いが、下にいる葛原が明かりで照らしているおかげで、最下層だけは状態が見えた。
 恵美は葛原がそうしたように、軽く飛び降りる。しばしの浮遊感。
 ズン、と降り立ったところで、恵美はにやりと笑った。
「どうだい」
「んなもん、できて当たり前だ。ほら、そこをどいてやれよ」
「ああ」
 葛原が開いた扉から通路に出る。赤い光がぼんやりと通路を照らしており、懐中電灯がなくとも視界は保たれていた。大人が並んで通れるほど広い通路の両脇には、同じような無機質の扉が並んでいる。
 騒がしい音が続き、三人がシャフトから出てきた。揃ったところで、葛原は周囲を見渡す。
「なんだよ、これ。なんでいまだに電気が生きているんだ」
「上の電子錠でも明らかだったでしょう。ここ、発電設備でもあるんじゃないですか。機械は人間が止めない限り、勝手に動き続けますから」
「そうかい。で、どの部屋なんだ」
「必要なものは奥の部屋だと言っていましたが」
 井出の言葉を待たず、葛原は手近な扉を開いた。
 途端、葛原はうっ、と声を漏らし、顔をしかめる。
 他の面々も、部屋から漏れ出た悪臭に、鼻を塞いだり、眉を寄せたりしている。
「……研究者か」
 そこは休憩室だったのだろう、大きなテーブルがあり、隅には冷蔵庫が置かれている。その、冷蔵庫の隣に、白骨が鎮座していた。
 正確には腐った死体と呼ぶべきだろうか。ところどころに肉だったものがこびりつき、凄惨な姿を晒している。どうやら、これが悪臭の原因らしい。
 部屋の中を覗いた守屋が仲間を振り返り、
「見ない方がいいと思うよ。夢に出る」
「死体くらい平気さ」
「単なる死体ならね。これはもっと、不快な思いをするものだ」
「どういうこと?」
「……知らないままでいいと思う」
 守屋はそう答え、扉を閉めた。そんな守屋を見て、葛原は鼻を鳴らす。
「はん。正直に言えばいいじゃねえか。連中、共食いしやがったな」
「共食い……?」
「人間が人間を食ったんだよ。おおかた、変種のせいで外に出られなくなって、この地下区画に引きこもったんだろうさ。で、食うものがなくなって、互いに互いを食った」
「……っ」
 誰も、何も言えなかった。ここにいるのは、運が良かった者――言い換えれば、究極的な状況に追い込まれたことのない面々だ。だが、世界中、こんな光景はあちこちにあったことだろう。
「行こう。やることをやらなければ、帰れない」
 守屋は皆を促し、先頭を切って歩き出した。そんな彼に引きずられるように、他のメンバーも奥へ進む。
 突きあたりの扉は、地上の扉と同じように電子錠でロックされていたが、井手がセキュリティを騙して開いた。
 入った部屋は、おそらくは研究室だったのだろう。長方形の机がいくつも並び、隅にはパソコンが設置されている。ガラスの戸棚には何かの薬品が並んでいた。
「んで、どれを持って帰ればいいんだ」
「パソコン内の機密データと、そこの棚に入っている薬品類です。データはこちらで回収しておくので、薬品をお願いします」
「へいへい」
 戸棚を開くと、瓶詰された薬品が並んでいる。ラベルに中身が書いてあるものの、恵美たちにはその意味がわからない。
 持ってきた専用のケースに、瓶を入れていく。仕切りのおかげで瓶同士が当たって割れる心配もなさそうだ。
 ケース2つを埋めて、ようやく全ての瓶が収まった。その頃には、井手もデータを抜きとることに成功したらしい。
「これでいいのか? ……ん? まだ奥があるのか」
 見れば、隅の目立たないところに、まだ扉があった。ここにも、他と同じように電子錠が取り付けられている。
「一応、頼まれていたものはこれで揃っているはずですが」
「わかんねえだろ。またこんなところまで来るのはごめんだぜ? 井手、開けろ」
「……はい」
 井手が軽くパソコンを操作し出したが、今度は簡単に開かなかった。
 しばし苦戦し、ようよう扉が開く。
「凄いですね。この電子錠、他よりも暗証番号の桁が多くて」
「そんだけ重要ってことだろ」
 入って、すぐに気付く。
 両脇に並んでいたのは、大きなガラスの壁。水槽だ。
 その中に、生物らしきものが沈んでいる。もっとも、見た目には、それが生物であると認識するのは困難だった。
 手前に沈んでいるのはゴリラに近い、けれどそれよりも明らかに巨大な生物。奥にいるのはトカゲのような何か。大人よりも巨大な蟻に、ひとかかえもあるネズミ。
「……ケモノか」
 呟いた声は、思わずかすれた。
「実験材料の部屋ってわけか」
 どこから回収してきたのかわからないが、どれも、明らかに普通の生物ではなかった。変種、それも、大型種と言って差し支えないクラスだ。
「まあ、研究をしたとは言っていたからね。こういうものは、あってしかるべきだ」
 そう言いつつも、守屋の表情は優れない。それもそうだろう、普通の人ならば、これだけ大量の死体を見せつけられて、良い気分になるはずがない。
 もっとも、先刻の腐乱死体と比べれば、いくぶんマシな光景なのかもしれないが。
「さすがにこれは持って帰れねえな」
 鼻を鳴らした葛原は、
「ったく、気色悪いぜ。ほら、関係ねえなら戻ろうぜ」
 最初に葛原が、続いて守屋や井手も出て行く。恵美も戻ろうとして、アメリアが動かないことに気付いた。
「アメリア? 行かないのかい」
「……」
 金髪の少女は無表情で、しばし死体を見つめていた。恵美は、能面のごとき顔の中に、かすかな殺意を感じた。
「アメリア。彼らはもう死んでいるんだ。もういい」
「……わかっている」
 小さく答え、アメリアもきびすを返す。
 その様子に、恵美は人知らず嘆息した。



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