兄の部屋は、他の部屋と同様、特に何もなかった。もっとも、私物という私物があるような状況でもない。
 悠介は刀を部屋の隅に立てかけると、ベッドの上に腰を下ろした。恵美も兄を真似るように刀を置き、隣に座る。
「兄さん。アメリアについてどう思う?」
「どう、とは?」
 恵美は感情を言葉にするのが苦手だ。だが、それでは兄に全てを伝えられない。自分の思いを形にすべく、言葉を探す。
「葛原君の行動は確かに問題的だった。守屋さんがそれについてとがめるのもわかる。だけど、ボクは葛原君よりも、アメリアの方が問題だったと思うんだ」
「あの殺意、かい?」
「そうだけど、それだけじゃない。実は地下に行った時、ケモノの死体があったんだ。それも、かなりの分量が」
「……博士の研究材料というわけか」
「そうだと思う。それは、確かに見ていて気持ちいいものではないけど、ケモノについて知るためには必要なことだと思う。なのに、アメリアはそれを見て、明らかに殺意を抱いていたんだ。死体に対してだよ?」
「殺しても飽き足らないほど憎い、というわけか」
「そういうことだと……、思うんだ」
 恵美は顔を伏せる。
アメリアの持つ、ケモノに対する殺意は、はっきり言って異常だ。仲間であるはずの恵美が恐怖を覚えるほどの殺意。
「いずれ、彼女は自分の殺意に飲まれると思う。八雲と同じ力――呪力を持っているなら、なおさらだ」
「……」
 それは、八雲に生まれた者が、必ず教わることだった。
 八雲の力を持つならば、心は強くなければいけない。感情に流されて力を振るってはいけない。それは、たびたび教え込まれる。
 それは、そうしなければ、人間と共に生きていくことができないからだ。八雲の者は、人間でありながら人間ではない。常に武器を持って歩いているようなものだ。そんな人間が、心の赴くままに生きれば、人間との間に軋轢が生まれる。ゆえに、八雲は常に心を律さねばならないと教えられる。
 その教えは、八雲の魂に刻み込まれた真理だ。
 悠介は自分の妹を見つめ、
「……恵美。話を聞く限り、アメリアが憎んでいるのはケモノだ。人間相手に力を使うようなことはしないだろう。それでも心配かい?」
「それも心配なんだけど、それだけじゃないと思うんだ」
「それだけじゃ、ない?」
「うん。なんというか、このままだと、アメリアは自分の力に体を焼かれてしまうような、そんな気がするんだ。まるで、家の中で火をおこしすぎて、屋根まで燃えてしまうように……」
「ふむ」
 悠介は、戦いに赴くアメリアしか見ていない。
 ゆえに、実感はわかない。少なくても、今まで八雲に生まれた者で、そこまでケモノを憎んだ者はいなかった。
 だが、恵美の直感がそう告げているのだ。それは、信じてやるべきだろうか。
「……わかった。それで、恵美はどうしたいんだい?」
「どうって、その、アメリアには燃え尽きて欲しくないというか……。とにかく、あの憎しみを和らげてあげたいんだ。何か、いい方法はないかな?」
「いい方法、か」
 悠介はしばし黙考し、やがて、答えを出した。
「なら、恵美、友達になってあげればいいんじゃないか」
「友達? ……ボクが?」
 悠介は強く頷き、
「恵美はアメリアと年齢も近いだろうし、同じ女の子だ。生まれながらの能力者という点で共通点も多い。国籍は違うけど、彼女は日本語もわかるし、歩み寄れる部分もあると思う。菜々ちゃんにも手伝ってもらって、もっと心に余裕を持たせてあげるといいんじゃないか」
「心に、余裕……。そうか、なるほど」
 立ち上がる恵美。その顔は、先ほどと違い、迷いを払ったまっすぐな輝きが宿っている。
「わかった、じゃあボクも頑張ってみる! ありがとう、兄さん!」
 恵美は刀を手に取ると、善は急げとばかり、部屋を飛び出していった。そんな妹に、兄は苦笑する。
「本当に、お前は凄い子だよ」



「……ちっ。面白くねえな」
 拠点としているホテルの廊下を、葛原は一人で歩いていく。
 彼は機嫌が悪かった。その原因は、自分でもはっきりしている。
「あの女、あんだけの力がありやがったのか」
 金髪碧眼の少女を思い浮かべ、葛原は再び舌打ちした。
 この情勢下、力を手に入れられると聞いた時は、飛びついたものだ。なにせ、現状は弱肉強食。しかも、人間が弱者となっている。
 弱いままでは食われるだけだ。それでは面白くない。だからこそ神威に志願したし、実際に力を手に入れられた。
 そこまでは良い。これで自分も、食い殺す側になった、そう信じて疑わなかった。
 なのに。
「ったく」
 アメリアという少女は、自分が思う以上の力を持っていた。あれだけの巨大な氷塊を瞬時に生み出し、空間さえ軋ませるほどの冷気を作り出せる。それは、自分の力をはるかに超えていた。
 その事実に、自分が頂点に立っていないという現実に、葛原は機嫌を損ねていた。
 そんな、不快な気分のままに歩いていると、
「ん?」
 前方に、流れる金糸を見つけた。そんな人間は、この建物に一人しかいない。
 アメリアもこちらに気づいたらしく、振り向いた。
「あんだよ」
 自分より上位の力を持つ相手。それだけに、葛原の機嫌はますます悪くなる。
 だが、アメリアは無感動に葛原を見上げ、
「……別に」
 そのまま、ふい、と向き直った。その態度に、葛原の堪忍袋はとうとう限界を迎えた。
「おい、テメエ! ちっとばかり強い力を持ってるからって、調子乗ってんじゃねえぞ、ああ!?」
 葛原の怒声にも、アメリアは反応を返さなかった。冷たい瞳で、ただ見上げるのみ。
「テメエ、なんとか言えよ、ああん!?」
「……この力が、憎いの?」
 ひゅっ、とアメリアが手を振るうと、廊下の一部が凍りついた。氷は形を変え、小さな犬の氷像となる。
 アメリアは自分で作った氷像を見下ろし、
「それには、同意するけど」
 それを、容赦なく踏み潰した。
 パリン、と軽い音が響く。
「確かに、こんな力じゃ、何の意味もない」
 それは、とても静かな言葉だった。
 色のない、ただの感想に過ぎなかった。
 けれど。
「……ッ」
 そんな言葉なのに、葛原は、確かに恐怖した。
 言葉の奥底に流れる冷え切った心。そこからにじみ出た冷気が、確かに葛原の心を冷やしたのだ。
「ちっ、とにかく、あんま調子に乗るんじゃねえぞ」
 それだけを言い、葛原はアメリアを追い越して廊下を進んだ。
 背筋を流れた冷たい汗から、逃げるように。



「……」
 葛原の背中が見えなくなるまで見送ったアメリアは、すぐ、廊下を駆ける騒々しい音に気付いた。
「あ、いた、アメリア!」
 先ほど葛原が来たのと同じ方向から駆けてきたのは、恵美だった。黒髪をなびかせ、アメリアの前まで駆け寄ってくる。
「何?」
 先ほどからうっとうしい。何故、こうも自分にばかり話しかけてくるのか。それほど外国人が珍しいのだろうか。
 アメリアが眉をひそめていると、恵美はいきなり右手を突き出してきた。
「何のつもり?」
 真意がわからず、問いかけるアメリア。対する恵美は、その名の通り満面の笑顔を浮かべ、言った。
「ボクと友達になってよ」
「……What?」
「聞こえなかった? ボクと、友達になってよ」
「とも、だち?」
「そう。ああ、友達って、えっと、フレンド。フレンドになってよ」
「……意味はわかるけど」
 アメリアは、両親の影響で、英語も日本語も問題なく使えるバイリンガルだ。だが、それだけの言語能力をもってしても、恵美の言っていることは理解できなかった。
「友達って、誰と、誰が?」
「ボクと、君が」
「何故」
 端的に問いかけると、恵美は満足そうに頷いた。
「理由なんかいらないよ」
「わかったわ。あなた、頭がおかしいのね」
 突き出された手を打ち払い、アメリアは恵美に背を向けた。
「あ、ちょっと、アメリア!」
「ついて来ないで」
 拒絶の言葉を投げかけると、意外と素直に恵美は立ち止まる気配を見せた。
「じゃあ、明日から友達になろうね!」
「だから! ならないと言っているの!」
「なんでさ!」
「何故でも!」
 言葉を投げつけ、アメリアはなかば駆けるように恵美から逃げ出した。
「また明日―!」
 背中に投げられた言葉は、聞かなかったことにした。
 そうすることが、アメリアには精いっぱいだった。



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