井出晶はノートパソコンを手に、扉の前に立っていた。
 味気ない扉をノックし、中に入る。室内を見渡し、井出は眉をひそめた。
 扉の正面には窓らしきものがあったが、今は板が打ちつけてある。おそらくはガラスがないのだろう。部屋の中央には長いテーブルがあり、その上に何かの薬品らしきものや、打ち出された書類が無造作に置かれている。そして、部屋の隅にはデスクトップパソコンが三台ばかり並んでいた。
「すごい部屋ですね」
 井出は部屋の隅でパソコンに向かっていた主――甲斐に声をかけた。すると、不愛想な顔が出迎えてくれた。
「ようこそ。まあ、君の言いたいことはわかる。だが、その基準で言うのなら、研究室はもっとひどいぞ」
「……片づけないんですか?」
「研究者というのは、たいがい片づけなどできん」
 はっきり答え、甲斐は自分の隣に置かれたパイプ椅子を示した。
 並んで座った井出に、
「コーヒーも用意できないが」
「このご時世、そんな嗜好品を飲んでいる人の方が珍しいでしょう」
「その通りだな。では本題だが」
 甲斐の正面に置かれたデスクトップパソコンは、どこかの景色を映していた。監視カメラの映像らしい。
「ここの三台は外部ネットワークに繋がっている。この画面は、数少ない生きたネットワークに繋がっている防犯カメラの映像だ」
「なるほど」
 変種に侵略されて久しいが、ありとあらゆるライフラインが死滅したわけではない。
 人間の手による管理がなされていないというだけで、元より自動的に動いていた設備は、たいていがまだ稼働している。発電装置もしかり、このカメラもしかり。
 もちろん、メンテナンスをしていないせいで、壊れてしまった設備は多い。時間を置けば、その数はますます増えていくだろう。
 その前に、なんとかしなければ。
「君の能力は先の戦いでも十分に有用だったと聞いている。君自身、ネットワークを使役することも可能なはずだ」
「……まあ、そうですね。疲れますが」
 井出の能力は、少しばかり複雑で、そのぶん有益な能力だ。
 もともとパソコンに詳しかった彼は、能力が発現した際も、それに即したものとなった。すなわち、パソコンのような装置を呪力で生み出し、自ら生きているネットワークまで通信することができる。さらには、井出自身がイメージすることで、ネットワークを介し、他の機械を動かすこともできる。
 電子の王スカイ・ネット。使用できるコンピュータが極端に減った現状、井出の能力は、非常に重要なものだ。
「まあ、疲労は致し方ないものと捉えて欲しいがね。とにかく、君に今後、頼みたい案件がある。それが、情報収集だ」
「具体的には?」
「ここにあるネットワークは使用して構わない。君は、ここで生きている回線から、繋がっている回線を能力で駆け巡り、使用できる機器を増やしてもらいたい。防犯カメラなど、接続はできるものの、パスワードが不明なせいで映像を取得できないものが多数ある。君ならば、このオンボロでも、パスワードの解析は可能だろう」
「ええ、まあ」
「必要なのはカメラの映像だけじゃない。なんでもいい、とにかく情報を集めること。変種の習性、弱点、Aランクの有無、分布などなど。とにかく、我々は、情報が圧倒的に足りていない」
「それを、ぼくに集めろと?」
「もちろん私も手伝う。だが、私はBアンプルの培養もある。この部屋に缶詰しているわけにもいかん。もちろん、他の非戦闘員を使って構わない。とにかくたくさんの情報を集め、戦闘部隊がより効率的に土地を奪還できるようにして貰いたい」
「……変種の情報を集めることで恵美さんたちが戦いやすくなるのはわかりますけど、土地の奪還までできるでしょうか?」
「変種さえいなければ、自衛隊が開墾できる。現状は見晴らしが悪いせいで難しい側面は多いが、開けた場所ならば、変種相手でもそうそう敗北はしない。植物さえ払ってしまえば、我々の生活圏や安全圏も増えていくだろう。そのためにも、とにかく変種を絶滅させねばならんのだ。なんとしても、な」
「……わかりました。やってみます」
「頼むぞ」
 頷き、井出はキーボードに指を乗せた。パソコンに意識を移す。
 ネットワークに呪力を乗せ、世界中と繋がっていく。
「こんなことしか、できないけど……」
 ぽつりと、井出はつぶやいた。
「それが、何かのきっかけになるなら」
 井出の想いが、世界中を駆け巡っていく。



 井出に情報収集を任せた甲斐は、久しぶりに自室へと戻った。
 自室とはいっても、甲斐自身は研究者の性で、研究ができる場所からあまり動かない。最後にこの部屋へ戻ったのは、およそ一週間前のことだ。
「あ、お帰りなさい」
「……菜々君か」
 部屋で迎えてくれたのは、高校生の少女だった。
 部屋数が足りていない現状、甲斐は一人部屋を与えるとの申し出を断り、ルームシェアを希望していた。シェア相手は希望を出したわけではなかったが、こまめな性格の菜々がシェア相手になってくれたおかげで助かっている側面も多い。何より、甲斐の自堕落な生活にも部屋が汚染されていない。
「久しぶりですね、部屋で会うの」
「用事があるなら会議室か食堂で済むだろう」
 答え、甲斐はベッドに体を放り出した。
「甲斐さん、そのまま休むより、着替えて寝た方が休まりますよ」
「休めると休みすぎる」
「駄目です。恵美もそうですけど、甲斐さんもいいかげん、休まなさすぎです」
 かいがいしく世話を焼く少女に、甲斐は嘆息した。
「それにしても、部屋に戻ってくるなんて、よほど疲れたんですか?」
「いや、今まで私がやっていた情報収集を井出に任せてきた」
「ああ、なるほど。それで……」
「まあ、彼ならば、私よりもよほど高い精度で情報収集ができるかもしれん。私は遺伝子の研究ができても、カメラの研究ができるわけじゃない」
「でも、神威では貴重な頭脳労働者じゃないですか」
「それなら茅野もいる」
「二人だけじゃもたないですよ」
 そう言って、菜々はくすりと笑った。
「本当は、お手伝いできればいいんですけど……」
「一般人に研究の手伝いをさせるのは駄目だ。一から教えるなんて、研究者にはできん」
「大学とか、そういう場所じゃないんですか?」
「大学教授共の話を聞いてみろ。教える能力と研究する能力は別で、えてしてどちらかしか手に入らんものだ」
「そういうものなんですねー。じゃあ、何か分からないこととか、ありません? 何かヒントが出せるかもしれませんよ」
「分からないことといえば、いくらでもあるさ」
 言いながら、甲斐は天井を見つめる。
 そこに、疑問が浮かび上がっているかのように。
「最大の疑問は、大型種の数が減らないことだ。連中は生殖器がないはずなのに、どうしてか個体が増える。スピアボア型など、すでに30体も討伐している。明らかに、どこかで繁殖している証拠だ」
「どういうことですか?」
「……変種に小型種と大型種があることは知っているな? 小型種は既存生物の延長だ。既存の生物に変種の血が混じったもの、と考えてもいい。少し凶暴な犬、猫、牛、馬、猪、鹿。まあそんなようなものだ。一方で、大型種は違う。呪力を持ち、既存の生物ではありえない体格を誇る。外見は既存生物に近いものも多いが、遺伝子学的には異なる生物と言わざるをえない」
「はあ。それで、大型種が繁殖する……、っていうのは?」
「小型種は形状こそ違うが、基本的には生物の枠組みを超えていない。だから繁殖もする。ペースは速いがな。それとは違い、大型種には繁殖する能力がないはずなんだ。なのに、発見される個体は後を絶たない。さすがにアジ・ダハーカのような化物はそうそう見つからんが、CランクやBランクの変種はちょこちょこ現れる」
「ふうん。でも、いきなり何もないところから湧いて出ないですよね?」
「そうだろうな。可能性として考えられるのは、小型種が、何かの条件で変質するということだ。だが、それでも、同じようなタイプの個体が大量に生まれる理由が説明できん。同じ突然変異が何度も起きるなど、ありえない」
「じゃあ、何かの法則があるってことなんでしょうか」
「あるんだろうな。それさえ分かれば、そしてその元を断つことさえできれば、人間は生活圏を取り戻せるだろう。それが……、なんなんだ……」
「ん?」
 急に静かになったことを不思議に思い、菜々が振り向くと、すでに甲斐はベッドの上で眠っていた。
「もう、結局、着替えないんだから」
 嘆息し、甲斐に毛布をかけると、菜々はカーテンを閉めて、部屋を出て行った。



 井出は生きている防犯カメラの映像を見るともなく眺めていた。
 甲斐にカメラの監視を頼まれてから、早いもので1か月近く経つ。時折、映像には変種らしき姿が映りこむ。その時には改めて映像を確認し、その種類と数を記録していく。場所の分布も忘れずに。
 やはりと言うべきか、少なくても関東圏に住んでいる変種は、元の分布から大きくそれてはいないようだった。犬、猫、猪、猿、烏、鳩。そんなタイプが多い。少なくても、ワニやペンギンは見かけない。
 それも当然だ。変種――正確には小型種と言うべきなのだろうが――というのは、あくまで『変わった』種類でしかない。変わる以前からそこに住んでいたのだ。
 ただそれが、人間の敵わない相手になったというだけで。
 そんな変種の分布を眺めた時、画面の端に、変なものを見つけた。
 暗い影。猿のようでもあったが、それにしては、動きがおかしい。
 能力を通じ、そのカメラを操作する。向きを変え、怪しい影に向かってズーム。
「……これは」
 思わず声が漏れた。
 それは、人だった。



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