「散開しろ!!」
 言われるまでもなく、全員がその場を飛びのく。
 毒蛇の脚がうごめき、その先端から粘液が飛び出す。恵美は慌ててかわすと、背後の建物に粘液がこびりついた。
「ッ!!」
 じゅう、と音を立ててコンクリートが形を変える。強酸という見解は、あながち間違ってはいない様子だ。
 刀は通らない。なのに飛び道具を持っており、しかも巨体を誇る。筋力も並ではないだろう。
「どうしろって、言うんだ……!!」
 こちらの攻撃は通じないのに、相手は厄介な攻撃手段をいくつも保有している。勝てるはずがない、と頭のどこかが警告を発する。
「守屋君! やはり無理だ、撤退しなければ!!」
 同じことを考えたのだろう、刀を振るいながら、悠介が叫ぶ。対する守屋は、
「で、きるなら、しているさ! だが、こいつは早すぎて逃げきれない!!」
「なら、葛原君、もう一度、煙幕を!」
「そんなんじゃ通じねえ! 蛇なんだろう、こいつは! 目で追えなくても熱を感じて追いかけてきやがるぞ!!」
「熱……、それでか!」
 先刻、この大蛇は煙幕を切り裂き、正確に狙ってきた。煙が晴れていない中、目で捉えるのは困難だったはずだ。その中で、敵を見つけられる理由。
 蛇は熱で獲物を感知できる。暗闇の中でも生き抜く術だ。
 いまや、自分たちは、あの変種ににらまれた獲物なのだ。
 刀を握りしめ、恵美は巨大な変種を見上げる。
「どうすればいい……」
 視界に映る仲間たち。兄の刀は自分同様、通じない。守屋は片腕を負傷しているし、井出はもともと攻撃力がない。葛原の能力も、本来は攻撃向きのものではない。そして、アメリアの氷も、攻撃力という一点においては、八雲に劣る。
 どうしようもない。どうすれば。
 迷う中で、恵美はふっと思い出す。瓦礫の中で血にまみれた、祖父の姿。
 祖父はいけないと言った。だが、手にした力は、何のためだ。
 人の命を守らずして、何が八雲か!!
「行くぞ、参の太刀!! 『カグツチ』!!」
 刀を手に、自分の内を呼び覚ます。
 自身の呪力をすべて引きずり出す、八雲の奥義。
「ッ!?」
 同時に、全身に痛みが走った。
 構わず、恵美は歯を食いしばり、大蛇に特攻を仕掛ける。斬線が蛇の体を捉え、
「っぅ!?」
 しかし、弾かれる。
 圧倒的なまでの呪力。それは、カグツチを使ってなお、届かない高みだ。
「嘘、だろう!?」
 カグツチでさえ通じないほどの相手。人間とは、文字通り桁が違う。
 そんな相手に、どうすればいいと言うのか。
 一気に気力が萎えていく。溢れ出ていた呪力が引っ込み、体がへなへなと力を失っていくようだ。
「どう、しようもないじゃないか」
 刀が通らない。あらゆる奥義が通じない。そんな相手、戦ったこともない。
 アジ・ダハーカの時とも違う。弱点などという生易しい次元ではない。基礎的な力が違いすぎて、小手先の業が通じない。
 思考がぐるぐるぐと空回りし、足がすくむ。奥歯を強くかみしめた時、
「逃げる、とか……、冗談じゃない!!」
 その声に、恵美は目覚めた思いだった。
 振り返れば、アメリアの手に槍が握られていた。氷で作られた、透き通った槍。
「こいつを殺さないなんて! 考えられない!!」
 そのまま、アメリアは氷槍を投擲した。氷の槍は変種に激突し、しかし貫通することなく砕け散る。
 それでも、変種は視線をこちらに向けた。赤い瞳がアメリアを見据える。
 大蛇は無言で体の向きを変えると、アメリアに向かって突進した。
「危ない!」
 とっさに恵美はアメリアを抱え、そのまま脇道に飛び込む。大蛇は周囲の樹木をなぎ倒し、そのまま通過した。
「無茶だ、アメリア! 何の考えもなしに、あいつは倒せないよ!」
「だから何! あいつを野放しにしろって言うの!? 冗談じゃないわ!」
「そうは言っていない、確かに危険だ! だけど、このままじゃ、ボクらが全滅する!」
「同じことじゃない! 死ぬのが怖くて、仇討ちなんかできない!!」
「仇討ち……?」
「いいからどいて! 一人でもやる!!」
「あっ」
 恵美を押しのけ、飛び出そうとするアメリア。脇道から出たところで、
「ッ!!」
 その体が崩れ落ちる。と同時、アメリアの体をそっと支える影がひとつ。
「悪いけど、今は感情を優先させてやれない状況だ。逃げるよ、恵美」
「に、兄さん」
 アメリアの意識を奪い、悠介はその体を恵美に託してくる。恵美はアメリアの体を担ぎ、兄を見上げた。
「どうしよう、兄さん。やっぱり、かなわないよ」
「わかっている。恵美、お前はアメリアと一緒に、そのまま逃げろ」
「兄さんは?」
「僕は井出君を回収して、向こうから逃げる。守屋さんは、葛原君と、あっちの方向から撤収する」
「……三方向に散ろう、ってわけ?」
「そうだ。奴は強い、かなわない。だが、三つの班を同時に襲うことはできまい。誰かは犠牲になる可能性もあるが……、それでも、全滅するよりは良い」
「――わかった」
 本当は、言いたいこともあった。
 それでも、それが最善であることは、疑う余地がなかった。
「それじゃあ、散開!!」
 兄の合図と同時、恵美は気を失ったアメリアを抱えたまま、走り出した。
 直後。爆音が響き渡った。



 木々の間を走り抜ける。
「おい、なんで撃ちやがった! こっちが標的になってんだろうが!」
 駆ける葛原に、隣を走る守屋は言い返す。
「必要なことだからだ。井出君はなんとしても守り抜かなきゃいけない。彼は、貴重な情報収集能力を持っている」
「んなこと言ったって、テメエが死んだらどうするんだ!」
「誰かがやらなければいけないことだ。なら、それは井出君であっちゃいけない。巻き込んだお前には申し訳ないが」
「だったら少しは態度で示しやがれよ……、ッ!! 来やがったぞ!!」
 葛原の合図と同時、二人は前方に体を投げ出した。一瞬の後、二人がそれまで走っていたところを巨大な尾がよぎる。
 変種の攻撃だ。喰らえば、ただでは済まない。
「ちっ、逃げきれねえぞ――!」
「そのくらい、わかっているさ」
「……なんだよ、妙に落ち着いてやがるな」
「勝算があるからさ。こっちだ!」
 守屋が導くまま、葛原も後を追う。そんな二人を、底意地が悪い悪魔のように、大蛇が追いかけてくる。
「たぶん、このあたりだ」
 守屋が足を止めると同時、巨蛇が姿を現した。
 改めて見上げると、本当に異様な姿だと思う。蛇にしか見えない体なのに、蜘蛛のように脚が生えている。その瞳は、どう見ても、獣のそれではない。
「ちっ、なんだよ、結局は死ぬ覚悟をしろってのか!?」
 対物ライフルを構えながら、葛原は叫ぶ。銃口が火を吹くが、変種には欠片もダメージを与えられない。
「いいか、葛原。奴の攻撃を利用する。仕掛けてきた瞬間、かわすぞ」
「ああ!? 何を言って……」
「来るぞ!!」
 守屋の合図よりも自分の本能が勝っていたようだ。
 葛原は、体を横に投げ出していた。蛇の尖った足が、葛原をかすめて大地に突き刺さる。
 衝撃で地面が揺れ、コンクリートが弾け――。
「なッ!?」
 そのまま、葛原の体は下に落ちた。
 わずかな時間を置いて、コンクリートと共に体が投げ出される。
「ッくしょう……」
 痛む体を、なんとか引きずり出す。呪力強化がなければ、それだけで死んでいたほどの衝撃だ。
 素早く周囲を見渡す。薄暗い通路――地下鉄の路線だ。
「そのまま逃げろ、葛原!」
 頭上から声と振動が伝わってくる。あの大蛇を、守屋は一人で相手にしている!
「バカ言ってんじゃねえ、テメエ、死ぬ気か!」
「早くしろ、持たないぞ!」
「んなこと言ったって……」
 一瞬、葛原は迷った。最初は守屋を置いて逃げようとする自分に、続けて、そんなことを疑問に思った自分に。
 以前の自分なら、迷うことなく守屋を置いて逃げていた。それを責められる状況ではないし、自分の身を守るには、その方が確実でもある。
 なのに、迷っている。そんな自分をおかしいと思いつつ、それでも、逃げる気力は湧かなかった。
「ちくしょうッ……!!」
 気持ちが逃げようとしていない。何故なら、守屋がそこにいるからだ。彼を置いて逃げられないと心が叫んでいるからだ。
 それを、自覚した。気づいてしまった。
 だが、現実問題として、自分がここに残っても、あの変種をどうにかできるわけではない。二人でうまく逃げる方法もない。そんなことは、すでに嫌というほど知っている。
 アジ・ダハーカさえ切り裂いた恵美の刀も通じないほどの相手だ。自分が攻撃をしたところで焼け石に水でしかない。
「無力、かよッ! 結局ッ!! 喰われるだけだってのかッ!!」
 呪力さえあれば、自分は強者になると思った。弱肉強食となった世界で、自分だけは生き残れると本気で思っていた。
 だが、それは甘かった。結局は、自分も喰われる側のままだった。人間は、どうあがいても、あの化物に勝てないのだ。
 それを悟った。今さらながら。
「ちくしょう、ちくしょうッ!!」
 嘆きながらも、足だけは動かす。気持ちの乗らない足取りは遅々として進まないが、鋼鉄の意思で体を暗闇の中に持っていく。幸いにも、動物のごとき五感が、暗闇の中でも道を教えてくれる。
 逃げるしかない。そうしなければ、守屋の意思を無駄にする。
 せめて、生き延びねば。



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