兄と共に甲斐のもとを辞した恵美は、アメリアの様子を見るために医務室へ向かった。
 医務室とは銘打たれていても、病院のような設備があるわけでもない。他の部屋と違って薬や包帯が置いてあり、ベッドが多いだけの、ただの元事務室だ。ベースには、レントゲンさえない。
 そんな部屋の、いくつか置かれたベッドのひとつに、アメリアは座っていた。頭と左の足首に包帯が巻かれている。
「もういいのかい?」
 恵美の言葉にも、アメリアは小さく顔をあげただけだった。
「……あの変種は?」
「ボクらは、逃げ切るだけで精いっぱいだった。守屋さんが、犠牲になった」
「そう」
 守屋のことを聞いても、アメリアは特に表情を変えなかった。そのことに、恵美は内心で眉をひそめる。
「それで、これからどうするの? 討伐作戦は?」
「特に立っていない。というか、あいつを倒す方法がない。だから、現状は、せいぜい渋谷近辺の変種を討伐することで、あいつの餌をなくすくらいしかできないと思う」
 恵美の代わりに答えたのは悠介だった。アメリアは、あからさまに眉根を寄せる。
「特にない? あいつを、野放しにするというの!?」
「そうなる。現状ではどうしようもない」
「冗談じゃない!!」
 アメリアの絶叫に、医療班の人間が振り向く。悠介はそんな彼らに手で謝りながら、
「冗談など言っていない。本気だ」
「ふざけないで! あいつをほっておけと言うの!?」
「もちろん、それが危険なことだとは承知しているさ。だが、それ以外に方法が……」
「そんなことは聞いていない! あいつを殺さないなんて考えられない!!」
 悠介は目を細めた。アメリアの瞳、そこに宿る色合い。
 これは、憎しみだ。
 恵美もそのことに気づき、アメリアの隣に座る。
「アメリア。交戦した時もそうだったけど、どうしてそんなにあいつを憎むんだい。あいつについて、何か知っているのか?」
 恵美の問いかけに、しかしアメリアはそっぽを向いた。
「あんたには関係ない」
「なくはない。ボクらは仲間だ」
「あたしは、あんたたちを仲間だとは思っていないわ」
「ボクが思っている」
「……バカね、あんた」
「よく言われているよ」
 恵美は、アメリアの手を握った。
「ボクは学校の成績だって良くないし、頭も悪い。だけど、仲間は大切にしたい。アメリア、何か知っているのなら、教えて欲しい」
「だから、あんたらに説明する義理なんか……」
「仇、と言っていた」
 恵美の言葉に、アメリアは口をつぐんだ。
「あいつと交戦していた時だ。君は、あいつのことを仇と呼んだ。聞き間違いじゃないね?」
「……」
「あいつに、誰を奪われたんだ」
 恵美は、アメリアから目を離さなかった。その強い眼差しに、アメリアは負けた。
「……パパとママよ」
「両親を?」
 アメリアは、小さく頷いた。
「パパもママも日本が好きで、よく日本のことを話していたわ。それだけじゃない、あたしを連れて、日本旅行にはよく行ったわ。パパとママの夢はいつか日本に住むことで、だから、あたしも日本語を勉強したりしたわ」
「だから、流暢に日本語を話せるんだ」
「まあ、そうね。それで今年、何度目かの日本旅行で……、連中が来たの。あたしは、生まれながらに呪力を持っていたから、パパやママを守りながら、逃げたわ。一週間くらいは逃げ続けられたと思う」
「君の両親は、呪力を持っていなかったのかい?」
「ええ。パパもママも持っていなかったわ。パパの先祖は、そういう力を持った人もいたって聞いたことがあるけど。雑魚は、あたしの氷で殺せた。だけど、あいつは……、あの蛇は、駄目だった」
「自衛隊に助けは求めなかったの?」
「日本の陸軍なんて信用できないじゃない。戦争もしない軍隊に。おまけに、あたしの能力は、普通の人が持っているものじゃない。それが知れたら、どうなるか分からなかったもの。下手に助けなんて求められないでしょう」
 アメリアは拳を握った。その手が、小さく震える。
「パパもママもあいつに殺されて、けど、あたしは生き延びて……。それからしばらくは樹林の中で生きていたわ。そうこうしているうちに、陸軍に見つかって、駐屯地に連れて行かれたの」
「……そうだったのか」
 はっきり言えば、さほど珍しい話ではなかった。
 恵美自身、祖父を変種の手で殺されている。そうでなくとも、変種に家族を奪われた人は多い。ほとんどの人がそうだと言っても過言ではないほどだ。
 彼女のように反撃する力を持っていた人は珍しいかもしれないが、それだけのことだ。変種は数が多く、人間の持つ呪力とは比べ物にならない力を持つ相手も多い。生き残れたアメリアは、事実、運が良かった。
「あいつは、パパとママの仇よ。殺さないなんて考えられない」
「その気持ちは、わかるけれど」
 でも、と恵美は続ける。
「あいつは、とんでもない力を持っている。ボクの刀も、アメリアの氷も通じないような化物だよ。下手に手出しはできない」
「そんなことは分かっているわ。だけど、それと、放置することは別よ。あいつを野放しなんて絶対にできない。逃げられたら、今度こそ見つけられないかもしれない」
「その可能性は低いと思うよ」
 口を挟んだのは悠介だった。
「あの変種は死者を操り、さながら蜘蛛のように待ち構えていた。言うなれば、僕らは自ら奴の巣に飛び込んだ形だ。言い換えるなら、あいつはあそこが巣なんだ。多少の移動や、なわばりの拡大はあるかもしれないが、大きく移動することは考えにくい」
「……なら、シブヤに行けば、あの変種と戦えるってことね」
「そうなる。だが、討伐には行かない。これは神威としての決定でもあるし、僕自身、それを許可しない」
「……」
 アメリアは返事をせず、そのまま立ち上がった。恵美の手を振りほどき、歩き出す。左足が痛むのか、歩き方はどこかぎこちなかったが。
「どこに行くんだい」
「部屋に戻るのよ」
「体は?」
「なんともない」
 アメリアは金糸をなびかせ、医務室を出て行った。なんともない筈もない、とは言う暇もなかった。
 その後姿を見送り、悠介は口を開く。
「恵美。アメリアの様子、しばらく観察しておいてくれないか」
「一人で飛び出すかも、ってこと?」
「可能性は高い。アメリアは、元より規範意識が低い。おまけに、自分が戦う理由と接敵したんだ。再戦しようと考えるのは自然なことだ」
「うん、わかった」
 恵美は小さく頷いた。そんな妹に、頼むよ、と兄は小さく呟いた。



 自室に戻った恵美は、ベッドに体を投げ出した。
 自分の手を見つめる。
 決して、自分の力があれば、どんな相手にも勝てると思っていたわけではない。勝てない相手がいることは考えつつ、実感が湧いていなかったというのが本当のところだ。
 アジ・ダハーカとて、戦い方を工夫すれば勝利できた。ケモノとは、戦いとは、そういうものだと思っていた。
まさか、答えのないパズルが目の前に現れるなど。
 そのまま、何をする気力も起きないまま、ベッドに体を横たえていると、自室の扉が控えめにノックされた。
「どうぞ」
 声をかけると、扉が開き、友人が顔を覗かせた。
「菜々、どうしたんだい」
「どうってことないけど……、恵美、また凄い相手と戦ったんだって?」
 ベッドから体を起こす恵美。菜々はその隣に座る。
「戦ったってほどじゃないけどね。結局、逃げてきただけだ」
「でも、生きて帰ってこられたじゃない」
「ボクは、ね。守屋さんは、助けきれなかった」
「それは……、それは、でも、恵美のせいじゃないよ」
「うん、わかっているさ。誰にも、どうにもできないことだった、って」
 それはよく理解している。あの場で、全員を生きて帰す妙案などなかった。自分が命を拾っただけでも儲けものと考えなければいけないのだろう。
 だが、心に浮かぶのは、そんな事実とは別のことだ。
「菜々、ボクの体、もう壊れかけているんだって」
「……え?」
「博士に言われたんだ。ひび割れた車みたいなものだって」
「それって……、大丈夫なの?」
「あくまで呪力的な問題らしいよ。だから、日常生活では支障がないんだって」
「そうなんだ、よかった」
 本当にほっと息を吐く友人に、恵美は少しだけ頬を緩ませた。
「ねえ、恵美。それなら、恵美も非戦闘班に入らない?」
「ボクが?」
「うん。だって、よくわからないけど、体は良くないんでしょう? それなら、無理に戦うことないじゃない。それに、非戦闘班なら……、死ぬ確率は、ぐんと減るし」
 菜々の顔を見やる。その顔は、冗談など言っていなかった。
「恵美。あたし、本気だよ」
「わかっているさ」
 だけど、と恵美は続ける。
「戦闘班から抜けることはできない」
「なんで?」
「戦う力がある。全力は出せないかもしれないし、勝てない相手もいるかもしれない。でも、無力じゃない。なら、戦わなきゃ。戦うことが、八雲の役目だ」
「そんなの、だって戦う力があるのは恵美だけじゃないし、それに、力があるからって危険なことを押しつけられるなんて、おかしいよ!」
「そんなことない。できることがあって、それをやらないことの方がおかしいって、ボクはそう思う。危険なのは誰がやっても一緒だ。苦しいのだって、みんな一緒だ。誰かがやらなきゃいけない。それなら、ボクがその役目を担う」
 恵美の瞳はまっすぐだった。戦うということに対して、迷いがない。
 その事実を悟った瞬間、菜々は肩を落とした。
「ごめんね、菜々。心配ばかりかけるけど」
「ホントだよ。恵美ってば、いつもそんな調子で」
 菜々は、そっと目尻を拭った。
「だけど、それが恵美なんだよね。とっても、恵美らしい」
「ありがと」
 自分のことを心の底から案じてくれる友人。そんな存在に、恵美はひそかに感謝した。
 自分は、恵まれている。
「それにしても、恵美でも倒せない変種って、そんなのまでいるんだね」
「ああ。まあ、ボクが『カグツチ』さえ使えれば、勝機もあったかもしれないんだけど」
「なあに、それ?」
「あー、まあ、凄い力を発揮する業さ」
「なんだか頭悪い説明だね」
「う、うるさいな! 説明は苦手なんだよ!」
「ふふっ、わかってるよ。恵美、国語も成績悪いもんね」
「国語もってなにさ!」
「成績が良いのなんか体育くらいでしょ」
 ふふふ、と笑った菜々は、
「そっか、でも、そういう業を使っても勝てない相手なんだね。じゃあ、修行とかして、もっと凄い業を開発したり?」
「修行か……。だけど、八雲の業は参の太刀で終わりだしなぁ」
 自分で言いながら、ふと、恵美は自分の言葉に疑問を持った。
 参の太刀で終わり?
 本当にそうだっただろうか。祖父は、確かに『タヂカラ』『ミカヅチ』『カグツチ』の業しか教えてくれなかった。だが、本当にそれで終わりだと言っていたか?
「そうだ、極意……」
「え?」
「今のボクじゃ八雲の極意はつかめないって、おじいちゃんはよく言っていた」
 そう、祖父は言っていた。今は失われた八雲の業。
 ――ツクヨミ。
 ひとつの事実をきっかけに、祖父の言葉が、忘れていた日常の一場面が思い出される。
 そう、あの日、祖父はご先祖様が描いた巻物を読んでいた。恵美には読めない達筆な文字と、川のような図絵。
 ツクヨミ、是即ち流れなり。
 それが何なのか、自分でもわからない。だが、それがつかめれば。
 あるいは、何かの突破口になるかもしれない。少なくても、自分はもっと高みに至れる。
「……ありがとう、菜々。何かのきっかけ、できるかもしれない」
 きょとんとしていた菜々は、力強く拳を握る恵美に、くすっと笑った。
「やっぱり、恵美はそうしている方が似合ってるね」



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