葛原周平がホテルの廊下を歩いていると、見知った後姿を見つけた。
「井出」
 小柄な少年はビクッと肩を震わせ、振り返る。
「葛原、さん……」
「んだよ。そんなビクビクしてんじゃねえ」
「す、すみません」
 葛原は井出の姿を検分した。
 頭や手には包帯を巻いているものの、歩き方にはおかしなところなどない。
「お前、体は大丈夫なのか?」
「え? あ、は、はい……。大きな怪我はありません」
「そうか。よかったな」
「はい……、え?」
 驚いた顔をする井出に、葛原は眉をひそめる。
「なんだよ。オレがお前の心配をしちゃおかしいってのか」
「そ、そんなことは言いません、けど……」
「顔が言ってんだろうが」
「す、すみません」
「男がそうそう何度も謝るんじゃねえ」
 井出をにらむ。もじもじとする彼に、葛原は続ける。
「お前があの自衛官を見つけたんだったな。あの化物の操り人形を」
「……すみません」
「謝るんじゃねえって言ってんだろうが。それに、お前は悪くねえ」
「え?」
「だって、そうだろうがよ。お前はカメラで見つけたものを報告した、その調査を命じたのは茅野だ。カメラだけであの蛇野郎を見つけることなんざできねえだろうし、現場じゃお前に戦う力がない。あの状況で、お前が何かをできたわけじゃねえ」
 だから、と葛原は言葉を紡ぐ。
「守屋が死んだのも、お前のせいじゃない」
 はっきりと言い切った葛原に、井出は顔を伏せた。
「それは、理屈では分かります、けど……」
「心が納得しねえってか」
 小さく頷く井出に、葛原は鼻を鳴らした。
「井出。どうせ暇なんだろ。オレの部屋に来い」
「え?」
「いいから来いってんだよ!」
「わ、ちょ、ちょっと!」
 井出を引きずるように連れながら、葛原は自室に向かう。
 自室とは言っても、要するに単なる個室だ。私物などいくらもない。
 シングルベッドがあるだけの狭苦しい部屋に井出を連れてきた葛原は、井出をベッドに座らせると、机に向かった。
 部屋の隅に置かれた文机は、引き出しがある。中にはお決まりの聖書と、一枚の写真が入っていた。
 それを取り出し、葛原は井出に渡した。
「これは……」
 写真には、葛原と共に、彼と似たような風体の若者たちが映っていた。髪を染め、だぼついた服に身を包んだ青年たちが、カメラに向かって笑顔を向けている。
「オレのチームで仲間だった連中だ。ほとんど死んだけどな」
「チーム、ですか」
「まあ、世間的に言えば、不良グループってやつだろうな。どいつもこいつも、親にも見放された連中だよ」
 オレも含めてな、と葛原は言った。
「世間じゃオレたちは鼻つまみ者だった。どこにも居場所なんかなかった。けど、連中が……、変種の襲撃があって、オレたちはチャンスだと思ったんだ」
「チャンス?」
「そうさ。世間は大混乱、今まで金や権力を持っていた連中も、変種相手じゃクソほども意味がねえ。力が強い奴だけが生き延び、弱い奴が死ぬ。オレたちは、どいつも喧嘩くらいしか能のない連中だったからな。そういう時代になって、むしろ喜んだくらいさ」
 変種の襲撃を喜ぶとは。それはあまりの暴言だったが、井出は反論しなかった。
「実際、喧嘩さえできりゃ、他の連中よりは生きられた。それでも、死んだ奴は多いけどな。だから、対変種組織――神威ができるって聞いた時も、オレたちは真っ先に手をあげたんだぜ」
「力が強い者が勝つ、から……?」
「そうさ。神威に参加すりゃあ力が手に入ることは分かっていた。それなら、参加しない手はねえ、ってな」
 そうして、葛原は実際に力を手に入れた。
 だが。
 葛原は肩をすくめる。
「そこまでやった。それでもオレたちは上に立てなかった。喰われる側だった……、それだけのことだ」
「……守屋さんも、弱かったから死んだ、って言いたいんですか?」
「まあそうだな。弱い奴が死ぬ。そういう世界になっちまっているんだ。良いとか悪いとかでなく、な」
 葛原は井出から写真を受け取ると、それを再び机に放り込む。
「井出。お前はなんで神威に参加したんだ」
「ぼく、ですか」
 井出は俯きながらも、葛原の問いに答える。
「ぼくは、襲撃前、引きこもり……、でした。学校に馴染めなくて、不登校になっていたんです」
「それで?」
「襲撃があって、家もなくなって、駐屯地で暮らすことになりました。それでも、ぼくは何も変わらなかった。与えられる中で生き、不平不満を思うだけ。人と顔を合わせることさえできないくせに、自分が無価値と認められなかった」
「んな奴、ごまんといるだろう」
「まあ、そうですね。きっと、ぼくがその中で違ったのは、変わらなければいけないという意思があって……、それを実行に移したことだけです。神威に参加し、ぼくは生き残りました。力を手に入れました。それでも、葛原さんと同じ、力は足りませんでしたが」
 しばしうつむいていた井手は、顔を上げると、葛原を見やる。
「葛原さん。ぼくたち、負けたんですね」
「ああ。だが、まだ負けちゃいない」
「はい、生きています」
 仲間を失った。自分の無力さも感じた。
 だが、まだ生きている。今までやれたことが、できなくなったわけでもない。
 ならば、何かをしなければいけない。
「葛原さん。ぼくは、あなたと同じ班になれて、よかったんだと思います」
「くせぇこと言うなよ」
「葛原さんは違いますか?」
「……」
 しばし沈黙した葛原は、井手の頭に大きな手を乗せる。
「うるせえ。もう寝ろ」
「はい、そうですね。あの、今日はこの部屋で休んでもいいですか?」
「狭いだろうが」
「ぼくは小柄だから、あんまり気にしません」
「はん。好きにしろ」
 ベッドに体を投げ出す葛原。その隣で寝転がりながら、井手は、父親のことを思い出していた。



 八雲の奥義『ツクヨミ』。
 言うはやすしだ。それを実践しようとすれば、それは簡単ではない。
第一、きちんと習ったのは参の太刀までだ。習っていないものを会得するというのは、ほとんど自分で編み出すのに等しい。不可能とまでは言わないが、当然、容易ではない。
 恵美は兄にも聞いてみたが、「知らない」と言っていた。祖父が知らない業なのだから、悠介も知らなくて当然だ。だが、きっとそこに、重大なきっかけが潜んでいる。
 数日ほど悩んでみたが、答えは出なかった。兄の悠介も考えてくれているようだが、いまいち答えがはっきり出ない。そもそも、呪力量が極端に多い敵に対して有効な業かも判然としない。
 それでも、恵美は考えることにした。他にやることがないというのもあったが、それ以上に、そこには何か大きな可能性を感じるのだ。
 考えている最中、ふと思いつき、恵美は甲斐に聞いてみることにした。答えそのものは知らないだろうが、呪力に詳しい彼女ならば、何かのヒントくらいは出せるかもしれない。
 そう思った恵美が甲斐のいる元会議室に入ると、見知らぬ顔があった。
 このご時世に、きちんとスーツを着こなした、若い女性。その隣に座る甲斐は、なぜだかとても険しい表情だった。
 室に入ってきた恵美に目をやった甲斐は、
「恵美か。なんだ」
「ちょっと聞きたいことがあって……。お客さん?」
「客であることは間違いないだろうな。もっとも、頭に、招かれざる、とつくだろうが」
「私にそんな嫌味を言っても仕方ないでしょう」
「お前の主人が面白くない話を持ってきたんだ。そのくらいは許せ」
 甲斐と見知らぬ女性の会話に、恵美は首を傾げる。
「どういうことだい?」
「……まあ、私もまだ詳細は聞いていないが、おそらく私もお前も、無関係な話ではあるまい」
 甲斐は肩をすくめ、
「要するに、今まで通りとはいかなくなるかもしれん、ということだ」



前話   次話