茅野明彦は、自分の隣に座る男を、久方ぶりににらみつけた。
「どういうことだ、国見」
「どういうもこういうも、事実を確認しただけだが」
 そう言って、国見首相は肩をすくめた。
 茅野の自室だった。自室とはいっても、他のメンバーと部屋は変わらない。安物のベッドがひとつある、それだけだ。神威を率いる立場にあるからといって、特別な扱いを受けているわけではなかった。
 客人を通すならば他に会議室もあったが、国見が指定したのは、誰にも聞かれる恐れのない場所だった。それならば、と茅野が案内したのは自室だったが――。
 今さらながら、国見を自室に招いたことを、茅野は強く後悔していた。
 目つきを険しくする茅野に対し、国見はあくまで悠然としていた。まるでなんでもない世間話のように、話を切り出す。
「茅野。負けたのか、そう聞いたんだが」
「負けてなどいない。撤退を余儀なくされたというだけだ」
「それを敗北と呼ぶんじゃないのかね」
「違う。戦える限りは敗北じゃない」
「戦える限り、か」
 国見は口元をゆがめた。
「茅野。呪力保持者がどういう存在か、お前は理解しているのか」
「当たり前だ。誰が神威を作ったと思っている」
「では、Bアンプルがどういうものか理解しているのか、と言い換えようか?」
「……それは」
 国見の言いたいことを悟り、茅野は視線をそらした。
「茅野。Bアンプルは、決して少なくない犠牲の上に成り立っている。なるほど、確かに呪力保持者は、お前が言う通りのスーパーマンだ。空を舞い、変種に立ち向かい、連中を撃退できる。雑魚ならばな」
「Aランクとて一方的に負けはしない! 今回は、たまたま事前情報なしに飛び込む形となってしまっただけだ! 言うなれば、出会い頭の事故だ!」
「それで、貴重な呪力保持者が戦線を離脱した」
「それは……!」
 腰を浮かし、言いかけた茅野を、国見は手で制す。
「偶然だ、そう言いたいのだろう。だが、呪力保持者は容易に作ることのできる存在ではない。1名の戦力は、数十人の命とイコールだ。お前は、出会い頭の事故で、数十人が死亡したと言っているんだ」
「そんなもの、戦場では起こりうることだ!」
「我々は日本人だ。そして、日本人は戦争をしない」
 茅野の腰がベッドに落ちた。安いスプリングがギシリと鳴る。
「お前は、俺にBアンプルをやめろと言っているのか?」
「そこまでは言わん。呪力保持者がスーパーマンであることは認めると言っているだろう? 問題は運用だ。彼らは貴重な戦力なんだ。うかつな運用で、数十人の命を失うわけにはいかん」
「だが、今回の件は予期できないものだ」
「そうだな、少なくても、人影があったということから、Aランクの変種がいるということを結びつけるのは難しいかもしれない。だが、今回のこれは経験だ。異常を見つけたら、それは変種のせいであると考えるべきじゃないのかね」
「……それについては否定しない。今回の経験は、次回に活かす」
「それを成すのが、君かね?」
 茅野は口を閉ざした。そんな友人に、国見はあくまで平然と言う。
「茅野、そろそろ潮時じゃないか。確かにお前はPMCで戦争を経験しているかもしれない。だが、自衛隊という組織は、君以上に様々な経験を蓄積している。君があくまで外部組織でいる間は、動きこそ機敏かもしれないが、こうして悪手を打つことにもなりかねない。その点、自衛隊ならば、致命傷となる悪手だけは避けられるんじゃないか」
「神威に、自衛隊の下につけって言うのか」
「提案だよ。その方がメリットも多いんじゃないか、という」
 国見の微笑に、茅野はますます皺を深くした。
 ようよう、彼の言いたいことが飲みこめた。そして、もう遅いということも。
「……お前、最初からそのつもりだったのか」
「何のことだ?」
「とぼけないでくれ。自衛隊の下部組織が新開発の薬品で人体実験を行い、その結果として大量の人間が死んだとなれば、大きな問題になる。今は皆、その余裕がないから、そんなことを言いだす奴なんていないだろうが……、呪力保持者が成功し、人間が生活圏を手にすれば、必ずそういうことを言う連中が出てくる。だから、先に神威を作らせた、そうだろう?」
 国見は何も言わなかった。微笑を浮かべたままの友人に、茅野は確信を持った。
「お前は……、政府は、たまたま・・・・呪力を保持していた人間を保有する組織を傘下にしたから、その経緯までは把握していない。そういう触れ込みにするつもりだったんだな?」
「茅野。お前は本物の戦場を渡り歩いてきたのかもしれないが、俺はその間、政界という戦場を歩いてきたんだ。こっちの世界は、考えを先に悟られた方が負ける。そういう世界なんだ」
「国見、お前!」
「茅野。もう遅い。お前は自衛隊に入ることなく神威を作ってしまった。お前が人体実験の首謀者であることは、もう揺るがないんだ」
「だからどうした! 俺は、お前の思い通りになんかならないぞ! 呪力保持者を、お前の政治ゲームに使われてたまるか!」
「政治ゲーム、ね。茅野、どの国も、国を動かすのは政治だ。そして、政治家には、色々なパワーがいるんだよ」
 立ち上がった国見は、友人だった男を見つめた。
「考えておいてくれ、茅野。今回は確かに出会い頭の事故だ、もみ消すこともできるかもしれん。だが、いずれ言い訳のできない敗北が生まれるだろう。遅かれ早かれ、ってことだ。それに、俺としても、どうせなら対変種のノウハウだけでなく、呪力保持者そのものが多く残っていて欲しい」
「うるさい、帰れ! 二度と来るな!!」
「ああ、じゃあな、茅野。……考えておけよ」
 そのまま、国見首相は部屋を辞した。茅野は自分の内で荒れ狂う感情を向ける先もないまま、黙って拳を握りしめていた。



 国見首相来訪から、三日が経った。甲斐からも有用なヒントを引き出せなかった恵美は、少ない頭を使って考え続けたが、妙案は思いつかなかった。今日も寝不足気味の頭を引きずって、恵美は食堂へ向かう。
 神威の食事は、食堂でとるルールになっていた。もっとも、非戦闘員を含めるとそれなりの人数になるため、一度には食堂に入れない。そのため、時間をずらして食べることが決まっていた。
 恵美は自分が食事をする時間であることを確認し、食堂の扉を開ける。
 食堂は、もともとレストランだった部屋を改装した造りだ。改装とは言っても、スペースを無駄使いしないよう、長テーブルをひたすら並べただけのことだが。
 窓際の席に兄の姿を見つけた恵美は、その向かい側に腰を下ろした。
「おはよう、恵美」
「おはよう、兄さん」
 会議室に置いてあった、味気のない長机には、何かの肉と葉が並んでいる。田畑を耕すことができなくなった現状、食事といえば、変種を狩って得た肉と、そこらで自生している植物がメインだ。恵美も、白米をしばらく食べていなかった。
 恵美も給仕係の非戦闘班員から鹿肉を貰い、口にした。
 さして美味しいわけではない。だが、腹だけは満たされる。
 そんな、机同様に味気のない食事をしていると、菜々が食堂に飛び込んできた。
「え、恵美! こ、ここに、いたんだ」
「菜々、どうしたんだい、そんなに慌てて」
 息を切らせる友人に、恵美は思わず立ち上がる。奥では悠介が目を細めた。
「恵美、あのね、玄関で掃除をしていたんだけど、アメリアが来て、そのまま外に……」
「なんだって!?」
 驚き立ち上がったのは、恵美一人ではなかった。奥で食事をしていた茅野もだ。
「春日君、それは本当のことかい?」
「あ、か、茅野さん。はい、そうです」
「なんてこった……。どうして止めなかったんだ!」
「す、すみません! 止めようとしたんですけど、凄い剣幕で、あたしを押しのけて、その時、少しだけですけど、気絶しちゃって……」
「呪力で突き飛ばしたのか……、クソッ!」
 机を叩きいらだちをあらわにする茅野に、菜々はおびえたようだった。
 そんな友人をなだめるように肩を抱き、恵美は問いかける。
「菜々、それはどのくらい前のこと?」
「たぶん、一時間も経っていないと思う」
「一時間か。ギリギリだな」
 恵美は刀を手にすると、そのまま出て行こうとする。その背中を悠介が呼び止めた。
「待て、恵美。どこに行くつもりだ」
「当然、連れ戻しに行くんだ。今のアメリアが向かう先なんて、アトラク・ナクアのところしか考えられないじゃないか」
「そんなことはわかっている。だからこそ、お前まで行くことは許容できないと言っているんだ」
「何故?」
「わかりきっているだろう。お前でもアトラク・ナクアにはかなわない。今度こそ死ぬかもしれない。そんなところに、お前を行かせるわけにはいかない。兄としても、班長としても、だ」
「それでも、ボクは行く」
「恵美、そんな聞き分けのないことを……」
「まあ待て、悠介君」
 詰め寄ろうとする悠介の足を止めたのは、茅野の声だった。
「恵美さん。アメリアさんを回収してくれ。悠介君は、そのサポートを」
「茅野さん、正気ですか!?」
「正気も正気さ。いいかい、悠介君。我々の現状は非常に悪い。国見の噂は聞いているだろう? 守屋君を失ったばかりのタイミングで、さらに犠牲者を出せば、神威は維持できなくなる」
「しかし、生きて帰ることのできる保証は何もありません!」
「そんなものはアジ・ダハーカの時も一緒だ。常に死と隣り合わせの君には申し訳ないが、これ以上、国見に付け入る隙を与えるわけにはいかないんだ」
 しばしの沈黙。悠介も、すぐに頷くことなどできなかった。
 だが、茅野の言うことが理解できないほど、子供でもなかった。
「……わかりました」
 悠介が頷くのを待ち、茅野は言葉を続ける。
「もちろん、君たちだけで行けとは言わない。サポートに拠点防衛班をつけよう。彼らならある程度は自由に動ける」
「第一班ですか。わかりました、すぐに準備し、合流します」
 悠介も刀を手に取り、恵美と並んだ。
 そのまま行こうとして、扉のところに立つ人物に気づく。
「待ちやがれよ」
 扉の枠を背に、足を戸にかけ、葛原が道をふさいでいた。廊下には井出の姿もある。
「第一班なんかいらねえ。オレが行く」
「ぼくも支援します」
「待て、葛原君、井出君。君たちは守屋君が抜けた穴を埋め切れていない!」
「だったらオレが二人ぶん殺してやらあ!」
 葛原の一喝に、思わず茅野も口をつぐんだ。
「アトラク・ナクアの習性は誰よりオレと井出が詳しい。それに、オレたちなら一班と違ってアメリアを探すのも得意だ。守屋が抜けた穴はあるかもしれねえが、それはオレたちが今まで以上に働いてカバーする」
「ムチャクチャだ」
「お前の命令の方がよっぽど無茶だろうが、ええ!? テメエ、あの化物を見ていないからそんなことが言えんだよ! あいつにゃ人間じゃかなわねえ! そんなところに恵美や悠介まで送り込んで、死なせるつもりか!」
 獣のように茅野をにらみ、葛原は吼える。
「オレが恵美たちを死なせねえ! そうしなきゃ、オレは守屋に顔向けできねえだろうが!! こんなところで恵美たちが犬死したら、あいつは何のために死んだんだ!!」
「葛原君……」
「厳しいことなんざ百も承知だ! だからこそオレたちが行くんだろうが!」
 二の句を継げなくなった茅野の代わり、今まで沈黙していた甲斐が手を振った。
「わかった、四人で行ってこい。ケータイは忘れるなよ」
「博士!」
「葛原の言い分はもっともだ。それに、比較的、実戦経験が少ない一班が同行しても足手まといになるだろう。厳しいが、四人がベストメンバーだ」
「……わかったよ! 葛原君、井出君、君たちもアメリアさんを頼む」
「最初からそう言えばいいんだよ」
 足を下ろした葛原は、恵美と悠介を見やる。
「準備ならできている。いつでもいいぜ」
「じゃあ、すぐに行こう!」
 恵美を先頭に、四人は食堂を飛び出して行った。



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