|
樹林の中を、アメリア・ラッセルは一人で駆ける。 思えば、襲撃からしばらく、こうして過ごしていた。とてつもない勢いで成長していく植物たちに驚きながら、父と母を守りながら――。 それも、あの化物に出会うまでのことだったが。 太い枝に着地したところで、アメリアは乱れた息を整える。 すでに朝日が差し込んでいる時間だが、樹林の下では、まだ薄暗い。アメリアは全身の呪力で周囲の気配を感じながら、先に進んでいた。 「シブヤは、こっちね」 すでに樹木の一部と化した道路標識を確認し、アメリアは行く先を決める。目的地は近い。 再び跳びあがろうとして、しかし、アメリアは足を止めた。 「……」 手に冷気を集中させる。直後、 「グガァ!!」 樹木をかき分け飛び出してきた小型種に、アメリアは氷弾を撃ち込んだ。 弾かれ、落下する変種。その時になって初めて、襲撃者が狼のような変種なのだと気づいた。 「ッ!」 続けざま、狼たちが襲ってくる。少しずつ時間を遅らせた連携攻撃。 「甘いわ、獣の分際で!!」 氷槍は、雨のように狼たちを迎撃した。 アメリアの生み出す氷は、瞬時に主を守る。ある者は串刺しになり、またある者は別の狼とぶつかり、そのまま落下していった。 「はぁ、はぁ……」 変種の群れに襲われたのは、拠点を飛び出してから、これで三度目だ。 変種はとかく凶暴だ。獲物と見れば、すぐに襲いかかってくる。まるで殺意の塊だ。 もっとも、それは自分にも言えることだったが。 アメリアは嘆息し、先に進もうと踏みしめる。 直後、 「なッ!?」 争いの衝撃に耐えられなかったのだろう、足元の枝が折れ、アメリアは落下した。 なんとか道路に着地し、衝撃でしびれる足の痛みを堪える。 いらだちながら樹木を見上げたところで、何がどうなるわけでもない。 一緒に落下した枝を蹴飛ばし、改めて歩き出したアメリア。その一瞬、彼女は、周囲を索敵することを怠っていた。 「っぅ!?」 遅れて気づき、地面を転がる。攻撃がかすめた肩から、わずかに血がにじんだ。 「群狼……!」 先ほどの狼は、まだ全滅していなかったようだ。機を狙っていた一匹に肩を削られたらしい。 自分の前で唸りをあげる狼。数は二匹しか見えないが、気配を探ると、なんとはなし、他にもいるような気がする。 「しつこいわね!」 氷弾で、目の前にいる二匹を片づける。続いて気配がある方向に氷槍を解き放ち、 「あ……」 気づいた時には、上空から飛びかかる狼の姿が大きくなっていた。 目の前にいた狼がフェイクなら、繁みの中で殺気を放っていた狼もフェイク。 本命は、樹上にいた一匹だったのだ。 気がついた時にはすでに避けることも受けることもできないほど迫っていた。スローモーションのような世界で、アメリアは確かに見た。 自分に迫る狼、大きな牙、殺意に狂った瞳――。 そして、走る銀閃。 横からの力に狼の体が弾かれ、巨樹にぶつかりながら血をまき散らす。ぐちゃぐちゃの肉塊となった狼を、アメリアはしばらく見つめていた。 「大丈夫か、アメリア!」 そんな彼女をかばうように降り立った剣士は、刀を手に、周囲を見回す。 「エ、ミ?」 どうしてここに。最初に思った疑問は、けれど、口をついて出ることはなかった。 まるで言葉を忘れてしまったように、何も出てこない。そんなアメリアを尻目に、索敵を終えた恵美は、アメリアに向き直る。 「アメリア。どうして一人で行ったんだ」 「そ、そんなの、勝手でしょう」 「勝手なもんか。みんながどれだけ心配したと思っているんだ」 「あんたたちが心配したのは、ただ戦力を失うことだけでしょう」 「バカを言うんじゃない!」 パン、と乾いた音が響く。 痛む頬に、思わず手が伸びた。 「アメリア。ケモノが憎いのはわかる。苦しいのもわかる。でも、一人で自棄になっちゃ駄目だ」 「うる、さいわね。なんで! あんたに! そんなことを言われなきゃいけないのよ!」 「君が大切だからだ!!」 思いもしない言葉に、アメリアは叫ぶことも忘れて恵美を見た。 「ボクだって、おじいちゃんを亡くした。ケモノに殺された。殺したケモノはもういないけど、まだ生きていたなら、君と同じように憎んだと思う。でも、それと、一人で進むことは別だ」 「……じゃあ、あんたたちと協力して、また下らない戦いを続けろと言うの? 仇を放置して!」 「いい加減にしろ! 君はなんのために生き残ったんだ!!」 「あの化物たちを殺すためよ!!」 「生き続けるためにだろう!!」 「生きッ……、なんですって?」 自分を見つめる真剣なまなざしに、アメリアは思わず言葉に詰まった。 「何度でも言うよ。ボクたちが生きているのは、生き続けるためだ。ボクらは、運よく生まれつき力があった。運よくあの大災害を生き延びた。運よく今まで死ななかった。実力も、仲間の協力もあった。それでもまだ生きているのは、奇跡みたいに運が良かったからに過ぎない」 アメリアの肩をつかみ、恵美は続ける。 「何度も死にそうになって、それでも生き残っているんだ。なら、残った命は粗末にすべきじゃない。未来をつかむために使わなきゃ」 「そんな、そんなこと言われなくてもわかっているわ。でも、あたしにとって、あいつを殺すことは全てよ。そのために生き残ってきたのよ。それを成さないのなら、生き残った意味なんかない」 「そんなことはない。失ったものは取り戻せる」 その言葉に、アメリアの視界は赤く染まった。 単純に、目の前の少女が許せなかった。 「パパもママも死んだのよ!! もう二人は帰ってこない!!」 「だからどうした!!」 「どうしたですって!? ふざけないで、あんたに何がわかるの!! 家族を失って、それでも平然と生きていけって言うの!? そんなことできるわけないじゃないの!!」 「それが未来をつかむってことだ!!」 「だったらそんな未来はいらない!! パパもママもいない未来に意味なんかない!!」 「ボクがいる!!」 一瞬、恵美が何を言ったのか理解できなかった。遅れて意味を理解し、その言葉に、アメリアは思わず鼻を鳴らした。 「あんたが生きていることに、何の意味があるっていうの」 「ボクは君の両親でもなんでもない。でも、君と絆を結ぶことはできるって信じている。アメリア、ボクと友達になろう。ボクが、君が生きる理由になる」 「冗談はよして」 「ボクは本気だ」 恵美の真剣なまなざしに、アメリアもようよう気づいた。 この少女は本当に、本気なのだ。たまたま同僚となったに過ぎないのに、そんな自分が、家族と同様の存在になると宣言している。 「バカ……、じゃないの?」 それは、心の底から湧き出た言葉だった。その言葉に、恵美は苦笑した。 「ああ、よく言われるよ。お前はバカだって。でも、バカでもなんでもいい。ボクは、生まれ持った力でみんなを守りたい。みんなの生きる未来を、場所を切り開きたい。君が憎しみに殺されようとしているのなら、ボクが君の憎しみを殺してみせる」 「……本当のバカね」 ふっ、と、恵美の顔に両親の顔が重なった。 両親は、恵美とは似ても似つかない。もっと聡明だったし、自分が駄々をこねた時も、もっと理知的に説得してくれた。 ただ、何故だろうか。似ていないはずの両親と恵美が、よく似ているように見える。 そう、自分のことを、ここまで真剣に引き留めてくれたのは――。 「エミ……」 心の中でくすぶっていた黒い炎が、徐々にしぼんでいくのを感じた。 アトラク・ナクアは変わらず憎い。変種など皆殺しにしてしまいたい。 だが、一方で、この純粋すぎる愚かな少女を、失いたくはないとも思った。きっと彼女は、誰に対してもこんなことを言うだろう。そして、そんな彼女に救われる人は、少なくないはずだ。 いつだったか、父が読んでくれた聖書の言葉を思い出す。 『門を叩きなさい。そうすれば開かれる』 望まなければ手に入らない。それが世の常だ。なのに、彼女は、望んでもいないものを与えてくれる。 とても暖かい、とてもまぶしいものを。 それは、この少女が持つ才能で――そして、失い難い、貴重なものなのだ。 今、自分が通そうとしているものは、ただのわがままだ。そんなことは説明されずとも理解している。 そして、この少女を、自分のわがままに付き合わせて死なせるのは、とてももったいないことのように思う。 自分が憎しみに焼かれ、燃え尽きるのは、言ってしまえば自業自得だ。だが、そこに彼女は関係がない。 彼女までをも地獄の業火で焼いてしまえば、それによって不幸になる人は、自分が死んだ時の比ではない。 ただ単純に、そう感じる。ただの勘、だが、絶対にはずれない自信のある勘だ。 「バカ」 もう一度だけ言うと、アメリアは手を下した。もう争う気概も残っていなかった。 「わかったわ。バカに、少しだけ付き合う。それならいい?」 アメリアの言葉に、恵美は顔を輝かせた。 「うん、一緒に行こう!」 その、裏表がない笑顔に、アメリアもつられた。 天然にまっすぐで、純粋で、本当に未来を信じている少女。 こんな人間が生きているのなら、まだ、人間はやり直せるのかもしれない。 その予感が、胸をよぎった。 |