土曜日はよく晴れていた。
 最寄り駅の改札前。少し早く着きすぎてしまった恵美が退屈していると、約束した時間の10分ほど前になって、菜々と千穂が連れだって姿を現した。
「おはよう、恵美……、って、恵美、何その恰好」
「うん? 何かおかしいかい?」
 恵美は自分の姿を見下ろす。いつもの制服姿だ。
 対する菜々や千穂は、それなりにお洒落をしてきている。西坂高校は男子のレベルも高い、菜々たちからすれば当然の武装だった。
「恵美、西高だよ西高! 早慶ガンガン、サッカーは強く、おまけにイケメン揃い! 制服なんてありえないじゃん!!」
「だって、一応は学校行事だろう? なら制服は普通じゃないのかい?」
「っかー、聞きました菜々さん!? この無頓着さ!」
「まあ、恵美らしいよね」
 そう言って苦笑する菜々も、可愛い系のブラウスとスカートでしっかり決めている。女子としては当然のことだ。
「よくわからないけど、揃ったなら行こうよ」
 三人で連れ立って、西坂高校へと向かう。
 駅前では、与党の政治家が演説を行っていた。近頃、政府が推し進めている防犯対策について、聞く者もいないのに滔々と語り続けている。
 街宣車の横を通り、住宅街の中を抜けると、西坂高校が見えてくる。
 ごく普通の私立高校だ。際立った特徴がある高校ではないが、サッカーは比較的強く、地区大会レベルでは優勝候補にもなりうる。一方で、恵美たちの東山高校は、地区大会でも初戦突破がせいぜい。今日の試合も、結果は最初から見えているようなものだった。
 西高の校門をくぐり抜け、グラウンドに向かう。そこでは、すでに試合を行う選手たちが準備運動をしており、応援席にもそれなりに人の姿があった。
 そんなグラウンドを見渡していると、選手勢の中から、一人の男子が歩み出てきた。瀬尾だ。
「や、八雲! 来てくれたのか」
「うん。約束したしね。今日は頑張って」
「あ、ああ、頑張る」
 ウォーミングアップの影響か、頬を紅潮させている瀬尾に、千穂はにやにやと笑いかける。
「えー、恵美だけなのぉ?」
「い、いや、そんなことねーけど! 緒方と春日もありがとな」
「ふうん? まー、よしとしてあげよう」
 瀬尾の目的は十分にわかりやすい。そんな彼に、自分たちを褒めろと言っても酷だろう。
 千穂はそんなことを考えながら、くすくすと笑う。
「お、オレ、今日は頑張るから! 絶対にゴール決める!」
「うん、頑張って」
「だ、だからな、八雲。その……、もしオレが試合でゴール決められたら、ちょっとだけお願い聞いてもらえ……、ないか?」
「お願い?」
 よく理解していない恵美は小首をかしげ、
「ボクにできることならいいけど」
「ほ、本当か!?」
「うん。ご褒美、って言うのもおかしいかもしれないけどね」
「ゴ、ゴホウビ……」
 その言葉に何を想像したのか、瀬尾は顔を真っ赤にすると、
「わ、わかった、絶対に絶対に決めてやる! よ、よし、行くぞ!」
「行ってらっしゃい」
 軽く手を振る恵美に見送られ、瀬尾はグラウンドへと向かう。
「瀬尾君、かなり気合が入っていたね。今日はいいところまでいくかな?」
「そりゃあねえ、いいとこ見せたいでしょうよ」
「瀬尾君もかわいそう……。よりによって恵美なんて」
「うん? ボク?」
「恵美には一生、わかんない話だよ」
 嘆息しながらもくすくすと笑い合う友人たちに、恵美は終始、首をかしげていた。



薄暗い闇の中だった。
深い木々が日光を遮り、湿った土の匂いがする。
かすんだ瞳にはすでに何も映っておらず、足の一本を動かすことさえままならない。
そんな中でも、その獣は満足していた。
 自分は終わる。だが、“自分”は終わらない。
 機は熟した。体は大きく成長し、あらゆるものを飲み込む力を手にした。
 あとは、振り上げた拳をただ下ろすだけ。
 ふごっ、と息を吐いて、猪は生を終えた。
 深い森の中で、一頭のケモノが死んだことなど、誰も知る余地はない。



 なんだかんだ言って、やっぱり西坂高校は強かった。
 瀬尾たちも善戦したが、瀬尾自身が一点を入れたのが精いっぱいで、結果的には1対3で負けてしまった。
 試合が終わった後の、グラウンドの隅。そこかしこで選手たちの周囲に人垣ができている。西坂高校のそれはこちらより大きいが、それはまあ、仕方あるまい。
 そんな中で、瀬尾はミーハーな女子をかき分け、恵美たちと合流していた。
「お疲れ様、瀬尾君」
 瀬尾にタオルを渡しながら、恵美は微笑む。
「あ、ああ、ありがとう」
「惜しかったね。でも、やっぱり彼らは精強だよ。息があっている」
「うちだって練習してるんだぜ?」
「足りないんじゃないかい」
 そう言って、くすっと笑う。
「結局、練磨に勝る力はないさ。ボクの兄さんも、常日頃から鍛錬を欠かさなかった。おかげで、いまやおじいちゃんより強い。鍛錬あるのみだよ」
「そう言うけどさぁ……」
 微笑む恵美に、瀬尾もつられて笑う。
「まあ、頑張ったよね。じゃあ、頑張ったで賞で、ご褒美あげようか?」
「ゴ、ゴホウビ」
 瀬尾はごくりと喉を鳴らす。もちろん、そりゃあもちろん、恵美がそんな意識など欠片もないことは承知している。絶対に彼女は無意識にそういうことを言っている。それは恵美の後ろでにやにや笑っている菜々や千穂が証明している。
 だが、男瀬尾、据え膳の前で逃げるわけにはいかぬ。いかぬ!
「じゃあ、じゃあさ、この後、ちょっと付き合ってくれないか?」
「うん、いいよ。どこかに行くのかい?」
「あ、ああ、八雲と二人で行きたかったんだ」
「ボクと? うん、そのくらい、お安い御用さ」
 さらりと言ってしまう恵美に、瀬尾は内心、頭を抱える。
 いくらなんでも、無防備すぎやしないか。それとも、本当に自分は男として認識されていないのだろうか。デートの約束を取り付けたのは嬉しい反面、少し悲しい。
「大丈夫、恵美はフツーにこれだから」
「わ、わかってるよ、春日」
「ふふ、勘違いしないようにね〜。あ、恵美、あたしたちは別の用事があるから、ここで別れよっか」
「そうかい? まあ、瀬尾君も二人の方がいいんだよね? じゃあ、そうしようか」
 何気なく言う恵美の見えないところで、瀬尾はひそかに二人へ感謝の念を送っていた。



 その頃、八雲家では、恵美の祖父・忠勝が、電話をしていた。
 相手は、恵美の兄・悠介だ。
「そうか、もう日本には到着したのか」
『うん。まあ、仕事が終わったら、家にも顔を出すよ』
「そうしてやれ。わしはともかく、恵美はお前に会いたがっているし」
 悠介はアメリカの民間企業に就職した。普段は忙しく、時差の関係もあって電話さえしないが、今回、悠介は仕事の関係で日本に帰国することになっていた。
「どうだ、最近は」
『まあまあ、かな。少し退屈ではあるよ』
「仕事は忙しいのか」
『やることはたくさんあるけど、しょせんは紛争地での警備任務とか、そんなのばかりだからね。一般人ならともかく、僕がやっていたら、緊張感も何もない』
「何を言っておる。仕事なのだろう。確かにお前は危険などないかもしれんが、万が一ということもある。それに、お前自身に危険がなくても、お前の周囲はそうもいかんだろう」
『それはそうなんだけどね……。どうしても気が抜けてしまうんだよ』
 口ではそう言っているが、と忠勝は思う。
 悠介は、常に冷静な男だ。恵美とはいろいろな点で正反対の青年で、口では油断しているようなことを言っていても、実際に油断していることはまずありえない。
 そのあたりが、本当に油断しがちな恵美との違いでもある。
『……そうだ、祖父さんこそ、最近、変わったことってない?』
「変わったこと?」
『ケモノに関して。どうも最近、なんとなく嫌な予感がするというか……、夢見が悪い、って言うのかな? 具体的に何が起きているわけでもないんだけど、なんとなく、そんな気がするんだよ』
「お前もか」
 忠勝は視線を鋭くし、近頃の裏山について話した。
 増加しているケモノの数。ケモノそのものが変化しているわけではないのだが、その数は異様だ。
 それは、何かのきっかけにも見える。
『ケモノの増加か……』
 電話先で考え込むような声を出した悠介は、
『わかった、僕も調べられるだけ調べてみようかと思う』
「無理はするなよ。お前には仕事もあるし、なにより、八雲の役目はわしの役目だ」
『そりゃ祖父さんは当主だからね。でも、僕も一応は八雲だ。ケモノに変化が起きたとなれば、黙っているわけにはいかないだろう』
 じゃあまた、と言って、悠介との電話は終わった。
 受話器を置いた忠勝は、じっと考える。
「予兆、か」
 もしもこれが何かの始まりならば、急がねばならない。
 自分にできること――せいぜい、恵美を鍛えることくらいだが。
「それが、希望になるやもしれん」
 孫娘の顔を思い浮かべながら、忠勝はひとりごちた。



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