瀬尾と恵美は、二人で並んで歩いていた。
 軽く昼食を済ませ、おしゃべりしながら歩く。そうしているうちに、目的地へと到着した。
「ここ?」
 瀬尾の目的地は小さな博物館だった。2階には郷土史ばかりの図書室があり、恵美も学校の課題をやっつけるために訪れたことがある。
「そうそう、今、特別展をやってるんだよ」
 瀬尾が指し示す看板には、“刀剣展”とあった。
「なんでも、実際に使われた刀とか、そんなのが展示してあるんだってよ。八雲、そういうの好きそうだし」
「へえ、実際に使い込まれた刀か。それはちょっと見てみたいね」
「だろ? へへ」
 好感触を得たことに、少しだけ安堵している瀬尾は、恵美を伴って中に入った。
 抑えられた照明の中に、たくさんの展示物が並んでいる。
 刀や槍といった武器から、甲冑、戦国時代の絵巻、掛け軸。武将から武将にあてられた手紙なんてものまである。
「へえ、これはいい刀だね」
「そういうの、見てわかるのか?」
「なんとなくだけどね。ほら、刃紋が綺麗だろう?」
「あ、ああ」
 正直、瀬尾には刀の違いなどわからなかったが、恵美が楽しそうにしている姿を見られるだけで十分だった。やはり、ここに来て正解だった。
 八雲恵美という少女は、本当に変わった子だ。普通の女子が喜ぶような、プリクラやアクセサリといったものに、とんと興味がない。瀬尾は恵美が写真を撮っている姿を見たこともないし、ケーキ屋に入るところも見たことがないし、ひらひらした服を着て歩いている姿さえ見たことがない。
 そのくせ、彼女は男子との距離が近い。いや、誰にでも距離を置かない、というべきか。するりと人の隣に並んで、その心に染みわたってくる。男子たちがバカ話をしている横で、『楽しそうだね、ボクも混ぜてよ』と入ってきたことも、一度や二度ではない。
 そんな、誰にでも分け隔てのない彼女に、自分はどうしようもなく惹かれてしまったのだが。
 刀を見てはしゃぐ女子高生という事実には目をつむり、瀬尾は頬を赤く染めていた。



 一方その頃。
「なによ、瀬尾。そこで押し倒しなさいよ。てかせめて手くらい繋ぎなさいよ」
「千穂、バレるって」
 同じ博物館、展示室にある柱の影。
 恵美たちと別れたはずの千穂と菜々が、二人のデートをしっかりと観察していた。
「だいたい、瀬尾君が恵美を押し倒しても、絶対に返り討ちだと思うな」
「それはそうかもだけど、もしかしたら脈あるかもしれないじゃん。恵美、男女関係とか無頓着だし。てか女子の自覚ないし。そういう体験すれば、ちょっとは女の子に目覚めるかもしれないじゃん?」
「女の子っぽい恵美か〜。ぜんっぜん想像できないね」
 千穂も菜々も、恵美や瀬尾とは友人だ。友人だが、それとこれとは話が別だ。
 あの二人が、というかあの恵美がデートをしている。その自覚は絶対にないだろうが、事実は事実だ。
 そんな究極のゴシップを見逃せるほど、二人はおとなしくない。
「行け、瀬尾、キスしろっ」
「もー、瀬尾君、へたれてるなぁ。せめて肩くらい抱いてくれないかなぁ」
 物陰で、二人は二人でものすごく楽しんでいるのだった。



 博物館の展示をぐるりと見て回り、ついでに喫茶スペースでお茶を飲むと、もう夕刻だった。
 駅前に戻ってきた瀬尾と恵美。楽しい一日は、終わりを告げようとしている。
「あー、や、八雲。楽しかったか?」
「ああ、そうだね。ありがとう、瀬尾君」
 そう言って、屈託なく笑う少女。
 そんな恵美に、瀬尾はどきりと心臓をはねさせる。
「えっと、あの、さ。八雲」
「うん? なんだい?」
 瀬尾は、改めて恵美を見やる。
 黒く長いストレートヘア。学校指定のセーラー服。どことは言わないが膨らみこそないものの、肢体は引き締まっており、すらりとしている。
 外見は着物でも似合いそうな美人なのに、内面は、子供のように無邪気。そんなギャップが、たまらなく魅力的な少女だ。
 瀬尾はかすれそうになる喉を振り絞り、口を開く。
「あの……、八雲。その、もし、よかったらなんだけど」
「うん」
「お、俺と、さ」
 一呼吸し、瀬尾は思いのたけを口にする。
「俺と、またこうして付き合ってくれないか」
「いいよ」
 恵美は特に悩むこともなく答えた。その答えに、瀬尾は舞い上がる。
「ほ、本当か!?」
「うん。瀬尾君と遊ぶのも楽しいし。今度はみんなと一緒もいいね」
「あ、ああ」
 そう、恵美にとって付き合うとは、当然ながらそういう意味だ。わかっていた、わかっていたが――。
 急激にしぼむ心は止められない。無理もない。
「ふふ。じゃあね、瀬尾君。また月曜日に」
「あ? あ、うん、また月曜日」
 軽く手を振り、恵美とわかれた瀬尾は、深く吐息した。
「はぁ、やっぱすぐに意識を変えるのは無理かぁ」
 そのまま瀬尾がとぼとぼと歩きだすと、
「何を言ってるのよこのへたれー!」
「おわっ!?」
 思い切り後ろから飛びつかれ、瀬尾はよろめく。
 首だけで振り向くと、後ろから千穂がのしかかっていた。何かの妖怪に見えた。
「な、なんでお前がここにいるんだよ!?」
「いいじゃん別に! てか瀬尾、情けない! キスどころか手も繋げないって! そんなんじゃあ恵美が男の子を意識するわけないじゃん! もっとガツガツいきなさいよ体育会系!」
「なっ!? ま、まさかお前、ずっと見てたのか!?」
「失礼ね、応援してあげたのよ。ちなみにさっきまで菜々も一緒でした」
「な、なにいいいいいいいいい!? あ、お前らがやけに潔く引き下がったと思ったら、そういうことだったのか!?」
「当たり前でしょバカじゃないの? それでそれで、一日デートの感想はいかがですか瀬尾選手」
「う、うるせえ!!」
 千穂を振りほどき、瀬尾は顔を真っ赤にしながら歩き出す。
「あ、ちょっと待ってよー」
 その後ろを、パパラッチよろしく千穂が追いかける。
 空は、瀬尾の顔のように赤く染まっていた。



 瀬尾と別れた恵美が自宅に向かっていると、見知った顔を見かけた。
「あ、菜々。千穂とはもう別れたの?」
「あー、恵美。うん、千穂は別の用事があって」
 それが瀬尾をなじるため、だとは言わない菜々。やさしさである。
「恵美、瀬尾君とのデートはどうだった?」
「デート? 一緒に遊んでいただけだよ」
 二人きりで、しかも同年齢の男女がそうしていたら、人はそれをデートと呼ぶのではなかろうか。
 思ったが、菜々は言わなかった。恵美にそんなことを言っても絶対に理解しない。彼女は男子とか女子とか超越して、もっと獣っぽい。
「せっかくだし、途中まで一緒に帰ろうよ」
「うん」
 恵美と菜々は、並んで歩き出す。赤い空の下、二人の少女は歩みを同じくしている。
「そういえば菜々、今日は部活、よかったのかい? 土曜の午後っていつも練習していなかった?」
 菜々は吹奏楽部だ。運動部ほど頻繁ではないが、土曜日はだいたい学校で練習をしている。そう思って聞いてみると、
「うん、今日、お母さんの誕生日でね。お父さん、隣町のレストランを予約したんだって。海辺にできた、新しいとこ。だから早く帰ってきなさいって言われてるの」
 本当は恵美たちのデートを覗きたかったからだったが、真相は伏せておいた。やさしさである。
 恵美は菜々の言葉に、記憶を引きずり出した。
「ああ、前に見せてくれた雑誌の?」
「そうそう! 新しいのに、もう話題になっているんだって。すごくない?」
「すごいのもしれないね」
「……もう、恵美ってば、本当にそういうのって興味ないんだね」
「うーん、美味しいものを食べるのはいいけど、ボク、そんなにグルメでもないしね」
 そう言って、恵美は苦笑する。
 そんな親友に、菜々は嘆息した。
「なんていうか、恵美って脳みそ筋肉って感じ」
「い、いいじゃないか、体を鍛えるのは大切なことさ。それに、ボクには目標もあるし」
「あれでしょ、すごい剣士になる的な? 今どき、おじいさんが道場やってるからって、本気で剣道やる人も珍しくない?」
「それはよくわからないけど、でも、役目みたいなものだからね」
「ふうん?」
 恵美の物言いに少しだけ首をかしげた菜々は、足を止めた。話しながら歩き続けるうち、三叉路にさしかかっていた。二人の自宅は、それぞれ反対の方向にある。
「じゃあ、またね、恵美」
「うん、またね、菜々」
 友人と手を振って別れ、恵美は自宅を目指す。
 道を曲がると、瓦屋根の自宅が目に入る。門をくぐると、庭の方から刀を振る音が聞こえてきた。
 玄関をくぐらず、恵美は庭に向かう。そこでは、祖父が巻き藁を相手に真剣を振るっていた。
「はッ!!」
 祖父の振るう刀が鋭い斬線を描き、巻き藁を屑へと変える。
「ただいま、おじいちゃん。どうしたの、真剣なんか持ち出して」
「恵美か。いや……、なんとなく胸騒ぎがしてな。じっとしていられんかったのだ」
「動悸? トシのせいじゃない?」
「馬鹿者」
 恵美に刀を渡し、祖父は自分のはだけた着物を直した。恵美は刀を鞘に納める。
「そういえば、兄さん、今日くらいに日本まで帰ってきているんだよね? いつ頃、家に帰るか、連絡あった?」
「ああ、いつとは言っていたかったが、顔は出すと言っていたな」
「もう、兄さんもちゃんと決めておけばいいのに」
「仕事もあるんだ、そうもいかないだろう」
「それはそうだけど……。あ、そうだ、そうだ、おじいちゃん。兄さんが家に帰ってきたら、外食でもしない?」
 友人の顔を思い浮かべながら言う恵美に、祖父は苦笑する。
「お前もたいがい、のんきだな……。まあ、それはそれか。それで、外食か? そんなのも悪くないかもしれんな」
「でしょ? どこがいいかなぁ」
「そうだな……」
 祖父がタオルで流した汗を拭き、恵美と共に縁側から部屋に戻ろうとした、まさにその時。
「ッ!?」
「なッ!?」
 地が揺れた。
 地震かと思ったのもつかの間、遠く、遠雷のような叫び声が聞こえてきた。
 ――ケモノの遠吠えだ。



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